古道にある背中炙り峠を探していた一昨年の11月に、背中炙り峠に近い畑沢側に大きな池を見つけました。突然、眼下に現われたその時に、私の空想は大きく広がりました。背中炙り峠に西暦1600年ごろ、楯が築かれたという保角里志氏の「南出羽の城」という本を既に読んでいましたので、この池と楯を頭の中で結びつけました。その内容は、「楯が築かれたころ、楯で使用する水をこの池で確保していたかもしれない」というものです。ついでに、「この池で魚を飼育して、蛋白源も確保していたのではないか」とまで発展してしまいました。
ところが、後日、畑沢の古瀬K氏と古瀬T氏に聞いたところ、「近くに田んぼを作った時に、用水を確保するために最近作られた池」であることが分かりました。両氏が言う「最近」とは、昭和30、40年代のことのようですので、半世紀も前ということになりそうです。私の広大な素人説「楯と池」は、すぐさま崩れてしまいました。
それはそれとしまして、結構、大きい池です。国土地理院が発行している2万5千分の1の地図には出ていませんが、goo、Yahoo、Googleの地図にははっきりと出ています。とても、個人が作った池には見えません。昔から存在しているかのような神秘性も備えています。
上の写真は、一昨年の11月です。下の写真は、今年の3月の写真で、表面が凍結しているようです。