-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

下畑沢の半鐘

2014-04-04 18:47:11 | 近況報告

 「半鐘」と言われて分かりますか。「はんしょう」と発音します。そのように書きますと、「ああ、あれか」と思い出していただけると思います。小さい頃は、音で聞いていただけで、漢字を見たことがありません。あらためて「半鐘」と書かれると戸惑います。私もブログに投稿するために調べて、初めて漢字を知りました。お寺にある大きな鐘と比べて小さいので、「半分の鐘」の意味なのでしょう。

 畑沢には、昔から2か所にありました。一つは下畑沢の熊野神社へ登る階段の入口で、もう一つは上畑沢の延命地蔵堂がある丘の下にありました。学校からの帰り道にあるのが、熊野神社の所のものです。ここでも思い出があります。昔の半鐘は、はしご状に組まれた大きな木の櫓に半鐘が吊るされていました。子どもの私たちには、とてつもなく高い場所にあります。それでも、畑沢の子ども心としては、そこまで登りたい気持ちになります。いくらスビタレと言われていても気持ちだけはあります。スビタレと言われていない尊敬すべき先輩たちでも、普通は無理だったようです。登れば、親からこっぴどく叱られます。「このばがやろ」です。でも、極めて少数ですが、登ったという強者の伝説はありました。当時、その名前を聞けば、「ああ、あいつか」と納得できました。火事で一度、早鐘がなりました。私が小学校へ入学する前の年度です。

 さて、その半鐘ですが、日々、変化しています。いつの間にか、木の半鐘台は鉄塔に変わり、熊野神社の近くにあったものは、より北側の人家の近くに移動しました。ところが、今年になってから形が変わっていました。

写真Aは、2年前です。雪が屋根にうず高く積もっています。写真Bは、今年の2月です。屋根が壊れていました。写真Cは、今年の3月です。鉄塔全体を覆っていた屋根がなくなり、鐘だけをちょこんと覆った小さい屋根になっています。よく見ると、鉄塔も寸詰まりにカットされていました。私は怒りがこみ上げてきました。「畑沢の半鐘を何と心得るか。適当に修復するなどもってのほかである。まるでスビタレ流ではないか」と。

 ところが、畑沢に限らず市内の半鐘は、この姿に変わっていました。でも、みすぼらしくて、前の姿が懐かしいと思います。こうして見ると、「半鐘」も、村のシンボルだったような気がします。

 

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