館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

「奇をてらわず」・」書評なのだ。

2009-08-20 06:42:36 | 生活雑感
せめて、8月・俺だってちっとは、まじめになる。

敗戦の日が過ぎた。

閣僚・政治家の「靖国」への態度で、そいつのタカ派度が実に良くわかる。

歴史への真摯な、向き合い方や、そこから学ばんとするそのような姿勢も分かる。

保守であっても、靖国を良しとしない者・「皆が参拝出来る新たな施設を国が・・」と語るものも、少しは居るんだな・・・

そのような本を読んだ。



「奇をてらわず・・陸軍省高級副官 美山要蔵の昭和」・伊藤智永 講談社
2009・3・23発行

これは、読むのに、1週間かかっただす。


15年戦争の末期にあって、参謀本部編成動員課長・大佐・南方軍参謀となり、敗戦の年には陸軍省高級副官で終えた、美山要蔵の、まあ、ノンフィクション風のルポである。
彼の戦後は、第一復員省文書課長を振り出しに、復員業務部長となり、アジアでの遺骨収集と、「千鳥が淵戦没者墓苑」の創設に生涯を尽くし、86歳で一生を終えたようである。

美山は、その生涯の仕事から見た、思想は、天皇を崇拝であり、それが生涯変わることは無かった。そして、戦争の責任もまた、十分にあるような人物であると僕は思う。

その彼が、遺骨収集や、戦没者墓苑の創設に生涯をかける過程で、靖国・昭和天皇の考え、A級戦犯の合祀の問題などが、このルポでは、彼の日記を使うことで、浮き上がり、なかなか読み応えのある本となっている。
靖国とその合祀問題は、神社側の「中心に成りたい」と言う思いや、ここを足がかりに「時代を戻そうとする」政治家や右翼的個人・集団の着々の活動で行なわれ、美山はそれでない、戦争の犠牲者や、その家族が、どんな人でも参拝できる施設を目指した姿が、この本で浮き彫りになるのである。

読後、かれの目指した戦没者・戦争で亡くなった人すべてを弔うことは、21世紀に引き継がれた課題であること。今靖国で策動する「時代に針を戻そうとする輩」のいやらしさや、危うさが、かなりあぶりだされます。

あらためて、靖国で無い、弔いたいと思う国民の全てが、気軽に行ける施設、そしてそれは、これからの政府が世界に後ろ指を指されないような姿で、作るべきだなと、思いを深くすることが出来る本でありました。
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地底の森ミュージアム・家族旅行その2。

2009-08-19 06:16:13 | 旅は続く


沢探し・試し釣りに明け暮れた10・11。
本日12日は、「11時に着く新幹線」に迎えに行くミッションが入っている。
朝から10時までが(沢から向かえの移動に1時間)自由な時間だ。

4時起床・宿の用意してくれたおにぎりを1つ食べ・コーヒー・身支度などで、5時には出発した。



3日目にして、やっと晴れ間が見えた。蔵王の朝焼けだ。(この後、6時には、ガスが出てきて、霧雨になるのだが・・・)。



朝だけ・約4時間弱なので、大きな、藪のない沢を選んだ。
昔は沢山イワナが居たが、年々減っている沢だ。ただ、ヤブが無く、気持ちのよい釣りが出来る場所だ。釣果より、釣り味だ。

沢へ向かう途中、朝日が差し込む、雲間からの光が、綺麗だった。




2年ぶりの沢。
予想に反して、それなりに釣れる。やはり、増水後の、程よい濁りと、条件の良さが、魚を活性させたんだな。

9:30・12匹を釣り上げて、終了した。

車に戻り、観光ルックに着替える。女房から携帯。
「寝坊しちゃって、新幹線は12時のになったからね!」だと。
着替える前なら・・・もう少し釣れたのに・・・・

白石の町で、古本や中古CDなど漁って、時間をつぶした。



12時・御一行さま、到着!



本日は、仙台の「縄文」「旧石器」のミュージアム見学が、テーマだ。(俺が選んだ・・この家族はこうした場所が好きなのね・・)高速に乗って、仙台南ICで降りる。下を仙台中心に向かって走り、程なくだった。

1つ目・「仙台市縄文の森広場」だ。



こんなとこ。




展示等、かなり普通。工夫が無い。



実物大の竪穴住居など、丁寧に作ってある。



土器の製作・勾玉の製作など、常時受け付けて、学芸員の指導で行えるようである。学芸員・職員もきびきびして、良い。

子供の体験学習向きの施設と見た。



車を走らせ、さらに仙台中心へ。
「地底の森ミュージアム」に着いた。

2万年前・旧石器の森の跡の発掘現場を、そのまま、屋根をかけて、展示してしまった施設だ。

森林の木の切り株・倒木・動物の気配・人間の痕跡・・すべてが、リアルに迫る。



学校の新築で、かなり深く掘ったため、偶然発見された場所だ。
普通の民家なら、多分深い地層のしたで、まだ眠りについたいただろう・・




街中・側には、大きなマンションが建っていた。多分その下も遺跡だ・・・



圧巻!!圧倒である!!家族全員、息をのんだ。すでに2万年前、湿地であったこの場所は、やがて、海の底に・その後の地層の堆積でも、田として常に水の多い環境であったため、保存状態が稀に良かったらしい・・




子供の眺める地層断面の一番上が現代・江戸時代の水田・平安の水田など続いて、2万年前の地層は写真下の、穴の最下層である。
こうした、そのままの、そして視覚的に説得力のある展示が、随所で圧巻であった。



シカの糞。



狩にやってきた、ホモサピエンスーサピエンスの焚き火跡である。

こうした、一点豪華であるが、地方の展示施設では、抜群のところだと思う。

福島の「いわき市アンモナイトセンター 」と双璧な、すごい施設と思う。

何がすごいか?それは、見事なまでのリアリティだ!数多有る、収蔵展示施設との違いだね!!

機会があったら、死ぬ前に1度は行くべし!だ。

充実の気分で、僕ら家族は、宿に向かったのだ。

その後、露天・部屋でダラダラが続き、12日が終わった・・
いや、正確には、家族孝行で疲れて、僕は7:45分に寝てしまったらしい・・・
頑張ったな、俺!

ここから翌日・13日の記録なのだ~





13日・4時に起床。
家族のいびきが聞こえる・・・

静かに釣りの用意をして、宿から近い大きな沢で、最後の「釣り味」を味わった。

山女の沢だ。

ここらでは、有名な「釣りの沢」と紹介されている。

その分、魚影はやや薄いが、放流もしているらしい・・・

こうした場所は、条件次第なのだ。

大きな川で、川の周りは整備され、極めて釣りやすい。
大きく振り込め、気分は良い。



やはり増水後の落ち着きで、完璧な条件だった。
山女が盛んに餌を追った。

わずか2時間の釣りで、山女8・イワナ2の釣果だった。

色々有ったが、さすが蔵王だった。



宿に戻り、風呂で汗を流し。
挨拶など行って、宿を後にした。
途中、おみやげなど購入して、高速に乗った。

上りの僕らは、ほとんど混まず・・だが、帰省ラッシュのくだりは、すでのあちこちで車が止まっていた。
もう25キロの渋滞と、ラジオから速報が流れていた。

ご苦労さんである。

今日は1000円の日だった・・のだ。
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沢探し旅・家族は平泉・花巻、家族旅行その1。

2009-08-18 06:01:21 | 山菜・きのこ・釣り


この時期の家族旅行は、毎年の恒例だが、女房にすべての権限が集中する。
んで、10日から14日の3泊4日の大盤振る舞いとなった!

まあ、長女は結婚して、長男は大学・末娘は今中三で、来年を眺めると、家族旅行の成立も危ぶまれるので・・・かもな。

夫婦旅行は無いのか・・・???

さて、これから10~11の記録を書く。

大まかな日程は10日・僕は白石蔵王駅まで運転手。その後俺は無罪放免。家族は平泉~花巻を目指す、観光旅行らしいのだ。

「オ サムちゃんは、好きにしていいからね・・」と、言外に「あんたと一緒だと、ゆるゆるにならないの~」と聞こえる。
やつは、無計画が好きであった・・・

土砂降りのものすごい雨・新幹線の駐車場は、写真の如く水浸し。

9;30に家族を見送って、さて、自由だ。自由にならないのは、天気だけだ・・



初期の計画では、10・11は沢探しに当てるつもりだった。
山形道・・つまり、宿の蔵王町遠刈田を基点に、北を目指し、笹谷峠辺りの、K川とその支流を探し・試し釣りの計画だ。

毎年同じ沢・しかも何度も入れば、魚だって居なくなる。そうして、絶えた沢をいくつも見てきた。

新しい沢・しかも林道の奥のほうの小さな沢を探すは、毎年の夏の僕の山との付き合いなのだ。

すでに宿周辺は6年かけて、探しつくした感がある。もう、10は僕の沢を持っている。ルン♪

試し釣りは叶わないが、写真に収め、渓相や人の踏み痕などから、沢の有望を推し量り・入渓、退渓場所など見極めるつもりなのだ。
頼りは、2万五千分の一の地形図だ。


国土地理院・1:25,000である。

家人を送り・ガソリンを満タンにして、山形道に乗り・笹谷ICで降りた。





K川の本流にN沢という支流が合流する地点。(地図・1地点)

写真奥はK川・それが手前左の流れになり、上流を目指している。
手前右から流れ込む流れが、支流のN沢だ。

降り続く豪雨で、濁流になっている。



この支流は、側を林道が走っている。
その林道を走った。
N沢のまた、支流を散策だ。
程なくして、N沢に流れ込む支流、T沢をまたいだ。(地図には無いのでピンクの点線を描いたが分かる?2の地点ね)
良い沢だ。



さらに林道を進む。



途中林道がまた、N沢に近づく。60度くらいの傾斜だが、ここならN沢に入れそうである。N沢の入渓点にはよいかも?(地図・3の地点)



やがて、湧き水がある。この先地図には、登山道がある。山師の水場には貴重かも?




その湧き水そばには、N沢に流れ込む2つ目の支流B沢がある。(地図4の地点)
この先は、N沢の支流は、地形図には無い。
それらしき地形はあるが、探すには、沢を登る以外に無い。




引き返す途中、今までは、上りながら右を見ていたが、左の支流もあるかもしれないと思った。

やがて、入っちゃいけない林道があった。(地図・地点5ね)

地形図では、200mも歩けば、N沢・・・・
歩いて沢に行って見た。N沢は砂防堤がある平瀬。(地図・地点6ね)
増水で、濁流だが、平水では釣りになると思った。
この奥に、支流が流れ込む地形だが、歩いていくには、およそ道が荒れていた。




楽しい、沢探しを終え、やどの近くに戻る。

3時を過ぎ、雨足が少し弱まる・・・
予報では、明日に向かって、弱まるはずだった・・・

こりゃ、少しでも、竿が下ろせるか?と思った。
急いで、いつもの上流に向かった。雨がひどくても、上流ほど、濁りは少ない。
車で20分・・・上流に竿を入れた。

イワナはすぐ釣れた・・・気をよくして沢を登る・・・
雨足が、激しくなる・・・
やがて、ポイントは失せ、ただの濁流になる・・・
やばい!!!!

流されるかと思ったぜ!!
あさましい、4匹で、命と引き換えにはならん!!



逃げ帰って、宿に到着・・・「釣った」といったら、かなりあきれられた・・・

土砂降りに、露天は不可!

内風呂に入った・・・



風呂あびて、部屋で、雨具やチョッキを干す。
もう、酒しかない。



桃もプラムのすでに購入。
時間をつぶす本などもある。



その後、酒・本・などのリフが続いたが、覚えていない・・・
そういえば、夕飯も食べた・・・
多分、8時台には寝た・・・

こうして、1日目は終わった・・・

明日は2日目・・・雨も収まるはず・・・

記事は長いで・・・なんせ、4本分を2本にまとめてる。

さて、寝るか・・・


2日目(11日の記録)なのな~ここから!




宿「明日、また早く出るの?」
俺「いや、増水で沢が濁って、釣りにならないでしょ」「おにぎりなど部屋で食べ、8時過ぎに考えます」
宿「それじゃ、おにぎりじゃなく、朝食用意しましょうか?」
俺「変更効きます?うれしいな!」

それでも、5時には目が覚め、珈琲など入れ、新聞などのまったりの時間を過ごした。



10年以上も通いながら、多分、10年ぶり位の宿の朝飯。

旨かった。



雨は、釣りに支障のない小降りに成っていた。後は、水が落ち着く時間。

昨日は北。
今日は、南のS川の支流のY川のそのまた支流を目指した。

K沢に到着。ここは2度目・・・イワナの姿は見えるが、一向に餌を食べない変な沢だ。どうしても釣れない岩魚が気になっていた。



うれしいことに、すぐ1匹が釣れる。



入渓は9:00。その後昼までに8のイワナだった。
3時間で。8は、かなり有望な沢だ。
人が入った直後・渇水・・・などの条件で、前回はボウズだったか?

確かに、今回の水の状況は抜群だ。
増水・ほど良い濁り・この間の天気では、入渓者はいなかったであろう・・・



ただ、沢を下る、沢周りの山には、明らかな道のような踏み跡がある。

ここは、入山者の状況が左右すると見た。



宿に戻りながら、途中の沢を流す。
ここは、大物の居る場所だが、周りの開発で水は綺麗でなくなりつつある。

悪い予感は的中した。

水が綺麗なほど(上流ほど)イワナ・やや下って山女・その下の濁った川はウグイ(ハヤ)の棲家になる。

入系して、1時間・・・当たりは無い。
やがて、大物の引き・やっと釣り上げたとたん、竿が折れた!

その魚・・・ウグイであった!!!

こんなやつに、竿を折られたのか・・・・
テープで補修し、釣るが、ハヤばかりだった・・・

もう、この沢は、死んだね・・・・



折られた竿な~




時間は3時。いつもなら終了の時間だが、朝が遅かったので、物足りない。

宿近くの、小さな沢に入った。
浅ましく、4匹追加だ・・・・
しかし、最後の1匹はでかかった!
写真・25センチ・・・・
他の18センチが、小さく見えるぜ!!



宿に4時に戻る。2日で181キロだと・・・よくまあ、走ったぜ!



風呂な。露天な。



酒飲みながら、夕飯な。



沢探し旅・2009が終わったぜ!

北は見ただけだが、期待がもてるな。南は、リベンジした。有望な沢だが、条件がタイトだな・・・

10本トライして、1本見つかれば、大したもんよ!

ここまで、完読の皆さん!渓流に興味が無いが・・・って方・・・ひたすら感謝です!貴方の忍耐は、いつか実をむすびます!
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長崎の日に・鐘撞き集会のロスト。

2009-08-17 06:12:45 | ロスト シングアウト


64年の繰り返しの「夏」がやってくる。
珍しく、新聞には「悲惨な体験 継承正念場」と見出しが躍った。

あの時・・と語って「皮膚に感じるような」世代が死んでゆく。
僕ら、「戦争を知らない子供たち」は、かろうじて、原体験に戦争があるおじいやおばあ・親や身内から「語り」を聞くことが出来た世代だ。

その僕らは、すでに、原体験世代から話を聞くに困難な「子供」を生んで今がある。



広島・長崎だってそうだ!

その原爆の落ちた時間に、お寺の鐘を撞き、黙祷をささげる、そんなことが主な事である「鐘撞き集会」がすでに20年以上も我がT市では行われているのだ。

市民の自主的な(やろう!と始めた、原体験世代の世話役のような方は居るが、イデオロギーや政治的意図は無いのがすごいと思う)集まりだ。

写真・世話役の挨拶。

僕は可能な限り(平日なら、会社に遅く出社・・・)広島・長崎のどちらかに参加してきた。



11時2分・・・皆で「黙祷」だ。



鐘をつく。



こんな、お母さんも、いた。



戦争や原爆にまつわる、絵本の朗読もあった。



ロストは日曜日の長崎だったので、可能な人員で参加した。

「青い空は」という、歌の伴奏を頼まれていた。

ボーカルはユッコだけだったが、楽器陣は皆集まった。
良い演奏と、シングアウトが出来たと思う。



せっかくだから、もう1曲!と言われ、沖縄の代表的な詩人「山之口 獏」さんの「生活の柄」と言う歌を歌った。

非正規雇用・あふれる失業者・・・・・まさか?俺が?と思っていると、ある日失業者になって、浮浪者になる・・そんなことが、決して大げさじゃない今に、ピッタリの音楽をやった。

戦争も・貧困も、鏡の裏と表だと思う。

この歌、やっぱり、アロハが合う。

長崎に日に、鐘をつけて、今年も良かった!
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ミルト ジャクソン・僕の育った音楽Jの仲間達その12。

2009-08-16 08:05:49 | 僕の育った音楽


うるさがたの、JAZZフリーク諸氏であっても、ビブラフォンはな、スイングで「ライオネル・ハンプトン」、モダン以降「ミルト・ジャクソン」と言って、お叱りは受けないだろう。

少しコピペな。

1923年、ミシガン州デトロイトに生まれる。

ディジー・ガレスピーに招かれニューヨークへ行き彼のバンドでプレイする。

後はセロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、レイ・ブラウンらと共演を重ねる。

1951年にミルト・ジャクソン・カルテットをジョン・アーロン・ルイス(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、ケニー・クラーク(ドラム)らと結成するが翌年にはモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)となる。以降はモダン・ジャズ・カルテットのメンバーとして活躍する。

1974年7月カルテットを解散。

その後も活躍・来日などもするが、惜しくも1999年没。


以上・コピペ終了。


ミルト・ジャクソン・・M.J.Q.の顔は、彼だったのは、間違いないと僕は思っている。
「ヴァイブの神様」「ビブラフォンの魔術師」など形容されるが、見事なJAZZマンであった。バイブ(ビブラフォン)って、こんなに美しい楽器なのか!と楽しませてくれた、第一人者であったな!!

まるで、歌うようなバイブであった。

ちなみに、僕は、もちろん大好きなのだが・・・

実は、エディー・コスタも・・・ここだけの話だが、好きなのだ。
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