アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

CAに注意されてしまいました

2015年09月30日 | Weblog
 「昭和10年生まれだ」という男性と、鹿児島~羽田のJALで隣同士になりました。いきなり靴を脱いだその男性、裸足でした。石田純一かと思ってお顔を見たのですが、「80歳だ」という顔でした。
 すぐに話しかけてきまして…
 「いい体してるなぁ、仕事は何をしているんだ?」
 「(一瞬、プロレスラーです。とジョークで返えそうと思いましたが正直に)む、無職です」
 それからの90分、80歳の独擅場(どくせんじょう)。

 まず、自分の職業の紹介…かなりやばい(否定的意味)職業のため、ご紹介できません。そして私を、その仕事の、「○○県の社長にする」というのです。初対面から10分も経たないうちに、社長にしてくださる!即座にお断りしましたがね。冗談じゃない、私が仮にその仕事をしたとすれば、一族郎党から総スカン必定。
 「名前と住所をこの紙に書いてくれないか」
 悪人には見えませんでしたので、名前と住所を書きました。紙を渡してから、まずかったかなと思いましたが、悪用されることはないだろうと…。

 「オレは、靴下を家内に履かさせていたんだ。家内を亡くしてから、靴下を履かなくなったよ」それで、裸足だったんだと納得。
 鹿児島大学水産学部出身の80歳…「昨夜は知事と一杯やったので、気合いを入れてやった」とウソぶいていましたが、まんざらウソでもなさそう。80歳で国立大出身は、そうそういない。Jクラスの乗客でもあるし…。

 話は、「鹿児島県は狂牛病が出ないが、宮崎は出る(鹿児島自慢)」「大友宗麟の一村一品(大分自慢?)」「やらずぶったくり(鹿児島卑下?)」「鹿児島では、お墓に花を絶やさない(自慢だな)」・・・話は、汲めども尽きぬ泉のように出るわ出るわ。

 ここで、スッチーじゃなくてCAが現れた。
 「お声のボリュウムを下げてください。ほかのお客様にご迷惑です」と、ピシャリ!私まで、にらまれた。私は適当に相づちを打っているだけなのに。にらまなくてもいいと思いましたよ。
 しかし、そんなことでへこたれる80歳ではなかった。

 「鹿児島ではね、人は城 人は石垣 人は堀なんだよ。だから、教育をしないんだ。教育をすると、殿様の座を脅かす奴が台頭するからね」
 この話の意味が理解できませんでした。教育をすると、殿様の座を脅かす輩が台頭する…コレは、分かる。そのことと、「人は城 人は石垣…」と、関係があるのか?

 私が知っている、「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」の意味は、「どんなに城を堅固にしても、人の心が離れてしまえば世を治めることはできない。情けは人をつなぎとめ、結果として国を栄えさせるが、仇を増やせば国は滅びてしまう」…こんな意味だと思っていましたが…?80歳の考えは、「情けは味方 仇は敵なり」を抜かしたもので、「人ってものは、殿様を守る城であり、石垣であり、堀なんだ」ということらしい。反論しませんでした。なぜかって?よりによって座席が、JクラスのA1とA2。目の前で、CAがにらんでるんだも~ん。

立派なご婦人

2015年09月28日 | Weblog
 JRの近郊線に乗りました。対面の長ーい椅子席の車輌。立っている人もおりましたが、ほぼ座っておりました。そこへ一人の女性が乗り込んできました。女性には違いないのですが…いわゆる、「老婆」。身なりが…「その服、どこから出してきたの?」と質問する人がいるでしょうねえ…今は、まだ戦後だったっけ?って感じ。髪は…コレも、戦後?お顔は…哲学好きの女性が日焼けしてノーメイクで…うーん…せ、戦後か?
 人のことを戦後の老婆などと表現するアンティークマンはどんな顔だって?そりゃ、戦後ですよ!
 ともあれ、女性が乗り込んできました。

 女性は、座席の20cmほどの隙間へ、強引に尻を割り込ませました。両脇の乗客は、スマホに夢中で全く表情を変えませんでした。が、向かいの座席の乗客は、「何が起こったんだ?」といった表情。失礼ながら、戦後の香りを漂わせる奇異な風体の老婆ですから、スマホに夢中の向かいの座席の乗客も注目するのです。
 次の駅で数人が乗り込んできました。その中に年配の女性がおりました。女性は、座るところがないので立ったままでした。

 その時です。戦後の老婆が大きな声で向かいの席の若者に言いました!
 「おにいさん!少し詰めて座らせてあげて!」

 素晴らしい老婆だと思いました。私など、気持ちはあっても、そこまでは言えません。その後、若者に殴られるかも知れませんから。殴られたら、即死かもしれませんしね。
 周囲には一瞬静寂がよぎりました。若者がどう出るか?
 「るっせんだよ、クソババア!」
 「なんですかぁ?クソをしないババアがどこにいるの!ババアは全員クソババアなんですよっ!あんただって、クソガキだんべ!」
 こうなると、「まあ、まあ、下品な話はやめて…」と、私の出番だったのですが、このような口喧嘩にはなりませんでした。若者は、素直に尻を浮かせて年配女性の座る場所を空けたのです。
 ほどなく、車内は何事もなかったように…私を除くほとんどがスマホ画面を見ておりました。

 戦後老婆も、年配女性もスマホを持っていたのかって?そうなんです。スマホの普及ぶりはすごい…おっと、結論はそれじゃありませんで…戦後の風体の老婆は凄いって事だったのですがね。
 日本には、立派な方もおられるんですねえ!

「へ」の三活用?

2015年09月23日 | Weblog
「ケ」の三段活用…ウケました。えっ!忘れたって?では復習。東北から北海道にかけての日本海側の方言なんですがね。「毛」は、「ケ」。「食え(食べなさいと勧める)」は、「ケケ」。「痒い、痒い」は、「ケケケ」。「ケ、ケケ、ケケケ」…これをケの三段活用という。

 鹿児島弁で、「へ」の三活用(三段ではない)を学びました。
 「灰」は、「へ」。「蝿」は、「へ」。そして、「屁」はもちろん「へ」。灰も蝿も屁も、「へ」。鹿児島の人はどうやって聞き分けるか?「へ」には違いないが、「微妙な発音の違いがあるので、なんの問題もなく聞き分けられる」という。

 「灰を屁で飛ばす」は、「へをへでとばす」となる。
 「屁で蝿を気絶させる」は、「へでへをきぜつさせる」
 「蝿に灰と屁をかける」は、「へにへとへをかける」…こりゃおもしろい!

 鹿児島弁は、薩隅(さつぐう)方言とも呼ばれています。鹿児島県が、かつての薩摩国と大隅国にあたることから。で、「へ」の三活用に表れているとおり、語韻の踏み方や間の取り方、言い回しなどが、他の方言と大きく違う。
 そこでよく言われるのが、「中央の言葉とは全く異なる言葉を使うことで情報の漏れを防ぎ、幕府の隠密の侵入を難しくするために、薩摩藩が意図的に自国の言葉を作り替えた」というアレ。
 この説、真偽のほどは不明なのだそう。私は旅行中に考えたのですが…鹿児島弁人工言語説は本当!理由としまして…

 理由その1:屋久島は江戸時代は薩摩藩の支配下に置かれていたのに言葉がきれい(鹿児島弁ではない)。つまり、屋久島にまでは隠密が入り込まないと考えて、人工言語を普及させなかった。
 理由その2:鹿児島にはお寺が極端に少ない。神社が多い。なぜか?薩摩藩は「僧侶」を京都から派遣してもらっていた。ところが、その僧侶が隠密であった。薩摩藩は、お寺をなくすると京都から隠密僧侶を呼び寄せなくてもいいので、お寺をバンバン潰して神社だらけにした。神主は地元で養成出来ますので。江戸幕府はなぜ薩摩行きの僧侶を隠密に仕立て上げなければならなかったか?それは、「人工言語を理解しなくても怪しまれない」と判断したため。つまり、鹿児島弁、薩隅方言が人工言語であることを、現代の学者は認めなくても江戸幕府が認めていた。

 まあ、そんなわけで、鹿児島弁人工言語説は私によって証明されたわけです。

暴力で攻撃…戦争反対は口先だけ?

2015年09月19日 | Weblog
 可決成立でしたね。陰の立て役者は、反対派の議員さんたちと、デモ隊じゃなかったのかなと思っています。
 参院平和安全法制特別委員会でのフライングボデイアタック!見てしまいました!参議院議員さんなんですよね?現役のレスラーみたいでした。安全保障関連法案の採決阻止のために、鴻池祥肇委員長に向かってフライングボデイアタック!早い話が、「暴力」ですよ。結果は、鴻池委員長を倒すことはできませんでしたがね。鴻池さんを取り囲んでいた議員たちの頭上に落ちたって感じ。鴻池さんを守っていたヒゲの隊長が、予想外の空中からの攻撃に目ん玉をひんむいてダイビング議員をげんこつで押していましたがね。

 フライングボデイアタック議員って誰なんだって?断定は出来ませんが、たぶん某千葉選挙区トップ当選(マジ?千葉の有権者、大丈夫かぁーっ)の議員さんです。名前を出すと、「削除要請」されますから出しませんが、ヒントなら出せます。ヒントは、「大西洋」を小さくしたら…で、最後に「之」を付ける。あの場にアントニオ猪木、馳浩、天龍源一郎が登場していたらどうなったのでしょうねえ。天龍は議員じゃないだろうって?そうでしたっけ…?てっきり議員だったかと…。

 採決反対を正義とする人たちのめちゃくちゃな行為を見せられると、何が正義なのか解らなくなってきます。負けると解っているので暴力に訴える。
 野党の女性議員たちの、国会通路占拠…アレはなんですの?何で採決を妨害するの?えっ?自分たちが正義だと思っているから?相手だって、自分たちが正義だと思っているんです。野党だけが正しいわけではないのです。みーんな正義!

 だけど、国会前の反対デモ、アレは何?ハッキリしておかなければならないのは、「デモ参加者たちが民意を代表しているのではない」と、いうことです。
 日本は、議会制民主主義国家です。中学生でも知っていることです(白鵬なら、「小学生でも分かっている」と言うでしょう)」。法律は、国会議員が決めます。デモ参加者のあの阻止行動…議会制民主主義の原則を馬鹿にしています。
 反対する人たちの無軌道な行為に嫌気がさしたのか、法案の支持率は50%以上をキープしていました。そして、今朝…可決成立…。

冷酒グラスが3万円

2015年09月18日 | Weblog
 薩摩の旅、目的はありませんでしたが…本場へ行けば、薩摩切子をリズナブル価格(私にとっては、1万円未満)で購入できるのではないかという淡い期待は抱いておりました。

 毎日2~3軒の薩摩切子を置いている店を回りました。観光?もちろんそれもしましたが、薩摩切子や屋久杉製品は念入りにチェック。薩摩焼酎ですか?それは、鹿児島空港の真ん前に、「種麹屋さん」があるので、そこで買おうと決めておりましたから、旅行中は特にチェックしませんでした。種麹屋さんの名前が凄いんです。読んで驚くなよぉ!「バレルバレープラハ&GEN」というのです。どうですか!驚いたでしょう。ジョークだろうって?インターネットで調べると、ジョークでも法螺でもウソでもないことがおわかりいただけますよ。

 閑話休題。薩摩切子なんですがね。価値が解らない貧乏人が持つようなものではありませんでした。「高いっ!」
 私が観察したところでは、「ぜんぜん売れていない!」。冷酒グラスが3万円以上するんですよ!数千円だせばなかなか手の込んだものが買えるのに、さ、さ、さ、3万円!売れないのは当たり前です。薩摩切子の組合に進言させていただきます。「高価にして売り上げが伸びないのと、値を下げて売り上げを伸ばすのとどっちがいいですか?」せめて江戸切子並の価格にすれば、間違いなく売れます。(江戸切子は薩摩切子の3割安)

 私は、「今回は薩摩切子を買うのはやーめた!」と、断念宣言をしました。3万円の冷酒グラスを買うほど裕福な暮らしはしていませんから。
 そして、今日鹿児島を発つという旅行最終日、「島津薩摩切子の工芸館」を薩摩切子にお別れを言うために訪れました。
 ん…?…?!か、家内が、「¥31,320(税込み)」の冷酒グラスを買っているではないかっ!私が逡巡の末、購入を断念した薩摩切子のグラス…。家内は、「たかが3万円」と!…体脂肪率18%とは思えない太っ腹!

 価値が解らない貧乏人の家の食器棚に、「¥31,320(税込み)」の冷酒グラスが鎮座しています。その隣に、鹿児島中央駅にある東急ハンズで買った「¥200」の「桜島」と印刷された焼酎グラスも並んでいます。

宮之浦港の別れ

2015年09月17日 | Weblog
「別れ」…辛く悲しいもの…。しかし、別れのない人生などないわけで…。古希に近づくと、「別れ」には鈍感になってきまして、「しょうがないもの」と…。

 10数年ぶりに屋久島へ行ってきました。何しに行ったかって?もちろん縄文杉までの日帰り登山です。夜明けとともに登りはじめ、日没までに帰ってくる。用便?もちろん携帯トイレ持参。ウソだろうって?ハイ、ウソです。本当の目的はぁ、正直に言いますがぁ、無目的ですねえ。目的がないのに行動する人間もいるってことです。

 前回の屋久島は、毎日雨降り…「なんなんだここは!」って感じでした。東シナ海の海面にいきなり2000メートル級の山々が聳え立っている訳で、雨が降るのが当たり前。
 今回も、「どうせまた、連日雨にたたられるんだろうなあ」と、覚悟して行きました。覚悟したのが潔いと屋久杉の精霊に気に入られたのか、毎日毎日「晴れっ!」。しかもただの晴れじゃない。「スカッ晴れ!」。地元民も、「こんなに晴れが続くのもぉ、かって経験がないなあ!」と。

 前回は、鹿児島~宮之浦(屋久島の玄関)は、超高速の水中翼船の「トッピー」(片道、1時間45分で)を利用しました。今回は、「屋久島2」にしました。「屋久島2」は、いわゆるフェリーで、片道の所要時間が4時間。往路の時は、失敗したなあと思いましたよ。今時、4時間も何もすることがないまま単に船に乗っている…拷問にも似た苦痛だったもので。
 しかし…屋久島2に乗ったおかげで、復路では「別れのシーン」を観ることが出来ました。結果としては、良かったかなと思っています。

 小中高と同級生だった仲良しグループ。高校(屋久島高校)を卒業して…島に仕事などないに等しい。あっても、収入も少なく将来の見通しに大きな希望など持てない。そんなわけで、ある子は、鹿児島市へ。またある子は大阪方面へ。はたまたある子は関東へ。それぞれ散って行った。
時が過ぎ、挫折して島に戻った子、音信不通になってしまった子…それぞれ、荒波に翻弄されてきた。仲良し5人組が島に集まった。女子2人、男子3人。全員が、アルバイトのような仕事。贅沢をしなければ、なんとか暮らしていけた。一番の楽しみは、5人が集まって飲めや歌えやで騒ぐことだった。みんな20歳代後半にさしかかっていた。島の暮らしは楽しい。しかし…このままここで人生を終わらせていいのか…5人が5人ともその思いはあった。

 仲間の鈴(りん:仮名)は、高校を卒業後神戸に就職した。しかし、慣れるにつれ「派手な暮らし」にあこがれるようになり、お定まりのコースへ。行き場を失って、「島」を思い出した。「島で休もう…」と、家へ帰り、仲間と再会したのでした。毎日が楽しかったが、「世の中が分かった今なら、都会でも暮らしていける。もう一度島を出てみよう」と決心した。
 Bコープ(仮名)のパートでコツコツ貯金してきたお金は、50万円になっていた。そして、島を離れる船に私も乗りあわせたというわけ。(宮之浦に、Aコープがあります。地元では、「デパート」と、呼ばれています。食料品から、衣料、雑貨、ゴム長靴まで売っているもので…)

 宮之浦~鹿児島を1時間45分で結ぶトッピーに乗らずに、4時間かかる屋久島2に乗った。どうして?トッピーなら、8,800円かかるが、屋久島2なら、島民割引で6,700円。そんなわずかな違いなら、時間が短い方がいいんじゃないかって?あ、あ、あのね!2,100円も違うんですよ!これは大きいですよ。

 さて、宮之浦港。鈴の見送りに、仲良しの4人が来ていた。男の子の一人が鈴を抱きしめ、照れ隠しなのか、そのまま振り回した…。
 鈴が船内へ。4人は、その場にとどまらず、防波堤を登り灯台の方へ歩き出した。少しでも長く鈴を見送ろうということ。

 船はゆっくり動き出した…防波堤から手を振る4人。防波堤の高さは水面から10メートル。鈴はというと、涙は乾く間がない。泥遊びの子のような顔で必死に手を振っていた。
 私はというと、防波堤の様子と鈴の表情の両方をものかげから見ていましたよ。変なオジサンだって?…別れのシーンに感動し、ものかげで泣いているのですから、確かに変なオジサンですね。

 そして…防波堤の上の男の子の一人が、別れのパフォーマンスとしては、最高のものを…!
 10メートルの防波堤から、海へ飛び込んだのです。

 鈴には頑張ってもらいたいし、残った4人にも幸福な人生を過ごしていただきたい。宮之浦港での別れ、泣かせていただきました。

 (海に飛び込んだ子はどうなったかって?スイスイ岸壁まで泳いで、テトラをよじ登って地上へ。3人と合流して、ずーっと手を振っていました)

抗日戦争?勝利70周年?

2015年09月07日 | Weblog
中国で「抗日戦争勝利70周年記念行事」が行われた。「中国が?どうして?」と、思いましたが…。支那事変→大東亜戦争でしょ。中華民国相手の戦争。なんで中華人民共和国が、「抗日戦争勝利70周年」なの?屁理屈言うなって?本当のことだからしょうがないでしょ。ともあれ、記念行事、実施してしまったんだからしょうがない。

 記念行事での習近平国家主席の演説は、「戦勝国」としての立場を誇示しまくり…。そして、米国まで届くというミサイルの誇示。「脅しのための行事」ということか。あと、習さん自身の「オラは、凄い指導者なんだどぉ!」という宣伝。

 軍事パレードの兵士の行進が素晴らしかったですねえ。北朝鮮が、裸足で逃げ出しますよ。日体大のマスゲームも裸足で逃げますね。女性兵士の身長が平均178cm。ウソでしょう?と思いましたが…本当でしたね。人口、13億6782万人ですから、178cmの女性を数百人そろえるのは朝飯前なのでしょう。それにしても見事な行進。一体、何年間練習したのでしょうか?

 兵士と最新兵器が、青空の天安門広場前を行く。…兵士たち、戦争で死ぬことが怖くないのでしょうか?白楽天の「新楽府」に戦争を忌避するために、自分の腕をわざとに折った兵士の話があります。中国にも戦争が嫌な人はいると思いますがね。

 中国が言うところの抗日戦争、戦死者もたくさんいたはず。その遺族にとって…70年ですからぁ…遺族も亡くなってしまったかな。それはともかく、習近平さん、戦勝国を誇示するのではなく、「悲しく、辛い思いをした民衆への追悼、ねぎらい」を述べると素晴らしい指導者…無理だね。他国の領土に3000mの滑走路を建設してしまう人だもんね。

子豚の三男坊は極悪豚だった?

2015年09月03日 | Weblog
 あ、あのね、我が家の近所に住むネズミなんですがね。冬は、我が家に侵入し、一階と二階の隙間で運動会。エサがないと、我が家の庭木の皮を食べる。ブルーベリーの木は惨め…。スモモの木も…。コンポスト(生ゴミを発酵させて肥料にする)に侵入し、食いあさる。

 このネズミ、今のうちに退治しておかないと冬は…やり放題やられてしまう…。
 決意しました!「ぶ、ぶっ殺す!」 
 第一弾として、「自作ねずみ捕獲器」…侵入したら、出られなくなる…頭がいい私が知恵を両手で絞って考え出した。なんと、エサだけがきれいになくなっておりました…!侵入して、エサを食べて出ていった…。
 やむなく貯金を下ろして、市販のネズミ捕獲器を購入。1,300円!実はこのネズミ、裏の住人の小屋が本籍地。つまり、よそのネズミ。よそのネズミ捕獲に、大枚1,300円を遣う。私は太っ腹だぁ!
 
 さて、仕掛けてから2日…賢いネズミらしく、捕れない。で、捕れたらどうするかのシュミレーション…。捕獲器ごと水に浸けて溺死させる→空き地に穴を掘ってネズミの死体を埋める→死体は土に還る→我が家に平和が訪れる→めでたしめでたし。

 不安が…。今をときめく、昔話法廷に引っ張り出されたらどうしよう?
 昔話法廷…「三匹のこぶた裁判」を例にとると…被告人のトン三郎とその兄たちが証人として出廷。亡くなったオオカミの母親が証人として出廷。三男こぶたが、煙突から侵入したオオカミを、お湯が煮えたぎる大鍋に閉じ込め殺害した。それは、自分の身を守るための正当防衛だったのか?それとも用意周到に準備をした上の計画的犯行だったのか?
 三匹の子豚が正義でオオカミが悪と思い込んでいましたがね。大鍋で茹で殺した…考えてみると、子豚が残虐な奴ということにもなる。

 と、なると、私と近所在住のネズミとの死闘の場合…。法廷では、家の中を走り回られたり、「実がなる木」の皮(皮を剥がされると木は死にます)を食われたりという私の被害よりも、「ネズミを水に浸けて溺死させた非情な殺鼠マン」が強調され、刑罰を受けそう。

 今日これから、ネズミ捕獲器を確認に行くのですが…捕獲出来ているのがいいのか、出来なかったのがいいのか…1,300円をどう補填するか…。ネズミさえいなかれば、このような悩みでストレスを感じなくて済んだのにぃ。

騙し通せなかったね

2015年09月02日 | Weblog
 高齢運転者標識が、「枯れ葉マーク」とか、「濡れ落ち葉」と呼ばれた。これではまずいと、新しいマークが公募された。私も家内もデザイナーなので…ウソです…デザインが好きなので応募しました。で、現在の、「四つ葉のクローバー」をモチーフにしたものが採用された。このマーク、実は家内が応募したものとうり二つ。「奥さんがパクッタんだろう!」って?どうやったら、そんなことが出来るんですか!決定作品をパクって応募してどーすんの!とっくに締め切りが過ぎているんですから応募できない。それにしても、同じデザインなのに、どうして家内の作品が選ばれなかったのか?

 2020年東京五輪の公式エンブレム…使用中止になりました。ベルギーのリエージュ劇場のロゴと酷似していると指摘された段階で、「やったな!」と、思いましたよ。日本の恥です。デザイナー氏は、「日本は、恥の文化」であることを忘れてしまっている世代なのでしょう。それにしても、ものの見事な数々のパクリ。それで今まで世渡りをしてきた…これは、日本人が、「騙まされやすい」ということなのでしょうねえ。

 「路上押し売り」…腕時計やかばんを「もらってほしい」と声をかけ、受け取ると金銭を要求した。お亡くなりになりましたが、あの切れ者政治評論家だった岩見隆夫さんも同じ手口に遭ったという。「催眠術にでもかかったように」金を渡してしまったと。
 これ、心理学でいうところの、「反報性」。人は、「恩義をうけると、お返しをしようとする」。まじめであればあるほど、「反報性」が高い。

 人は、「返報性」を利用されて騙される…五輪エンブレムデザイナー氏も、「返報性」を利用したのかって?贈賄していたら、「反報性」利用ですがね。たぶんそれはなかったでしょう。審査員を騙したことよりも、日本人を、さらに世界の人々を騙そうとした罪は重いですよ。
 さてと、2020年東京五輪の公式エンブレムまた公募に。早速デザインを考えて応募しなきゃ!審査員が誰なのかが分かったら、カボチャでも送っておこうかな…うーん、やはり、カボチャはやめます。私の場合、実力で勝負します。「参加することに意義がある!」…久々にオチがきまった!

同じ教室に入れると平等か?

2015年09月01日 | Weblog
 昨日は、小学校で「人権に関わる講話」をしてきました。
 児童が集中力を切らさずに話を聴いてくれたので、私としましても、大いに成就感、効力感に浸ることが出来ました。それもこれも私の準備性が素晴らしかったからです。えっ?自分で言うと価値が下がるって?そ、そうなんですが、半世紀にわたって使っている辞書の、「謙遜」のページがなぜかなくなっているものですから…。

 寝た子はいなかったのかって?そ、それが…。遅刻して入ってきた子が、席に着くなり机に伏してふてくされておりました。伏す前に一瞬目が合いました。瞬時に彼がどういう子なのかを察知しました。ですから、「寝るなコラ!」とか「私の高尚な話が聴けないのか!」とかは、一切言いませんでした。

 私が思ったとおり彼は、「特別支援教育」を受けている子でした。特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立った教育。幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握して、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもの…。
 で、彼の特別支援学級の担任が、「(アンティークマンの講話は彼にとって)教育的ニーズだ!持てる力を高められる!」と、判断したのでしょうか…渋る彼を、いわゆる普通学級の1組の教室へ送り出した…らしい。

 はじめからなんの興味もなかった彼が、教室で耐えるため、つまり時間をつぶすためには机に伏すしかなかった。(時間の浪費、寿命の浪費なんですよ…)
 BUSINGを思い出しました。高校で、白人と黒人の比率を平等にするために、BUSで黒人の多い高校から、黒人生徒を白人の多い高校へ送迎する。白人の多い高校から、白人生徒を黒人の多い高校へ送迎する。そうやって比率を平等にしようとした。
 ノーマライゼーションは支持します。ですから彼を、いわゆる普通学級に通わせる機会を増やそうという取り組みも支持します。だけど…外部から講師を招いて、「人権」についての講話を聴く授業に彼を入れる…彼の担任は付き添ってきませんでした。
 「子どもの心に寄り添って」という美しい文句があります。今回の場合、「寄り添ってないだろう!」ですね。「彼の忍耐力を育てたかったんだ」「とか、障害を持つ子の人権に配慮した」「ほかの子と、平等に扱わなきゃね」…などと言われると飯を吹き出しますよ。

 「講話が本当に素晴らしいものならば、机に伏したままの子を起き上がらせることが出来たのではないか」って?「昨日、テレビで、ドラえもんやってたね」と言ったときだけ、彼は体を起こしました…。ドラえもんのDVDを流すと、真剣に観てくれるのでしょうが…。
 特別支援…ノーマライゼーションの名のもとに、支援度が薄まると意味がない。