館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

サボテンを何故か育てている。

2006-07-12 14:45:25 | 生活雑感
10年くらい前、野菜の苗など購入した折、1つ300円位の、サボテンが売られていた。まあ、ゴルフボール程度の大きさであった。

今にして思えば「何故」購入したのか、不明である。
その後、育て続けている。春から秋まで、テラスで冬は室内。月に1度水をやるだけである。数年に1度、大きさに合わせて、鉢を変える程度のいいかげんな育て方で、サボテンさんごめんなさい、なのだ。
きっと、理に叶った育て方をすれば「花が咲く」んだろうな・・などとは思ってみるが、野菜ほど熱心にならない。

その1つが「花が咲きそうな、つぼみ」をつけたのだ!
いいやつだ!
で、1週間ごとにパチリとやったのが、次からの写真である。










綺麗な花である。
ほんと!いいやつだ!
1度も花を咲かせないサボテンが他に6種類。こいつらも咲くのかなあ?
研究しようかなあ?

そう言えば、サボテンの仲間の「りゅうぜつらん(竜舌蘭)」からテキーラは造るらしい・・これを育ててムーンシャイナー(密造酒作り)にでも・・・・
気温30度・・・猛暑で妄想が・・・・



おまけの「毎年咲く」サボテン君。
ピンクの小さい花、こいつは咲くと1日でしぼんでしまうのだ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の育った音楽・Aの仲間達その2・秋吉 敏子。

2006-07-11 06:19:29 | 僕の育った音楽


1974年の頃の僕は、アメリカのマウンテンミュージックやブルーグラスにどっぷりだった。朝は目覚ましの代わりに、タイマーセットのカセットから流れる「フォギーマウンテン・ブレイクダウン」で御目覚めだった。

ごぶさた、のJAZZであったが、秋吉敏子氏はちょっと夢中になった。

それまでのニューヨークで、どうにもならなかった彼女は72年西海岸に居住を移す。
やがて、タバキン氏と16人編成の「ビッグバンド」を結成する。

以降74年辺りから、目覚しい活動を見せるのである。

NHKホールでの彼女に、圧倒された。
人差し指を1本たて、その腕を天井に向ける。
その腕の動きが合図で「エレジー」が圧倒的迫力で迫ってきたのだ。

そのご、我が地元での、ピアノソロのコンサートなどは、自身の来歴やJAZZの話しなどがこれまた素敵だった。

ソロ・トリオなどもあるが、僕ビッグバンドの彼女が好きである。
ベイシーでもない、エリントンでもない、キレと深みは流石!なのである。

日本の旋律や楽器を入れる、それが又、野心ではなく、生まれからくる、さりげない、当然と思わせる力量がすごいのだ。

そういえばこの方、満州からの「引揚者」であった。僕の音楽の先生、岡田京子氏もそうであった。
思えば、我が妻も「満州開拓団の団長」の末裔であった。
どちらも、大陸的な方たちである。

僕は「大陸的」に弱いのかもナあ・・・・・
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じゃがいも堀りなのよ。

2006-07-09 14:20:36 | 僕の菜園


「じゃがいも掘り」終了。
で、この後「腰を」なあ・・・痛めるのだ。

三月初旬・3キロの種芋を植えた。どんなに遅くても、7月の月初には、すべて掘って保存にまわさなければならない(芋が硬くなって、美味しくなくなるのよ)。

まあまあの収穫。比較的つぶが揃って、小さいのが少なかったのだ。うれしい!


ついでに、7月始めの「野菜たち」を記録する。



つるむらさき・初収穫を迎えるの図。
これで、これからは、週に1度、やがて2日に1度は収穫となる。
その頃になると、消費はもはや我が家のみでは、不可能。
誰か訪ねてくると、押し売りするのだ!
つるむらさき・収穫の時期は長い。これから10月くらいまで、続くのである。



「つるありいんげん」は収穫適期を迎える。
1度にバケツで1杯ほど獲れる。
いんげんと油揚げの煮付けは好物なのだ。

今年は良く出来た。寒い春だと出来るんだなー。昨年は出来なかったのだ。



オクラ・初収穫である。
ただし、苗の育ちは余り良くない。
ガンガン照りの夏、どうなるかな?この野菜、夏が好きなのだ!



わらびの苗を買って植えてみた。
良く出来すぎ、且つ、はびこりすぎである。
畑まで侵食してきたしまった。

秋。根を掘って、邪魔にならない場所に「引越し」するのだ。

親父の墓参りで午前中がつぶれ、午後は「野菜」に使われる日曜日が続いている。

岩魚・・・・・・釣りにイキテー!
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が育った「音楽」・Aの仲間達その1・ルイ アームストロング。

2006-07-08 08:01:43 | 僕の育った音楽


結構影響を受けやすい、僕である。
僕のブックマークに入っている「イン・マイ・ルーム.COM」のダッフィーさんは、LP・CDと彼の愛すべき・お気に入りの「音楽」を紹介し続けている。
お気に入りのブログなのだ。

フォークをやっている僕であるが、様々な「大好きな・夢中になった」音楽がある。

最近のお気に入りは「御勧めCD」の記事で、追体験はこんな題名で、と、僕にとってのシリーズを始めたいと思っている。ソースはA・B・・・と分類してある。

さてアーティストAから、始まりはじまり・・・・・

ご存知「ルイ アームストロング」!

青空に抜けるような、音色のペット。
ご存知・有名なスキャット。
アンサンブルから1人抜け出る、ソロ!

誰からも愛された「ジャズ アーティスト」だった気がする。

僕は、この辺りからJAZZに入る。
難しくないJAZZだった。だから、JAZZ好きになったんだと思うな。

気分晴れない、そんな日、サッチモの「ハロー ドーリー」で、まあいいかって、少し前を向けるのだ。


PS/しかし「A」の始まり、これからZの終わりまで、僕はブログやってるのだろうか。Aはとりあえずあと、4人(4グループ)である。



コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お宝紹介(お宝か?)。

2006-07-07 06:54:04 | 生活雑感
ブログ仲間の記事に「お宝紹介」があった。
なるほど、お宝だった。
ふーーん、僕にはあるかな?
僕のお宝は「貴方と子供です」などと、嘘は書けない!

お宝とは?「何でも無い物でも、僕の人生に関与し、捨てられない物」
フーム???と考えて、以下の写真である。

「縄文土器」と「矢じり」。




中学生の僕は「野球少年」だった。
2年生。寒風の吹き、土ぼこりの立つ「畑」で土器は拾ったものである。
明らかな「縄文」で飾られた素焼きの土器と、口の部分を縁取った「文様の土器」は、「授業」ではあっという間に過ぎて行ったが、挿絵の印象の、そのものであった。

その後、あちらこちらに「土器」を拾いに行って、「矢じり」を見つけたのである。時を経てなお「美しい」矢じりに、僕は圧倒されたのであった。

その後、この時代の歴史に夢中になる。
「野球部」をやめて、友人達と「歴史クラブ」を作る。
顧問を探し・生徒会、学校の承認をもらってと、奔走したのを思い出す。

すべてが、この「土器と矢じり」からであった。



その後、近在の「遺跡」めぐり、友人知人で「遺物」を持っていると聞けば、見せてもらいに行ったりと、結構のめりこんだ。

この「歴史学」への興味がその後も、政治や文芸や音楽などにブレつつも、ずっと続くことになる。

「大学」もその分野を選択するのである。

この縄文土器、形式は結構古いのだ。

わずかに確認できる「縄目の紋」は素敵!(って、僕だけか?)



以降。矢じりは数十個見つけるが「完全な形」はこれを含め2個。
後のものは、どこかが折れていたりする。

この矢じりは「殺傷能力」を備えた、大型の矢じりである。
農耕の開始・余剰生産物の備蓄・階級の発生、その時代を待って「戦争」が始まる。
この時代の変化に合わせるように「矢じり」は大きく・鋭くなって、殺傷能力を向上させていったのである。

のどかな「農村風景」の印象と、僕の義務教育時代に「教わった」弥生の風景はすでに「ストーンエイジ」の考古学である。

この「矢じり」明らかに「弥生」の遺物である。
完全な形は「人を殺さなかった」矢じりか?

人類が地球に現れて、450万年、農耕社会に戦争の起源を置けば、8000年の戦争の歴史がある。
翻訳すれば、4.5メートルの中の8ミリである。
戦争・神が創り給うものではなく、人間の仕業であるとわかる。そして僅か8ミリの先端に僕らはいる。であれば、その終結に僕らの目標を置かなければならない。

大学では「土地制度史」・時代は「階級発生の前後」であった。
指導教官S教授は今も、ご健在。
年に1度の挨拶のみであるが、このお方に学んだことは、ぼくの「お宝」である。

その後「学んだ物を生かすべく」・学校に勤めるが、「職員室」がご幼少より苦手だった僕は、ドロップアウト、いまの職業になる。

年を取ると「思い出話」が長くなっていけない!

この「縄文土器」と「矢じり」その後の僕を形成する、きっかけのブツである。
学びは今の職業には、全く、生きていない。
が、からだのどこかに「宿っている」と思う。

手放せ無い、大事なものである。

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする