アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

シニアの天国? 天壇公園

2009年04月30日 | Weblog
 知名度はそれほどでもないが、北京のシンボルとの評判を聞き出かけたのが天壇公園。期待していなかっただけに、「行って良かった」と、思いました。

 早朝からこの公園へ集まってくるのは、退職したと思われる人々。平たくいうと「老人」または、「シニア」。「三々五々」ならず、「三十三十、五十五十」集まってくる。朝8時には、広い公園内が人で埋まる。人々は、太極拳、バドミントン、ダンス、トランプ、中国のよく分からんゲーム、古典楽器(胡弓や琴)の演奏、カラオケ、合唱サークル、重りに羽根を付けて、蹴鞠(けまり)のように遊ぶ・・・とにかく思い思いのことをして楽しんでいる。見ているだけで楽しい。麻雀もやっていると聞きましたが、現場は発見できませんでした。

 天壇は、明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った宗教的な場所。もちろんユネスコの世界文化遺産。敷地面積は約273万平方キロメートル。北京市がいかに広いか!皇帝が天を祭るための儀式…早い話が、「豊作祈願」と「雨乞い」をしたところ。

 天壇でもっとも有名な建物が、「祈年殿」で、天安門や紫禁城とともに北京のシンボルとなっている。「祈年殿」は、中国最大の祭壇といわれています。直径32メートル、高さ38メートルですから!ビルディングです。宝頂は金メッキ!屋根は瑠璃瓦葺きの三層。

 天壇の美しさには驚かされましたが、天壇公園では、「老後の暮らしの一コマを見る」のが楽しかったです。
 太極拳は飛び入り自由。いくつものグループに別れて、練習?演武?一生懸命にやっている。太極拳は素手でやるのかと思ったら、棒を持ったり、扇子を持ったり、ヒモを持ったりもしていた。奥が深いんだわ。
 バドミントンは、ラケットを二本もって二刀流で遊んでいる爺さんが何人もおられた。二刀流爺さんから一本借りて遊べば良い。彼らのバドミントンは、毎日そればかりやっているので、実に上手い。とっくに70歳を過ぎていると思われる人たちが、強烈なスマッシュの応酬ですよ!ネット?そんなものありません。二刀流の凄いところは、一人で時間差攻撃が出来るというところでしょうか?
 ダンスのグループは、社交ダンスです。あっちで30組、こっちで20組といった感じで踊っています。早朝からの社交ダンス…重いような気もしますが、どのペアも笑顔。
 屋根付きの回廊がトランプの会場。一組の対戦にギャラリが6~7人。その塊が延々と続く。トランプゲームの種類は不明ですが、ババヌキでないことは確か。おばあさんも興じていたから。

 中国老齢科学研究センターの統計によると、現在、中国の60歳以上の人口は1億4400万人で、全人口の11.3%を占める。これが、2045年までにはその比率が30%になると見込まれているのだそう。中国はすでに老齢化社会に入り、どの家庭にとっても老後の問題は直面しなければならない社会問題となっているわけです。
 天壇公園で遊ぶ老人は、皆自宅で老後を過ごしていると思えます。中国に限らず、どこの国でも、自宅で老後を過ごすのは、最も理想的な姿であると思います。
 中国で問題なのは、「一人っ子政策による、老後の過ごし方の弊害」です。
 …「一人っ子である両親が定年を迎える」→「子ども夫婦が自分たちの子どもの面倒だけでなく、4人の両親の面倒を見ることになる」月給、2~3万円で、7人を養えますか?
 定年後は、病気にもなるし、介護が必要にもなる。これでは、老後を自宅で過ごすのは難しい…たとえ孝行心が厚くても。…北京に滞在しているうちに情が移り、他人事とは思えず、ついつい心配してしまいました。

 紫禁城の4倍の面積を持つ天壇公園。シニアのほか、観光客が来るので物売りも多い。百数十人いました。話半分としても、「一人の観光客がものを買ったところ、物売りが次々と群がり、百人にふくれあがった」という嘘のような本当のような話も聞きました。周囲は全員物売りという状態ですから。物売りは、一日頑張っても売り上げゼロの日のほうが多いでしょう。それでも、生きている…。そして、間違いなく物売りの皆さんも老いる。死ぬ間際までシニア物売りとして売り続けるのかなあ、「千円、千円!」と。

カンフーを五輪種目に!ワイロもあるでよ!

2009年04月29日 | Weblog
 「酔拳」が正式種目…悪くないです

夕食後は、ショーを見に行きました。北京雑技団のショーは、「天地劇場」、京劇は、「梨園劇場」。カンフーショーは、「紅劇場」でそれぞれ見ました。

 初めての方は、全部観ておいた方がよいと思います。
私としましては、京劇は一度観ればいいんじゃないかなと思います。但し、必ず日本語で説明してくれるトランシーバーを借りることをオススメします。なぜなら、字幕に、英語のセリフが映し出されますが、セリフだけは、「何が何だか分かりません(私の場合ですけど)」日本語訳トランシーバーでは、経緯まで入れて説明してくれますので、よく分かります。京劇を5~6回観劇している私の、経験に基づくアドヴァイスです。

 雑技団のショーは、行くたびに見るといいと思います。数か月ごとに、内容を変えますから。北京には、大きく二団体あります。上海の雑技より…小粒で垢抜けないかな?と、感じますが…自分の努力で、彼ら彼女らの域に達するのは…10万年かけても無理なので、ただただ拍手するのみです。

 カンフーショーですが、演出については雑技団の上を行っています。まだまだ外国人観光客には人気が薄いらしく、客席に空席が目立ちました。槍の上に腹筋だけで乗っかったり、上下を大きな剣山に挟まれ、その上に人が乗り…という超人芸もありました。ショーの半分は、雑技団もどきでした。京劇も、半分は雑技団もどき…結局、観客を惹きつけるのは、「速い動きと、アンビリーバブルな芸」…ということでしょう。
 なお、京劇では、居眠りする観客がおりました。私も瞬間的に意識を失いました…イヤハヤ。

 カンフーショーでは、「アメリカ人、イギリス人、日本人には白檀の扇子(5,000円相当)」が、プレゼントされました。なぜ?そのわけは、2012年のロンドンか、2016年のオリンピックの競技種目にカンフーを入れてほしいのです。そのためイギリス人に扇子のプレゼント。2016年は、シカゴか東京でしょうから、アメリカ人と日本人にもプレゼント。帰国したらカンフーを宣伝してほしい。そのためのワイロです。私はもちろん、収賄してしまいました。どうして私がJOCの委員だと知ったのでしょうか?(JOC:ジョークがおじんクラス)
 ところで、カンフーをオリンピック種目にしたいという。カンフーとは、中国武術のこと。中国武術と一口にいいましても、100種を越えますよ。羅漢拳、蟷螂拳、華拳、査拳、陽湖拳、少林拳・・・そして私の得意な酔拳(私の場合、単に酔っぱらっているだけか?しかし、公園で全裸にはなりません。恥を知っているので)
 陳式太極拳、楊式太極拳、孫式太極拳…太極拳だけでもまだまだあるのです。太極拳は、勝負ではないだろうって?元々は戦っていたのです。今は、体操のようになっていますが。
 心意拳、意拳(意見ではない)、太気拳(大気圏ではない)、八卦拳(おもしろい拳法でしょう!「当たるも八卦、当たらぬも八卦」)、通背拳、八極拳、白鶴拳(清酒か?)、白眉拳(老人か?)・・・。面白半分で適当に書いているんじゃないかって?挙げたものは全て正真正銘の中国武術です。ほんの一部ですが。
 それで…、「オリンピックでのカンフー」どの競技をやろうというのでしょうかねえ?白檀の扇子を受け取ってしまったので、JOCに売り込まなければならないのですが。

日本人はアジアの誇り

2009年04月28日 | Weblog
 
 北京市内には、スターリン様式の建物が多い。
 有名なものとしては、人民大会堂、中国人民革命軍事博物館、北京展覧館…。 北京には、5つの国鉄駅があるが(北京中央、北京東、北京西、北京南、北京北)、駅舎にもスターリン様式が見られる。特に、北京中央駅は、尖塔に大時計、モスクワにいるかのような錯覚に陥ります。古いホテルにもスターリン様式が結構あります。庭園もロシア風にしてあります。

 昼食を、スターリン様式のホテル内のレストランでいただきました。そのあと、庭園を散歩しておりましたら、招商局の張さんという方にお会いしました。日本語で、「このホテルはロシアの建築様式・・・」と、説明してくれました。
 庭に植えられた、シベリアン・パイン(ヒマラヤスギだったのかもしれない)について、「この木もロシアの松ですか?」と、たずねたら、張さんの態度が変わった。
「そ、そうです。これはロシアの松です。あなたは、ロシアヘ行ったことがあるのですか?」
「ありません」
「ロシアはいいですよー。ロシアのどこへ行きたいですか?」
「…ええと…レ、(レニングラードと、言いかけたが、「今は、改名されたよ。知らないの?」と、言われたくないので)サンクトペテルブルグ」
「サンクトペテルブルグもいいですが、モスクワがいいですよ」
 日頃、「ロシア、コロシヤ、オソロシア」などと、ロシアの悪口を言っているものですから、「旅行するのに、モスクワがいい」などと言われると、背後からコート越しに麻酔注射をブスリと打たれたような気持ちになり狼狽しました。

 私の、「動けるうちに行っておきたい海外旅行先一覧」には、ロシアは入っておりませんでした。ロシアは、3カ月以上滞在する場合、非エイズ証明書が必要です。そんな証明は、どこでも出してくれるモノではないでしょう。また、少し笑えるのですが、持ち込み禁止品の中に、「反ロシア的写真および印刷物」というのがあるのです。つまり、荷物は、隅々まで調べられると思います。
 ロシアで買いたいものは、ロシアの爺さま方が愛用している、「毛皮の帽子」ぐらいのもので、「マトリョーシカ(人形)」も「ホフロマ塗り」も「グジェリの陶器」も「チョウザメの卵の塩漬け」もいりません。だけどねー、キャビアのどこが旨いのか?これは、私が長年抱いている疑問です。「しょっぱいだけだべ!」キャビアより、桃屋の海苔の佃煮、「ごはんですよ」のほうが旨いべ!まあ、味覚は、「みんな違ってみんないい」ので文句はないのですがぁ…。

 閑話休題。張さんとの会話の続き…
「モスクワがいいんですかぁ!ビザ…必要なんですよね?」
 その次の張さんの言葉…日本中の人に伝えたい。
「ビザ?日本人ならいらないでしょう。日本人は、アジアの誇りです。誠実で、勤勉で、悪いことをしません。アジアで信頼できる唯一の国民が日本人です。中国人は…」
 中国人の張さんが、私にリップサービスしても、1元(約15円)のもうけにもならない。これは、本音ですよ!
 「日本人は、アジアの誇り」ちょっと、気恥ずかしかったけれど、嬉しかったです。中国人のほんの一部の人にしろ、我々は、そのような評価をされているのですから、誇りを傷つける行為は厳に慎まなければなりません。嬉しいです。

 張さんは、さだまさしの「関白宣言」を聴き、「日本の女性と結婚する」と、心に誓ったという。そのために、まず日本語を覚えなければということで「ラジオ講座」で、2年間猛勉強。日本人相手の仕事が出来るまでに上達した。凄い頑張りですよ。

 日本では派遣切りで職を失った人の就職が問題になっています。何が問題か?派遣切りに遭い職を失った人を採用した会社等が、音を上げているのです。「長続きしない」「午前中半日勤めて逃げ出した」「考え方が立派なので、10人に採用通知を送ったら、6人に辞退された」…どういうことですか?この状況が続けば、「派遣を切られた人=使えない人」となります。
「石にかじりついても頑張る」ということが出来ない。近年「ガンバレ!」は良くないなどというバカなことを言う輩が増え、やる気のない連中がやおら市民権を得て、「ガンバレと言われたらむかつく」「頑張っている者にガンバレと言うのはおかしい」など寝言三昧。フザケルナ!人間は、死ぬまで、(生きるために)頑張らなければならないのです。
 「農業の担い手になりたいです」と、拍手を浴びて就農。半日で荷物をまとめてコソコソと逃げ出す…この派遣切りで職を失った人にも、「もっとガンバレよぉ!」と、いうと反論されるんですかねえ今の日本は?

 張さんは、頑張りましたよ。ラジオ講座で日本語をマスターしたのですよ!!外務省時代は、モスクワ勤務もあるというエリートさんで、頭もいいのでしょうがね。
 兎にも角にも、「日本人は、アジアの誇り」頑張らない人も多いが、それ以上に頑張る人が多いということでしょう。

 そんな張さんでも知らなかったのは、「ロシアは入国に際して、日本人にもビザを要求する」ということです。つい半年前でしたか、救援物資を持って、北方領土へ行ったのに、ピザがないからと上陸を許可されませんでしたよね。アジアの誇りもロシアの前では並の国ってことですか…。

日本の今は、盧溝橋の一発の銃弾から始まった

2009年04月27日 | Weblog
 北京へ行って「盧溝橋」は、外せない…半ば義務のような気持ちで出かけました。
 北京市街から、南西へおよそ15km。盧溝橋は、マルコポーロが東方見聞録で、「世界で唯一無二の美しさ」と絶賛した橋です。そのため、「マルコポーロ橋」という呼び名もあります。どこが美しいか?石造りのアーチ橋、11個のアーチが美しい。両脇の欄干には、石の獅子が501頭鎮座している。全長が、260m。頼朝が鎌倉幕府を開いた1192年に、盧溝橋は完成している。優劣はつけられないが、鎌倉時代の日本の木製の橋とは根底から違う。鎌倉時代の橋は今や跡形もないが、盧溝橋は、私が数日前渡ってきたのです。あと、1000年も2000年も、今のまま残っているでしょう。

 盧溝橋という名の通り、永定河にかかる橋なのですが…北京は水不足で、永定河が干上がってしまった。「盧溝橋の下は草むらではみっともない」というわけで、上流にも下流にもゴム製のダムを作りプール状態にして水を入れ、何とか橋らしい景観を保っていました。笑えます。橋の両脇の歩道は改修して歩きやすくしてありますが、中央部は1192年のまま。使われている石は、万里の長城の八達嶺のものと同じでした。

 橋を渡るだけでは、石の獅子は見られるがマルコポーロが絶賛したアーチ(橋桁)は見られない。そこで、私は、河岸を下り、高さ3mほどの護岸の壁を登り、見事にアーチの写真を撮ることに成功。道路側は3mですが、河側の高さは6mですから、落ちたらタダでは済まなかった。それほどの危険を伴うため、観光客はたくさんいたが、私のほかには、壁をよじ登る人はいなかった。61歳になって、よーやるわ!忍者か?!

 かくして、「世界で唯一無二の美しさ」の橋をカメラに収めたのですが、これでめでたしとはなりません。盧溝橋事件に触れなければ…。

 1937年7月7日午後11時ころのこと…
 日本軍は永定河の東岸に、中国軍(国民党軍。つまり蒋介石軍)が西岸に対峙していました。そして、「謎の銃弾」が打ち込まれました。通説になっているのは、「双方に対して撃ち込まれた」です。つまり、最低2発の銃弾。
 日本軍は、中国軍が撃ってきたと思うし、中国軍は日本軍が撃ってきたと思う。そのため、銃撃戦となった。これが「盧溝橋事件」。中国では七七事変ともいいます。7月7日だったので。

 この事件から、日中戦争(支那事変、日華事変)が始まり…第二次世界大戦へ引き継がれ、日本は泥沼に引きずり込まれていったのです…日本の無条件降伏まで…。盧溝橋の銃弾は、世界史にとって重大な事件だったわけです。

 盧溝橋は、抗日教育の場所です。私が訪れた日も、見学旅行の中学生の長蛇の列が続きました。全員、赤いスカーフをつけていました。生徒は、橋を往復し、正面にある、「中国人民抗日戦争紀念館」へ行きます。橋の上で、話したり、写真を撮ってもらったりした女生徒たちは、陽気でフレンドリーでした。しかし、抗日戦争紀念館で、誇張された、日本軍が中国人に対して行った残虐な行為の写真を見せられた後…陽気ではいらないでしょう。「抗日!」の炎が燃え上がるのでしょうねえ。教育は恐ろしいです。
 抗日戦争紀念館の横で、クルミを2個、手の中で遊ばせていた老人に話しかけてみました。恐ろしい顔でにらまれたので、「マズイッ!」と、思いました。その後、「これは、クルミで、その辺の木は全部クルミの木だ」と、身振りで教えてくれました。顔は怖いが、友好的な老人でしたが…私が日本人と知るとどうなったか…。

 盧溝橋の疑惑の銃弾、「誰が撃ったか」こういうことを研究している人もおられるもので…
1 中国側(第二十九軍)の偶発的射撃
2 日本軍の陰謀
3 中国共産党の陰謀

 偶発的射撃説は、研究者の半数が認めているらしいです。素人の考えとしましては、「偶発的に双方へ撃ったのか?」という疑問が残ります。偶発的なら、どちらか一方へ弾が飛んだと思うのですが。
 中国共産党説は、共産党軍の兵士向けのパンフレットに、「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」とはっきり書いてあるという。しかし、そのパンフレットの現物がない。
 日本軍の陰謀説は、あり得ないと思います。やったとしたら、陰謀ではなく無謀ですよ(ウマイ!…自分でほめるなってがぁ)。日本の兵力は、せいぜい25万ですよ(国内国外あわせての数字)。中国軍は、250万。ここで戦争を始めてどうするの?むしろ、戦闘せずに済むなら済ませたいと考えていたのが日本軍ですよ。実際、後に日本は、「現地解決・戦線不拡大方針」を表明し、国民党軍との間に停戦協定を成立させています。

 日本軍と、国民党軍を戦わせて、漁夫の利を得ようとしたのは・・・?

北京原人は、日本人の祖先ではありません

2009年04月26日 | Weblog
 
 世界史で、「周口店の北京原人」を学習しました。その後の人生で、北京原人に関わることがなかったので完全に忘れていました。北京へ来て、「周口店」が北京市内にあると知り、野次馬としては、出かけてみることにしました。もちろん、北京市内といっても、中心部から南西へ50kmほど離れています。交通手段は、万里の長城と同じで、ツアーバス、路線バス、鉄道が考えられます。鉄道の場合、周口店遺跡の真ん前に駅があります。

 北京原人は、北京市周口店竜骨山の森林で発見された化石人類。学名は、「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」テストに出るので暗記しました。あれから45年経っているのに、まだ覚えている。昔の記憶は結構残っているのに、ここ10年の記憶が薄い。典型的な老人性痴呆の前兆…かな?

 周口店には、日本人向けのツアーガイドがいたので、案内してもらった。そこで、問題が発生。北京原人はいつ頃生きていたかですが、最近のニュースで「77万年前」という報道があったばかり。しかし、周口店のガイドは、「50万年前」と言って譲らない。北京原人の専門家中の専門家であるはずのガイドが、古い情報しかない。日本の田舎から周口店へ行ったアンティークなオヤジのほうが、新しい情報を持っている?これは困ったことです。 

 万里の長城は、6,350kmだったはずなのに、この度、8,851kmだったことが判明(4月25日のニュース)。北京のガイドさん達知ってるのかなあ!

 北京原人の化石が発掘された場所へ行きました。大きな洞窟に入ったとき、「77万年前に、ここで暮らしていたのか!」と…気が遠くなるような歴史を遡上し、北京原人の皆さんと同じ所に立っている自分がいる。うらやましがる人はいないでしょうから自慢にはなりませんが、嬉しかったです。

 北京原人の狩猟の手段は、「投石のみ」。そのため、たいていの場合「獲物なし」だったらしい。「人食い」が行われていたことは確実のようです。「葬儀」を行ったらしいので、「感情」は芽生えていたらしい。火を使い石器も作った。しかし、狩猟で、槍・弓・落とし穴などを作る(使う)だけの知能は持っていなかった。

 家内が、「私は、北京原人の子孫かも知れない」と、小声でつぶやいた。理由は、「20年前、ネズミに石を投げたら当たったことがあったから」とのこと。その現場に私もいたが、もちろん単なる偶然。日本一運の悪いネズミでした。クジとか抽選とかに当たったためしがないのに、投石はネズミに当たる・・・。なお、家内は北京原人の子孫ではありません。なぜそう言い切れるか?「ミトコンドリアDNAの系統解析」の結果、北京原人は現代人の祖先ではないことが判明しているからです。

 1929年に、中国の考古学者が完全な頭蓋骨を発見。結果的に合計十数人分の北京原人の骨が発掘された。しかし、日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送することになったが、その途中に紛失…。盗んだ人がいたとしたら、部屋に北京原人の頭蓋骨を飾って楽しんだのでしょうか?売りに出すと、足がついてしまいますから。

紫禁城へは映画を観てから出かけたい

2009年04月25日 | Weblog
  珍妃井と日本の文学? 

 この度の北京観光の目標は、「万里の長城」と、「紫禁城(故宮)」。紫禁城(故宮)の現在の呼び名は、「故宮博物院」。訪れる観光客は、一日5万人とのこと。

 多くの日本人が観たと思われる映画「ラストエンペラー」。清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝にもなった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画。
 第二次世界大戦が終結した、1950年。ハルピン駅に、ソビエト連邦に抑留されていて解放された中華人民共和国の「戦犯」たちが到着した。その中の1人が、洗面所で自殺を試みた。この男が、清朝最後の皇帝で満州国の皇帝だった、愛新覚羅溥儀であった。
 元皇帝が5年間もソビエト連邦に抑留されていた。中華人民共和国でも投獄され服役。釈放後「庭師」となり、人知れず死去した。これが、創作ではなく史実。映画は、1908年から1967年までの溥儀の人生を描いている。溥儀の手記からの脚本なので、ほぼ真実そのもの、むしろ真実を婉曲にしていると捉えても良いとさえ思われます。

 映画ラストエンペラーは、ほぼ全編わたり紫禁城(現故宮博物院)が舞台となっています。映画ロケは、故宮博物院を借り切って行われました。1日5万人の見物客があるのですから、5日間借り切ったとして、入場料の補償だけで、25万人分。大変な制作費がかかりましたね。
 これから故宮博物院へ出かけられる方は、予習として、映画ラストエンペラーを観て(今は、格安でDVDが借りられます。7泊8日で90円とか!)出かけられると良いと思います。感動の質が違います。

 天安門広場と故宮博物院を仕切るように道路があります。横断歩道がないので、地下道を通って故宮博物院へ。
 毛沢東の肖像画が掲げられ、左に「中華人民共和国万歳」右に「世界人民大団結万歳」と書いてあるのが、天安門。この「天安門」を入り、さあ紫禁城だと思ったらまだ先に門があった。故宮博物院にある「門」は、みなビルディングです。「端門」をくぐり今度こそ紫禁城か!と思ったら、次に、「午門」というこれまた立派な門が。いよいよか!と思ったら、次に「太和門」。やれやれ、「太和門」をくぐってようやく、「太和殿」。一体どれくらい歩いただろうか?太和殿の後も、中和殿 、保和殿・・・続くことややしばし。それもそのはず、南北960m、東西750m、72万平方メートル!

 故宮博物院の屋根は、黄色(黄土色)です。石垣に登ると、黄色の甍が山脈のように重なって見られます。「ああ、紫禁城に来ているんだなあ」と、感じました。

 紫禁城…足の弱い人は無理。万里の長城は、足に不安があれば登らなければ良い。眺望だけでも十分満足できます。しかし、平坦な土地に建っている故宮博物院は、歩かなければ見学できません。南の端門から入って、北の神武門から出るまで、脇目もふらず順路を歩くだけで、3時間はかかります。

 「蒼穹の昴」を読んでいたので、科挙(いわば、国家公務員試験の上級職)の最終試験である「殿試」が行われた「保和殿」は、閉校した母校の校舎を訪れた感じで興味深かったです。予習の成果です。
 家内は、珍宝館の「珍妃井」を見ることが出来て喜んでおりました。「珍妃の井戸」を読んでいましたので、感慨深かったのでしょう。くいですが、予習しておくと感じ方が全然違います。

 私がお断りするまでもなく、浅田次郎の「珍妃の井戸」はあくまで小説。実際の珍妃の運命とは違います。「珍妃の井戸」は、龍之介の「薮の中」と似た組み立て。「薮の中」は、「今昔物語集」の「具妻行丹波国男…(妻を具して丹波国に行く男…)」という話の続きを龍之介が作ったもの。
「具妻行丹波…」からは、藤沢周平も影響を受けていると思います。藤沢作品に特徴的な、救いのない暗い状況をつくり、主人公を追い詰める…あの物語の流れは、「具妻行…」そのものです。このような評論は他にないでしょう。しかし、私はこの自説に大いに自信があります。

 おっと、復習が発展し、珍妃井が、武士の一分まで行ってしまいました。無理矢理繋げたなって?まあ、それは多少ありますが…。
 紫禁城で、溥儀と遊んだ弟の溥傑には、娘さんが2人。長女は学習院大学在学中、世にいう「天城山心中」で、亡くなりました。二女は、現在、神戸で暮らしておられます。彼女は、西太后のひ孫です。西太后のひ孫が日本で暮らしている!…繋がり…おもしろいです。予習も大切。復習も大切。

万里の長城に支流があった

2009年04月24日 | Weblog
  歩けるうちにまた行きたい

 宇宙から見える唯一の建造物。それが、「万里の長城」。中国の観光地人気ナンバーワン。私も、半世紀前、中学校で「万里の長城」を学習して以来、「いつかは、行ってみたい」と思っていました。

 北京市の中心部から「万里の長城」へ行くには…
1 ツアーバスで行く
2 路線バスで行く
3 鉄道で行く
 どの行き方でもいいのですが、日本語はもちろん、英語も通じないという土地柄ですから、「ツアーバス」がオススメです。一度行っただけで、専門家のようにオススメしてしまうあたり、アンティークマンの面目躍如ですねえ。
 路線バスの場合、その日のうちに万里の長城へ着かないこともありますよ。まず、出発点の「徳勝門」を探すのに半日。「空調豪華快車」にするか、「空調車」にするかの選択を迫られたって、通じないないんだからどうしようもない。そうこうしているうちに、日が暮れます。
 鉄道は、朝1便運行していることは確認したのですが…その後があるのかないのか…「北京北駅」始発、「八達嶺駅」で下車すればよい。所要約1時間。
 タクシーは…万里の長城は、北京市内にあるですが、60kmほど離れています。タクシー利用という選択肢は、経費の面からなしでしょう。なお、タクシーの初乗り料金は、72円。路線バスは、15円で飽きるほど乗ることが出来ます。

万里の長城の中でも最も有名な、八達嶺長城(現地の発音は、バーダーリン チャンチョン。私は、「ハッタツレイ」と、呼んでいます)を目指しました。もちろんツアーバス。途中、5~6の長城がありました。どういうことか?「長城」にもいろいろあって、万里の長城のように、一本につながっていないもの、つまり、途切れている長城が多数あるということです。それらの長城へも観光客が登っていました。ガイド氏によると、「貧乏層は、そこら辺の長城へ行く。外国人や富裕層は、八達嶺へ行くんだ」と、いうことでした。長城見物に貧富の差があるとは思えないが、入場料を考えると「さもありなん」ですかね。

 八達嶺は、あいにくの霧でした。ものすごい人!人、人、人、人・・・。それでも、4月は観光客が少ないのだそう。秋がもっとも多いのだそう。霧のため、入場口から八達嶺の「望楼」が霞んでいました。ガイドブックの写真では分からないが、傾斜が急です。特に、下りてくるときは、手すりに掴まりながらゆっくりでなければ転げ落ちそう。どのくらい歩くか?好きなだけ歩いていただいて結構。八達嶺は、城門から5時間ぐらいで、「東の(絵葉書に必ずある)城楼~西の最高点の城楼」へ行ってこられるようです。特に、西の最高点の城楼からの眺めはすばらしいのだそうです。延々と続く万里の長城が展望できる…そりゃ素晴らしいでしょう!…私は、東の絵はがきの望楼までしか行きませんでした。(望楼と城楼、表記不統一と思われそうですが、規模から書き分けました。似たようなものですけど、「知らないな」と思われるのが不本意なので…見栄を張りました)

 長城の石段は、高さも奥行きも全て違う。石段の一枚の石は、ほぼ40センチ四方。中央が、へこんでいるのは2000年以上にわたり、人が歩いたためすり減ったと思われます。濡れると滑りやすい石で…めったに降らないとは思いますが、雨の日の長城は要注意です。

 紀元前の中国が作り上げた。総延長が6,350m。日本列島の3倍の長さ。幾たびもの戦火にも多少の破損しかなかった堅牢さ。そのような遺産の上に立つことが出来ただけで、背筋が寒くなるような感動を覚えました。

中国の英語教育 成果が出るまで、あと10数年かな

2009年04月23日 | Weblog
  陽気な小中学生と交流?

 北京へ行ってきました。北京行きの便は、国内のおよそ十数カ所の空港から出ている…これには、少々驚きました。知らぬ間に、簡単に北京へ行くことが出来る御時世になっていました。中国へは何度も旅行してきましたが、北京は初めてでした。

 「中国でも英語教育を始めた」と聞いていたので、北京語がダメでも旅行に不自由はないだろうとタカをくくって出かけたのだが…
 中国の英語教育の成果は、野次馬観光客(私)が立ち回る範囲へはまだ現れていませんでした。抗日教育なので、日本語は全く理解しないのはうなずけるのだが、英語が全然ダメ。少なくても、私が話しかけた、20歳~40歳代の人たちは、英語については、全くの白紙状態。「ビア(beer)」も通じない。

 光明は(自分勝手な光明ですが)、小中学生。北京動物園のパンダ館が、遠足の小学生で溢れていました。小学生たちは、私に向かって、「Good morning!」「See you tomorrow!」と、言ってくれました。午後だったので、「Good morning!」は、おかしいし、子供達と私が、明日も動物園で会うことはないのに、「See you tomorrow!」は、おかしい。しかし、学校で習った英語を、外国人と思われるアンティークなおじさんに対して使ってみる。このことが、素晴らしい。確かに、中国の小学校では英語教育を始めたということを確認しました。

 アンティークな外国人のおじさん(私)は、10人ほどの小学生(7~8歳)を集めて交流しました。何をしたか?私が最も得意とする、「指をもぎとる手品」と、「見えない糸の手品」を見せたのです。日本の子の場合、何とか手品のタネを見破ろうとします。私の観客となった北京の小学生の場合・・・「ただ、唖然として、口を開けている」。もう、「Good morning!」と、言う子はいない。皆言葉を失ってしまっているから。私の、手品人生でこれほど観客に衝撃を与えることが出来たことはかってない。北京の子供達は、いいです!
 
 廬溝橋では、見学旅行の中学生と一緒になった。まず、引率の先生に、北京の中学校の英語教育について尋ねた。反応は、「微笑のみ」だった。「English」という単語自体を理解していない。不安になりましたねー。中国の英語教育…。
 
 廬溝橋を渡りきったところで、休憩していた女子生徒に、「写真を撮ってくれない?」と、英語で話しかけた。なんと、見事に理解してくれた。生徒はほとんどが、デジカメ持参。裕福なのか?…。それはともかく、数人の女生徒が私のカメラのほか、自分たちのカメラでも私の写真を撮ってくれた!早い話が、「モデル」ってとこでしょうか。翌日の教室に、「廬溝橋の怪しいオヤジ」というタイトルで、教室に張り出されるのではないか…。ともあれ、陽気な女子中学生から、「学校で英語を勉強している」との証言を得た。このときは、手品を披露しなかった。なぜかって?引率の先生の視線が怖かったので…。

 なお、「オマエは日本人だろう。廬溝橋での日本軍の発砲からシナ事変が始まり、同胞の命が消えていったんだ!」と、くってかかってくる人がいなかったので良かったです。

痴漢冤罪に朗報

2009年04月18日 | Weblog
   よく頑張った名倉教授
  
 警察には、人権を守っていただかなければならない。「冤罪事件は絶対起こさない」との自覚を隅々まで行き渡らせていただきたい。
 メディアは、今の日本が、民衆が民衆本位に政治を動かす現象やそういった状況への希望をもっている、ポピュリズム (Populism)であることを認識していただきたい。ポピュリズムは、大量の情報を、大容量、多チャンネルで流通させるメディアで左右される。そのことを、肝に深く刻み込んで報道していただきたい。メディアによる人権被害はださないで!これは、昨年の夏(8月10日)、私が訴えたことです。

最高裁が、電車内で痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた防衛医科大教授の名倉正博さんに無罪判決を言い渡しました。
 このことについて、警察庁長官は、「現場の警察本部や署と認識を共有し、捜査のあり方について検討する必要がある。痴漢事件の捜査は、目撃者を確保できないことも多く、立証が難しい。DNA鑑定などの科学捜査を活用するなど多角的に検討していく」と述べました。DNA鑑定!?これが良く分からないところですが、下手に逆らえないです。警察庁長官は、拳銃だけでなく、バズーカ砲も携行しているかも知れませんから。ともあれ、科学的捜査、是非やっていただきたい。

 身近にある、「痴漢冤罪」。全くの無実でも、瞬時に犯人にさせられる可能性がある。「違います、違います」と言っても、女の言うことが信用され、男は捕まってしまう。騒ぐ女に加勢する男達にボコボコにされて公安に突きだされてしまう。

 痴漢に係わり無実の罪を着せられそうになったときの対処法。これ、確認しておきます。ボヤーっとしていると、痴漢にまつりあげられてしまいますから。
 →駅員に連れられて、駅事務所に入った時点で、「私人による現行犯逮捕」となる(痴漢を事実上認めることになる)。
 疑いをかけられた時点で「やっていない」と主張し、住所、氏名、連絡先を提示する。刑事訴訟法217条…「住所・氏名が明らかな痴漢の「容疑者」を現行犯逮捕することはできない」
 無理に事務室に連れていこうとする駅員等には、徹底抗戦しなければなりません。
 「どうしても連れて行くというのであれば、あなたは刑事訴訟法217条を無視して現行犯逮捕することになります。あなたは逮捕監禁罪(刑法220条)に問われますよ」と主張する。
 では、その後どうすればいいのか?さっさと帰ってくればいいのです。住所、氏名、連絡先を教えているのですから。
 「冤罪だけど…面倒だから認めて、罰金払ってさっさと済ませたい。罰金は5万円だから安いもんだ」と、いうことにはなりません。容疑者と家族にとっては一生の名誉の問題ですから。名誉は大事にしましょうよ。その点、名倉教授は頑張りました。無罪判決の後、「家族に迷惑をかけた…」と。本人も御家族もどれほどつらい思いをしたか…。正しい結果が出た稀少な例ですが、ほとんどの冤罪の人たちは、罪人にされてしまっております。今すぐにでも、DNA鑑定(よく分からんが、警察庁長官が言っているので…)などの科学捜査を取り入れてほしいです。

 池上正樹さんの本のタイトル、『痴漢「冤罪裁判」~男にバンザイ通勤させる気か!』DNA鑑定(!)が導入されると、バンザイをしながら通勤しなくても済みます。
 阿川弘之さん提唱の、「男性専用車両」の導入。これも、もう必要なくなりそうです。
「冤罪は、いつでも、どこでも、誰にでも」という私の標語を改訂しました。「冤罪は、科学捜査で免罪に」…。

 今日は、これから北京へ行きます。空港までの電車、有頂天になって冤罪を押しつけられないように注意しま~す。北京で、痴漢の疑いをかけられたら、「冤罪だー」と叫んでも死刑でしょうか?DNA鑑定をしてくれそうもないし…。

120円を8円にしたのは誰?

2009年04月17日 | Weblog
  仕事をしないで給料をもらう体質
 
 郵便料金の割引制度が悪用された郵便法違反事件で、印刷・通販会社「ウイルコ」や広告主の大手家電量販店「ベスト電器」の関係者が逮捕された。ほかに、群がっていいたのは、大手広告会社「博報堂」の子会社「博報堂エルグ」、東京の障害者団体「白山会」、障害者団体「健康フォーラム」、広告会社「新生企業」・・・・一体、何社が群がりむさぼっていたのか!ハイエナのほうがずっとタチが良い。 

 障害者団体の定期刊行物を格安で郵送できる「心身障害者用低料第3種郵便物制度」…「発行部数の8割以上が有償購読者。広告の割合が5割を超えないなどの要件を満たせば、通常1通120円の郵送料が8円前後まで割り引かれる」を悪用し、ベスト電器のカード会員向けに約200万通のダイレクトメールを郵送。正規料金との差額計約2億4,000万円を不正に免れていた。

 この恥さらしな事件、誰が悪い?ウイルコか?ベスト電器か?月10万で、名義を貸していた障害者団体か?もちろんあやつらも悪いが、一番悪いのは、郵便事業会社(JP日本郵便)でしょう。「心身障害者用低料第3種郵便物制度」チェックのマニュアルがしっかりしている。その通りチェックしておれば、簡単に不正を見つけることができたはずです。考えても見てください、どこの身障者の団体が、200万通のダイレクトメールを発送しますか?これだけですでに異常でしょう!ノーチェックで通してしまった。
 どうしてこういうことが起こるのか?「自分の身に被害が及ばなければ、なーんも関係ない。会社の売り上げが、実質、約2億4,000万円減った?オレの給料に関係ない」…この体質のなせる業。こんな社員は、懲戒免職ですよ!

 拉致被害者、田口八重子さんの長男、飯塚耕一郎さんが、田口さんから日本人化教育を受けた金賢姫(キム・ヒョンヒ)に面会を求めて送った手紙が、約5年間も外務省で保管されたままになっていたことが分かった。
 外務省によると、手紙は駐韓日本大使館を通じて韓国政府に送ったが、「届けることはできない」として返却されていたという(太陽政策下の韓国では所詮無理)。
 釜山で金賢姫に会うにあたり、「手紙」がどこにあるのか耕一郎さんが探していた。そのため、5年間も保管されていたことが分かった。耕一郎さんが探さなかったら、永久に葬り去られていたでしょう。
 「保管」というと、いいことをしているような響きになりますが、「放置」じゃないですか?なぜ放置されたままだったか?「我がこととして責任を持って仕事をしていない」ということです。「先の見通しが立たない拉致問題など、自分に関係ない。どうでもいい」という態度の表れが、手紙ほったらかしです。

 つまり、郵便割引不正事件と、耕一郎さんの手紙5年間放置事件は、同じ根っこです。これって、あの主義と酷似しています。どの主義だって?中国を旅行して、いつも嫌な思いをさせられる、「ビールを注文しても、聞こえないふりするウエイターの主義」です。多く仕事をしても、給料が増えるわけではない。同じ給料なら、少しでも働かないでおこう。公務員だからクビになる心配もない。
 「責任感?」それって、給料上がるのか?
 「負託に応える?」御託の間違いじゃないのか?

 約2億円の生活保護費を暴力団関係者へ支給していた市も全く同じです。発覚当初は、「正規の手続きを踏んでいるのに何が悪い」と、周囲をへいげい(睥睨)しながら言っていました。役人天国時代の気質を脈々と受け継いでおりました。「今、何時代よ!」と、問いたいですねえ。そのような役人がおられる地方自治体、まだまだあるんじゃないでしょうか。公僕たれー!外から叫ばれても改善できないでしょうねえ。内から、変わらなければ。それが出来る人は、とっくに変わっているでしょうねえ。