背炙り古道へ入る畑沢からの入口を探していた5月の初め、沼沢(ヌマサ)で上畑沢の古瀬Ⅰ氏に会いました。古道への入口は「そこのとこ」と簡単に教えていただきました。昔から何の造作も加えていないそうですが、軽自動車が途中まで入れるそうです。元々、幅が広い古道だったようです。この日よりも少し前に、別の人から「入口には馬頭観音」があると教えてもらっていましたので、その確認が必要です。
教えてもらったので、直ぐに確認すればよかったのですが、以前から御親切にしていただいていた古瀬氏に久しぶりにお会いしたので、ついつい話に夢中になってしまいました。畑沢に言い伝えられていた話になり、「畑沢で金が採れた」とおっしゃいました。その話は初めてでした。古瀬氏の推測では、「銀山で採掘された金を運ぶため、背炙り峠に向かったが、途中で荷の一部を落としてしまったのではないか」というのです。「畑沢からは金が産出されるはずがないので、その落した荷の一部が川で拾われたのだろう」と言うのが理由です。
果たして、「畑沢から金が採れた」のが、本当だったとした場合、畑沢から金が産出する可能性はなかったのでしょうか。金が生じるのは、石英などの火成岩の中で熱水によるなどとの記述を若い時に読んだことがあります。畑沢の立石山と大平山の上部は、流紋岩と言う火成岩でできていますから、金が産出する可能性が全くないわけではないのでしょうが、石英のように地下の深いところで造られた岩石ではありません。やはり、金鉱床が存在するというのは、夢はありますがかなり無理なお話かもしれません。やはり、落した荷の一部だったのでしょう。ところで、何時のころのお話かは確認していませんでした。今度、古瀬氏に教えてもらいます。
しかし、それにしても、まだ落ちていないでしょうか。千鳥川の中で金色にピカッと光ったり、変わった石が見つかったら、金の可能性があるかもしれません。子どものころ、川でカジカ突きをしていた時に、光っていたあれだったのかなと思ったりしています。「一攫千金」いい言葉ですね。