アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

12km・・・車で何分かかる?

2017年10月30日 | Weblog
 さてさて、カトマンズから12キロメートルのところにある、「チャンドラギリの丘」というところへ行きました。何しにって?「ヒマラヤを眺める」しかないでしょうがっ。「チャンドラギリの丘」は、標高2,540メートル。この8月から山頂までのケーブルカーが本格操業を開始した。8人乗りで、片道2.5キロメートルを10分ほどで運行する。日本では、「ロープウエイ」と呼ぶが、ケーブルカーとロープウエイの区別はぁ分かりません。同じじゃないかなぁ。
 山頂からは、東はエベレストから、西はアンナプルナ連邦までのヒマラヤ山脈を見渡すことができるという。

 カトマンズから車でこのチャンドラギリの丘のケーブルカーの麓駅(タンコット)まで行ったのですが、どのぐらいの時間を要したと思いますか?12キロメートルですよ。なぬ?30分ぐらいだろうって?ここで引き延ばしてもしょうがないので正解を書きますと、往路は、1時間半。復路は、2時間半。
 そんなはずはないだろうって?それがあるんです!
 とにかく道路は、めちゃくちゃ。世界中さがしても、ここより悪い道路はないんじゃないか。どんな状況かを箇条書きにしますと…
 1 爆撃を受けた直後のような道路。(そんな道路見たことないけど、きっとこう  なんだろうなあと)
 2 渋滞で、少し走っては止まる。
 3 40メートル前が見えないほどの強烈な土埃。
 4 数百メートルだけすんなり走れた箇所がありました。大林組だったか間組(現  在の安藤ハザマ)だったかがつくった道路とのこと。その反動で、日本の建設  会社がつくった道路が途切れて、爆撃道路に入るところで渋滞、30分待ち。

 這々の体でタンコットに到着。いよいよ、ネパール最大の売り物(?)、「ケーブルカー!」。ケーブルカーの往復料金ですが、「ネパール国民は、700円」。「外国人は、2,500円(22USドル)」。だけどさあ、ネパールの月収3,000円の階層の方々が、700円出してケーブルカーに乗るか?1週間の生活費ですよっ!
 なお、日本人観光客にはたくさん来てほしいからという意味の忖度なのでしょうが、カフェに案内され、「コーヒー紅茶&クッキー(オレオもあったよ)」の歓待を受けました。期間限定日本人向けサービスぅ…らしい。ネパール模様のマフラーのようなもの(宗教的なもので歓迎の意味がある)も、首にかけていただきました。模様は様々。スーツを着た偉い人が首にかけてくれるのですが、こともあろうにカミサンは、「あっ、それじゃなくてこっちの模様を」と、マフラーをチョイス。さすがだ。

 チャンドラギリの丘の上には、「ヒンドゥ教寺院」「(接待された)カフェ」「展望台」がありました。今後、映画館やリゾートホテル、セミナーホールなどもつくるという。さらに、パラグライダーやジップラインなどのアクティビティも楽しめる場所になる計画があるとか!年収35,000円の人たちは…アクティビティにはぁ、行かないよなあ。

 現在の施設は、夕方の5時で営業終了。従業員は、先を争うようにケーブルカーで退勤。私どものケーブルカーの帰りの便は、20歳の男1人、女3人の従業員と乗り合わせ。4人とも、日本人が珍しい。恥ずかしそうに無言。時折顔を見合わせて笑う。で、私が、一番元気そうな女の子に声をかけた。
 「みんな何歳?」
 「20歳」…それが、どうして可笑しいのか、みんなが腹を抱えて笑っていた。目を合わせようとはしない。「シャイ」なんです。別の日本人観光客の年配の女性が、20歳と答えてくれた女の子に、日本のチョコレートを渡した。こういうことをすると、よくないんですけどね。なぜかというと、「日本人はチョコをくれる。日本人はチョコをくれるべきだ。日本人はチョコをよこせ」になってしまいかねない。また、チョコを食べて「う歯(齲歯)」になっても、ネパールで歯科医に通うのは至難の業。(4人とも、歯並びがきれいでした)

 チョコをもらった女の子は、ほかの3人に1かけづつ分けました。男の子は、チョコをもらうのを拒否。拒否の理由ですか?「照れ」だと思いますがね。それほど純真。残りのチョコを大事そうに箱に収めた女の子は、「お母さんにあげるんだ」と。
 こういうのにめっぽう弱いです。「お母さんにあげる」…お母さん、喜んでくれるでしょうか。きっと、喜ぶよね。
 ところで、ヒマラヤは眺められたのかって?あっ、忘れてました。

予算の9割が賄賂で消える

2017年10月29日 | Weblog
ネパールの街では、女性同士、男性同士が手を繋いで歩いているのをよく見かけました。子どもなら、「仲がいいねえ」と、微笑ましいのですがね。大人の場合、「L(レズ)かな?G(ゲイ)なんだろうなあ?それにしても同性愛者が多い国だなあ」と、思って見ていました。
 想像してみて下さい、例えば、「50歳過ぎの2人のオジサンが手を繋いで仲よく歩いている」…。日本でなら、間違いなくGでしょ!?

 ところが、ネパールでは、「仲良しであれば、同性であっても手を繋いで歩くのは、ごく自然で普通のこと」なのだそう。
 「手を繋ぐことは親愛の情を表す」…ヤレヤレ、ネパール人の友達が出来たら手を繋いで歩かなければならない。どうか、ネパール人の友達が出来ませんように…などとは言いませんが、手を繋いで歩くのはゴメン。

 現地ガイドが、「ネパールが最貧国から抜けられない一番の原因は、賄賂なんです。諸外国から援助してもらって予算を付けても、9割は賄賂で消えます。残りの1割で事業をする…何年かかるんですかねえ?」と、吐き捨てるように話してくれました。
 予算の9割が賄賂で消える…そりゃないでしょう、と、思ったら知る人ぞ知る事実でした。

 「国の上層部から下部に至るまで賄賂が蔓延し、例えば道路予算があっても政治家が懐に入れることに執心し、側近が咎めるとその口封じに賄賂を送り、さらにそれを見ていた者への賄賂に使われ予算の数分の1ほどしか工事に回らないため、地方の町などでは道路事情が非常に悪い」
 ここまで公然の事実として知られている!国民は、皆知っているけどどうしようもないらしい。識字率が48.6%だしね。

 「政治家」と「側近」と「見ていたもの」、この賄賂トリオには、是非街の中を手を繋いで歩いていただきたい。仲良しなんだから。

ナマステ

2017年10月28日 | Weblog
 ネパールで、「いいなっ!」と思ったことの一つに、「ナマステ」があります。 「ナマステ」は、ネパール語で朝昼晩いつでも関係なく使える挨拶の言葉。道行く人でも、ホテルの従業員でも、交通整理の警察官でも、合掌して、「ナマステ」と、言うと、「ナマステ」と、合掌して返してくれる。
 「ナマステ」で、朝昼晩通用。遊園地のフリーパスのような。くどいって?凄いことなので「くどく」書いてます。外国人が覚えやすいようになのか、私のように二つ以上は覚えられない、脳が萎縮した老人のためなのか、朝昼晩統一した挨拶。国民の優しさの象徴と考えるのが妥当でしょうか。
 まだオムツがとれないような子でも、「ナマステ」と、返してくれるし、仏頂面の中年でも、微笑んで、「ナマステ」と、返してくれる。素晴らしい言葉です。人を優しくする効果もあるのですね。

 ネパール国民の100%が、こちらが、「ナマステ」と言うと、「ナマステ」と挨拶を返してくれるでしょう。聞く話すは、ほぼ100%の国民が出来る。しかし、「ナマステ」と(文字を)書ける人、書かれた「ナマステ」を読める人は…国民の半数に及ばない。教育が義務ではないため、学校へ行かない人の識字率は当然ながらすこぶる低いわけ。
 15歳以上で読み書きできる人の割合は、「48.6%」。驚く低さ。男女で比べると、「男性が62.7%」で「女性が34.9%」。
 あれあれ、ヒンドゥー教って、「女に学問はいらない」という教えだったっけ?
ヒンドゥー教は長らく国教とされていました(2006年以降国教扱いは廃止)。ですから、現在もヒンドゥー教徒が圧倒的に多い。ヒンドゥー教徒→80.6%。仏教徒→10.7%。イスラム教徒→4.2%。その他→4.5%。

 ヒンドゥー教の教えで有名なのは…
 心が変われば、態度が変わる。
 態度が変われば、行動が変わる。
 行動が変われば、習慣が変わる。
 習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる。
 運命が変われば、人生が変わる。
 これ、居酒屋の壁に貼ってあったりしますから、学生時代は日本の格言だと思っていました。その後、ヒンドゥー教の教えだと分かりました。入信していたら、人生が変わっていた?識字出来ない48.6%のネパール国民の80.6%がヒンドゥー教徒という計算になります。信者でも心が変わらないってことか?なぬ?信者の方は、人生が変わったその結果が現在だって?そういうことなんでしょうかねえ。

 ヒンドゥー教の教え…実によく分かります。が、教育の臭いは全くしない。宗教と教育は関係ないということか。それにしても、学校へ通う女性が少ない事だけは、数字の上から明確。
 日本人を珍しがって、学校へ行っている8歳の女の子が、犬と一緒に私どものミニトレッキングに勝手についてきました。平日なのに?
 「お祭りが近いから、みんな学校に来ない。だから学校はお休みなの」
 お祭り当時だから学校が休みなのではなく、お祭りが近いから、休み?う~ん、信じられん。祭の準備のため子どもたちも駆り出されるということか。
 「学校は楽しい?」と水を向けると、「楽しくない」という。学校より、日本からきたおじさんの、ミニトレッキングにくっついて歩く方が楽しいらしい。私にとっても、脊柱管狭窄症で歩くとそこら中痛いけど、気が紛れてありがたい。
 ビックリしたのは、「雨の日は学校へ行かない」ということ。傘をさす習慣がない?その前に傘がない?雨期は、ずっとお休みなのかぁ?
 「雨降りに学校へ行くわけないでしょう。みんな行かないよ。先生も行かないし」…そ、それなら臨時休校だね。そりゃないだろうと思うが彼女の言葉に、嘘も偏りもなさそう。
 「先生があまり学校へ来ない(よく休む)」それじゃあダメダよなあ。音楽、図工、体育などの教科がない。これは、ブータンも同じでした。芸体類がなければ、学校の楽しみも半減ですよね。
 勝手に付き添ってくれた(介護ではない)女の子とは何語で話したのかって?女の子は一応学校へ通っている(らしい)ので英語が話せたのです。学校の授業は、「英語」で行われているので。よく休む先生たちって、英語は堪能なのでしょうねえ?

 ネパールの長くて暗いトンネルの先に見えるほのかな希望って、教育ですよ。その内容の一部を知ってガックリでした。先生、学校を休むなよなぁ~っ。心の病かよっ。
 日本からの寄付で建てられた学校へも行きました。雨も降っていないのに「ひっそり」。平日なのに、人影がない。祭が近いから?識字率48.6%…納得。

神宿るマチャプチャレと小便小僧

2017年10月27日 | Weblog
 ポカラのフェワ湖(ペワ湖というカタカナ表記もある。英語で書くとPhewa Lake)で、ボートに乗りました。4人乗りのボートで、船頭さんの手漕ぎ。船頭は20歳代の英語が堪能な男の子。風景のガイドをしてくれました。
 風景のガイドの合間に、ネパールの人が決まって言ってくるアレが入る。アレというのはもちろん、「友人が日本に行ってるんだ。その友人の日本の友達が、この夏ポカラへ来たんだ。トモミとミキ…」。友人知人が日本に行っているというアレ。ネパールの人がずいぶん日本へ来ているようです。
 船頭さんが、フェワ湖に落ち込んでいる山の中腹を指さして、「あれが、日本寺」と教えてくれました。白いドームの屋根が見えていました。「日本山妙法寺」、どんな経緯で、ネパールのポカラの湖に落ち込んでいる山の中腹に、日本のお寺があるのか?実際、日本のお坊さんが常駐しているんだと。
 以前は、歩いてしか行けなかった日本山妙法寺。今では車道が完成して、車で行けるようになったという。ポカラ近郊でヒマラヤの眺望を楽しめる場所はいくつかあるのですが、日本山妙法寺からは、ヒマラヤとフェワ湖の両方が楽しめるんだと。まあ、当たり前ですよね。
 ポカラで、車で行けて、ヒマラヤの眺望を楽しめるところは、「サランコットの丘」と決まっていましたが、新たに「日本山妙法寺」が加わったわけ。
 4人乗りボートは、湖の「島」に建てられた「バラヒ寺院」で折り返す。バラヒ寺院には、修学旅行と思われる中学生がたくさん来ていました。私どもは、島には上陸しませんでしたがね。ところで、「なんのためにフェワ湖でボートに乗ったか?」ヒマラヤが見えないのに…?ネパールまで来てボートに乗る意義はあるのか?意義などないですね。ただぁ、のんびりさせていただきました。

 サランコットの丘へも行きましたよ。何しにって?これは、理由は明解。ヒマラヤを見るためです。サランコットの丘は、標高1,592メートル。フェワ湖の湖面の標高が724メートルですから、標高差が868メートル。駐車場から500メートルほど階段になった坂道を登る。馬の背のような道幅1メートルの道。もちろん未舗装。道すがら、民家や土産物屋(間口が2メートルほど。埃をかぶった少しばかりの土産物を並べている)がある。生活は貧しい。5~6歳の男児が下半身裸で家の軒に出てきて、道に向かって放尿。観光客にオシッコがかかるような位置関係ではありませんでしたがね。日本人観光客のオバサンが、思わず言いました。
 「そ、それ、ダメでしょ!」
 坊やはニコニコ顔でした。日常の暮らしですから、外国人のオバサンに叱責されるような事ではない。坊やの家の中は…見えちゃうんだからしょうがない。覗いたわけじゃありません。つけっぱなしの箱形テレビがあり、ベッドのようなモノがありました。庭先では、鶏を飼っていました。放し飼いではなく、荷物を入れて背負う竹の篭(ドコ:トレッキングのポーターも、ドコを使う。ソフトクリームのコーンのような形状)を伏せて、その中で鶏を飼う…。民家の屋根続きに牛舎があり、2頭の肉牛が窓がない牛舎で、暗ーい表情で並んでおりました。暗いのに表情が見えたのかって?手前の牛の表情だけでしたがね。

 サランコットの丘から、ネパールのマッターホルンの異名をもつ、「マチャプチャレ」が、くっきりと見えました。この度は、実に運がよくヒマラヤが見られない日はありませんでした。マチャプチャレは、美しいわぁ!神様の山だから、登山禁止になっている。神々しい美しさを臨みながら放尿いたす坊や。これがネパールなんでしょうか。
 なお、ポカラ市内から車で1時間ですが、ホテルで車を手配してもらうと、往復で1,000ネパールルピー。日本円では、「千円!」。これ、安いでしょう!ネパールの物価は、日本の感覚では信じられないほど安い。
 もっとも、平均月収が35,000円。早朝3時間ほど車を出して1,000円の売り上げがある。これは、「いい商売」ということになるんじゃないかな。

ポカラのチベット村

2017年10月26日 | Weblog
 14日の朝、成田で預けたトランク…16日にゲットすることが出来ました。当初の予定より早かったんじゃないかって?早かったです。
 トランクは、15日夜、クアラルンプールからカトマンズに運ばれた。当初はカトマンズの空港に置きっぱなしで、17日に受け取る予定でした。しかし、「薬を飲まなけりゃ大変なことになる。薬はトランクの中だ。早くトランクを!」という声が!M航空としても裁判沙汰は避けたいと、行動を起こしたわけ。
 で、15日の深夜、トラックにトランクを積み、ポカラのホテルまで5時間かけて届けてくれたというワケ。当然ですよね。そんな訳で、二日ぶりに自分のトランクと再会。薬も飲める。ヒゲも剃れる。下着も替えられる。歯も磨ける・・・。

 標高1400メートルのカトマンズから、標高800メートルのポカラへ来ると、「暖かい」と、感じました。ガイドが、「ポカポカしてるから、ポカラ」と言いましたが、ウケなくてションボリ。
 「デビット・ホール」へ案内されました。「ホール」は、「穴」なのか、それとも「滝」なのかって?その両方ですね。滝の水が地面を侵食して穴(トンネル)が出来上がっている。その水路になっている穴(トンネル)が、20~30メートルあるんじゃないかな。「パタレ・チャレンコ」が、正式な名称だという。デビさんというフランスの女性が落ちてお亡くなりになったことから、「デビット・ホール」と呼ばれるようになったんだと。このあたり、ネパールの人の犠牲者への心の持ち方がうかがえます。

 このデビット。ホールからほど近いところに、「タシリン・チベット村」があります。1959年「チベット動乱」のときにネパールへ逃れてきたチベット難民の居留地。中国支配が続くチベットを逃れてネパールに亡命するチベット人は、今も毎年1000人以上にのぼるという。
 村人(難民)のみなさんは、チベット独特の生活習慣を維持しているという。私が訪問した時間帯は、村人が近くの工場や農場に働きに出ておりました。
 クラフトセンターなるところで、観光客用に、糸を紡ぎ、機織り(チベタンカーペット作っていました)をしている高齢の女性が5~6人。
 みなさん表情が暗い。ニコリともしないし、口も開かない。必死で、何かを耐えている…。命からがら、ヒマラヤを越えてネパールへやってきた。50年経っても笑えないですよ。逃避行の前に数百人のチベットの同胞が殺されている。

 クラフトセンターの隣に、チベタンカーペットの直販店があります。売り上げは難民キャンプの運営、子どもたちの教育や福祉に使われる。そういう話にめっぽう弱いのが、カミサン。40センチメートル四方のカーペットを3枚購入。重いんだけどぉ!まっいいか。

カトマンズの空港で出発まで5時間待つ理由

2017年10月24日 | Weblog
 ヒマラヤ連山を、遊覧飛行で間近に見る事が出来ました。「生サガルマータ」を見た多くはいない日本人。その中に私も加わることが出来た。誰ぁーれも羨ましがらないでしょうが、自分にとってはメイドの自慢の一つです。メイドに自慢するのかって?間違えました。冥途でした。
 し、し、しかし!B、B、BUT!この遊覧飛行が実施されたことが、このあとの私どもの行動にとんでもない影響を与えることになるとは…!

 遊覧飛行のあと、カトマンズから飛行機で25分ほどのところの、「ポカラ」へ行くことになっておりました。
 遊覧飛行を終え空港の待合室で、ホテルで作ってくれた朝食をいただきました。メニューは、「ジュース、パン(3種類)、ゆで卵(2個)、リンゴ(1個)」。ヨーグルトが欲しかったが、まっ、いいか。

 さてさて、ポカラ行きの飛行機…出発時刻になってもなんのアナウンスもない。1時間経過、2時間経過…あ、ありえない。現地ガイドに詰め寄ると、「2時間や3時間遅れることは、カトマンズではいつものこと。今日は、5時間待ちだと思いますよ」
 あ、あのなあ!25分で着くポカラへ行くのに、5時間待たすなよなあ!
 で、正しくポカラ行きの「ブッダ航空」は、5時間遅れでした。

 5時間遅れの理由は何んなんだぁ?!日本で暮らしていると、そう思いますよね。実は、理由があったのです。
 カトマンズの空港の滑走路は、一本。もうおわかりですね。国際線の発着も、国内線の発着もこの一本の滑走路を使う。それは、毎日のこと。で、ヒマラヤ遊覧飛行がある日は、「10分おきに遊覧飛行機が離着陸する」。つまり、定期便の離着陸がどんどん遅れていく。よって、5時間待ちは普通だべ。文句あっか、コラ。

 ネパール政府としては、遊覧飛行用の滑走路を大至急つくる事ですね。なぬ?そんなことぐらい20年も前から計画されているって?それなのになぜ出来ないのかって?
 ネパール大好きな人には申し訳ないが、滑走路建設に毎年予算がつくのだそう。と、ところが、「予算の9割は、賄賂に流れる」のだそう。ネパールの知識人が言うんだから本当でしょう。現地ガイドに水を向けると、「あ…。その通りです。使われる予算は1割。あとは賄賂です…」と、悲しそう。付け加えられた言葉は、「ネパール国民の平均月収は、3万5千円です。1日1ドルで暮らしている家庭もあります…」…何が言いたかったのか?役人の収賄が如何にひどいことかを言いたかったと思いますがね。
 役人の横暴は、日本でも今もなお続いていますよ。この数か月前、私も体験しました。私が土地の贈与を受けようとお役所へ出向いたら、「ダメダ」と言うのです。仕方なく、「行政書士の資格と司法書士の資格をもつ人」に依頼しました。それでも、小役人は頑張り続けたのです。単に、私を嫉み、「こいつには意地悪してやろう」と、固く決心したのでしょう。そんなもんですよ、ハナクソほどの了見しかない小役人は。嫉み嫉み(ねたみそねみ)しかないたった一人の小役人に「決定権」を与えちゃダメです。あの野郎、斬首作戦を行使してやろうかっ!…思い出すだけで、血圧が上がります。

 閑話休題。ネパールの話でした。カトマンズの空港で、5時間待ったのは、「サガルマータ遊覧飛行が実施された」代償だった。で、諸悪の根源は、「事業予算の9割が賄賂に消えていく」というネパールの悪習。
 この日はとにかく、ポカラに着き、トランクが到着しないので…街で下着を買い、歯ブラシを買い…。飲みに出る気にもなれず、寝パール。

サガルマータ遊覧飛行

2017年10月23日 | Weblog
 さてさて、ネパール2日目は、早朝(4:30A.M.)の起床。寝パール就寝は、1:30A.M. 着の身着のまま。睡眠時間は、3時間。
 エベレスト遊覧飛行が実施されるという情報が入ったので、空港へ。
 なお、地元の人は、「エベレスト」という呼称を好まない。地元の人たちが、「サガルマータ」とか、「チョモランマ」と呼んでいた山を、ヨーロッパから来たエベレスト氏がこの山を発見したしたような話になって、「エベレスト山」と、呼ばれるようになった。おもしろいはずがない。私は現地滞在中、「サガルマータ」と、呼び続けていました。今後も、「エベレスト」と呼ばないようにします。
 サガルマータと呼べば何かいいことがあるのかって?な~んもない。でも、サガルマータですよ!「下がる股(サガルマ~タ)」、おもしろいんじゃないかなあ。「腰パン」というパンツの着こなしが流行ったことがありますが、アレって、正しく「下がる股」ですよね。

 つい数時間前まで、トランクを待っていた空港に到着。飛行機は、定員50人ぐらいのプロペラ機。エベレスト遊覧飛行…じゃなかったサガルマータ遊覧飛行の飛行機は、客の全員が窓側の席。つまり、50座席があっても25人しか乗せない。実に公平だ!やるじゃないか、ネパール!
 飛び立って15分ほどで、「見えたーっ!」。ヒマラヤ連山が、くっきりハッキリ見えたのでありました。
 サガルマータは、見えたかって?じ、じ、実は見えましたがぁ…。その時は、コックピットに入れてもらって(ブッダ航空は、乗客をコックピットに入れてくれる)、パイロットと…
 「どっから来たのよ?」
 「日本から来たズラ」
 「オラの親類で、日本の大学へ行ってる子いるぜ。ワセダだ。おおっ、見えたぞ、あれがサガルマータだ!」
 「なぬ!そりゃ大変だ。席へ戻って写真撮るわ!」
 で、席へ戻ったら、私の席にオヤジが座って写真を撮っていた。
 「どけ、オヤジ!」
 とも言えず…結局、写真を撮ることが出来ませんでした。ホント厚顔無恥はオヤジっているものです。凄く腹が立ちました。なぜなら、私にとって、「ネパール観光=サガルマータ」です。この日の為に、爪に火を灯しながら貯めたお金で夢を実現させたのに…。一人のクソオヤジによって、私の努力がズタズタに切り裂かれたのです。悔しくて仕方なかったけど…どうしようもない。

 8000メートル級の山々。富士山を二段重ねにしたような山々ですよ。凄いっ!サガルマータの写真は撮れませんでしたが、自分の目に焼き付けてきました。

寝パール…

2017年10月22日 | Weblog
 前回は、オチでもないダジャレでもない、「寝パール」というワケが分からない締めくくりをしてしまいました。フォロワー数名から、「しばらくぶりに書いたと思ったら、締めが、寝パールかよ?なんなんだ!?」という、苦情を頂戴いたしました。おっと、見栄をはってしまいました。苦情は1件だけでした。

 実は、カトマンズに到着し、ホテルへ入ったのが午前0時という単純な話じゃなかったのです。どんな様子だったかといいますと・・・
 さて、カトマンズに到着。飛行機に預けた荷物を受け取りに、荷物が出てくるヘルトコンベアーのところへ行きました。カトマンズ空港の荷物が出てくるベルトコンベアーは、3箇所。
 不思議なことに、「クアラルンプールから着いたのだが、荷物は何番から出てくるのかね?」と、空港職員にたずねても、「うーん、分かんねえなあ。自分で荷物を見りゃ、わかるべさ」…オイオイ、ネパール、しっかりしろよ。
 たまたま、乗ってきた飛行機のクルーも荷物を受け取るべく、待っていたので、「何番から荷物が出てくるの?」と、尋ねると…
 「それは、私らには分からない。3箇所のうちのどれかだろ。私は、3番に賭けてるけどね。アハハ。この国で、そんな面倒なことを問うのは野暮だよ」…これだもんね!そうゆう了見だから出発が遅れる!クルーに当たってもしょうがないけどね。

 トランクを待つ事、20分経ち、30分経ち・・・あれれ?ベルトコンベアーが止まっちゃった!時刻は23時半。職員のみなさん、帰りはじめた!ト、ト、トランクは?
 「もう全て降ろしたよ。なぬ?オマエラのトランクが出てこないって?そんなこと、オラの知ったこっちゃない!もう勤務時間が終わったから帰る」
 帰りそびれていた職員を取り囲み、事情を調べさせたところ…
 「トランクは、クアラルンプールに積み忘れてあることが分かった。クアラルンプール→カトマンズは、1日1便なので、明日の同時刻の便でカトマンズに着く」
 「明日・明後日は、ポカラへ行っているから、トランクを受け取りに来られない」
 「それは、オマエラの都合。オラの知ったこっちゃない」
 「と、いうことは、ポカラからカトマンズに戻ってから…つまり4日後でなければ着替えも出来ない、ヒゲも剃れない、パンツは4日間はきっぱなし…。一番困るのは、薬だ。私は17種類の薬を馬のように飲んでいる重病人(コレ、ホント自虐的だから、言いたくないが、このようなときには主張しなけりゃね)だ。薬がなければ急死はしないが、痛みで歩行すら困難になるんだ」
 どう訴えても、通じる相手ではなかった。もっとも、一社員が「その荷物につきまして、このようにいたします」などと、言えるはずもないのだが。

 で、ホテル入った。歯磨きも出来ない。着替え?だからそういうものは全てトランクの中。パジャマ?もちろんトランクの中。パジャマを手荷物にして機内へ持ち込む奴はいない。
 成田を発ったそのままの服装でベッドに。着の身着のままで寝るのは、インド旅行以来。インドでもトランクが着かなかったのかって?インドのブータン門のある田舎町のホテルでしたが、ベッドが臭くて、汚くて、湿っていて…。汚いのも臭いのも得意な私ですら、パジャマに着替えて寝る気分になれなかった。

 まっ、そんなわけで、ネパールの初日は、「寝パール」という意味不明のフレーズが口をついて出たという次第です。

ネパールでチャンは飲めるのか?

2017年10月21日 | Weblog
 ヒョウ、サイ、ワニ、虎、キングコブラがいて、アミメニシキヘビ、象、水牛、ユキヒョウ、ナマケグマ、ナマハゲがいる。おっとゴメンナサイ、ナマハゲはいません。さて、この国どーこだっ?
 熱帯だろうって?熱帯という国はない。では、ヒント。三択です。
 1 ネパール
 2 バングラディッシュ
 3 パプアニューギニア
 パプアニューギニアだろうって?あのね、パプアニューギニアに、ユキヒョウはおらんやろ。虎も。なら、バングラディッシュだろうって?虎はいても、ユキヒョウは無理。
 正解は、1のネパールでした。それがどうしたって?じ、実は、ネパールへ行ってきました。自慢かって?私は、自分の行動について自慢したことはぁ…ないっ!…かもしれません。それはさておき、「ネパール=ヒマラヤ=寒い」 のイメージがあったものですから、プーマ、チータ、水前寺清子が棲息していたとは知りませんでした。そんなこと書いてないだろうって?はいはい、調子に乗って、棲んでいない動物まで書いてしまいましたワ。
 ネパールは温帯だと勝手に思い込んでいましたが、実際は日本の奄美大島とほぼ同緯度の亜熱帯でした。
 今回なぜネパールかといいますと、小2の真央ちゃんが、「私、ネパールへ行ってきたよっ!」と、教えてくれたからです。真央ちゃんの御祖父さんは、「ヒマラヤを描く画家」だそうで、年間半年はネパール在住なのだそう。
 私としましては、小2の真央ちゃんが行ったことがあるネパールに、古希を迎えようとしている私が行ったことがない…これは恥ではないが、おもしろくない。おもしろくないということは、「人権が守られていない」。しかし、この場合は、自分で人権を守ることが出来る範囲。よって、行くしかない。と、まあ、このような次第で、クアラルンプール乗り継ぎのマレーシア航空でカトマンズに降り立ったのでありました。
 本当の理由は、真央ちゃんと同じ経験をしたいということじゃないだろうって?ほ、本当の理由は、「チャン」ですね。チベット語では、チャン。ネパール語では、「ジャル」。早い話が、「どぶろく」。なぬ?日本航空と関係あるのかって?あれは、JAL。こちらは、ジャル。音がおなじでも、無関係。
 私がネパールを知ったのは、1956年5月に日本隊がマナスル登頂成功したときでした。マナスルは、標高8,163m、世界8位の山です。
 連日、「ネパール カトマンズ発AP共同…マナスルの日本隊は・・・」のニュース。当時8歳だった私の耳にも焼き付いておりました。

 成田国際空港で飛行に乗り込んで、2時間半後に飛び立った…よって、15時間かかって、カトマンズの空港に到着。
 成田で2時間半も飛行機に缶詰って、理由は何?ってかね?何の説明もないのが「マレーシア航空(10月14日、マレーシア航空0089便)」。CAも、「笑顔は職務には関係ありません」といった感じ。特に男性のCAは、「thank you」と言っても完全無視。私の容貌を妬んでの無反応か?きっとそうに違いない。
 カトマンズのホテル到着が、24:00。寝るしかない。寝パールってことで。