バックミラーなし自転車は「暴走系」
前回、ベンツをママチャリにする方法を書いた。
ママチャリにバックミラーをつけると、走行が安定することを書いた。
バックミラーのないママチャリは特に車道を走るときは、非常に危険である。
なぜなら、「車両」なのに「安全」に後方確認できないからだ。
ママチャリだけでなく、全てのバックミラーのない自転車について言える。
安全に後方確認できない「理由」については、前回書いたが、再度確認する。
人間の処理能力は一度に2ないし3つである。
ところが、バックミラーなし自転車で後方確認するときは、4つに増える。
(1) 前方の安全確認
(2) ふらつかないようハンドルを小刻みに切る
(3) 車体が転倒しないように、ペダルを一定速度以上になるようこぐ
(4) (1)~(3)のことを同時にこなしながら、さらに首を後ろに向けて後方を確認する
バックミラーのない自転車は同時に4つをこなさなければならない。
こうした自転車が、走行中の車の前に急に歩道から出てきたり、もしくは駐停車中の車両をよけようとして、車道中央よりに急に出てきたりして、接触事故や死亡事故を引き起こす。
バックミラーなし自転車は、明らかに「暴走」している。
その原因は、一度に3つや4つの処理を同時にすることは、普通の人間には出来ないからだ。
つまり、バックミラーをつけないため、車道ないしは歩道を走行して後方確認するとき、新たな処理が(4)1つでですむところを、(1)~(4)の処理までを新たに同時にしなければならなくなる状態にしてしまっているからだ。
言い換えれば、後方確認が加わることにより、「情報を安全に処理できないような無理な状態」をわざわざ作り出して、「車両」として走行しているからだ。
こうした自転車を私は「暴走系」と呼んでいる。
ハイブリッドでない単なるエンジン車も「暴走系」
ハイブリッドでない単なるエンジン車がなぜ「暴走系」なのか。
それはスピードをコントロールしにくいからである。
特に、発進時や減速時において。
排気量の少ないエンジン車においては、止まった状態から重い車を一定の速度まで引き上げるのに、エンジンを強くふかさねばならない。
それは、エンジンの排気量が小さいと、大きな力を発揮することが難しいので、その分をエンジンの回転数を上げてカバーするからである。
ところが、エンジンは、もともと回転数を上げるのも下げるのも難しい。
そのため、発進時のように大きな力を要するときは、どうしても非力のエンジンの力を補うために、どうしてもアクセルを深く踏み込みがちである。
コンビニなどに駐車しようとした車が、アクセルを強く踏み込みすぎて、店内に突っ込むというのは、そうしたときであると考えられる。
また、強くアクセルを踏み込む「癖」がついているため、あわててブレーキを強く踏む際にも強い力で、そのまま間違ってアクセルを踏み込んで「暴走」してしまう。
こうした場面でなくても、発進時ついついエンジンの回転数が上がらないため(プリウスならアクセルを強く踏み込まなくてもモーターの力も借りて、すーっと一定速度になれるのだが)アクセルを踏み込む。
こうした、場面で前車が急減速すると急ブレーキを踏まねばならない。
ところが、エンジン車はこうした場面でなかなかエンジンの回転数が下がらない。
エンジンが回転しようとする惰性が働くからだ。
つまり、急減速に弱い。
逆にこうした特性を利用したのが、急な坂を下るときに利用する「エンジンブレーキ」である。
エンジンの駆動力が車輪の回転と同期しているため、車を押し下げようとする重力の力に「エンジン」が一定速度で回転しようとする力が対抗して、車を制動する。
つまり、エンジン車はどちらにせよ人間が「制御」するのが難しい。
前々回の記事と前回の記事を書いて、よく考えてみると、いままでよくもこんなに「制御しにくい乗り物」に乗っていたなと、我ながら感心した。
走るに走れず、止まるに止まれず。
明らかに単なるエンジン車は、バックミラーのなし自転車と同じ「暴走系」である。
ママチャリなどバックミラーなし自転車も、車の単なるエンジン車も、同じ仲間の「暴走系」である。
世の中には、暴走系と非暴走系がある
こうして考えると、世の中には「暴走系」と「非暴走系」があることになる。
中間のものもあるけれど、単純化して考えることにする。
例を挙げると下の表のようになる。
暴走系 |
非暴走系 |
バックミラーなし自転車 単なるエンジン車 原子力発電所 初期のパソコン 自転車通行帯のない道路 ホームドアのない駅 ・・・ |
バックミラーあり自転車 プリウスなどバイブリッド車やEV 太陽光発電所 iPod touchやアイホン 自転車通行帯のある道路 ホームドアのある駅 ・・・ |
暴走系と非暴走系の最大の違いは、「制御」できるかどうかである。
そして、暴走系は制御できないか、しにくいので、制御に「弱い」ことである。
バックミラーなし自転車が、後方からの接近車両に対応できないのが「制御」に弱い一つの例である。
逆に非暴走系は、「制御」がたやすい。
アイホンやiPod touchがその例である。
「暴走系」か「非暴走系」見分けるこつは、
(1)スマート(賢い)かどうか?
(2)美しいかどうか?
(3)かっこいいかどうか?
(4)強いかどうか?
(5)パフォーマンスが高いかどうか?
(パフォーマンス:本来の語義どおり「完全に遂行すること」という意味で)
(6)費用対効果が高いか?
一言で言えば、割安か?
払った金額の2倍も3倍・・・・も効果を発揮しているか?
もちろん、これらにあてはまるものが「非暴走系」である。
多分、いろいろなもの、組織、国家などどちらかの範疇に入るのではないかと思う。
「暴走系」を間違って選んでしまったら、結果はどうなるか、多くのニュース映像やヤフーヘッドラインのニュースなどで明らかである。
「非暴走系」は「制御」がたやすい、つまり変化に強いから人に優しい。
究極の「非暴走系」は、アメリカの誇るバイク「ハーレーダビッドソン」だと思っている。
あのおなかに響いてくるような「ブォロブォロブォロブォロ」という低いエンジン音。
あの音を聞いて、逃げたくなる人はいない。
むしろ、どんな音楽より身体の芯まで快感を味わうことができる。
そのために、ハーレーダビッドソンに乗っていると言っても過言ではないのではないか?
そして、低く抑えられたスピードで「安全」に走行する。
(ハーレーダビッドソンが「暴走」しているのは見たことがない)
非暴走系すなわち、「制御」された究極の美の体現である。
ハレーダビッドソンこそ強さのシンボルである。
あなたはどちらを選びますか?
「暴走系」それとも「非暴走系」?
「非制御系」それとも「制御系」?
「コントロール出来ない系」それとも「コントロールできる系」?
次回は、この記事をさらに推し進め、我が国が戦前の軍部の「暴走」をなぜ止められなかったを書く予定である。
答えは、軍部と財閥ないしは企業が「利権」で結びついていたからである。
〇〇を占領したら、ここは〇〇が独占して工場ないしは、市場を独占するというような密約があったからである。
しかし、私はもっと深刻で重大な問題があったと考えている。
国民も、リーダーも、「歴史」をもっと深く読み解かなかったからであると考えている。
このあたりを次回は書く予定である。