歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

毎度小和田節は心にしみる。さかのぼり日本史以来、この先生の解説は良いですよ。英雄たちの決断「井伊直政」を見ていて思う。クラウゼヴィッツの兵法を知る者が分かる世の中を。

2017年06月22日 20時44分19秒 | マスゴミによる日本経済破綻計画阻止委員会

って事で、今度は兵法です。

孫子も孫臏の兵法も司馬法も尉繚子も持っています。

何処までやねん!と呆れる人も多いでしょう。

で、今日の井伊直政の関ヶ原の布陣を今日見た分では、メッケル少佐が「石田軍が勝つだろう」と言ったのに対しての回答と思った。

まぁ陣形を見て、メッケル少佐は鶴翼の陣の左翼が大きな斜線陣でもあった。

プラタイアイの闘い以来の起動包囲戦術の定番である。

ただ唯一斜線陣の左翼軍と中央陣の連携が弱かった。

狙うのは此処だろう?と思ったら、思った通りに動いた。

多分井伊直政は福島正則が「抜け駆け」を怒り、その後を追うことを考えただろう。

これにより東軍の左翼は壊滅する恐れがあったが、多分敵の斜線陣を破って、おそらく左翼の背後に回ることを考えていただろう。

そこから先は孫子の「兵の流れは高きから低きに付く」つまり、抵抗の強い西軍の中央部が攻め難いから必然的に直政の後方に繋がる。

それにより福島軍が崩れて敵左翼軍の包囲に自然に流れるだろう。

これこそがナポレオンの戦術の最たるものだ。

ナポレオンは伝令を殆んど使わず、騎馬の動きで軍の動きを主導した。

ナポレオンの先陣は往々にしてボロボロになる。だがなっても必ず補給を繰り返す。

ナポレオンは遊兵を作らないので有名で、戦勝するが、必ず兵士は疲れ果てる。

ワーテルローの戦いでは、鈍足の怯懦で名を馳せるウェリントンが珍しく上陸してナポレオンを迎え撃ったが、討たれたというのが正しかろう。

ウェリントンは、亀のように防衛していただけだった。

時に及んで、主将ブルッヘルは敵弾に倒れて、副将グナイゼナウがナポレオンの別働隊に追われているのを巻いて、直行していた。

わずか百騎程度の部隊だが、森林を抜けた真ん前にいたのが、ウエリントン軍に突撃を繰り返すナポレオン軍だった。

グナイゼナウは「突撃!」と進撃の巨人の最終回のような突撃で、これを瓦解、ウェリントンと共同して、ナポレオンをクロスファイヤーポイントに起き、徹底的に叩いた。

その後のナポレオンを追撃したのは披露の極に達していたグナイゼナウだった。

彼は、井伊直政が島津を追ったのと同じように、続く騎馬が15騎になるまで追い続けて、ナポレオン軍の敗退を決定づけた。

だから、井伊直政が死物狂いで追い込んだ姿が、ありありと目に浮かんだ。

漸く、関ヶ原の闘いが分かった。

これなんだ。

「学びてかつ、これを習う、また嬉しからずや」とはこれだろう。


元自民党・豊田真由子議員の離党、此処は笑うしか無いよ。カフェスタ!出番だ!「馬鹿話、平らに生田に勝る無し」いや?「下る下(舌)無し」か?

2017年06月22日 19時49分19秒 | マスゴミによる日本経済破綻計画阻止委員会

何かTVがつまらないと、最近はついつい自民党のネットカフェ月曜の平らに生田の掛け合い漫才を聞いています。

ブレグジットの「舌先三寸」は結構受けが良いようで、まぁ真面目に読まれている方も居られるようで…、

…かたじけない。(春日風で願います。現物も結構似ている。)

さて、その後書きでも書いたように、私は機械工学の振動工学が専門で、信号制御屋と言う「辺鄙な分野」に特化しているんですがトランジスタ技術とかインターフェースの中ぐらいの腕の、いや下の上ぐらいかな?まぁそんな程度のギジツ屋です。(技術と言わない所が江戸っ子だねぇ〜。九州もんだけど。)

歴史も、政治も、世界情勢も、取り敢えず興味がある博物学的能力は、荒俣、唐沢に及ばず也!ですな。

さて、豊田真由子を見ていて、まぁ怒号を聞いて、久々、中島みゆきの「悲しみ泣き笑い」を思い出しましたよね。

「だから笑い続けるだけよ愛の傷が癒えるまで、喜びも悲しみも忘れ去るだけぇ〜」

私は今どきの中島みゆきより20年前の圧倒的ファンです。

「糸」よりも「成人世代」が好きな男です。

まぁ実家では「異国」の様な生活をしております。

中島のファンなら知っているよね?

まぁ豊田真由子に関しては、言う事はなく、ただ、落首を3つ

「見分けの付かぬ3つあり、諦め、投げやり、世の達観」

「精神の均衡保つにゃ今我の自嘲と皮肉の匙加減、自嘲は飲むもの呑み薬、皮肉は貼るもの貼り薬」

「幸せの形は猫の寝顔に似て」

あの怒号は「許せない」と言うもので、私もクタバリやがった糞親父に「意味もなくボッコボコ」にされましたので、まぁ北野武流の論法では子供を殴ることになるのだが、私は甥や姪に殴られることはあっても殴ることはない。

いい人でしょう?

そう、よく女の人からそう言われて、今も独身です。

死のうかな…。

明日…。

まさか今も中島みゆきの歌を聞いて涙する人生を送るとは思わなかった。

でもねぇ〜。

心沁みるのよ。

さて、基本的に私の思う事は、さっきの落首が、まぁ回答だと思う。

諦め、あるいは、投げやり、あるいは達観と言う「自己完結」はある程度無いと、爆発する。

また、自分の失敗をぼやきながら認める自嘲、自分だけじゃないという一般化と言い逃れ皮肉。

そして、ほっとする心を持つこと。

さっき、いつも私を警戒している(何もしないけど野良だから)猫が車の下で寝ている寝顔が真正面に見えて、まぁ最近ずっと見る事が多くて。

私も理が先について、無理矢理ってのに、なるんですが、それが最近血圧的に耐えられなくなり、まぁ「見分けの付かぬ3つあり、諦め、投げやり、世の達観」となってしまいました。

あの爆発は「孤独」なんでしょうね。

だから、まぁ、ああなっちゃったんでしょう。

私も、別に誰が居るわけでもない。

あの年でも闘っているって大変ですねぇ〜。

今、英雄たちの決断「井伊直政」を見ていますが、井伊直弼の運命をいつも思い出します。

彼は部屋積みで、それを達観した彼は人生を「茶歌ポン」で過ごすと決めたのです。

茶道、詩歌、鼓の3つで、諦めた人生です。

諦めたけど、死んだようでは嫌なので、この3つに懸命になると言うのです。

そんな彼が、老中筆頭になるのです。

最初の茶歌ポンも覚悟なら、老中筆頭も覚悟です。

彼の自領での善政は、彼の理想の政治でした。

でも豊田真由子議員の理想ってなんでしょう?

私は人から注目はされるのです(まぁ自分で言うのも何ですが、迫力は凄いですよ。まぁ負けない)、ですが、勝手に最初から私を嫌いになる面々(だいたい糞野郎ですが)も多くて、自分で何でもやるタイプです。

例えば、核爆弾は作れます。巡航ミサイルも作れます。ただ潜水艦とかは作れませんね。

ただ、もう思い知ったのは、色々な理屈を私の共通認識を持つのってのは、大分難しくて、大学の先生相手にも(工学)「わからないかなぁ〜」とイライラする事が多いのです。

まぁ私の場合、最近ツールが増えて、高性能なフリーウェア、マイクロプロセッサ、最新型センサーと日々「わからなくなる周り」に対して「理想が膨らむ自分」とのギャップに参っています。

私には、女縁は無いでしょうが、技術の縁は残っており、まだ生き恥を晒しています。

そして、理想も日々小さくなりますが存在しています。

何か荘子みたいですが、まぁそんなものでしょう。

いつか身の程に合う程の理想になって達成できるんでしょう。

だから理想の大きくて圧力に潰されそうになって、諦められない人は不幸です。

それは今日のBSドキュメンタリーのパオロマッキャリーニの様に「周りの人で誰か止める人はいなかったのか?」とテレビであった言葉が口を付くのです。

パオロマッキャリーニに関して言えば、基本的に免疫医療者から「馬鹿」と断定されています。

もっと言うと「身の程に合わない夢を持った愚か者」となるでしょう。

幾ら強弁しても、免疫学者は手の内は全て分かっています。

二度と移植医療は出来ないでしょう。

また学び直すなんて出来ないでしょう。

もうやり直しが出来ないのです。

一方で華々しい成果が出てきます。

それはiPs細胞の関連でしょう。

そしてその成功は、彼の失敗を微に入り細に入り論うでしょう。

何故なら、それらは免疫学的注意点となるからです。

科学は、そう言う意味で、徹底しています。

まだ文化系は逃げようがあります。

豊田真由子議員にしてもパオロマッキャリーニ医師にしても、過去を考えてもどうしようもないのですが、それを何時諦めるのか?

それまで苦しむのでしょう。

誰も助けてくれません。


狩りは終わった。「カリスマ医師の隠された真実」の準備不足な「人体実験」を拙速に行ったパオロマッキャリーニ医師の追い詰められる「狩り」は…。だが、その一方で。

2017年06月22日 17時54分50秒 | マスゴミによる日本経済破綻計画阻止委員会

実は、このおっさんの問題はNHKに昔あったドラマにそっくりだったのだが、見事に誤魔化しが利いていたって言うか「一人しか死んでいない」から逃げられたのであるが…。

まぁ女子高生が生き延びたっていう言い逃れが出来るのであるが、実際には無理だろうと思う。

実は骨(「ほね」と言わず「こつ」と医学関係とコンクリート関係は言うのである)は、皮膚と違って体内組織であり、免疫的ハードルは「内蔵」と同じレベルで存在する。

加えて、固定され続けていると、思い込んでいるだろうが、骨芽細胞と破骨細胞は極めて活発であり、それ故、免疫的活動が同様に強いのである。

それは呼吸器官も同じで、例えば肺の組織は、心配移植の際に一番注意する場所である。

それもそうだんだけど、まぁ「カリスマ医師の隠された真実」の「おっさん」ことパオロマッキャリーニ医師は、まぁ偉そうな事を並べてホザイているが、まぁ理研(の利権)の関係者は怒っているだろう。

まぁ最近「スタップ細胞はあった」とまたホザク奴が出てきたが、これは小保方のデータの出し方が立派にパオロマッキャリーニ医師で、マジな話、実験の根拠となるデータが希薄である。

あの、まぁ私も大した事無いと言うと担当教授に失礼なのだが、まぁ行動自身は、今のシステムを使えば本当に手を使った最後の時代ですね。

アナライジングレコーダーがほんとに羨ましかった。今では、計測システムを自分で作れるぐらいになっている。

そんな事を考える以前の、そうADコンバーターが欲しくて欲しくてしょうがなかった30年前。それに比べると今はどうだろう?

でも、そんな中、データの重みってのが無いね。

って言うか、私はクッソ長いデータの山の中で現象の発生を探して探して、プロットしてプロットして、そう、まだエクセルもない時代だった。

そう、方眼紙に書くのです。

当時、グラフテックのプロッタが本当に素晴らしい道具として映りました。

今でも、まだ対数グラフのトレーシングペーパーが出て来ると「ああ、年喰ったな」と思うのです。

私は、あのパオロマッキャリーニのおっさんに「いいか!まともな研究者は、データを、ホント、クソみたいに取るんだよ!その根拠なしに、糞みたいな無駄足を踏まない限りに於いて、ちっぽけな研究すら出来ねぇんだよ!出してみろ!データの山を!見せられないなら、偉そうなことホザクな!ペンレコのデータで六畳部屋が埋まるぐらい俺は取ったんだぞ!」

今となってはSDカード1枚に入るのにね…。

何か虚しい…。

今って、本当に凄い時代…。

思えば、そう反抗ばかりして省みない文科症(だって省みないんだもん、ねぇこの字でいいでしょう)と違って、最近省みる事が多い…。

明日でも首吊ろうかな?と思う昨今…。

パオロマッキャリーニを責めてばかりもいられないねぇ〜。

だって、今日、全漁連のブックブクのでかい面と態度だけの、北朝鮮に「交渉せよ」と偉そうにホザイテイた爺を見ると、本当に恥ずかしい…、ああ、こんな奴殺してやりたい…。

交渉できる相手じゃないだろう!それぐらいもわからない全漁連、取り過ぎで、漁獲コントロールも知らない全漁連、馬鹿の集まり以下の全漁連。

まぁマッキャリーニがバッキャローねと皆んな分かっているだろうけど、もう一方で、これは「小保方以外」は「ソコソコやっている」筈の「理研(の利権)」(しつこいねぇ〜)はどうなのか?

これは、実は日本の理研以外の利権団体(いや、これはホントそうなのよ、獣医師会と同じで)がありまして、医学機器の開発が危機(ダジャレじゃなくて)なんですよ。

まぁバイオ創薬も「頭の悪すぎる糞馬鹿文化系大学出」のMFだったっけ?の発言権がバカ高くて武田製薬や大正製薬が全く20年間放置してバカ面さらしているが、今東芝などで有名だった新規の医療機器開発が「サボタージュ(いよっ!九州大学名物!)」で遅れており、将来の医療計画では、機器の輸入の費用増加が官僚の算定項目に入っている。

これ、事実。深刻な事実。

で、(利権の)理研」はどうなのか?と言うと、ここまでしっかり研究しているけど、まぁ角膜の生成と移植は終わったけど、その後の話をあまり聞かない。

それは、まぁ日本の場合「慎重過ぎて」ダメなのと「訳の分からない決まり」を糞馬鹿な官僚は捏造して、それでダメってのがあって、iPS細胞の研究は、妙な世界になりつつある。

それを馬鹿?と言えるのは外野であって、それを伝えるマスコミって日本に無い。

日本にはマスゴミはあってもマスコミはない。

放言や捏造はあっても報道は無い。

マスゴミが「報道」と「捏造する」ものはあっても「真の報道」は無い。

日本の医学も工学もソコソコ以上に頑張っているが、妙な奴ら(九州大学とか文科症とかね)が邪魔をしている事実もある。

まぁマッキャリーニ程度なら、私が問い詰めて叩きのめすぐらい幾らでも出来る。

悪いが奴以上に免疫知っている自身はある。

例えば人工臓器ってのも、色々見てきた。

今だって、本当に色々やっていたりして、びっくりする。

人工心臓も最初は、脳出血が連発していたのが良くなって、どうなっているか知らないけど、何時の間にか、カルシウム沈着が問題となっていたりして、それも20年ぐらい前にね。

今は人工心臓どうなっているのだろう?また、マッキャリーニのあれに比べたら、人工血管から気管支を何とか出来そうぐらい思わないかな?

でもねぇ〜。最近は分かってきた分、ああ、カロリンスカのスッカスカバカ集団と違って、日本の場合、認証や安全性根拠試験が山の様になっている。

これは前のブログでも書いたが、今正露丸程度を売り出すのも百億ぐらいは掛かるだろう。

何故なら、申請書類の束が凄いのである。

だから「健康補助食品」が多いのだ。

だが、それが「確実です(大東建託っぽく言おうね)」って言う創薬の問題でもある。

正露丸の百億は「完全に大丈夫」って分かっていても今なら出させかねない「経費」なのである。

マッキャリーニを悪いと簡単にホザケるのは、脅威のバカ集団「全漁連」ぐらいだろう。


自民党ネットTVカフェスタ月曜日の生田よしかつ氏が度々見せる「スピードラーニング」関連の「みょ〜な発音拘泥」。それこそが一番悪い。英語習得に一番近いのは「発音無視」である。

2017年06月22日 17時18分28秒 | マスゴミによる日本経済破綻計画阻止委員会

この最たるものが「インド人の英語」である。

インドは共通語の一つが英語である。だから英語は国語の一つとして学ぶのである。

1年ぐらい?2年かな?

大体世界標準は1年から2年となっています。

大体それで喋れます。

でも日本は出来ない。

これは口から出る寝言は全て捏造であると、チョングソと酷似した下劣な品性の「にっきょうくそぉ〜」の「無能」によるためである。

あるいは文科省次官の「前川的」なこれまた、口から出る寝言は全て捏造であると、チョングソと酷似した下劣な品性に依る為だろうか?

私は文科省は解体されるべきだろう。

文科省が今の形で存在する限り「英語」は日本人は永遠に喋れなくなるだろう。

その基本は私が無視し続けてきた「発音記号」と「イントネーション」を紙に書いてあるのを前提に「みょ〜ぉな」発音をさせていた。

実はウチの高校の英語の狂死は「口が臭い臭いチョン」だった。

その後自慢の発音は「口同様臭い臭い」ものだった。

さてインドはどうだろう?

インドの英語は毎度「最低に近い」と言われる。

実は「Th」の発音を「Θ」の記号通りではなく「てぃん」と言うのである。

これはインドの言葉が「Θ」を発音しにくいからである。

またアラビア語は「u」に相当する発音が「元々無い」ので「ナカナカ話せない」のである。

だがアラビア人が10年も英語を学ぶなんてない。

1年で大体終わるのである。

それは「完璧でなければ全面否定」と言う「出来の悪い嘘吐き集団の寝言である。

それは文法も、発音も、ヒアリングもである。

その結果「誰も英語を話せない、話す前、聞く前に逃げ出す」と言う「精神的忌避=英語アレルギー」を「植え込む」事に延々と成功し続けている。

どうだろう?どうせ2020年を目指して文科省マターは積み重ねられている。

お目出度い小池ボケヴァヴァァ百合子は、オリンピックの関係の責任を大分背負わされるだろう。

だが、それを除外しても文科省の前川などの行動を含めた省の全体としての公正性が無い事と公然と政権に反抗した結果、加えて、その理由が当然公正とは言えないものだったので

処断されるだろう。

私は政府の方々に提案する。「文科省に面白いゲームをさせてはどうか?」

文科省は無能だ「英語」を10年も学んでいるのに話せない。これが実態としての証拠だ。正当性を言うなら「英語」を1年で皆話せるようにならなければならない。

これは世界の何処でもこの程度であるから「無謀な」ことではない。

これが「無謀」と寝言をホザク時点で、文科省は「有害」であると断言できる。

そして「英語を話せなくする調教」を続けてきて反省しない文科省なんか「いらないで省」と今のうちから始めては?

お粗末だったで省か?

昔っから「お粗末」だったし、今も「お粗末」で省。

そして反省はしなくても、反抗はするのです。

文科省は「省(かえりみる)」と言う「学問の基本」を捨てた「どう省もない」連中でした。


何か俺のブログってコピペされレポートにされていそう。特にさっきのブログは本当に「ブレグジットについて論じよ」の最たるものだ。これをリビドーでなぐり書きで此処まで書いた俺って…

2017年06月22日 17時03分49秒 | マスゴミによる日本経済破綻計画阻止委員会

まぁ私も色々やっていて、機械工学では振動騒音が専門で、プログラムをやるようになって、前々からメカトロの横好きで、実は、きちんと専門教育を受けた事がない。

嘘と思う向きも多いと思う(私の知り合いでは)が、私は電子工学は「下手の横好き」で、此処まで来た。

まぁそれでも新たな言語習得は面倒になり、ついつい、論文ぽいブログを書いていたりする。

そんで放送大学は、時折私のハートに響くものがあり、今日の「奢侈論」はバッチリ嵌った。

昔、漫画「天才バカボン」でハジメちゃんが「僕論文の続きがあるもので…」とバカボンのパパの誘いを断ったシーンがあったが、実は、それと似たような事を私もしているのだ。

私は適当に書き殴っているだけなのだが、何時の間にか、定番の「寝言ブログ」として認識されたのか?

まぁPVは2000位ぐらいを続けているが、時折大ヒットが出ていてくれる。

5年ぐらいかな?いやもっとか?継続は、そこそこの「見てくれる人」を呼んだようである。

それ以上に、見てくれる人のお陰だ。

コピペしてレポートで提出する向きも、その一人であろう。

ただ、このブログをレポートとする場合、私の記憶がベースとなっているので、文献等の名前や番組名とかが抜けている。

つまり「レポート」とするにも「出来としては良くない」事を予め「言い逃れ」しておく。

ごめんね。