
沖縄旅はもはや、思い出になりつつある。で、心は来年春の「沖縄2009・春」だ。
記事にしなかった、懐かしい写真・・・沖縄の歴史なんぞも、学びはそれなりに深まっている。多分中高校生向けの「ジュニア版・沖縄~」なんて本も、現地で購入し楽しく読んであるのだ。
さて、拾遺の「沖縄写真」は城(グスク)の写真である。
発掘調査最中の「具志川城(ぐしかわぐすく)」跡である。
1200年から1500年代の、地方豪族の出城や居住区・村を囲む柵全体などが、グスクと称されるが、野積みの石垣が見事な景観を作っているのだ(こうした堅牢な防御構造だけではなく、拝所や風葬地帯などもグスクと呼ばれ、諸説は学術的に決着を見ていない)。

久米島の具志川グスクが、同じ久米島の伊敷索(いしきなわ)グスク城主・伊敷索按司の二男、真仁古樽(まにくたる)に攻め込まれて落城した。具志川グスクの城主・真金声(まかねくい)は島を脱出し、糸満の地へ逃れて来た。そして、そこにグスクを築いたのが、同じ名前の具志川グスクであった。築城年代は不明である。
眼前の海は、あの大戦時、黒山の艦船で埋め尽くされた海だ。

島々には、宗教や政治経済の梶をとりつつ、上部共同体が下部の共同体を支配する支配体制の中、支配者が統治・本島でも、地域ごとにそうした構造で、村落が治められていた。群雄割拠・本島では細長い島を北から南へ3分する形で(3山時代)、国が形成されていたが、1400年に入って、尚氏が3山を統一「琉球王国」が形成される。そんな、激動の時代の名残である。
東南アジアの秩序の中で、中国への朝貢・冊封のもと、果敢に貿易で国力を高めた時代が始まる前夜の城だな。
以降・豊臣に始まり、江戸の薩摩の侵略までの、言わば「琉球の中世」は実に面白そうで、今に続く、民族の姿や芸能の起源など学べそうである。
初めて訪ねた、近現代以前の印象のある沖縄だった。
来年は、少し、こうしたグスクも回ってみたいな。

おみやげはすべて、宅急便で送る。便利・お手軽だ。
で、今回の品々。これは自分のそして家族向けだ。
お世話になってる方々(お世話している方々も混じっているけど)には、写真には無いが「波照間産黒糖」か「沖縄の鰹節」を買ってきた。
両方とも、喜ばれている。
さて、写真・島ニンジン・島バナナ・油味噌・ソーキソバ・シークワーサー・さんぴん茶・パイナップル・泡盛・CD・俺の長袖のカリユシウエアなど見ることが出来る。
しばらく980円のアロハをステージ衣装にして、笑いを誘ったが、1万円ほどの「カリユシウエア」にしたのだ。これで、ステージに立つのだ!フン!

友人が今年も山から「自然薯」を掘ってきてくれた。
エライ!旨い!
なにかと、お世話してるのね~~
んで、1年のお返し?か???
栽培モノとは、かなり、あきらかに、全く違うのよ。
濃くて・旨味がぎっしりなのだ。

朝起きたら「青春」が居間に寝ていた。
1人はソファー・1人は床だ・・・・
ちなみに、お二人は受験生で、1人は俺の息子なのね。
友人が、「彼女」の相談で、夜突然乱入したらしいのだ。
まったく、青春である!

この場所は、エアコンの風が心地よい、やつの場所だ!

昼なんぞは、いつも寝ている。朝は、女房が起きると、その布団に寝ていたやつも起きる。そして、この場所で、2度寝などするのだ。
写真は・昼の図・・・迷惑そうだった。気持ちはわかる・・・

青春を眺め・あきらかに怒っていた。
「ゴラァ~~!そこは俺の場所だ~~」
「どけ~~~」
その後やつは、青春の顔をなめたり・顔を押したりしながら、強引に割り込んだが、青春は、夜遅くまで青春していたらしく、これまた、めげずに眠り続けていたのだ。