「グレートジャーニー」言葉の響きだけでワクワクします。
グレートジャーニーでペルー(アンデス)へもたらされたと思われるモノは…。
「サルカニ合戦の民話」・・・これは、アジアからペルーへ行ったのか、その逆かは分かりませんがね。
「鵜飼い」・・・日本からペルーへ行ったと思われます。
ただ、アリューシャン列島→ロッキー山脈→中南米→南米のコースではなく、海を渡ったのかも知れません。そう思った理由は、ペルーの鵜飼いは、「海鵜」だからです。日本の海鵜を、太平洋を泳がせてペルーへ連行したってことではありません。
「蒙古斑(これはモノではなかったね)」・・・「グレートジャーニー」の途中、北極圏でエスキモー(蒙古斑あり)となって定住したり、ロッキーではアメリカインデアン(蒙古斑あり)になったり。ペルーの人々(蒙古斑あり)が、日本人と同じ蒙古斑仲間って、何とも嬉しいような。
子どもの頃の私の仕事に、「薪割り」がありました。割ったあと、薪を積むのですが、単に積み重ねたのでは、両端から崩れていく。そのために、両端は、「井桁(薪を、上から見て『井』の字形に組む)」に積む。その井桁と井桁の間に薪を積むと崩れない。
ペルーの田舎では、燃料は、「薪」。当然どこの家でも、薪を割って積んである。積み方は…な、な、なんと日本と全く同じ!両端に井桁を組んで薪を積み上げていました。中国の農村でも、同様に薪を積んでいました。この積み方、正しくグレートジャーニーではないでしょうか。
ペルーの田舎の薪の積み方に着目し、日本と同じであることを発見した私!さすが、アンティークな日本人。もっとも、人間の智慧の産物だから、「薪の積み方は偶然世界中どこも同じ」だったら…ちょっぴりがっかりだなあ。
ペルーの田舎を走っていると…
屋根の上に、シーサーが載っている!
「シーサーは沖縄だろう!ペルーにあるはずがないだろう!」 だって?事実だからしょうがないでしょう!
沖縄のシーサーは、古代オリエントやインドにあった風習が、シルクロードを旅して中国に。そして沖縄にもたらされました。
ペルーのシーサーは、「プカラの牛」。アンデスで古くから儀礼で使われてきました。プカラ文化は、紀元前200年ころから紀元後200年ころまで。
1 悪霊を追い払う魔除け
2 屋根の上に置かれる
3 雌雄一対
4 雌雄2頭の牛の後ろに十字架が付いている
5 元々は、農家の屋根に置かれていた(ホテルの屋根に置かれているのを目撃。つまり農家以外にも普及してきている)
沖縄のシーサーもペルーのシーサーも、「同じルーツ」と考えていいでしょう。
デザインが、リャマでも、アルパカでも、ビックーニャでもなく、「牛」。これは、ペルーの人、特に農家が、いかに「牛」を大切にしているかということの表れでしょう。
アルパカたちは大切にしないのかって?比較できませんよ。牛は、労働力をもたらした。ペルーの人々は、インカの昔から、「車輪」をもちませんでした。「牛」は彼らにとっていわば車輪だったのです。そして、肉・内臓・乳をもたらす。「牛」は、暮らしになくてはならないものなのですねえ。よって、魔除けとして屋根に載せた…。
一人で跳ぶ縄跳びは、世界中に広がっています。しかし、「長縄跳び」って日本の独特のものかと…?
と、と、ところが!ペルーの田舎で、長縄跳びをして遊ぶ子ども達を発見。
「♫花子さーん、おっ入りぃ・・・」というような歌まで同じ! もちろん歌詞はスペイン語。ルーツは、日本からペルーへなのか、ペルーから日本へなのか!?長縄跳びにも興奮しました。
グレートジャーニー、正しく夢とロマンです。
昨日のブログで、「墜落してしまう」と、すべきところを、「墜落し手しまう」と書いてしまいました。ゴメンナサイ。
グレートジャーニーでペルー(アンデス)へもたらされたと思われるモノは…。
「サルカニ合戦の民話」・・・これは、アジアからペルーへ行ったのか、その逆かは分かりませんがね。
「鵜飼い」・・・日本からペルーへ行ったと思われます。
ただ、アリューシャン列島→ロッキー山脈→中南米→南米のコースではなく、海を渡ったのかも知れません。そう思った理由は、ペルーの鵜飼いは、「海鵜」だからです。日本の海鵜を、太平洋を泳がせてペルーへ連行したってことではありません。
「蒙古斑(これはモノではなかったね)」・・・「グレートジャーニー」の途中、北極圏でエスキモー(蒙古斑あり)となって定住したり、ロッキーではアメリカインデアン(蒙古斑あり)になったり。ペルーの人々(蒙古斑あり)が、日本人と同じ蒙古斑仲間って、何とも嬉しいような。
子どもの頃の私の仕事に、「薪割り」がありました。割ったあと、薪を積むのですが、単に積み重ねたのでは、両端から崩れていく。そのために、両端は、「井桁(薪を、上から見て『井』の字形に組む)」に積む。その井桁と井桁の間に薪を積むと崩れない。
ペルーの田舎では、燃料は、「薪」。当然どこの家でも、薪を割って積んである。積み方は…な、な、なんと日本と全く同じ!両端に井桁を組んで薪を積み上げていました。中国の農村でも、同様に薪を積んでいました。この積み方、正しくグレートジャーニーではないでしょうか。
ペルーの田舎の薪の積み方に着目し、日本と同じであることを発見した私!さすが、アンティークな日本人。もっとも、人間の智慧の産物だから、「薪の積み方は偶然世界中どこも同じ」だったら…ちょっぴりがっかりだなあ。
ペルーの田舎を走っていると…
屋根の上に、シーサーが載っている!
「シーサーは沖縄だろう!ペルーにあるはずがないだろう!」 だって?事実だからしょうがないでしょう!
沖縄のシーサーは、古代オリエントやインドにあった風習が、シルクロードを旅して中国に。そして沖縄にもたらされました。
ペルーのシーサーは、「プカラの牛」。アンデスで古くから儀礼で使われてきました。プカラ文化は、紀元前200年ころから紀元後200年ころまで。
1 悪霊を追い払う魔除け
2 屋根の上に置かれる
3 雌雄一対
4 雌雄2頭の牛の後ろに十字架が付いている
5 元々は、農家の屋根に置かれていた(ホテルの屋根に置かれているのを目撃。つまり農家以外にも普及してきている)
沖縄のシーサーもペルーのシーサーも、「同じルーツ」と考えていいでしょう。
デザインが、リャマでも、アルパカでも、ビックーニャでもなく、「牛」。これは、ペルーの人、特に農家が、いかに「牛」を大切にしているかということの表れでしょう。
アルパカたちは大切にしないのかって?比較できませんよ。牛は、労働力をもたらした。ペルーの人々は、インカの昔から、「車輪」をもちませんでした。「牛」は彼らにとっていわば車輪だったのです。そして、肉・内臓・乳をもたらす。「牛」は、暮らしになくてはならないものなのですねえ。よって、魔除けとして屋根に載せた…。
一人で跳ぶ縄跳びは、世界中に広がっています。しかし、「長縄跳び」って日本の独特のものかと…?
と、と、ところが!ペルーの田舎で、長縄跳びをして遊ぶ子ども達を発見。
「♫花子さーん、おっ入りぃ・・・」というような歌まで同じ! もちろん歌詞はスペイン語。ルーツは、日本からペルーへなのか、ペルーから日本へなのか!?長縄跳びにも興奮しました。
グレートジャーニー、正しく夢とロマンです。
昨日のブログで、「墜落してしまう」と、すべきところを、「墜落し手しまう」と書いてしまいました。ゴメンナサイ。