アネッティワールド

日常の体験から・・・

海上アルプス 青海島(おおみじま)でクルージング

2016年11月07日 00時06分03秒 | 山口県

萩市の真西に位置するのが長門市です。

その長門市の日本海に浮かぶ青海島で遊覧船に乗ることにしました。

出港まで少々時間があるので

少し遅れた昼食です。

海のそばまで来るとどうしても海鮮料理が食べたくなります。

北海道で食べたウニ丼とまではいきませんが、

海の恵みに堪能できました。

大好きな鯛は外せません。

レオは船に乗ることができないので

乗務員室で預かってくれます。

 

『ちっちゃ』 (小さいという意味です)

横幅があまり無いですね。

海は穏やかなんですがスピードが出るので水しぶきが凄くて

窓を開けることができません。

 

ザブンザブン波が船を覆い 時折の横揺れに悲鳴もあがっています。

 

でも岩の近くに来るとスピードを落とし窓を開けることができます。

覚えていませんが

それぞれ名前が付いてるんですね。

断崖絶壁や洞窟など自然が繰り出す彫刻美に感嘆。

島を一周するのですが日本海に面した北側と

南側とでは岩の表情が全然違います。

 

やはりここも 快晴の青空にコバルトブルーの海が似合うんだろうな。

 

自分は雨男ではなく晴れ男と思っていましたが クモ(曇)男だったんですね。

 

今夜は秋芳洞に一番近いホテルに泊まり

明日は鍾乳洞へ行ってきます。    角島大橋は晴れているのだろうか・・・

 


萩城城下町 菊屋家住宅

2016年11月05日 12時35分59秒 | 山口県

吉田松陰誕生の地から3㎞くらいしか離れていないところに

高杉晋作誕生の地や木戸孝允旧宅があります。

松陰が萩で生まれたことがこの町にも日本にも大きな影響を与えたのですが

父親・叔父の存在も忘れてはいけません。

改めて「教育は環境だ」を感じます。

「類は友を呼ぶ」かのように 、吸い付けられるように同士が集まったんでしょうね。

高杉晋作の産湯の井戸なんですね。

江戸時代の地図がそのまま使えるような

碁盤の目の町筋が残っていました。

 

朝から歩き疲れたのでちょっと休憩

萩 夏みかんソフトです。

なまこ壁で囲まれている建物が

菊屋家住宅です。

全国でも最古に属する町屋で

大切に維持されているようです。

入場料600円を支払い中へと行きます。

 中庭が素晴らしく手入れされていて美しいです。

正面の平らな石は殿様のかごを置くのに使ったそうです。

 

 伊藤博文が泊まった部屋だそうです。

 

 昭和になっても皇室の方々が訪れたそうですが、

このころから段差のないバリアフリーになっている和室です。

 菊屋家とは今でいう総合商社のような商いをしていました。

 

 露出オーバーで見づらいですね

 

 「花燃ゆ」で大沢たかおが演じた小田村伊之助(群馬県知事)が住んだ場所です。

続々と有名人を輩出してきた山口県萩、偶然なのか必然なのか

現地の方とお話ができてそれを紐解くヒントを肌で感じる事ができて有意義な萩訪問でした。

 

青海島の遊覧船の最終便に間に合うように進まないと行けないので

もう少し萩を散策したかったけれど残念ながら「萩よ、さようなら」

 

 


東光寺 黄檗宗

2016年11月04日 00時00分59秒 | 山口県

 萩の町を歩く場合

松陰神社周辺と萩城城下町周辺に分かれます。

 

松陰神社周辺の最後の地、東光寺に立ち寄ってみました。

もちろん聞いたことがありません。

しかし黄檗宗(おうばくしゅう)と聞けば教科書を思い出します。

臨済宗・曹洞宗・黄檗宗 三禅宗の一つですね。 

大本山は京都宇治にある萬福寺です。

今日はだれもいません。

 ↓ 魚邦(ぎょほう)の邦はきへんなのですが変換しても出てこないのです

禅宗で使われる鳴り物の一種なんですね。

毛利藩主の墓があるのですが

とても恐怖を感じるんです あの正面の門をくぐるのに勇気がいりました。

 

これ以上前に進むことができません。

500数基の石灯籠が並んでいて、 カラスの鳴き声が静寂な雰囲気に鳴り響きます。

灯籠が顔に見えて 一斉にこちらを見てるようで

ごめんなさい、 5分も居ることができませんでした

 

東光寺からまた松陰神社へ通じる小径がとっても素敵です。

桜の咲く頃に通り抜けたい小径ですね。

紅葉のころも もみじが綺麗でしょうね。

 

松陰神社の裏側に出るんですね。

ここから車で5分くらいの所が萩城城下町です。

木戸孝允・高杉晋作誕生の地です。

萩反射炉へも行きたいのですが、長門市 青海島の遊覧船の最終便の時間もあり

あまりゆっくりできなかったのが残念です

 

余裕のある計画を立てたつもりでしたが、行く先々でどんどん興味が沸き

時間通りに行かないものですね。

 


堺市みはら歴史博物館

2016年11月03日 00時01分06秒 | 大阪府

かつて大阪府南河内郡美原町だったのが

10年前堺市が政令指定都市になったときに

美原区となりました。

 

その美原区に歴史博物館があり

館内のランチが人気ということで行ってきました。

雲一つない快晴に『山口県でもこの青空が欲しかったなぁ』と つぶやくのでありました。

こんな立派な建物があるなんて堺市民や近隣市民も知らないのでは・・・?

公園もあるので子供たちにも親しめそうですね。

中に入って遊べないけど噴水もあります。

こんな芝生はレオ大好きで

いつもずっと寝ているのに、飛び跳ねて喜んでくれます。

色んな匂いがするのでしょうね。(クンクン)

説明難しいけど

正午の時間になると影の位置で月日がわかるという物です。

太陽の緯度で影の位置がわかるようになっているのだから理屈は至ってシンプルです。

これだと影が真下の夏至と一番上になる冬至の高さの差が3mくらいの差になるんですね。

 

美原は鋳物の歴史が古くからあり(平安から室町にかけて)

かなりの量を生産していて鋳造技術者集団がいたそうです。

 

鋳物師(いもじ)と呼ぶそうです。 鋳物を作る職人のことですね。

鍋・釜と言った生活用品から寺社用の梵鐘(ぼんしょう・釣り鐘)まで注文を受けて作っていたそうです。

歴史年表を見るのが好きで

歴史用語はだいたい聞いたことがあるのですが

断片的な知識しかなく、このパネルをうなずきながら読んでいました。

頭はいっぱいになったけれど

お腹はすいてきたのでランチとしましょう。

おまかせメニューです。

テラスに2テーブル。

40名弱入る店内ですが、

すべてのテーブルが埋まっています。

男性二人以外全員女性でした。

 薄味なのが気に入りました。

 

古墳の多いこの地域は

阪和自動車道築造工事の事前発掘調査で

梵鐘の鋳造遺構が見つかったそうです。

撮影禁止でしたが展示室を見てると

当時の様子がうかがえて 歴史の面白さ 想像が膨らむ面白さを感じますね。

 

 


吉田松陰ゆかりの地を巡る! 松陰神社

2016年11月01日 00時22分32秒 | 大河ドラマ・朝ドラ

大河ドラマ「花燃ゆ」の放映中だったら

もっと観光客も多く

興奮度もマックスだったでしょう。

そんなことをさっ引いてもワクワクする萩の町です

まずは松陰神社に車を止めて

ここを起点に歩くことにします。

(のちに膝腰が弱っている私には思いの外ダメージが大きかったのです

 

ちょうど池の清掃に出くわしました。

石に付いた苔をブラシでこする重労働のようです。

 

玉木文之進(ドラマでは奥田瑛二が演じてました)が開いた松下村塾

松陰にとってこの叔父の存在が大きかったようですね。

こんな小さいところから

久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文など大きな人物が育ったんですね。

 

吉田松陰幽囚の旧宅

野山獄に入れられた後(海外渡航に失敗したので)、翌年実家である杉家の一室に幽囚されました。

3畳です。

 

 今日は旅行会社の関係者が大勢集まって

打ち合わせをしているようです。

 

 玉木文之進(たまきぶんのしん)の旧宅

 

 松陰の父、杉百合之助の末弟でドラマでも松陰にはかなり厳しい方でしたね。

伊藤博文の旧宅です。

農家に生まれた博文は9歳の頃にここ萩へ移って来たそうです。

玉木文之進の旧宅を右折し坂を上ること10分

吉田松陰の誕生の地と墓所があります。

レオもこの坂を歩いたね。

通称寅次郎と呼ばれていた松陰がここで兄と

畑仕事に精を出していたそうです。

この高台から畑仕事や読書に励んでいたんですね。

 

30年と言う短い命でしたが

多くの人材に恵まれ影響を与え、江戸から明治への橋渡しを

欧米と違ってほとんど血を流さずに革命を成功させた功績は大きいとおもいます。

 

勝手な解釈ですが

昔読んだ三浦綾子の「塩狩峠」を思い出しました。

 「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」