アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

セビリアの「日本さん」

2024年06月22日 | Weblog
「セビリア」といえば理髪師。舞台は、スペインのアンダルシア州セビリア県。このスペインのセビリアが有名なので、「セビリア共和国」は、 知っている人のほうが少ないかも。その国、どこにあるかって?「ルーマニアの南西 ブルガリアの西、ボスニア・ヘルツェゴビナの東」首都はベオグラードと言った方が、わかりやすいかも。
 セビリア共和国へは行ったことはありませんがスペインのセビリアへは行きました。理髪店の「サインポール(3色でぐるぐる回っているアレ)」を探しましたが、近視と老眼の私には見つけられませんで…そのうちに街はずれに出てしまいましたぁ。

 スペインのセビリアに関心があったのは、「ハポン(japo'n:日本)」という姓の人が、セビリア州の、コリア・デル・リオという町だけで600人おられることから。

 スペインのアンダルシア州セビリア県「コリア・デル・リオ」には、1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が、滞在しました。…ここまでは、テレビでも紹介されたりなどしたので、多くの人が知るところ。

 慶長遣欧使節は、どのくらいの期間コリア・デル・リオに滞在したかですが…「ヨーロッパに消えたサムライたち(太田尚樹著)」には…
「往路の1614年10月に数日間滞在。ローマからの帰路には数ヶ月間滞在していた」と書かれています。
 帰路の滞在は、「9ヶ月間」という資料もあります。使節は、スペイン国王から伊達政宗への親書が届くのをコリア・デル・リオで待ち続けていたわけですから、9ヶ月間の方が史実に近いような気もしますが…。
 遣欧使節は、コリア・デル・リオの娘さんたちに興味・関心をもたれたことは間違いないでしょう。滞在中に、現地の女性と親しくなり、そのまま帰国しなかった使節の人たちがいた。 インディアス総文書館(セビリア)の資料に寄りますと、コリア・デル・リオに入った使節団は、28人。
 帰国が始まり、約20名ほどが帰国している。20人に「約」をつけなければならないのはいい加減かも知れませんが、当時はそんな感じだったのでしょう。つまり約8人が帰国していない。
 私の予測ですが、この8人の子孫がおよそ400年間に、600人になっている(増減を繰り返しながらだと思います。なぜなら、10年ほど前は、830人だったのです)。

 さて、ハポンさんたちが、本当に江戸時代初期に渡欧したサムライの末裔なのか?
 名古屋大学、東京大学、国立遺伝学研究所などによる共同研究チームが、DNA鑑定によってハポン姓の人々と日本人との関係を調べる研究を行っています。しかし、今のところ、「日本人に由来するという結果」が見つかっていないという。
 悲観的な推測としまして、仮に8人が現地の娘さんと結婚した場合、「ハポン」などと言う姓を名乗りますかねえ?伊達、支倉など自分の姓を名乗りますよね?