アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「シニアウイーク」お願いします

2017年05月31日 | Weblog
 清掃の時、「明日から、6月だね」と言ったら、2年生の「ゆう君」が、
 「6月は、なくてもいい。7月にしてほしい」と、宣もうた。理由があるのかと追及したら、
 「ドラエモンが、6月が嫌いと言っていたから」。
 すかさず、5年生の「とあ君」が、
 「のび太が言ったんだよ!6月は祝日がないから嫌いだって」。(清掃は縦割り班なので、1年生から6年生までがいる)
 そんなこと考えもしませんでしたが、確かに6月は祝日がない。だけど、「休みを好む子」って…懐かしいというか、郷愁を感じます。

 「安倍友学園」には笑ってしまいました。「森友学園」「加計学園」がどちらも、安倍首相の友達ということで、「安倍友学園」…上手いっ!「山田さ~ん!座布団2枚!」おっと、その話じゃなかった。「休み」の話。

 安倍友首相は、「キッズウイーク」を来年度に導入する方針を明らかにしました。道徳の教科書では、「パン屋」はダメなのに、政府のものは、平気でカタカナを使う?「キッズウイーク」じゃなくて、「子ども週間」でしょうがぁ!
 で、この「キッズウイーク」自治体が学校の夏休みなどの長期休暇の一部を別の時期に移し、大型連休を独自に作るんだと。家族が一緒に過ごす時間を増やすことなどが狙いで、保護者が休暇を取れるよう経済界にも協力を要請するという。

 少なくても、のび太君は喜ぶね。なぬ?「キッズウイークがよく分からん具体的に説明せよ」だって?
 安倍友小学校では、夏休みを5日分ほど切り取り、9月の11日~15日の5日間にその休みを貼り付けるとする。すると、9月18日が敬老の日でお休みなので、なんと、「10連休」となる。これが、キッズウイーク。
 問題は、保護者が休暇を取れるかどうか?我が家の二男などは、サービス業ではないのですが、公務員が休みの日が「書き入れ時」のような職種。お盆でも正月でも、一日中出勤しなくてもいい日は1~2日。10連休は…全くありえない。

 あと…キッズウイークが設定されても、「どこへも行けないない子」のことは考えなくてもいいのかなあ?惨めさに拍車をかけるようなモノ…。「それは、地域なり、学校なりで考えろ」ってかぁ?安倍友小学校なら、保護者は皆さん裕福で、10連休はハワイで過ごすのでしょうねえ。

 まあ、キッズウイークは私にはなんの関係も影響もない。「シニアウイーク」を導入して、シニアには、「毎年一回、四泊五日の旅行、好きな期間に好きなところへ行ける。費用は、全額政府負担」こういうの…出来るはずないね。

オチなくてぇ…結論が「なおざり」

2017年05月09日 | Weblog
 カミサンとの口論。喧嘩ではありませんが、日常茶飯。このところはぁ…「撤回しなさい、出て行きなさい、(原発事故は)あっちで良かった大臣」「籠池さんが予算委員会を傍聴!」「北朝鮮と対話するらしい新韓国大統領」「北朝鮮」など、時事問題ですね。大臣と籠池については、公論(世間一般の人々の意見)と大差ないので、口論は大きな発展を見ない。韓国の新大統領は、「狂犬」と対話できるらしい。双方、「勝手にしやがれ韓国」で口論は終結。だけど、北朝鮮問題は白熱します。

 北朝鮮問題については、私の態度はかねてからの主張通りです。
 私は、「(通告しておいて)平壌へミサイル20発。または、豊渓里(ブンゲリ:核基地)へミサイル60発」これ、好論。カミサンは、「そんなことしたら大きな戦争になり、難民が…」と、抗論。
 「狂犬と話し合いができるのか?対北朝鮮では、武力行使以外に道がないことは、この35年で、嫌というほど見せつけられてきているでしょうがぁ!」と、高論をぶつける私。「多くの人の命が失われるしぃ、難民はどこの国が面倒をみるの?」と、カミサンも硬論。

 私は、さらに高論を続けます。
 大体やねぇ、拉致問題はどうなるの?赤ちゃん以外の日本国民は、拉致問題は解決しないことぐらいお見通しですよ。「なおざり」にされたままでおしまいです。
 北朝鮮は日本を全く相手にしていませんから、別人のお骨を、拉致被害者のお骨だとして送ってよこす。「おざなり」なんだよっ。DNA鑑定なるものがあるってことすら知らない。無知にもほどがある。(この件には反論もあります。「遺骨は火葬されたものであり、DNAは残っていないはず」というもの。あ、あのね! 元々朝鮮半島には火葬の習慣はありません。火葬されていること自体が、北朝鮮の捏造を裏付けるものでしょ!「わざわざ火葬した遺骨を送ってよこしたんでしょう。それなら、DNAは残ってないっしょ!」って?「火葬した骨の一部が熱に十分さらされなかったためDNAが残存していた」これ、日本政府の発表。北朝鮮政府の発表ではありません)

 拉致問題まで行くと、カミサンはトーンダウンします。抗論も硬論も出てこないからです。それからですねえ…、何回も説明しているのに、「なおざり」と「おざなり」がこんがらかっている。
 「なおざり」と「おざなり」は同じじゃないのかって?
 なおざり・・・いいかげんにしておく。対処しない。おろそかにしっぱなし。北朝鮮の、拉致問題への態度のことですね。
 おざなり・・・対処はするが、その場しのぎでいいかげん。お骨問題など、おざなりの典型。
 似ているようで違います。対処するのかしないのかですから、大きな違いといってもいいかな。

毎日、口論・公論・好論・抗論・高論・硬論…テーマには、事欠かないんです。
 「なおざり」と「おざなり」では、おざなりの方がやや「良い」んだねって?対処らしきモノをするだけいいのかなあ?いやいや、どっちも良くない。
 「おきざり」も良くない。遠足では、「おにぎり」。助六は、「おいなり」。歌舞伎では、「おひねり」。旧友からは、「おたより」。焼酎は、「おゆわり」。もっと食べたい時は、「おかわり」。犬に命令するのは、「おすわり」…。

 う~ん!「なおざり」な締めくくりだなあ…。

江戸時代のカンヅメは大きかった

2017年05月08日 | Weblog
 5月4日付の地方誌のコラム…

 江戸時代というものの正体を司馬遼太郎さんが短編「おお、大砲」に書いている。天誅(てんちゅう)組の変で決起軍に攻められた奈良の高取藩。大坂の陣以来の大砲を6門引き出したが、火を噴かない
 250年の間に、いつしか口伝に誤りが生じた。火薬の調合がうまくいかない。ひび割れた砲もあった。それを守ってきた大砲方。結果として、使いものにならない砲で家禄(かろく)を得、子々孫々食ってきたのである・・・

 ビックリしました!私が、4月27日、28日に書いたもののパクリかと思いました。で、「どっちがパクッタか?」となったとき、「新聞VSアンティークマン」では、私に勝ち目がない。ただ、一縷の希望は、「私のほうが先に書いている」ということ。「先に書いた人が、あとから書かれたものをパクル…?」これはないでしょう!

 コラムを読んでいくうちに、「私が書いたもののパクリじゃないな」と気づきました。当たり前だけどね。
 文章のまとめ方が、「真面目臭い」のです。私の場合は、「オチをどうつけるか?」「どうボケるか?」そんなことに汲汲としているのですがね。なぬ?真面目臭いのを読ませろって?
 
  ・・・(結果として、使いものにならない砲で家禄を得、子々孫々食ってきたのである)それが、封建制というものだった。この制度は、人間や身分を数百年間、制度のカンヅメに入れてきただけでなく、大砲までをカンヅメにしてきたのである・・・
 どうですか?真面目臭いでしょう。それにしても、「大砲のカンヅメ」とは!江戸時代には、大きなカンヅメがあったんですねえ!(うむ、うまくボケたな)

十億の人に十億の母

2017年05月07日 | Weblog
「暁烏 敏」この名前を読める人は…10人中せいぜい2~3人じゃないでしょうか?恥ずかしながら、私は読めませんでした。
 なぬ?「ぎょうちょう さとし」じゃないかって?よく見て下さい、「鳥ではなく烏」ですから!
 正解は、「あけがらす はや」だという。インパクトのある名前です。

 「十億の人に十億の母あれどわが母にまさる母ありなんや」
 この文は知っていました。しかし、誰が書いた文かは知りませんでした。で、この度、美術館でこの文の「石版画」を発見。文の作者が、「暁烏敏」と、知りました。

 名前のインパクトもさることながら、「十億の人に十億の母あれどわが母にまさる母ありなんや」…これって、素晴らしい。十億の人たちが、全員、「わが母にまさる母ありなんや」と、つくづく感じてほしい。
 ただ…悲しいことに、「実母の我が子虐待」があるのです。その子にとっては、「十億の人に十億の母あれどわが母に劣る母ありなんや」なんです。

 父はどうなんだって?
 「十億の人に十億の父あれどわが父にまさる父ありなんや」
 こう感じている人(子)は、いるでしょうが…。母に比べると、父性を著しく欠く、「名ばかり父」もいますからねえ。

 暁烏 敏(あけがらす はや)さん、俳句も詠まれる。号は「非無」。本名も凄いが、俳号も凄い。
 私の俳号は、「耕洲(こうしゅう:国を耕す)」、父が考えてくれたもの。「非無」をまねて、号を「皆無」に変更しようかな…とも一瞬思いましたが、「わが父にまさる父ありなんや」ですから、「耕洲」で作句活動を続けます。
 通称名なら勝手に決めて勝手に使っても問題ない。「暮烏 鈍(くれがらす にぶ)」にしようかなぁ?

「逃げろ」も、無責任ではないかも

2017年05月05日 | Weblog
 成人50人ほどを対象に、「スマホ・ケータイ安全教室について」という研修会をもちます。その前半で、不肖私が、人権に関わる話をするのですがね。この連休は、構想を練っているうちに終わりですね。
 「人権とは→イジメの定義→スマホ・ケータイでのイジメ」と、話を持って行きます。で…またまた起こってしまいました。

 先月末、仙台市の中学2年生男子生徒の自殺。イジメを苦にしての自殺と、校長さんが認めた。仙台市の奥山市長は「仙台の子供たちがイジメいじめが原因で、命、未来を失うことがあってはいけないと、人的体制の問題などに努めてきた」と。「人的体制の問題などに努めた」…ここんとこの意味がよく解りませんが、イジメにより自殺が起こらないよう努力してきたらしい。しかし、「対策が子どもたちの心に届いていなかった」とも。

 こうなると、研修会では講師である私に対し、「次々と起こるイジメ自殺。どのように考えるか?子ども達の心に届く対策を講じるために、私達大人はどう行動したらいいのか?」という質問が出てくることが予想されます。

 人権教室で中学生へは、「自殺はするな。逃げて逃げて逃げまくれ!」と話してきました。それしか道はないと考えていたからです。
 しかし、電通社員の自殺で専門家は、「自殺を考えると、逃げるという選択肢はない。自殺しか道はなくなる」という。
 「東大卒なら、逃げ道はいくらでもあっただろう」と、思っていましたので、「自殺しか道がなくなる」という説に、「そうだったのか」と、衝撃を受けました。

 私が説いてきた、「逃げて逃げて逃げまくれ!」は、無責任きわまりないことになるわけで…。
 私の場合、自殺を考えたことがないので、死ぬ気になれば逃げるなんて簡単なこと、よって、「逃げろ」と教えてきた。「逃げろ」になんの影響力もないという専門家の意見を聞いて、正直自分が情けなくなりました。し、しかし、BUT!

 厚生労働省が(平成29年3月21日)、自殺対策に関する全国意識調査の結果を公表。
 1 本気で自殺したいと思ったことがある・・・23.6%(前回23.4%)
 2 最近1年以内に自殺したいと思ったことがある・・・4.5%(前回5.3%)
 自殺者数は7年連続で減少。
この調査結果で、少しですが安心しました。なぜか?「23.6%の、本気で自殺したいと思った人が、逃げてくれて生きている」ということ。自殺しようとする人の心も解からずに、無責任にも「逃げろ」と教えていた自分ですが、なんとか、「無責任の誹り(そしり)」を逃れられるかな?
 「私の考え」「専門家の考え」「厚労省の調査結果」を、同じ土俵で考えるのは無理がありますが、とりあえず、「自殺を考えると、逃げるという選択肢はない。自殺しか道はなくなる」と、いうことはぁ…100%ではなくなった。

 研修会ではどう扱うのかって?質問があったらですが…自分が考えた経緯を順を追って話しますよ。
「自殺を考えた人が行動を起こさないよう、予防対策は決して無駄じゃない」と結論づけます。
 ただぁ…「逃げるという選択肢はない。自殺以外のことは考えなくなる」これは、レッドラインを超えてしまったら、その通りだろうなぁと思うのです。だけど、100%がそうじゃないという一縷の望みを捨てない。と、いうことでしょうね。

時の流れを楽しめない

2017年05月01日 | Weblog
 「生まれたときから、ケータイ・スマホがある世代」がぁ…当たり前の顔で押し寄せてきております。彼らにとって、「普通にあるモノ」ですから、ありがたみが薄い。私など、15年ほど前に、世間から遅れながらも「ケータイ」を持つことが出来まして、文明の恩恵に浴したものです。今も、もちろんガラケーと呼ばれているモノを所持。
 カミサンが「スマホ嫌い」なので、「スマホ、ほしいなあ」などとは言えない。ただ、スマホがなければ困ることもあります。旅先で、航空券の変更をしたいとき等です。このケースでは、「スマホさえあれば」を連呼します。カミサンも、「困ったなあ」という表情はつくりますが、急場を凌ぐと、もとの「スマホ嫌い」に戻ります。我が家は、「生涯ガラケー」で終わりそうです。
 なぜそれほどスマホが嫌いかって?スマホに限らないのですが、「新しいモノ」が嫌い。用心深いというか、プレミアム用心深い…のです。

 ここまでが前置き。
 さてさて、鷲田清一さん(「待つ」角川選書)は、(スマホ・ケータイの普及により)効率よく時間を使えるようになった一方で「長い目で見る」「機が熟すのを待つ」といった余裕が、社会から失われつつあるのではないか。「意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか」。
 と、書いている。凄い人だと思います。カミサンが、ここまで考えてスマホ嫌いになっている…それはないですねぇ。

 ここで、是非書いておかなければならないことが。俵万智さんにご登場頂くわけですがね。
 「書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れだす」
 これは、鷲田さんの言う、「意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性…」に対するぅ…応援と警鐘と、憧憬と、方向性へのパイロット…。早い話が、「スマホ・ケータイ社会よ、この短歌を胸に刻め」と。

 どうゆうことかって?「時流れだす」ですね。スマホ・ケータイでは、時が流れないのです。
 学生時代は、京王線の「多磨霊園駅」から徒歩4分の所に住んでおりました。京王線沿線に、大学も、友達もおりまして、京王線の新宿駅の「掲示板」は、よく利用しておりました(京王線を利用されていた方は、「あっ!あの掲示板、知ってる!」と思われたはず)。あれから、50年!あの掲示板は、すでに消えていることでしょう。
 なぜ消えたか?100%の人が、スマホ・ケータイを持つようになり、待ち合わせのかたちが変わったから。遅れそうなら、移動中にも連絡を入れられる。待ちあぐねて、待ちぼうけ-ということもないっ!つまり、「掲示板にチョークで書くぅ、期待と絶望を味わうことが出来ない」。…これって、趣がないよねぇーっ!時間が流れない。

 俵万智さん、…書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れだす…。
 手紙が届くまでに数日。返事が届くまでにさらに数日かかります。メールでは、返信までに待っても数分。時を流さずに…返信が来てしまう。感性も趣もあったもんじゃない。手紙の返信を待つ…これは、濃厚というかハイクオリティというか…こういう時間を味わえないのは不幸です。

 で、カミサンは…手紙もせっせと書きますが、メールもせっせと…。ガラケーでのメールなんですがね。
 メールが来たら即座に返信。返信の返信が来たら、またまた返信。その返信が来たら、またまたまた返信。…これが続く…。止めてやらなければ永遠に続くと思われるので、私が、「もう、いいんじゃないの」と言います。「自分の返信で、このメールを一件落着にしたい」…手紙の返信を待つ心?

 これって、「意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をとりもどした」ってことになるんでしょうかねえ。
 それにしても、我が家に「スマホが来る日」は、あるのかなあ?3歳になったばかりの孫でもスマホに精通しているんですがねぇーっ。