林野庁関係の行事(グリーンフェスティバル)で、「鉛筆・ボールペンを作ろう」というのがありました。18もの催し物の一つなんですがね。その鉛筆の出来栄えについて…
「僕の方が全然いい」「私の方が全然すてき」…口論ではないのですがね。「全然+肯定」の連呼に次ぐ連呼。私が引率していた子たちなので、「ここで、もめるなよぉー!全然良くないよぉー!」と、言ってその場を治めましたがね。
「また、全然に関わる蘊蓄か?」って?まっ、その通りなんですがね。
「全然+肯定」が正しいのか、「全然+否定」が正しいのか。これは以前にも書きましたが、どちらも正しい。
明治文学をよく読んだ方は、漱石、鴎外、啄木らが、「全然+肯定」を使っていることを思い出されるはず。昭和に入ってしまいますが、太宰治も「全然+肯定」を使っています。
ではなぜ、「全然+否定」が台頭し、今なお、「全然+肯定」に違和感を覚える人がいるか。
これは、「教育」です。昭和35年の学習指導要領に、「全然は、否定語を伴う」とあったのです。教育の力のすごさです。
ではなぜ、文部省(当時)が、「全然+否定」が普通(正しい)としたか?これが、不明なのです。諸説どころか、一説もない。
私の説ならある。どーせ、でっち上げだろうって?だいたいやねぇ、「説」などというものはでっち上げなのです。
第二次世界大戦中、いいことなど何もなかった。夫や息子は戦争にとらた。食う米もない。否定の連続。単なる否定で済むもんじゃない。よって、強意の「全然」をつけて、「全然+否定」が流行した。終戦から15年経って、「全然+否定」が正しい使い方と勘違いした文部省は、学習指導要領に、「全然は、否定語を伴う」と書いてしまった。
近年の政府の調査でも…「全然+肯定」の支持者は、20%にとどまったという。あれあれ、違和感を持つ人が多いことが数字で裏付けられていますねえ。
入試の小論文に、「全然+肯定」を使ったらどうなるかって?
…これがなかなか難しいところ…採点者が、「全然+肯定」を間違いだと信じ込んでいることも考えられる。そうなると、小論文の点数は上がらない。まあ、入試等では、「全然+肯定」は使わないのが得策かな。
「僕の方が全然いい」「私の方が全然すてき」…口論ではないのですがね。「全然+肯定」の連呼に次ぐ連呼。私が引率していた子たちなので、「ここで、もめるなよぉー!全然良くないよぉー!」と、言ってその場を治めましたがね。
「また、全然に関わる蘊蓄か?」って?まっ、その通りなんですがね。
「全然+肯定」が正しいのか、「全然+否定」が正しいのか。これは以前にも書きましたが、どちらも正しい。
明治文学をよく読んだ方は、漱石、鴎外、啄木らが、「全然+肯定」を使っていることを思い出されるはず。昭和に入ってしまいますが、太宰治も「全然+肯定」を使っています。
ではなぜ、「全然+否定」が台頭し、今なお、「全然+肯定」に違和感を覚える人がいるか。
これは、「教育」です。昭和35年の学習指導要領に、「全然は、否定語を伴う」とあったのです。教育の力のすごさです。
ではなぜ、文部省(当時)が、「全然+否定」が普通(正しい)としたか?これが、不明なのです。諸説どころか、一説もない。
私の説ならある。どーせ、でっち上げだろうって?だいたいやねぇ、「説」などというものはでっち上げなのです。
第二次世界大戦中、いいことなど何もなかった。夫や息子は戦争にとらた。食う米もない。否定の連続。単なる否定で済むもんじゃない。よって、強意の「全然」をつけて、「全然+否定」が流行した。終戦から15年経って、「全然+否定」が正しい使い方と勘違いした文部省は、学習指導要領に、「全然は、否定語を伴う」と書いてしまった。
近年の政府の調査でも…「全然+肯定」の支持者は、20%にとどまったという。あれあれ、違和感を持つ人が多いことが数字で裏付けられていますねえ。
入試の小論文に、「全然+肯定」を使ったらどうなるかって?
…これがなかなか難しいところ…採点者が、「全然+肯定」を間違いだと信じ込んでいることも考えられる。そうなると、小論文の点数は上がらない。まあ、入試等では、「全然+肯定」は使わないのが得策かな。