リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

「切られたら」リベンジすればいい。リベンジした方がいいものができる。パソコン自作への道「物語」

2007-07-20 23:21:47 | Weblog
前回パソコンのことを書いた。
今日はその続きである。

私はパソコンの黎明期のころから使っている。
そのころパソコンといえばほとんどN社が独占していた。

初期の「ベーシック」という言語しか使えない頃からである。
このころは、パソコンといえば自学するしかなかった。
ほとんどベーシックだったがマシン語もすこしかじった。

しかし、今とは比較にならないほど夢があった。
それは、このパソコンで何かができるという無限の「可能性」があった。
わずかメモリーは32キロバイトしかなかった。
だが、今から考えるとそのおもちゃのようなマシンに無限の夢があった。

それを我が国で一般に広く提供してくれたのがN社であった。

しかし、自分で学ぶのが当時のパソコンの世界だった。
だから、面白かったし楽しかった。

そんなパソコンを提供した、N社を信頼していた。
初代のキーボードと本体が一体となったマシンから、windows95が搭載されたキーボード、本体、モニターが別々のマシンになるまでずっと使い続けてきた。

計算したことはないが、ずいぶん「投資」してきたと思っている。

しかし、windows95になってからパソコンはどんどんブラックボックス化した。
分からないことだらけになった。

確かに、周辺機器を自動認識して接続すれば使えるようになったのはありがたかった。
だが、一度トラブルが起こるとなぜトラブルが起こっているのかが分からない。
しかたがないので、何度もユーザーサポートに頼った。

ところが、windows95のマシンを使い始めてから何年か経ったとき、N社のフリーダイヤルのユーザーサポートにつながらなくなった。
何度電話してもつながらない。
「おかしいな。どうしたんだろう?」
と思いつつ、何でだろうと思っていた。
しかし、問題を何とか解決する必要がある。



ひょっとすると、電話番号が登録されているかも知れないと思い、非通知でかけてみた。
すると一発でつながった。

今では、何を聞いたか、何が問題だったかも忘れてしまった。
だが、非通知ならつながるのだという強烈な印象だけが残った。

そうか、あれだけ「投資」したのにかかわらず、私は「切られた」のだ。

この強烈な体験が、その後のパソコン人生を決めたといって過言ではないだろう。

N社製はその後一切買わないことにした。
「切られた」人間が「切った」会社の製品を買うことはない。

その後、ノートパソコンの方が使いやすいと思って、S社製(20万円以上)やE社製(10万円以上)を購入してつかったが、周辺機器をつなぐと配線がスパゲッティ状態。
おまけに、「ふた」を閉めるとその上にものを置かれる始末。
液晶が壊れたら最悪である。

それなら、何とか自作しようと考えはじめた。
少しずつ勉強して、知人から情報をもらい、どの程度で自作できるか情報をもらった。
すると、意外と簡単に出来そうだということが分かった。
親切な知人は、スペック(CPU、ハードディスク、メモリー、メインボード等とその価格一覧表)まで作ってくれた。

その当時ペンティアム4という最高のCPUがあったが、これを買うと予算の6万円前後では収まらないのであきらめた。
今では、ちょっと無理してこれにしておけばよかったかなと思っている。

ちょっと横道にそれたが、パソコンの自作はプラモデルより難しいが、そんなに難しくはない。
市販のガイドブック(自作の本)1冊を一通り読み、予習する。
自作のパソコンキットには、親切にも作り方のビデオ(ずいぶん昔だ)もついていた。
ちょっと難しいのが、メインボードに付属する説明書を読むことだ。
これは、すべて英語なので何とか読みこなす必要がある。
しかし、これも全部読む必要はない。
重要な部分だけですむ。

何よりもありがたかったのは、N社から「切られた」という悔しさが、強烈なドライブになったことだ。
絶対何とかしてやるぞという、リベンジ精神だろうか。

事実何とかなった。
そして、2003年に完成後、一度もトラブルを起こしていない。
しかも、増設機器は簡単に取り付けられる。
私の場合は、内蔵型DVDドライブをヨドバシで宅配してもらい、大きなケースに収めれば実にきれいに収まった。
(秘蔵版「冬ソナ」もこれで見ている)
必要なときに必要な機器を増設し、みかけも美しい。

今では、N社に感謝している。
ユーザーサポートをしてくれなくてよかったと思っている。
そうでなければ未だに無駄なお金を「投資」し続けただろう。

※誤解のないように付け加えますが、N社の製品を買わないだけであって、N社の人たちに他意があるわけではないので念のため。