「宝永爆発」は御存知だろうか?
これは1704年に起きた富士山の大爆発である。
この問題は、農業生産問題は30年もかけて改善したが、河川の土石流問題は半世紀も影響が残った。
この時風は西風で、東に向かって火山灰が飛んで行った。
100km離れた木更津で8cm以上も積もったのだ。
12kmの圏内では3mである。
これは吉宗の治世に続けられた改革と同時に改善が進行したのである。
英雄たちの選択でも出てきたのだが、この関係は最初募金を求めたが、横流しされた。
五代将軍綱吉の中の失策の中では屈指の愚行である。
西田敏之が主演した大河ドラマ「吉宗」の中では、何もそんなの見なかった。
吉宗の享保の改革は、中興の大改革だったが、享保4年には享保の飢饉が発生した。
黒字化した幕府財政は赤字に戻った。
その後暫くし、様々な改革を終えたのだが終わり方がよくなかった。
それは「側近政治の再復活」であり、二代目のそれが田沼意次である。
実は、武家が尊敬されなくなったのは、この田沼意次以降の話で、その発火点になったのは、商人優遇政策だった。
これにより「貧富の格差」が拡大し、また、公的義務としての商人の支出は、儲けに比べると圧倒的に少なくなり、吉宗の改革を駄目にして余りあった。
それ以上に酷いのが、その後発生した、天明の飢饉1782〜88で、これは打ち壊しなどの大問題を発生させた。
ここで長谷川 宣以(のぶため)こと平蔵が加役(火付け盗賊改め方)に任命されたが、その年1787には飢民が打ち壊しが江戸全体に広がり3日の間無政府状態だった。
長谷川 宣以が、鬼平となって活躍したのは、この頃飢饉で、生活の糧を失った飢民達やその子孫であった。
その時には「食うか喰われるか?」の様子で、到底、生きていけない世界だった。
それを分かって見るのと、知らないで見るのでは、到底、その感覚は違う。
それこそ、より深く、より広く、鬼平犯科帳を知る事が出来るだろう。
作者は、いや鬼平を放送した蛆虫テレビは、どの程度、実感していたのだろう?
Wikiのみでなく、政府機関からの報告書がPDFで出ている。それは読み応えも有り詳細もある。
それは現象のみ扱ったもので、その他、生活などの物資についてや市場の影響などは手に入っていない。
暴れん坊将軍などに付いてもそうで、偉大さを引き出すには艱難が無ければ意味がない。
実際の生活や繁栄何かが、守貞漫稿で分かっていたつもりが、さっぱり分からなくなった。
どうして、人々は暮らしていたのか?まぁ嘘と捏造で報道とかしているマスゴミが、考える筈が無い。
やっぱり自分がやって、生活を見ないといけない。
歴史的に有名な事実の詳細が分かっていない。
その事実を知る今、マスゴミの「見え透いた、捏造偏向報道」に尚更怒りが込み上げる。
楽なもんだな、糞馬鹿文化系大学出でテキトーなゼミをテキトーに受けて、仕事は現場が教えるって、その前の過去を知らないで、それで、記者か?
大笑いだ。
今後、マスゴミの糞喰い(記者とも言う)の並べた文字には事実は無い。
無駄な文字は書かないで貰いたいものだな。
命令をしたいぐらいだ。
いや命令ができるなら、死刑をくれてやるほうが早いか?