アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「古代のチーズ」コロナに効くかなあ

2020年05月31日 | Weblog
 「蘇(そ)」…新型コロナウイルス感染防止に係わる非常事態宣言のあと、急に脚光を浴びている乳製品。学校が休みになり、給食用の牛乳が売れなくなった。そんな酪農家を応援しようとする人たちが、「蘇」を作り始めた。古代のチーズ「蘇」が、蘇(よみが)えっている。アンティークな国民としましては、たいへん嬉しいことです。なぬ?「『蘇が蘇える』で、自画自賛しないのか」って?まだ先を書きたいので、自画自賛は割愛。

 「五味(ごみ)」という姓があります、昔ご近所にもおられた。音だけ聴くと気の毒な姓ですが、由緒正しい、姓。「甘い、辛い、塩っぱい・・・」という五味とは全く別物。なぬ?「七味唐辛子ってのもある」って?だからぁ、それは関係ないから!
 仏教では、牛や羊の乳を精製する過程を5段階に分けて「五味(ごみ)」と呼ぶ。
 「乳(にゅう)」→「酪(らく)」→「生酥(しょうそ)」→「熟酥(じゅくそ)」→「醍醐(だいご)」 以上5段階。

 なぬ?「今日のテーマが読めた」って?はい、ご推察の通り、「醍醐味」です。
 「孫たちとのテレビ電話は、人生の醍醐味だ」
 「土地の名物を食べるのは、旅の醍醐味だ」
 「粗大ゴミを出すのがゴミ出しの醍醐味だ」
 このように、日常「醍醐味」という言葉をよく使います。「一番の魅力」という意味が、なぜ「醍醐味」なのか?「醍醐天皇」とか「後醍醐天皇」とかがおられたが、醍醐味は、これらの天皇と関係あるのか?
 正解は、五味の最上の味「醍醐」からですね。
 なぬ?「醍醐天皇は、乳製品の醍醐が好きだったから、醍醐天皇を名乗ったのか」って?これは、返答に一瞬窮する質問です。で、「後醍醐天皇」は、「追号」のようです。「醍醐寺」という寺の近くに御陵があるので「醍醐天皇」となったらしい。醍醐寺、つまり仏教ですから当然「五味の醍醐」を知っていた。つまり、最上の味「醍醐」と、醍醐天皇は、仏教関係ということでつながりがあると考えて大きく外れてはいないと思います。

 古代チーズ「蘇」。乳製品五味の最上級「醍醐」。同じじゃないのかぁ?  「蘇」が人気爆発という報道があるが、「醍醐を作っている」という話は聞かないが?
 そのわけは、「蘇」をさらに加工すると「醍醐」になるんだとぉ!は~い、解りましたぁ。と、いうことは、「蘇」を作っている人は、そのうちに「醍醐」も作るかもしれないってことね。

 「涅槃経」の一節に…
 ・・・醍醐は最上なり。もし服する者あらば、衆病皆除く・・・
 そうだったのかぁ!「醍醐」は、万能薬でもあったのかぁ!「衆病皆除く」ですから、新型コロナウイルスも除いてくれる。これは、正真正銘…醍醐味ですね!

知性って「手」だったんだぁ…

2020年05月30日 | Weblog
 鳥が木を突いて、小さな虫をくわえた。食べるのかなと思ったら…食べない?その虫を加えて小川の淀みへ。そして、「ポトリ」と、水面に虫を落とした。
 まさか!?そのまさかでした。魚が虫に向かって突進。待ってましたと、鳥がダイブして、魚を捕まえました。鳥が「魚釣り」をするのです。テレビのドキュメンタリー番組で観たのですがね。

 固い殻の木の実や、貝を高いところから地面に落として割って食べる鳥にも感心しましたが、このたびの、「魚釣り」をする鳥には、「びっくり!」しました。「鳥は、鳥頭だから、『三歩』歩けば忘れる」という、あたかも「鳥は、バカの代名詞」のような表現がありますが、あれは一体何なのでしょうか?鳥は、賢いなんてもんじゃない。チンパンジーより上じゃないのかぁ?

 鳥の「魚釣り」。竿も糸も釣り針も使わない。つまり、道具を使わない。しかし、そのプログラミングは、「道具をつくるための道具を作ったのと同じ」。まさに知性だと思います。
  「知性」…そこで、フランスの哲学者、ベルクソンを思い出しました。鳥の「魚釣り」が、ベルクソンにつながってしまうんですねえ。
 「知性とは、人為的なものをつくる能力、とくに『道具をつくるための道具をつくる能力』であり、またこの製作を無限に変化させる能力である」と。
 なぬ?「ベルクソン」ではなく「ベルグソン」ではないかって?私も、習った当時は、「ベルグソン」でした。で、フランス語で「Henri-Louis Bergson (アンリ・ルイ・ベルクソン)」ですから、発音により近く「ベルクソン」とするのが今は主流です。

 人間にとって、「道具をつくるための道具をつくる能力」「この能力を無限に変化させる能力」・・・これは、「手」に依存することが多いです。「知性=手」。

 「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」(啄木)
 暮らしの中で、自分の手をじっと見ることなどほとんどないです。で、今、自分の手を見てみました。
 膠原病(リュウマチの親類)のため、親指・人指し指・小指が曲がっています。「今までよく頑張ってくれたね。ありがとう」と、お礼を言いましたよ。
 この手にどれだけ支えられてきたか。手を使わない日などありません。言い方を変えると、手は、私の人生の縮図です。

 大脳生理学の権威である京都大学名誉教授は、「動物が高等になるほど手と口に対応する脳の領域が広くなる」と指摘しています。
 そうだったのかぁ、やはり「手」だったんだぁ!「知性=手=脳」。
 啄木は、それを知っていて「手」を見たんだぁ。(←ボケですから)
 私の場合、「口」は、まあまあ健康ですが、「手」がねえ…。脳の領域、狭くなってきているんだろうなあ…。「手」に刻みこまれた人生。曲がった指が愛しく感じられます。
 で、ベルクソン。晩年は、進行性の関節リウマチを病み苦しんでいたという。ベルクソンの指も曲がっていたんだろうなあ…。私と同じだったんだぁ!これから、本ブログのタイトルを、「アンテークマン・ベルクソン」にしようかなあ?

 手遅れかもしれませんが、生きている限り「手」を大切にします。…ところがぁむしろ、「手に大切にされ、手厚く労られて」生きているんだよなあ…。

喧々諤々…市民権ゲット

2020年05月29日 | Weblog
   <喧々…、侃々…を使った文を作ってみました>
 昼休みの玄関前は、リホーム関係業者、リホーム中の家の人たちなど7~8人が、「自粛警察問題」をテーマに、喧々囂々。
 そこへ、アンティークマンが乱入し、解ったような解らないような理論を、侃々諤々。
 そうなると、収拾などつくはずもなく、その場は、喧々諤々となった。
 この例文、喧々囂々(けんけんごうごう)、侃々諤々(かんかんがくがく)、喧々諤々(けんけんがくがく)の、使い方、正しいですよね。私が、一生懸命考えたのですから、間違っているはずがない。
 自分自身、「喧々…、侃々…」が、曖昧だったので、「意味を理解するための文」を作ってみたというわけ。

 喧々囂々(けんけんごうごう)は、「たくさんの人が口々にやかましく騒ぎ立てるさま」・・・早い話が多人数
 侃々諤々(かんかんがくがく)」は、「遠慮なく直言すること」。・・・早い話が極少人数。
 この二つの区別は付いておりました。
 問題は、よく耳にするようになった、喧々諤々(けんけんがくがく)。「喧々囂々」と「侃々諤々」という別々の言葉が混ざった。「誤った表現」と、思い込んでおりました。
 念のため広辞苑を引いて驚きました!誤用だと思っていた、「喧々諤々」が、載っているではないかぁ!(現在、広辞苑は第七版)「喧々諤々」は、間違いじゃなかったのかぁ!?意味は、「各々が意見を言い合って、まとまりがつかず騒がしくなるさま」…。喧々囂々と、同じようなものですね。
 広辞苑では「けんけんがくがく」が混交表現であることは認めつつも、一つの日本語として認める立場を取っています。
 日本語、これでいいのかなあ?尊敬申し上げている広辞苑を相手に、意見を言うつもりはありませんが釈然としません。まっ、言語は「生き物」ってことで。

 この頃は気にならなくなってしまった「全然」。市民権を得てしまっておりますねえ。元々は、「全然~ない」と否定を伴う決まりでしたよね。これには、喧々囂々は、ないね。
 注意しなければならないのは、漱石や鴎外は、「否定を伴わない『全然』を使っています」なぬ?「入試対策で、明治文学はほとんど読んだ」って?ハイハイ、懐かしいですねえ。私も御多分に洩れず… 川端康成、谷崎潤一郎、泉鏡花、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、井伏鱒二、三島由紀夫、宮沢賢治、林芙美子、坂口安吾、島崎藤村…全てと言ってもいいほど読みました。入試に出たのは、小林秀雄だったような。
 なぬ?小林秀雄は明治文学とはいえないだろうって?侃々諤々言わせていただくと、小林秀雄は、明治の生まれですから、堅いことを言わなくてもいいんじゃないでしょうか?

 閑話休題。明治の文豪が使った「否定を伴わない『全然』」は、「すべて」という意味。よく引き合いに出されるものに、石坂洋次郎さんの「青い山脈」の一文があります。「『全然同意ですな』と、変な軍隊用語で答えた」との表現。「全然=すべて」であることがよくわかります。
 それが今では、マスメディアに出てくる人たちが、「全然美しい」「全然豪華」「全然安い」。食レポさんも「全然おいしい」。関取も、「全然ごっつあんです」。
 もっとも、言語は生きているもの、「最近の全然=非常に」という意味という説があります。これには、喧々諤々がほしいところですね。

 詩人の吉野弘さんに、こんな詩が…
 「正」は「一」と「止」から出来ています。
 信念の独走を「一度、思い止(とど)まる」のが
 「正」ということでしょうか。
※ この詩、世の中の大人たちにかみしめていただきたいものです。なぬ?「おまえがかみしめろ」ってか?

 川柳作家の、橘高薫風さんの作品…
 人の世や嗚呼(ああ)にはじまる広辞苑
 辞書はア行から始まる。「嗚呼」の感嘆詞は、誕生の第一声「おぎゃあ」の産声にかけている。この世に生を受けて泣く。その時既に、人は苦労の連続であることを実感するのだという…このご意見に対して、喧々囂々はぁ不要ですね。

黄色い服を着ている悪人もいます

2020年05月28日 | Weblog
 スコールの雨宿りの話を前回書きました。そういえば…と、タイを旅したときの出来事が思い出されまして、今回は「タイの色」について書きますワ。
 街を歩くと、黄色い服を着た人が目立ちます。月曜日は特に多い。何か理由があるのだろうか?関係ないかもしれないが、僧衣も黄色。
 僧侶には良く出会います。それもそのはず、タイには約3万の仏教寺院があり、約40万人の僧侶がいる。僧達は、「サンガ(仏教僧団)」に所属し、戒律に基づいた生活を送っているとのこと。「京都サンガ」というサッカーチームがあるが、仏教僧団だったのかぁ!(これは、ボケですから。為念)。
 
 高僧も修行僧も身分に関係なく、すべての僧侶は木綿の黄衣をまとい、還俗しないかぎり衣を脱ぐことは許されない!寝る時も黄衣をまとったまま!どうりで、黄色にしてはくすんでいるなあと思ったよ。納得!
 さて、黄色の秘密を探るべく独自の調査を開始した。と、書くと凄そうだか、実際は偶然出会ったチェンマイの元高校の社会科教員、「アテット」から、しつこく聞き出した。アテットの意味は、「太陽」。怪しいでしょうコレ。しかしbut!話の内容は本物と思われました。
 まず、黄色ですが、これは、「国王の色」。国王の色が黄色なので、国王を敬ってやまない国民は、黄色の服を着る。そして、生まれた日が月曜なので、特に月曜日は黄色を着る人が増える。黄色を着ている人は敬虔な国王崇拝主義者ということになります…。「…」で余韻を持たせたのは、「国王崇拝主義者=良い人」ではないということで…。私ともあろう人が、「黄色」を信用して苦い思いをしました。「金を出すか」、「運河におまえの死体が浮くか」を選べと言われて…。財布ごとお金を出したんですがね。犯人グループは、黄色い服…。強盗に変身するとはね。
  <曜日に色が決められております。その色は次の通りです>
月曜日 黄色(もうおわかりですね!)
火曜日 ピンク
水曜日 緑
木曜日 オレンジ(ちょっと赤が強い感じ)
 金曜日 青
土曜日 ピンクがかった赤(微妙な色合い)
日曜日 赤
 どうです!貴重な資料ですよコレ!そんじょそこらのガイドブックには載ってませんから!私が、命がけで仕入れた情報。本ブログの読者さんのみが知る知識かも。
 さらに!タイの場合、公立学校も私立学校も制服がある。そして、色分けがある(ズボン、スカート)。
 高 校・・・・黒
 中学校・・・・カーキ色。
 小学校・・・・カーキ色、県によっては、黒の所もある
 私立学校・・・青
※ カーキ色ってどんな色か、若年層には分からないでしょうねえ。「柿の色」ではありません。黄色に淡い茶色の混じった色です。「カーキ」はヒンディー語で「土埃」の意味。タイ人も、「カーキ」と言っていたし、日本語にもなっている(広辞苑にあります)。
 タイの色で強烈なのは、火焔樹の深い赤ですねえ!満開の桜もきれいだけど、あの桜の薄いピンクを真っ赤にしたのが火焔樹。初めて見た時は、度肝を抜かれましたよ。
 タイ人は一様に浅黒い。日焼けとは違う。もっとも日焼けは、好まないらしい。私は、久しぶりの半袖半ズボン姿で、ゴルフ場へ行ったのですが、待ち受けていたキャディさんたちが、私の手足を見て、「カウ、カウ」と…。
 「カウ?COWか?私は牛じゃないぞ…?」カウは、もちろんタイ語。「白い」という意味だった。私は色白らしい…。キャディさんたちは、私の担当になりたくて口論を始めました。どうやって決着をつけたかまでは見ておりませんでしたがね。
 タイでは、男女を問わず「色白」が人気。日本人は、タイ人より色白なので、あちこちでちやほやされますよ。

ドラゴンフルーツ…竜の果物?

2020年05月27日 | Weblog
 グレープフルーツが実っているのを見たとき(ロスアンジェルス文化センターの中庭)、「う、う、うそ~~~!」と、思いました。なんと、ブドウの房状にあのグレープフルーツがなっていたのですから。一房は、大人が両手で円を描いたほどの大きさ。ブドウ(グレープ)のように実がなるので、グレープフルーツ。そうだったのかぁ!と、感動しました。
 パッションフルーツを育てていたことがありました。完熟した、パッションフルーツを食べていたら、タネがありまして…タネを手にすると植えなければ「タネ様」に申し訳ないので植えました。それが芽を出し、立派な木に成長し、花を咲かせ実をつけました。さすが、「パッション(passion:情熱)フルーツ」と、感心したものでした。情熱の果物だから、「パッションフルーツ」と、思いきや、そうはいきませんでした。
 パッションフルーツの日本名は、「クダモノトケイソウ(果物時計草)」。時計のように見える花が咲きます。トケイソウを英語では、「passion flower(パッションフラワー)」と呼ぶのだそう。つまり、パッションフルーツのパッションには、「情熱」の意味はなかったのです。
 スターフルーツは、そのまんまですね。輪切りにすると「☆(星)」の形。
 タイでは、「アップルフルーツ」と、呼ばれている果物。日本でもそう呼ばれているのかと思いましたら、日本では、「ローズアップル」でした。食感も味も「リンゴ」です。
 ドラゴンフルーツ。どうして、ドラゴンなんだ?果実の形状は、「竜」とは、似ても似つかない。バンコク郊外で、ドラゴンフルーツの木に実がなっているのを発見!
 ドラゴンフルーツ・・・茎が、竜の胴体のように細長くうねっている。竜の鱗のような葉(突起物)も付いている。そしてその先端、つまり竜の顔の部分に、あの赤い果実が付いている。茎が竜に似ているから、ドラゴンフルーツ!そうだったのかぁ!このときも、顔面の筋肉が勝手な動きをするほど、感動しました。
 5月末、タイは雨期。毎日スコ-ルがあります。これがまた楽しかったです。雨宿りの軒先で、井戸端会議中のタイのおばさんたちと、身振り手振りで会話する。お互いあまり通じてなくても、なぜか楽しい。
 別にうれしいわけじゃないけど・・・私が実年齢を言っても、「おまえは、タイでは40歳だ」「いやあ、30歳だべ」と(協議して、私の年齢を決めてくださる)・・・タイのおばさまたちは、いい人ばかりのような。

天国に一番近いのは…どこ?

2020年05月26日 | Weblog
 幸福度指数…「おっ、久しぶりに出たな!」って?ハイハイ、こうゆうの好きですからね。
  幸福度指数(HPI:Happy Planet Index)は、「生活満足度(自己申告)×幸福時の寿命÷使った土地や資源」で算出。この計算式…悪く言うと「曖昧模糊」、良く言うと「幸福は心の豊かさ」・・・数値化できそうもないものを数値化して(?)計算する・・・。眉にツバをつけながら眺めた方がいいランキングです。しかし、上位に欧米の姿がないあたり、なぜか「嬉しさ」を感じます。
1位 コスタリカ(南米3CのNo.1。幸福度指数でもNo.1とは!)
2位 メキシコ(前回は22位。大躍進)
3位 コロンビア(南米3Cの一翼)
4位 バヌアツ(イエーイ!)
5位 ベトナム(ホーチミン市もハノイも、道路を渡るのが命がけ)
6位 パナマ(コスタリカの南)
7位 ニカラグア(コスタリカとホンジュラスに挟まれた国)
8位 バングラデシュ(国旗は日の丸。だけど、白地じゃなくて、緑地)
9位 タイ(私は、バンコクとアユタヤには詳しいですよ)
10位 エクアドル(領土に、我が憧れのガラパゴス諸島がある)
 ※ 南米3Cは、コスタリカ、コロンビア、チリ。「美女の多さ」から、通称3C。ミス大会優勝常連国の、ベネズエラより多いのかって?どっちが美女が多いかは、数えようがありませんが、南米3Cの美女さんは、「気さくで、親切」と、国際的に評判です。ベネズエラの美女さんは、意地が悪いってことではありませんので、為念。
 日本は、何位かって?日本は、「58位」。中国は、72位。韓国は、80位。北朝鮮はどうなんだって?北朝鮮?最下位以外にポジションなどないでしょうがぁ!怒ることもないね。失礼いたしました。
 ブータンが出てこないがどうしたのかって?そ、それがぁ…我らが同胞ブータンは、56位なんです…。冒頭に書きましたように、数値化できそうもないものを数値化してランキングにしたものですから…ブータン、56位になっちゃったぁ。
  一頃、第1位が指定席だった「バヌアツ」が、ここんとこ4位です。
 バヌアツは、ニューカレドニアから飛行機で約1時間、南太平洋に浮かぶ83の島からなる独立国です。
 知ったふりするなって?実はバヌアツにも滞在していたことがありまして、島々も巡りました。日本での知名度は「無」に近いかもしれませんが、見所が多いリゾート国になっています。
 火口を覗ける火山島のタンナ島。ダイバー憧れのエスプリットサント島。バンジージャンプの本家本元、ペンテコスト島。
 手を入れると青く染まるような海、真っ白な砂浜(本当は砂ではなく、サンゴなんですがね)、青く澄んだ空、そして、純粋でいつも笑顔の人々。
 ホテルでフロート付きのカヌーを借りて、ラグーンで遊んでいたら、引き潮に流され始めました。フロート付きのカヌーは、漕ぐのが難しいのです。思い通り進まないカヌー、外海へ引っ張り出されたらどーなる?やむなく、飛び込んで、バタ足でカヌーを押して、対岸の集落へ避難のための上陸。そこはなんと、「人食い」の習慣があったところでした。
 元人食い人種だった住民が、食べた人の骨を棄てた穴も見せてもらいました。
 椰子の林から現れた少年が、椰子の木に登って、椰子を落とし椰子ジュースを飲ませてくれました。その少年は、毎朝、ホテルの私の部屋のベランダに美しい貝殻を置いてくれました。泊まったホテル(ル・ラゴン)は平屋で、ベランダからラグーンへ出られました。(少年は、ル・ラゴンの従業員でした)
 森村桂さんが、ニューカレドニアのことを、「天国に一番近い島」と、書いています。これは、自然が美しいとかではなく、「心」のことです。心が天国に一番近い。実は、ニューカレドニアは、ニッケル鉱山の関係で、島を取り巻く海の半分が茶色く濁っていて、自然については、天国のイメージとはほど遠いのです。
  バヌアツには、乗用車もタクシーもありましたが、オープンカーが多かったです。オチがあるんだろうって?ハイハイ、オチといってもそのまんまで、ドアが4枚とも取り払われているのです。危ないって!ドアがないので、オープンカー!
 バヌアツは今は独立国ですが、イギリスとフランスの共同統治国でした。何か問題があるのかって?入国の時、英仏両方の入国管理事務所があり、好きな国のデスクで手続きができました。これ、おもしろいでしょう!学校も、イギリスの学校(なぜが男子が多く通う。授業は英語)と、フランスの学校(女子校の様相を呈している。授業は、フランス語)がありました。共同統治って、なかなか興味深いです。独立した今は、どちらの言語を使って授業をしているのかなあ?
 病院へも行ったけど、その病院、受付係兼、看護師兼、薬剤師兼、医師・・・フランス人の女医さんが一人でやってました。ほかに患者は、もちろんゼロ。ガラスが入っていない窓(オープンだあ!)の外は、緑の芝生、椰子の木、青空・・・病気になる人っていないんじゃないかなあ。


「魚心?」「水心?」…そんな「心」はぁ…ないっ!

2020年05月25日 | Weblog
 「泣く子と地蔵には勝てぬ」と、おっしゃる方がおられます。
 「地蔵ですか?地頭ではなくてぇ…」と、水を向けると…
 「地蔵だよ!泣く子には勝てない。お地蔵様も、石で出来ているから、勝てないんだわ。そんなことも知らんのかぁ?」
 …それ以上は追及しませんでした。還暦を過ぎている人に恥をかかせても、後味が悪いので。
 正しくは、「泣く子と地頭には勝てぬ」ですよね。地頭は、石では出来ておりません。人ですから!役人の役職名。平安・鎌倉時代に荘園を管理し、税金を取り立てていた役人のこと。権力を 振りかざして横暴をはたらいていた。勝ち目はありません。
 新型コロナウイルスが猛威を振るっている今でも、地頭もどきで権力を振り回す小役人が存在します。私は、土地のこと、税金のことで泣かされていますので、その小役人をやっつける方策を模索しておりました…勝てそうもありませんね。小市民は、「我慢、泣き寝入り…」。
 世界的には、「泣く子とぉ…トランプ・金正恩・習近平には勝てぬ」・・・。といったところでしょうか。この三人も、金正恩以外は、新型コロナウイルスの軍門に降っていますがね。
 なぬ?金正恩は、新型コロナウイルスに勝ったのかって?朝鮮中央通信が、「金正恩朝鮮労働党委員長の高貴な政治でコロナ、ゼロ」と、言ってましたよ。「処刑映像を学校で回し見させる…」こういう政治が、高貴な政治らしい。
 さて、この三人、誰が「心ある魚」で、誰が「心ある水」となるか?
 なぬ?「言っている意味が分からん」って?
 「魚、心あれば、水、心あり」という諺があります。
 それは、「魚心あれば水心」だろうって?それは間違いです。「魚心」「水心」という単語があると思っている人もおられるでしょうけど、そんな単語は日本にはありません。
 「魚、心あれば、水、心あり」魚に水と親しむ心があれば、水も応じる心を持つ…相手が好意を示せば、こちらも好意を持って対応しようということ。
 今、トランプさんは、中国に対し、「仲良くする心などない魚だよ」という姿勢。習近平さんは、「応じる心などない水だよ」ですね。
 そんなトランプさん、金正恩に対しては、「魚、心あるよぉー!」。金正恩は、制裁解除してくれなきゃ、「水、心あり」にはしてあげないっ!
 習近平さんと金正恩は、「魚、心あれば、水、心あり」ですね。
 諺シリーズになってしまいましたが、「長いものには巻かれろ」があります。一番長いのはトランプさんと思ったら、習近平さんも、金正恩も、「巻かれない」。ということは、長いもんじゃないんだぁ、トランプさんは。

宇宙人さんが「一筆書きハチドリ」を見た

2020年05月24日 | Weblog
 8050問題、先日書きました。庶民にできることは、近所に「8050の家族」がいる場合、「暮らしの中で何かしら関与し、手をさしのべられるような関係を構築する」…で、私も、御近所の8050さんと出来るだけお話しするようにします。と、結びました。
 なぬ?いい心がけだけど、一庶民の「心がけ」でどうにかなるような問題じゃないって?その通りです。何の役にも立たないかもしれません。ハチドリの一滴(ひとしずく)です。
 なぬ?「ハチドリの一滴が懐かしい」って?でしょう!15年前に話題になりました。
 南米のアンデス地方に昔から伝えられてきた話。そこに住む先住民族の友人からハチドリの一滴の話を聞いた辻信一さん(文化人類学者、明治学院大学教授)が翻訳。単行本として発売されました。ハチドリの一滴のお話しは…
 ハチドリのひとしずく ~いま、私にできること~ 
 森が燃えていました
 森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました。
 でもクリキンディという名のハチドリだけは、いったりきたり、
 口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。
 動物たちがそれを見て
 「そんなことをして いったい何になるんだ」
 といって笑います。
 クリキンディはこう答えました
 「私は、私にできることをしているだけ」 
 アンデス文明(紀元前7500年ごろから)の皆さんは、このようなお話を子どもたちに話していたのでしょう。素晴らしいです。
 ペルーで(野生の)ハチドリを観た時、感動は薄かったです。なぜなら、色彩が「じみ」。「虫が飛んでるなあ」って感じ。ガイドが「ハチドリいますねえ」と、言わなければ気づかなかったでしょう。それから注意して観るようにしておりましたら、「どこにでも、ハチドリがいるんだぁ」と、思えるほどたくさんみつけました。
 ハチドリの分布は、「アメリカ合衆国南西部からアルゼンチン北部にかけて」ですから、ペルーは、ハチドリの本拠地みたいなもの。
 
 恐竜の子孫である鳥類の中で、最も体が小さいのがハチドリ。体重は2〜20g程度。つまり、1円玉の重さはちょうど1グラムですから、1円玉2枚から500円玉3枚の個体までいる。ずいぶん幅がある。ちなみに、500円玉は、7グラムです。
 全長は、6cm~22cm。22cmなら大きく感じられますが、全長ですから、くちばしから尾羽まで。頭と胴体なら10cm以下かな。
 ナスカへ行かれた方は、飛行機で空から地上絵をご覧になったと思います。ハチドリの絵もありまして、地上絵のハチドリは、「96m」です。クモが、46m、サルが55mですから、古代ナスカ人(紀元前2世紀頃、地上絵を描いたらしい人たち)にとって、身近な存在だったのだろうなあと想像できます。
 なぬ?「飛行機がない時代に、96mのハチドリを地上に描いて。一体誰がその絵を見たのか」って?
 笑われると思われますが、私は、「宇宙から地球へ来てくださった生物に見せた」あるいは、「宇宙からの乗り物に、着陸地点を示した」と、半分本気で思っています。
 し、しかも、96mのハチドリは、「一筆書き(描き)」なんですよ!古代ナスカ人自体が、宇宙から来られたとも考えられます。宇宙人が来ていた説、どなたにも相手にされないと思います。だいたいやね(急に関西弁)、地球人だって、立派な「宇宙人」なのですよっ!地球は、宇宙にあるのですから。
 ナスカの地上絵の中には、「宇宙飛行士」と呼ばれている図柄もあります!「宇宙人が来ていたわけないだろう」と、考えている人は、この事実をどう説明するのでしょうかねえ。私は、説明できますがね。「片手が4本指の手」の図柄もあります。これは、「指を詰めた、やくざの手」ですね。この解釈は、私のボケですが、「片手が4本指の手」の図柄は、本当にナスカの地上絵にあるのです。なぜ4本なのでしょう?これも、私は説明できますがね。
 おっと、宇宙人論になるところでした。「ハチドリの一滴」に話を戻さなきゃ。
 ハチドリは、空中で静止する、「ホバリング」ができます。「毎秒約55回~80回」の高速で羽ばたくのです。ホバリングしながら、「一滴の水」を、山火事にかけるのですね。
 私も、ホバリングしながら、「一口の水」を、山火事にかけたいのですが…毎秒1回じゃあ…羽ばたけない。
 でも、世事に関して、何の役にも立たないかもしれませんが、私にできることをしてまいります。殊勝な決意ですねーっ。

やはり美徳がいいね

2020年05月23日 | Weblog
 子どもが3人おります。3人ともキリスト教系の学校を経験しています。長女は、高校が白百合で、大学はICU。次男は、青山学院大学です。
 長男は、最終学歴は「独立行政法人国立工業高等専門学校卒」。ミッション系ではないですが、幼稚園がキリスト教系でした。「中須田季節保育所」を3日で首席中退し、「カトリック幼稚園」へ行きました。保育所に首席があるのかって?中退者が1名(我が家の長男)でしたから、当然首席でしょう!カトリックにあこがれて中退したのかって?そ、それが…、保育所中退の理由は、「お昼寝をしたくなかったから」でした…アハハ。保育所には「お昼寝の時間」というものがあるのです。
 アンティークマン家は、キリスト教徒なのかって?いえいえ、浄土真宗で~す。たまたま、子どもたちが、ミッション系大学を選んだり、保育所を主席で中退してカトリック幼稚園へいったりなどしただけ。しかし、but,キリスト教系には、良くないイメージは全く持っていません。むしろ、レスペクトしています。なぜなら、罪の根源とされる7種を明確に指摘しているから。「七つの大罪」の話題に持って行くつもりだろうって?「ピンポーン!ピポ、ピポ、ピポ、ピンポーン!」
 キリスト教といえば、「七つの大罪」ですよ。
 一般的な七つは…「暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢」
 キリスト教徒ではない日本人に、「七つの大罪」が身近になったのは、「セブン」という映画からでしょう。なぬ?「知らない」って?…25年も前の映画ですから、知らなくても無理はないですね。ハイ。
 「七つ」だから「セブン」。分かりやすいというかそのまんまというか。殺人者が、七つの大罪になぞらえた連続殺人を行いました。あの映画、ハッピーエンドじゃなかった。脚本家は、最後にどうして身ごもっていた主人公の奥さんの首を殺人犯に切らせたのか?切られる寸前に助けることも出来ただろうに!キリスト教に詳しい人は理解したのでしょうが、私には難解すぎました。今も解決できていない。
 ダンテの叙事詩、「神曲」は、中世のキリスト教の世界観が最もよく表されています。七つの大罪については、「死者がこの罪を清める」などが書かれています。
 チョーサー(長嶋さんでも、いかりやさんでもない)のカンタベリー物語。カンタベリー大聖堂への巡礼の途中、同宿した様々の身分・職業の人たちが、自分の知っている物語を順に語っていく。いちばん最後に牧師さんの話があり、そこに七つの大罪が出て来ます。カンタベリーは、中世が今に生きているといったたたずまい。実に落ち着いた町。どの建物も荘厳で奥ゆきが深い。  カンタベリーへ行ったことがあるというだけで、「七つの大罪のアナリスト」のような気分になっております。いつものことですが。
 七つの大罪は、人類が続く限りなくなることはないでしょう。中世には、それぞれの大罪に動物の姿を当てた時代がありました。
 暴食→豚、色欲→サソリ、強欲→狐、憤怒→ユニコーン、怠惰→熊、嫉妬→蛇、傲慢→ライオン。現代の人物を当てはめてもおもしろそうですが、長くなるので…。
 大罪の話だけでは寂しいので、希望がもてる美徳の話も書かなければ。…「七つの美徳」はどうなっているか…
 「節制、純潔、救恤(きゅうじゅつ:救い恵むこと)、慈悲、勤勉、忍耐、謙譲、勇気、寛容、寛大、忠実、貞節、知恵、愛、希望、慎重、分別、正義、不屈、信仰」…七つではないぞ、20もあるぞって?
 七つの美徳がなかなかやっかい。ほぼ一般的と思われるもののほかに、「キリスト教神学」の考え方、「七元徳」、「七主徳」などなどあって、それぞれが七つの主張をもっています。ダブリをカットして上記の20になりました…。キリスト教は奥が深いです。仏教も深いって?そうですね!アラーもかなり深いって?ハイハイ、みーんな深いよー。
 それにしても、強欲とか傲慢の文字を見るより、美徳とされている熟語を見ている方が精神衛生上よろしいですねー。
 なぬ?アンティークマンブログの「七つの大罪」は…「誹謗中傷」「独断偏見」「悪口雑言」「針小棒大」「優柔不断」「責任皆無」「欺瞞満々」だって?
 …な、七つも挙げなくても…十分反省しまして、懲りることなくまた書きます。
 本ブログの美徳は…書き切れないほどたくさんありますよね。ねっ!ねっ!…

くず餅が「発酵食品」!

2020年05月22日 | Weblog
 くず餅って、「くず粉と水を鍋に入れ、中火にかけて砂糖を加えよく混ぜる。沸騰直前で弱火にして、透明になるまでかき混ぜる。器に流し込み、型ごと氷水につける。冷えてきたら取り出し、きなこと砂糖を混ぜたものをかけたら完成」ですよね。1時間もかからないうちにできあがる。
 と、ところが、「450日かけて作って、賞味期間は2日間」という、くず餅屋さんがありまして…!
 なぬ?「あり得ない」って?あり得ないことが、「ある」。これが、おもしろいんです。
 袖の下をいただいているわけではありませんが、450日かけてくず餅を作るくず餅屋さんは、世界中探しても一軒だけだと思いますので、実名で話を続けます。 本店を東京都江東区亀戸に置く「船橋屋」さん。日本で一番有名でしょうから、ご存じの方も多いかと。私も「船橋屋さん」は、50年前から知っていました。が、「450日」はこのほど初めて知りまして、「くず餅作りに450日かける」この感動が冷めないうちにこの文章を書いてしまおうと、今書いているわけです。
 創業が、文化二年(1805年)、十一代将軍徳川家斉の頃…これにも驚きますがね。
 船橋屋では、「厳選した小麦粉のでんぷん質を約450日間、乳酸発酵でじっくりと熟成させる」。
 450日というのは、熟成期間。時間に仕事をさせている。そういうことかと、理解しました。
 くず餅の発酵期間は、通常、ほぼ1年(365日)で良いのだそう。1年だけでも「凄いなあ」と、思います。しかし、船橋屋さんは、「歯ざわりや弾力」を追求し、試行錯誤を繰り返した結果、450日で発酵させたくず餅が、一番よかったのだと。
 450日は、感動しながら納得したのですが、野次馬としましては、新たな疑問が。「乳酸発酵」ってのが、気になってしょうがない。くず餅にヨーグルトでも混ぜているのか?
 船橋屋さんによると、お客さんから、「くず餅を食べると胃腸の調子がよい」という声があったという。そこで、医療機関に分析を依頼したところ、小麦でんぷんを発酵させる樽から新種の乳酸菌「くず餅乳酸菌」が見つかったのだと!
 なぬ?「くず餅乳酸菌は、アンティークマンの創作だろう」って?いかにも私の創作っぽいネーミングですが、本当の話なんです。
 「樽」から、「くず餅乳酸菌」が見つかった。このことを聞いて。「清酒醸造の蔵付き酵母(くらつきこうぼ。家付き酵母ともよぶ)」を思い起こしました。「ロマン」ですよ。
 清酒醸造では、酵母など入れません。古くからその酒造・酒造場に住み着いている酵母があるのです。ですから、自然に酵母が入る。そのため蔵によって異なる「蔵付き酵母」がその蔵独特の香りと味を醸しだす。
 ただ、近年は、日本醸造協会などが頒布している優良酵母(アンプル詰)を用いることが主流となっています。なぜそうなってきたかって?
 純粋培養の酵母を大量にタンクに入れて仕込みます。安定した品質の酒にするには優良酵母を買って使った方が簡単だから。しかし、蔵付き酵母も黙っちゃいない。 優良酵母を入れたタンクに、蔵付き酵母が叡智を結集して入り込み、その蔵特有の香味を生みだす。もっとも、優良酵母も、元々は、酒蔵の蔵つき酵母を採取・純粋培養したもの。 
 閑話休題。船橋屋さんのくず餅を食べると、「胃腸の調子が良くなる」。「くず餅乳酸菌」が入っているから。で、船橋屋さん、「和菓子屋ですが、皆さんの健康のお役に立てればと思い、まずはサプリメントとして販売することにしました」と。
 「450日かけて作って、賞味期間は2日間(防腐剤や保存料を一切使っていないから、わずか2日間)」
 「くず餅に、くず餅乳酸菌が入っている(日本古来の発酵の力)」
 船橋屋さん、間違いなく「日本一、いや世界一のくず餅屋さん」です。
 あー、感動した!