DaNang お天気 Blog

ベトナムの中部ダナン市より毎日のお天気と身近な情報をお届けしています。
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[つぶやき] バックを変えました

2007年09月16日 | つぶやき
バックを変えました

最近小難しいことを書いてるから海のバックだと読みにくかったので
ちょっと記事部分はシンプルに変えてみました

そろそろ老眼なので書いてる自分がつらいのよ。。。

[歴史] HIEU VAN女王は、のちのNGUYEN THI GIAI女王

2007年09月16日 | 歴史辞書
昇るHIEU VAN女王はのちにNGUYEN THI GIAI女王を名乗る
*shiro注1:MAC氏から廣南NGUYEN氏へ

女王は1578年虎の年Hai Duong省 Nghi Duong村でMAC KINH DIENの長女として生まれました。 MAC KINH DIENは生前彼女を彼の弟、MAC CANH HUONGの家に置き去りにしました。 北部のMAC家に対する弾圧の頃は、MAC CANH HUONGと彼の家族は、Quang Tri省の南部に非難して、寺の中でだれにも知られないよう生活していました。 MAC CANH HUONGのおば、MAC PHUC NGUYENとして。 彼女はしたがって、儀礼に合う彼女の礼儀正しさと優しさから彼の高貴な夫の崇拝を得ましました。 彼女はNGUYEN家に捧げられて、MACがNGUYEN THI GIAIになりました。 1630年の彼女の死の後に、主のNGUYEN PHUC KHOATにより『魅力と礼儀正しさの夫人』と称され、魅力、礼儀正しさ、および調和の女王として. 彼女を奉納しました。 彼女のために造られた墓はVinh DienのChiem Son山、Duy Xuyen地区、Quang Nam省に位置しました。 彼女はSolar Templeに一緒に祀られています。

*shiro注2

>墓はVinh DienのChiem Son山、Duy Xuyen地区、Quang Nam省に位置

これはシルクの女王の墓の近くだと思われます

*shiro注3
MAC THI GIAIと称される場合もあり、NGUYEN PHUC NGUYEN の妻でNGUYEN PHUC LAN の母

*shiro注4
NGUYEN PHUC LAN はシルクの女王の夫


Rising Queen HIEU VAN.

Born in the year of tiger, 1578, at Nghi Duong Village, Hai Duong province, the queen was the eldest daughter of Lord MAC KINH DIEN whose early death left her for the family of his younger brother, MAC CANH HUONG. At the peak of the search against the MAC families in the Northern part, MAC CANH HUONG and his family ascaped into the Southern land and continued their living unknown to anybody at a pagoda in Quang Tri Province. As MAC CANH HUONG'S aunt, MAC PHUC NGUYEN. She gained his noble husband's adoration from her decency and tenderness so fitting to the rites. She was dedicated by the Lord with his family name of NGUYEN. and Lady MAC became NGUYEN THI GIAI. After her death in 1630. she was consecrated as DOANH CO with the virtual name of NHA TIET. and then as HUY CUNG TU THAN THUAN PHI (the Lady of fascination and decency) by Lord NGUYEN PHUC KHOAT, as HUY CUNG TU THAN ON THUC THUAN TRANG HIEU VAN HOANG gau (Queen of fascination and decency and harmony). The Tomb of Vinh Dien, built for her, was located on Mout Chiem Son, Duy Xuyen district, Quang Nam province. She was co-altared at the Solar Temple.

[歴史] DUC TINH女王

2007年09月15日 | 歴史辞書
もっとも古い女王 DUC TINH女王

女性の中の1つは王政復古のNguyen Thi Mai は Le王朝の人でした。彼女の人生は中央ベトナムのNguyen王室の基礎を形成しました。 王国のサービスにおける上位の娘として、Nguyen Minh Bienの命を受けました。Pham Xa District、Hai Duong省から、彼女はLe王によって伝統的な正当な妻とされました。彼女はLoad Nguyen UongとLoad Nguyen Hoangの生みの親でした。

Duong Chap NhatによるNguyen KIM 暗殺の後に、彼女は死に『勇敢な人間味がある美徳の夫人。』として Nguyen Phuc Khoatによって公式に認められました。 またGIA LONG帝の代に『勇敢で人間味がある美徳のDUC TINH女王』と称されました。
彼女はロイヤルTemplesにNguyen kim 王と共に同じ祭壇に祀られています。


[歴史] Gia Du 女王

2007年09月15日 | 歴史辞書
Ascending Queen GIA DU
上り詰めた女王 GIA DU。

Trinh Kiemによって引き起こされたNguyen Uongの殺害は主のNguyen Hoangが遠く離れたThuan Hoa領域の卑しいポストのために、彼の年上の異母(父)姉妹Ngoc Bao(Trinh Kiemの妻)の計略で行われました。 そして、恐れたGIA DU女王は彼女の高貴な夫がいる陸の南部で彼女の人生を始めました。

二度彼女を奉納されました、Load Nguyen Phuc Khoatによる一度「公正と神の夫人」、GIA LONG皇帝「公正、神、および清澄を大切にした夫人」と命名されSolar Templeに祭られている主のNguyen Hoangと共に同じ祭壇の上に故GIA DU女王は祭られています

<機械翻訳+α>


[気温34℃][晴れ] Khai Dinh帝廟

2007年09月15日 | 見どころ

今日は一日ジトジトっとして
さらに気温の高い日でした
暑かった~
なんか内側から暑いというか
常に風呂上りみたいな日でしたねぇ

これって今、日本に向かっている台風と
その次に控えている台風の子供のせいかな?
この時期にこの調子だと今年は10月頭に台風来ないかもね

いや確証は無いけどそんな気がする
日本に台風上陸で騒いでいる頃には
こっちに台風来てなかった気がするので。。。

今日の写真はHueのKhai Dinh帝廟
この廟は他の帝廟や建物と違ってかなり洋風です
日本の大正時代の建物に似ている気がします
しかも外装はモノトーンでシック
その代わり内装は。。。。

フエに来たら見逃せない帝廟のひとつです


[歴史] Cau Hoang 説 追記9/15

2007年09月15日 | 歴史辞書
このところ頭を離れない謎の遺跡
今日フエのベトナム人たちから新たな意見が出た

『あれはCo Hoan(♀) じゃなくて Cau Hoang(♂)の墓だよ』

え??Cau Hoang(♂) って誰?

『Cau Hoang とはNguyen Hoang だよ』

え? Nguyen Thi Hoan じゃないの??

例の辞書で調べてみました

Nguyen Hoang 1525 - 1613

NGUYEN HOANG はNGUYEN KIM の2番目の息子で末っ子
Thong Nguyen 4 (26-9-1525)旧暦8月10日酉年生まれ。
Hoang Dinh 14(20-7-1613)旧暦丑年6月3日没。
当初、Quang Tri省Hai Lang(海丘)村Thach Han山に埋葬し、その後現在はフエし省Huong Tra県La Khe村にあるKhai Vanと呼ばれるかつてのLa Khe山に改葬した。丘の名前はTrung Co(広く展望の良い丘)。Nha Le tang thuy Cung Y.(眠る家を贈った?)。tuoc Can Nghia cong,象眼細工の意味の爵位(?)、またquan ton thuy Can Nghia Dat Li Hien Ung Chieu Huu Dieu Linh Gia Du vuong;(この王を象徴する美辞麗句らしい)、王と自称するNGUYEN PHUC KHOAT (1714-1765)が名づけた"Liet To Trieu Co Thuy Thong Kham Minh Cung Y" Can Nghia Dat Li Hien Ung Chieu Huu Dieu Linh Gia Du と王が替わった。GIA LONG王が即位しGia Du皇子は王朝の創設者の称号の廟を正しい王室の祖先の寺として礼拝した。夫人にははっきりとした姓名が無かった。Thanh Hoa 出身でNGUYEN PHUC KHOAT の調べではLuong Quang Thuc Y妃の祠、GIA DU皇后はGIA LONG帝が名づけたLuong Quang Thuc Minh Duc Y 宮(公正、神、および清澄を大切にした夫人の宮)に眠る、、Vinh Co廟。彼女はNGUYEN PHUC NGUYENとの間に一人の男の子をもうけた。どの夫人に関しても定かなことは無い。しかしNGUYEN HOANGには10人の男の子と二人の女の子がいた。

NGUYEN HOANG は聡明で慈悲深く、dang nguoi khoi vi(人間型楽器を弓で弾く?)
2歳の年(1527)、父がAi Laoを越えて避難、叔父のNGUYEN U KIと共に父と家に居た。NGUYEN KIM(1468-1545)以来、UONGとHOANGは度々父と一緒にcam quan danh mac(砂漠で軍隊と戦った?)した。UONGは労働の行政区を任された、HOANG はHa Kheに仕えるよう任命された。1545年 NGUYEN KIM が病により孤独の死を遂げた、UONGは父の代わりに将軍になった、しかしTRINH KIM に暗殺された。HOANGは相変わらず領兵だった、 cam quan danh mac(砂漠で軍隊と戦った?)はthanh Hoaに居た。年号Thuan Binh時代(1549-1566)LE TRUNG TONG王は”虎子爵”と褒め称えた、家柄から労働の行政区の関税役になった、将軍の地位を得た。疑いを持つようになり調べる、更に嫌う、HOANGは不安になり心配した、NGUYEN U KIは叔父と共に国の労働者官吏の役職に満足するが(主語がわからん!)、姉や義理の息子にThuan Hoaで私に更に多くの警護をつけるように求めた。そして了承した。1558年午の年10月、NGUYEN HOANG 弟(妹)の子供を案内する、多くの人々は勇気と信望を持って忠誠しDai An入り江を開いた、冬の海を一気にまっすぐに進みViet入り江に入った(またはAn Viet、Yen Viet)、到着をもったいぶったのでVu Xuong県(現在のQuang Tri省Trieu Phong県)Ai Tu村の軍隊はThach Han川のあぜ道で苛立ちを覚えた。

NGUYEN HOANG は北部からの指令本部(忠義館と呼ばれた)を収容し国土の平定に努力をした。Nguyen U KiがThanh Hoaの外で人々を困らせるならついていくのをやめる、NGUYEN DINH THAN (1553-1633)の境遇を真似、もし~ならば古い役人をTon Phuc Triの前に引きずりだし、
LE PHI THUALUONG VAN CHINH に従う準備もしThan Hoaの状況はだんだん安定してきた。

NGUYEN HOANG は、この地の開拓を推進する命令、外国との販売を開き、毎年LE-TRINHを脅かすほどの貢物をした。
1568年戊辰の年の3月(正治11年(後黎朝 英宗)崇康 3年(莫氏 莫茂洽))、Quang Namを統治していたBUI TA HAN が死亡。TEINH KIEM 軍事功績によりNGUYEN BO QUYNHにこの地を割り当てた。1569年9月己巳の年(正治12年(後黎朝 英宗)崇康 4年(莫氏 莫茂洽))、NGUYEN HOANG はLE ANG TONG王に仕えてKhoa Trung行宮でTRINH KIEMと会見、父や先祖の眠る陵を訪問する。そして10月、頬がひどく痩せた、翌年1月(1570)、NGUYEN BA QUYNHに呼ばれNhge An の統治者として帰る、HOANGは全Quang Namを兼任で統治することになる。Ong 感謝する、行政区に戻らせてくれて、一ヵ月後の1570-3-24 TRINH KIEMの死を知る、息子がLE王の代理と押し自身から節約を認める。NGUYEN HOANG誤って葬儀に弔問した使者に新しい王への祝いの手紙を送った。

その後Thanh Hoa へ帰り、NGUYEN HOANG 先祖から続く申請に頭を悩ませ、自分の父から離れDan Dien県、Kim Tra、Tu VinhからQuang Dien市Huong Tra、Phu Vinhに移った。

追記9/15 まだ2pある。。。
これを書きながら他の人物に関しても同時にやっていかないと
読み手は理解できないだろうなぁと感じる
でもとりあえずこれができるまで待っててください
少しずつやっていきます


きつい。。。(9/12)

はぁ。。。難しい。。。。長い。。。(9/11)
かなり重要な人物みたいだ。。。

Nguyen Phuc Nguyen まで出てきちゃったし。。。
またあとで。。。
 





[気温35℃][快晴] Quang Ngai の名物料理

2007年09月14日 | 食べる

今日は朝早くからQuang Ngai へ行ってきました
一年ぶりくらいかな?
去年もそうだったんだけどQuang Ngai の
Dung Quat工業団地に行くときはいつも暑い!!
超快晴、今日はサングラスを忘れたので今でも眼が痛いです

少し待ち時間があったので久々にローカルカフェに入ってみました
ただのバラック小屋でブルーシートとかで日よけがしてあります
トイレは店の裏庭どこでもどうぞ状態でした

が!

これが意外と涼しくてよかった
今、例の辞書の関連で
TALES OF THE NGUYEN DYNASTY'S LADIES AND EMPRESSES

NGUYEN王朝の女性と女帝の物語という英語版の本を持参したので
日陰でゆっくりとこれを読んでいた

まぁこれを読んでまたいろんな発見があったんだけど
それはまた後日。。。

驚いたのはそこで出てきたCafe Sua Da アイスミルクコーヒー (4000d)



Cafe Sua Da に砂糖が付いてきてるんですよ
あの甘い甘いカフェスアダーに砂糖ですよ!

田舎ではよくあることとは聞いていましたが
実際7年居て見たのは初めて

うわぁやっぱりここは田舎なんだ。。。

そしてせっかくクアンガイに来たのでクアンガイ名物を食べよう!

でもクアンガイに名物なんてあったか?
2年前来たときはレストランやビヤホールさえ無くて
四苦八苦したこのクアンガイだぞ?!

そしたらあるんですねぇ



カー・ボン・コー・トー (Ca Bong Kho Toかな?)

小さな魚を丸ごと佃煮にしたような料理です
ご飯によくあいます
いろんなカーコートー食べましたけど
これもなかなか美味しいですね

よく見るとこんな魚



日本ではゴリと呼ばれる魚みたいです

[気温30℃][晴れ] フエのホーチミン氏記念館

2007年09月13日 | 見どころ

スカッと晴れてよい天気です
気温もそれほど高くなくすごしやすい一日です

ホーチミンさんがフエのQuoc Hoc(國学)に
通っていたのは有名な話ですがフエのはずれに
その当時住んでいた家というのが公開されていました

ちょうどお昼時だったので外が明るすぎて
中まで写っていませんが伝統的なフエスタイルの家
なんか地元ではお化けが出るとか言われているらしい。。。なぜ?

ホーチミンさんがこの家に住んでいたのは2年間だけ
お父さんとお兄さん(弟だったかな?)と一緒に住んでたそうです

ここからQuoc Hocまで通っていたのかな?
だとしたら結構遠かっただろうなぁ

場所はLe LoiSt,を下ってNguyen Sinh Cung St,を
Hudaビール工場のところから右折、My An温泉方面に
しばらく道なり行って橋を渡ってMieu Ba baiの先です
というかこの説明で場所分かったら立派なフエ人ですね(笑い)

ところでここでもひとつなことがあります

お母さんはどうしてたんでしょうか?

まぁホーチミンさん研究は他の方に譲りますが。。。

[気温31度][晴れ] でも今は大雨

2007年09月13日 | 晴れ

今日は一日晴れていたのについさっきから大雨です
今夜はフエが大雨だったそうなので、その雨がこっちに来たかな?

すでにNguyen Hoang のページは1ページ半翻訳終了
あと2ページあります。。。

Lちゃんにやってもらったほうが早いかな。。。

[気温31℃][晴れ] Mam Caって知ってます?

2007年09月11日 | 食材

今日はやけに蒸し暑いです
気温はそんなに高くないんだけど
むしむししてサウナに入ってるみたい
お昼にちょっと出掛けてきたらのぼせました

今日の写真はMam Ca(マム・カー)
Ca Comというキビナゴのような魚を塩漬けにして発酵させたもの
これは少し水分の多いタイプでBun Mam などの冷やし中華みたいな
料理に使ったりします

そうだなぁ。。。カツオの塩辛というか。。。
そんなに臭くない小魚のクサヤというか。。。

賛否が分かれる独特の香りがあります
慣れると美味しいんだけどね

[気温33℃][晴れ] 廣宮香は誰のため?

2007年09月10日 | 見どころ

今日もよく晴れています
昨日は雨もなくただいまダナンは短い秋の期間です

今日の写真は以前紹介した謎の皇女の墓にあるお堂

名前は廣宮香たぶんQuang Cung Phuong と読むんだと思います
Quang は広い、Quang Han Cungだと月宮となるらしいけどちょっと違う
香りはPhuong、これはご存知香河Song Phuongでフエのフゥォン川と同じ
そしてPhuongは発音が詰まる音になると鳳凰になる



中には鳳凰が居ました
鳳凰は女王の印
やっぱりこのお墓は皇女のものだよなぁ

と得意の聞き込み作戦で近所の人に聞いてみると
『正確には誰の物か分からないけどこの辺ではLang Co Hoanと呼んでるよ』との事

Hoanさんと言ったらGia Long帝のお母さん
Gia Long帝のお母さんのお墓だったら納得がいく

だけど近所の人たちは違うと。。。
もしGia Long帝のお母さんなら Co Hoan ではなく Ba Hoanと呼ぶだろうって
これも納得がいく

それにたぶん本名じゃないよって。。。

謎が解けそうで解けない皇女のお墓
皇女のものだというのは間違いなさそう
Gia Long帝の妹じゃないか?説もありもう少し調べてみます

分かりにくいけど外の衝立にも古い鳳凰の飾りがありました



書いてから思ったんだけどこれってもしかして鳳凰じゃなくて
Loan 鸞鳥じゃないのかな?
ちょこっと検索して無断引用

(1)想像上の鳥の名。鳳凰(ホウオウ)の一種。形は鶏に似て、羽は赤色に五色をまじえ、鳴く声は五音の律にあうという。
▽鳳凰のあとにペアをなしてつらなり、太平の世にあらわれるという。「鸞鳳(ランポウ)」

とか

よい鳥のシンボルが鸞鳳である。鳳凰は王者の出現を祝うめでたい鳥であるが、その子を鸞と呼ぶのである。

とか

鸞鳥 キジの如くで五彩の文あり。これが現れると天下は太平である。

なんて記述も

で、Googleで鳳凰の画像を検索してみると鳳凰の写真は羽の色が縦には分かれていない
逆に鸞鳥は5色の羽を持ちという記述がある(けどはっきりとした写真はない)

鸞鳥が鳳凰の子供という意味なら女王じゃなくて皇女というのが成り立つのかな?

あぁまたちょっとマニアック。。。


[気温35℃][晴れ] フエ大辞典買った

2007年09月09日 | チャム族

昨日今日とフエに取材に行ってきました
今回は自分のための取材だったのでアシスタントと二人
途中でフエでいつも協力してもらっているTちゃんと合流
ドライバーを入れて4人の取材チームでした

今回の目的のひとつ
フエの目立たない遺跡を紹介している本を買いたい
ということで本屋で見つけたのはなんと

『Tu Dien Lich Su Thua Thien Hue』

直訳するとフエ省辞典
漢越語で承天化歴史辞典と書いてあります

いやぁ~マニアックな内容満載
1403年に胡王朝時代最大の台風が突然来て一日中止むことなく
水位はどんどん上がりで洪水になった。
そこに津波も加わり1時間ですべてを砕き割った
Viet Haiの入り江(現在のViet入り江)から入り込み
Tu Khach入り江(現在のTu Hien入り江)まで
さらに新しい入り江を作り昔からEo入り江と呼ばれているHai Nhuyen入り江
(つまり現在のThuan An入り江)を作った。
1404年胡王朝は都から軍隊を派遣してEo入り江にゴザを落とした(?)
とか載ってます

Thuan AnからTu Hienまでだったらフエの沿岸ほぼ全部ですよ
しかも津波なんてベトナムには来ないと思ってたけど
きっと台風の風でおきたのかな?

まぁ~マニアック

そしてこんなのも載ってました画像をクリックすると拡大します


チャム族のKhu Tuc城(区肅城)というのがあったようです
Khu Tuc城はチャンパの城の遺跡です。
これは別の歴史を考慮する物で4世紀ごろO Riと呼ばれた土地でチャンパの首都です。
Lam Ap KyにはKiu-Xu城と呼ばれました。
Dao Duy Anh氏によるとKhu Tuc城はNguyet Bieu村にありました。
今日でもこの大きな城は巨大なレンガで造られた遺跡として今なお残っています。

って感じです

探しに行かないと。。。

[つぶやき] 明日の仕事を考えると眠れない

2007年09月08日 | つぶやき
実はいつもそうなんですけど
明日新しいお客さんが来ると思うと眠れません
ツアーやアテンド、コーディネートの初日前日は、ほとんど寝むれません

これでよかったのか?もっと頑張れたんじゃないか?とか
いろいろ後悔の念にさらされるのと、でもこれは準備できてる
とかあれは大丈夫とか確認しながら気持ちを落ち着けたりして

でも、朝4時くらいを過ぎれば眠れるんですよ

さすがに。。。

そして6時起床の目覚ましを止めながらまた後悔するんです

ぐずぐず考えていないでさっさと寝ればよかった。。。。と。。。

と書きながら明日のフエ行きで頭ごちゃごちゃしてまた眠れてません。。。


[気温33℃][晴れ] 入道雲と毎日スコール

2007年09月07日 | 晴れ
一時
今日も日中は良く晴れていましたが
夕方3時過ぎから大雨。。。
それでも1時間くらいで上がります

今日の写真はこのところ毎日でている入道雲
これが雨を降らせてるのかな?
ここ数日毎日こんな感じです



王宮の中もススキでいっぱい
短い秋を感じるのもこの季節です

明日明後日とまたフエに行ってきます