朝日新聞10月9日(月)7面の記事
記者解説
臨時国会召集「内閣の義務」
によると、
最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)の4人による多数意見は、憲法の番人に期待されるものとはほど遠い内容だった。
とし、
国会議員に対する権利侵害はなかったとして、(憲法)53条について詳しい解釈を示さないまま訴えを退けた。
とされている。
この裁判で争われたのは、野党の議員が憲法53条の規定により臨時国会を内閣に召集することが出来るのに、当時の安倍内閣は98日間応じず、しかも招集日に冒頭解散したことで「国会で質問する権利が侵害された」
ことを争ったものである。
最高裁は何を誤ったのか?
そもそも国会で野党が質問する「権利」の侵害はなかったとすることを判決文に記載すること自体が誤りである。
なぜなら、質問する権利は野党議員個人の「権利」ではないからである。
質問することは、有権者を代表したものであるので、決して「個人の権利」ではない。
それは、「政治的権能」と言うべきであり、国会議員は票を投じた有権者全ての政治的権限と能力を行使しているのであるから、それを「議員個人の権利」と矮小化し、政治的権能を否定すること自体が誤りなのだ。
分かりやすく言えば、最高裁は国会議員の権能を国会議員一人の「権利」と言い換え、矮小化して否定したのである。
国民一人一人の個人の「権利」とは似て非なるものである。
最高裁の今回の裁判官4人は、それが分かっていながら「権利」という法律用語を都合よく解釈して、議員「個人」の権利侵害はなかったとしたのだ。
国会議員の「権利」ではなく国民の「政治的権能」を当時の野党議員は、安倍内閣によって否定されたうえ、今般最高裁にも否定されたのである。
言うまでもなく、国会議員の「政治的権能」は、国会議員個人のものではなく、国会議員に投票した国民一人一人から付託されたものである。
これを、安倍内閣と今般の最高裁は否定したのだ。
「これ」とは、もちろん国民一人一人が国会議員に付託した「政治的権能」のことである。
つまり、安倍内閣とこの訴訟に対する最高裁の判断は、訴訟を起こした国会議員に投票したすべての国民一人一人の「政治的権能」を否定したことになるのだ。
あなたが、この訴訟に加わった国会議員に投票した国民であったとしたら、(またそうでなくとも野党に回れば同じことが繰り返されることを考えると)、この判決は許せますか?
あなたの「政治的権能」を否定したのですよ。
安倍内閣の判断と最高裁の今回の判決は?
繰り返しますが、国会で質問する国会議員個人の権利ではなく、国民一人一人の「政治的権能」が「否定」されたのです。
国会と司法の場の両方で。
あなたは、これで民主主義が機能すると思いますか?
少数意見を封殺する政治と司法で。
これは、戦後日本の民主主義政治の危機です!
あなたが立ち上がらなければ。
来る衆議院選挙の際行われる、最高裁判所裁判官の国民審査であなたの「政治的権能」が「否定」された裁判官5人のうち4人に×をつけることこそが、あなたの「政治的権能」を果たす行動なのです。
最高裁の裁判官4人は、我々国民一人一人に、「政治的権能」なんかないと見下しているのではないでしょうか?
だとすれば、我々国民一人一人が、最高裁判所裁判官の国民審査の場で、堂々と否定された「政治的権能」を行使しようではありませんか。
前回のブログ(下記)に、第三小法廷の5人の裁判官について記載しましたので、ご覧いただき、あなたの「政治的権能」を行使してください。
民主主義について間違った最高裁の判事を続けさせますか? 野党の求めに応じて臨時国会を期限の20日を過ぎて3か月間も招集しなかった当時の与党をそのままつづけさせますか?
もちろん、冒頭の朝日新聞の記事にも記載されています。