☆
鳴り止まない蝉の声。
今年は少ないとかなんとかニュースでやってたんだけど大嘘じゃん。
飽きもせずにジージーミンミンと。聞いてるだけで堪らなくなる。
反響する鳴き声が夏のボルテージをさらに高めてるようだった。
心の中まで炙られてる気分。
夏という名の電子レンジでチンされてる感じ。
30℃越えの室内に身を置いてるこちらの気持ちにもなれと、あたしは夏の神様に主張する。
念じるだけで、体は1㎜も動いてないけど。
ポンと開けっ放しの窓の外へ素足を放った。
暑さから逃げられず苦肉の策だ。
エアコンも扇風機もない室内は地獄の釜茹で。
あたしは少しでも空気を肌に晒そうとタンクトップにパン1の極力薄着。
大の字に体を伸ばして放熱の努力。
でも、そんな足掻きも虚しく赤熱した窓のサッシがあたしの足首を襲う。
「ぐえぇっ!?」と足を振り上げ、でんぐり返し。
勢い余って、机に足をぶつけ「ぎぃえー!」とゴロゴロ転がってたら今度は頭打った。バカ。
夏の暑さにノックアウト。
蒸気に項垂れて奇声を発して逃げ惑う。
花の小学3年生……じゃなかった、女子大生がやることじゃないよ。
あたしって世界一の、バカ。バカ。バカ。
大学生の夏休みって言ったらもっとやることあるはずなのに。
旅行とか、バイトとか、恋とか。
小学生の夏休みとは雲泥の差だった。
麦茶とか、MAHO堂の手伝いとか……恋とか。
あの時あったものが今はない。
もっとワクワクしたり、ドキドキしたり。
言葉にできない気持ちが夏の太陽の中に隠されていたのに。
一体、どこに行ってしまったんだろうか。
膝を抱えて体を丸める。
ぶつけた痛みはぼんやりと奥へ吸い込まれた。
舞い上がる埃がチリチリと光った。
あたしはそれを黙って眺めて。
手を伸ばしてそれを掴み取ろうとする。
当然、掴めるはずもなく握った手に陽射しがかかって影が伸びるだけだった。
――あたし、なにしてんだろ。
ホント、なにしてんだ。
あたしは確かにここにいるのに、どこにもあたしがいない感じ。
気持ちの置き所をなくして心がトゲトゲしている。自分の内側から抵抗を受けていた。
不満はないけど満足も、全てが宙ぶらりん。
何かがあたしの中で重い石みたいに固化して気持ちを塞いでる。
せっかくの夏休みなのに、なんでこんなに不安なんだろう。
退屈だし、パーっと開放的になってもおかしくないのに。
逃げるほどでもない焦りがあって、暴れるほどでもない葛藤があった。
それがあたしを野放しにしない。
不安定な現実にあたしを結び付けようとする。
年を経るにつれてより強く。
多分、小学校を卒業してから、ずっと。
あたしが独りになってからだ。
一人ぼっちってわけじゃないんだけど、回りには家族も友達もいて……まぁ、普通。
なのに、なんだか壁を感じちゃって。
最初はハードルくらいの高さだったそれは徐々に競り上がってきて、あたしは年月ともに聳え立つ壁を見ては顔が青ざめた。
後ろから飛べ、飛べ、と誰かに急かされてるようにプレッシャーを感じていた。
昔は、こういうことを逸早く相談できる大親友達がいたんだけど――
今は、もういない。
いつも5人で一緒にいた。
ずっと仲良しでいたいと、願っていた。
ももちゃんとはたまにメールをするけど、あいちゃんやはづきちゃんについては今はどこで何をしているのかも知らない。
小学生の時が最後で、大人になった彼女達の姿が想像もつかなかった。
町ですれ違ってもお互いに気付きもしない。
気付いたとしてもそのまま通り過ぎるだけ。
赤の他人なんだと思う。
また、あの時みたいに。
互いをぶつけ合ったり、支えあったりすることは、もうあり得ないんじゃないかな。
大人になってからそ~いうのがサムくなったってのもあるけど、一番の原因はあたし。
あたしが壊したんだ。皆の絆を。
切り裂いて、あたしから輪を離れた。
幼馴染みだったはづきちゃんですら、地元に戻っても顔を合わせることはない。
顔を合わせるのが嫌だから、あたしは美空町を離れて日本の端っこの、国立の端くれにしか過ぎない大学にテキトーに入学した。今思えばちょっとやりすぎだった。
あいちゃんも大阪に行ってから……。
はづきちゃんとは仲良くやっていると話で聞いている程度。
ももちゃんはアメリカにずっと住んでて時折、あたしの体調のこととか心配してくれる。
あたしはメールを受け取る度に「オカンか!?」と一人でツッコんではその気遣いを嬉しく思うんだけど、未だにアメリカからこっちに来てくれることはなかった。
ももちゃんもあたしも、会いたいなんて一言も言わないから当然で。でも、たま~にその距離感がエラく寂しかったりする。
さっきは独りって言ったけど、よくよく考えてみれば別にこれでいいのかも。
皆それぞれ自分の人生を歩き出しただけで、別れ方が少し悪かった……。
責任を棚に上げてるわけじゃないよ。
だって、しょうがないじゃん。
あたし達は二度と戻れない道を歩いている。
あたしもちっとは冷静に、図々しく物事を見れるようになったんだ。
一々落ち込んでたらドジばっかしてるあたしみたいな人間はやってられない。
人生は一度きり。どんな人も後悔だらけ。
でも、そんな後悔も心持ち次第で納得できる。
ましてや、あたしは魔女見習いだった。
普通の人間とは、違う。
物事を複雑にした原因。
あたしの今までに過ちがあるとすれば、それは魔女に関わってしまったことかもしれない。
もし、魔女に出会わなければ。
あたしは自分の在り方を丸ごと変えてしまうような大きな選択を、あんなにもあっさりと決めることはなかったはずだ。
もう何もかも遅いんだけど。
あたしは数奇な運命へと、足を踏み出した。
ずいぶん遠くまで歩いた気がする。
振り返るほどの記憶はないけど、過去なんてもうあたしには関係ない。
あるのは途方もなく長い年月。
数えるのも億劫な、明日だけ。
あたしは前を向く度に溜め息をついてしまう。
それほどに遠い未来。
道、というほど親切なものじゃない。
目の前に広がるのは砂漠のように荒涼な世界。
目的はなかった。
どこへ向かおうと、それもいいかなと思える。
だけど、その曖昧さが仇となり、あたしの行く日々に蜃気楼を立ち昇らせる。
あたしはいつも迷いや幻想にふらふらと惑わされ前へ後ろへ進んでは行方を見失う。
捻曲がったあたしの人生。
そんな旅路にも何故か奇妙な道連れがいた。
だだっ広い砂漠でも、二人でいると狭く感じてしまう。
彼女はよくあたしの隣で微笑む。あたしはいつも心がキュウと縮んだ。
堪らなく窮屈だった。
だけど、もし彼女がいなくなったら、あたしは心に空いた隙間に堪えきれなくて彼女を探すためどこまでも歩いていくと思う。
あたしにとって唯一の道標。
鼓動が気に入らないからと心臓をもいで捨てるなど、どうして出来よう?
決して切り離せないあたしの半身。あたしの中で矛盾を生じさせながら、彼女を追い出すことは永遠に叶わない。
行方を失ったあたしと、あたし自身を目的にしている彼女。
二人はいつも一緒だ。
「ま~ただらしない格好! 死体じゃないんだから少しはシャンとしなさいよ!」
外からは肌に絡み付くような湿った風。
その風を遮るように、窓辺には一人の女性が空に浮いていた。
普通はあり得ないその姿も幼い頃から見飽きた光景だった。
箒に跨がって空を飛ぶ。不可能を可能にする力を持っている。
そして、それはあたしも同じ。
「また遊びに来たわよ! どれみちゃん!」
アメジストのような艶やかな髪が風に舞う。
夏の陽射しをバックライトにして、おんぷちゃんがあたしの部屋へ降り立つ。
☆
「汚いわねぇ~。人の住むとこじゃないわ、この部屋」
おんぷちゃんは頭だけで部屋の中を覗いては悪態をつく。
「よっと!」と窓の敷居に足をかけて堂々と中に入ってきた。
あたしは寝そべりながら体を起こそうともせず威厳も威圧感もない体勢で客人を出迎える。
「うっさいな~。ほっといてよ。てか、なにしに来たのさ? 一昨日も来たのに」
「何度でも来ますとも。時間がある限りね。ふむふむ、誰か訪ねてきた形跡はなし……関心関心♪ 相変わらずうらぶれた大学生活を送ってるようね!」
おんぷちゃんはウンウンと楽しそうに頷いて、あたしのベットに足を組んで座った。
サマーワンピースの長いスカートを翻して。優雅に、大胆に。
あたしは一つ一つの仕草に目を奪われていた。
――綺麗。
心臓の鼓動が大きくなる。
ちょっとした動作でも様になっていた。
所作の中に滲み出る高貴さは他の誰とも違う雰囲気を醸し出す。
美しい女性だ。女のあたしからしても、嫉妬すら浮かばないほど。
小学生の時ですらアイドルとして人気を誇っていた美貌は大人になって磨きがかっていた。
シンプルな出で立ちは彼女の美しさをさらに引き立たせ、旺盛な夏の陽射しすら霞んだ。
薄い生地から女性的なラインが浮かび上がり、扇情的な光景。見てるだけでノボせそう。
肩まで伸びた髪は柔らかに波打ち白く滑らかな肌。口紅を塗った唇はふっくらとして。
彼女ほど美しいモノは他にないだろうと、どれだけ追求したところでこれ以上の美しさは作れないだろうと、強い確信を持てるほどだ。
あたしはおんぷちゃんと一緒にいる時だけ、夏が好きだった。
美人は3日で飽きるなんて大嘘で、現にあたしはいつもまでも馴れない。
見とれてすぐに顔が赤くなってしまう。
夏なら赤くても暑さで誤魔化せる。緊張で顔を伏せても熱のせいにできる。
代わりに冬はどうしようもなくて。
あたしの思いはいつも筒抜けだった。
おんぷちゃんは芳香が漂うような吐息を溢し、黒く濡れた大きな瞳で見つめてくる。
あたしはそれだけでドキリと目が泳いだ。
まるで思春期みたいな慌てようで自分が恥ずかしくなる。
とりあえず視線を床の畳に逃がした。
「それにしても暑いわ、日本。魔女界は季節関係ないから楽なのに。どれみちゃんもやることないなら休みの間だけでも魔女界に来なさいよ。わたしは忙しいんだから手間が省けるわ」
おんぷちゃんは手で風を扇ぎ、ベットへ仰向けで倒れた。
まるで自分ん家みたいな寛ぎよう。おんぷちゃんはあたしの家に来るといつもそう。
魔女界への催促も、口酸っぱく。
同じ台詞で日増しに多く、高圧的に。
おんぷちゃんの勝手な言い分にあたしは少しムッとする。
別にあたしが会おうって言ってるわけじゃないし、何で魔女界に行かなくちゃいけないの?
別に来るのは勝手だけど、何であたしがおんぷちゃんの言うことに従わないといけないの?
別に何で別に何で何で別に別に何で……。
あ~、ムカムカしてきた!
よ~し、これは一言言っちゃろ。
あたしは暑さに眩みかけてる勢いに任せて、おんぷちゃんに逆襲を試みる。
ガバッと起き上がって、
「こっちだって忙しいもん! そっちに行く暇なんてないよ!!」
「へぇ~、その割りには部屋でゴロゴロウダウダしてたみたいだけど?」
「あ? それはそのぉ……そ、そうそう! 宿題! アパートで使われてる畳の縫い目についてレポートを大学に提出するため! あたしは観察の途中なんだから邪魔しないでよ!!」
「ははぁ、それはまた高尚な研究ですこと……具体的にはどんな?」
おんぷちゃんはあどけない顔で質問してくる。
小首を傾げて、人形みたいに愛くるしい。
いや、どんなって……。
そんなことあたしに聞かれても……。
自分がついた大嘘に湯立つ頭が悲鳴を上げる。
「ど、どんなとな!? それはね~、あ~、いぐさ、とか? ほら、畳って日本の心じゃん? 緊密に縫い合わされた藁床を見れば日本人のあいでんてていが呼び覚まされるというか?」
「『アイデンティティ』ね。全然言えてないじゃない、ふふ。それでそれで?」
「それで~、それでいてシャープというか? 目の付け所がね? 縦とか横とか、黄色にも緑にも、組み合わせで味わいが違って……樹齢にも似た趣があるわけさ。それはまるで日本で大事にされてる絆を象徴したレガシィで……」
「あっはは!! なにそれ? うんうん、もっとわたしに教えてくださる? プロフェッサー殿♪」
自分一人でしりとりをしているみたいだった。
単語から単語へ、言葉が跳ね回る。
畳なんて全く知らないから御託並べてるだけなんですけど。
それでもおんぷちゃんはケラケラと笑って話の続きを促す。
あたしはおだてられるまま、無い髭でもそびやかすようにエッヘンと胸を張る。
「うむ! 畳というのはだね、おんぷ君! 筵、蓙と進化し続けて連綿と受け継がれてきた芸術なのさ。一個一個、縫い目を数えて込められた意志を読み取る。これは民俗学なんだよ!! 」
「どれみちゃんって文学部じゃなかった?」
「それはそれ! 枠に囚われちゃダメ! 畳ってのは床に敷いてあるもの。心の中でも。その根底にあるものなんだから全てに通ずるんだよ。枠を作っていいのは畳一畳だけなんだ!!」
「まぁ! なんて力強いお言葉!! ふふっ、無学なわたくしめをお許しください……!」
「うむ、分かればよろしい!」
あたしは腕を組んで顎をクイッと持ち上げる。
鼻息を鳴らして、どうだと言わんばかり。
そんなあたしをおんぷちゃんはしばらく見つめていた。
息を止めてるみたいに口を結んでいる。
やがて体がプルプルと震え出して、
「――ブハッ!! あっははは~! もうだめ! 息苦し~! なによ、枠を作っていいのは一畳だけって!良いこと言ってるつもりなのそれで~!」
「え~? カッコよくない? 決まった!って思ったんだけど……てか、笑いすぎだよ」
おんぷちゃんは布団に足をバタバタさせて笑い転げていた。
お腹を抱えてる姿すらも綺麗。彼女が笑うと周りが華やぐような生気に満たされていく。
対してわたしの心中は複雑だった。
おんぷちゃんが笑ってくれるのが嬉しいような悲しいような。
話している内に暑さにやられた頭が次第に冷めていった。
よくよく現状を考えると……。
ベットで横になりながら頬杖をついて微笑む絶世の美女の前で、パンツいっちょの半裸の女が畳をバンバンと叩いて訳の分からない戯言を喚き散らす。
寛ぐ女王様の前で芸をする奴隷、とか……?
さすがに他国かどっかから献上された珍獣には当て嵌めない。最低限のプライドだった。
あたしもそこまで自分を貶めたくはなかった。もう遅いような気するけど。
「あ~! 喉渇いた!! どれみちゃん! お茶!」
「……はいはい、ただいまお持ちします」
おんぷちゃんはグワーッと手足を伸ばす。
女王様というより、ワガママお姫様って感じ?
さながらあたしはかしづくメイド。
やった! ちょっとだけランクアップ! と少しだけ気持ちが上向いてしまう自分を情けなく思いながら、トホホとお茶の準備をしようと立ち上がる。
戸棚からグラスを、冷蔵庫から麦茶を取り出してテーブルに置く。
「ちょっと~? 氷は~? わたしが来る時ぐらい作っときなさいよ~」
「ごめん、忘れてて……じゃなかった!! 文句言わないの!」
「こっちは笑いすぎで暑いってのに~!エアコンもない部屋にわざわざ来てあげたわたしをもっと敬え~! 崇め奉れ~! 氷を用意しろおじゃ~!」
おんぷちゃんがウガ~と駄々をこねる。
女王様、姫様、次は暴君。何かと忙しい
見た目と態度が全然合ってないけど、あたしの前ではいつもこんな感じ。
猫を被るというよりは使い分けてるんだろう。
おんぷちゃんはプロだから、舞台の上と外は違うんだって割り切ってるんじゃないかな?
ただ、割り切りすぎて性格の乖離が大きくなってる気がする。
それだけ仕事が大変なんだろうけど、躁鬱みたいな変わり様で見てると心配になってくる。
小学生の時のように多少の誤差があるにせよクールな性格を維持できていなかった。
例えるなら舞台の上では研ぎ澄まされた日本刀なのに、プライベートという鞘に納まると蒟蒻みたいに緊張が緩む。そんな感じ。
まぁ、師匠があのマジョプリマだからさ。
悪いとこも似ちゃったんだろうね……。
今のあたしはその蒟蒻になってる素のおんぷちゃんを間近で見れる名誉な立場なわけさ。
小さい時からずっと一緒にいるから今さらなんだけど、すこ~しだけ誇らしくも思う。
いつも振り回されっぱなしで苦労もしてる。
「もういい加減に……って、あぁぁ――っ!! おんぷちゃん!! 土足! 土足!」
「ん~? あらら、ついうっかり♪ ごめんね」
あたしは大声を出して指差す。
そういや窓から入ってきたんじゃん!!
気付かないあたしもあたしだった。
おんぷちゃんは涼しげな表情で履きっぱのサンダルを眺める。
フラフラと足先を揺らしながら手を上げて、指を弾いた。
部屋の空気が一斉に制止する。
柔らかい清涼感が辺りを漂い『魔力』がおんぷちゃんを中心に集束するのが視えた。
おんぷちゃんの意志が万物に浸透していく。
彼女が白と言ったら何もかもが白に変わるような絶対の号令。
『魔法』が発現した。
足先が淡い光に包まれておんぷちゃんの足からするりとサンダルが抜け出す。
ふわふわと漂いながら、玄関の方へ。サンダルは綺麗に揃えられた。
おんぷちゃんはくすりと笑って、
「これでいいかしら? お嬢さん♪」
ついでとばかりにまた指を弾く。グラスの上に氷の粒がザッと降ってくる。
冷えた麦茶を一口飲んだ。
魔力が霧散する。
見習いの時は曖昧だった感覚が今は手に取るように分かった。
おんぷちゃんの力量も。
いつ見てもおんぷちゃんの魔法は凄い。
物の移動という小さな魔法ですら。
結果が同じでもそこに至るまでの過程、そのレベルの高さに目を見張る。
頭でイメージ、指パッチン。
単純な行使だからこそ魔法は奥が深く、違いがよく理解できるんだ。
まずは静かだ。まるで息でもするかのように魔力を意のままに操る。
あたしは見慣れてるからまだしも他の魔女ならいつ魔法を使ったのかも分からないと思う。
それでいて自身の強い魔力に振り回されることなく乱れもしないその繊細さ。
小さい時のハナちゃんにあたしが苦労したように魔力が大きいと桁違いの魔法が発現できても、その分扱いが難しく暴発しやすい。
ダイナマイトで蟻の巣を破壊するようなもので、魔女としての素質や成長の度合いで魔力の加減が大変になる……らしい。
マジョリカからの受け売りだ。あたしは制御が必要なほど魔力を持ってないので……。
おんぷちゃんは魔法の鍛練にも余念がなくて今やその技術は魔女界でも屈指だった。
水晶玉も手にズシッとくるぐらい重くて純粋な魔女すら越える魔力量を誇る。
あたしの水晶玉も大きくなったけどまだ指先サイズ。技量は言うまでもなく……。
出発点は同じだったのに、こうも差がつくもんかなと柄にもなく殊勝な気持ちになる。
だけど、それだけに。
感心してばかりもいられなかった。
強い力だ。なのに、どうして――?
それをこうも簡単に使ってしまうおんぷちゃんに苛立ちを覚えてしまう。
何も今に始まったことじゃないけど、あたしはどうしても窘めずにはいられなかった。
「……おんぷちゃん、靴くらい自分で脱いだら? 無闇に魔法を使わないでよ。さっきだって窓から……あたしいっつも言ってるよね? 玄関から入ってって」
「え~、そんなこと言ってもどれみちゃん、ノックしても出ないじゃない。それにわたしは魔女なんだから魔法を使うのは当然でしょ。あなたもそうじゃない?」
おんぷちゃんの素っ気ない台詞にあたしは歯噛みした。
へらへらとした態度も、気に食わなかった。
おんぷちゃんは魔女になってから箍が外れてしまったように、ちょっとしたことにも魔法を使って楽をしようとする。
「効率的でしょ」とか「魔法は使わないと伸びないわ」とか、おんぷちゃんは言うけど……。
あたしからしたら何だか自棄を起こしてるようにしか見えない。
怒りを通り越して切なさすら感じてしまう。
おんぷちゃんの魔法がいかに凄くても、あたしはその使い方が大嫌いだった。
それに、今のおんぷちゃんの手首にはくすんだ色をしたブレスレットが鈍く光っていた。
小学3年生の時と同じ、禁呪のお守り――。
おんぷちゃんは、また人の心を操ったんだ。
小学校を卒業してアイドルを引退。
中学を卒業して魔女界に移り住む。
おんぷちゃんはその都度どこからか手に入れたお守りを使って家族を洗脳した。
さすがに子供の時のように暴走はしてないけど明らかに許されない行為だった。
家族を操ったのだって「パパやママを悲しませたくなかったし説明するのも面倒じゃない?」とあっけらかんで反省の色すらない。
魔女になってからおんぷちゃんは物事にドライな対応が多くて――
無駄を省くために情を挟まなくなっていた。
あたしが何度言っても聞く耳を持たないし、マジョリカにも訴えたけど「今のおんぷなら大丈夫じゃろ」と取りつく島がない。
堪らなく悲しかった。
皆バラバラになってしまったけど、一つだけ確かな思いがあって。
時々は目的から外れて空回りしたり寄り道したり。でも、それが楽しくて。
どこで、間違えてしまったんだろう。
魔法グッズを作ってた時も、ハナちゃんを育ててた時も、パティシエ試験の時も、先々代女王様の思い出を蘇らせた時も。
あたし達は同じ答えに辿り着いたはずなのに。
どうしてそんなことが言えるのか、信じられなかった。
おんぷちゃんはおんぷちゃんなりに考えがあるにしても、年月と共に人が変わるとしても。
一緒に過ごして同じものを得た友達同士。
共に成長して培ってきた、あの日々を。
ぜんぶ、忘れちゃったの――?
あたしは内心頭を抱えていた。
無駄だとは分かってるけど、それでも言葉を選びながらおんぷちゃんを諭し続ける。
「……自分が魔女だから知ってるんだよ。人間界で魔法を使うことがどういうことか。魔女ガエルの呪いが解かれてやっとこれから魔女と人間の友好が始まるって時に――」
「はいはい、お説教どうも。さすがおジャ魔女のリーダー様、大した志です。でも、ご心配なく。空飛ぶ時には視覚阻害の魔法使ってるからバレやしないわ。あなたと違ってわたしは魔女試験飛び級の天才なんですから」
あたしの言葉を遮って、おんぷちゃんは降参でもするみたいにお手上げのポーズをする。
ふざけた雰囲気にあたしは尚も食ってかかる。
「バレなきゃいいって、そういう問題じゃないよ! おんぷちゃんは忘れたの? 5人で話しあったことを。約束したよね? あたし達で魔女界と人間界を変えようって」
「あっはっはっは!! どれみちゃんがそれを言っちゃうんだ~!」
おんぷちゃんの笑い声が部屋に響いた。
単純な声量と、体の奥底で鳴るような力強いメロディにあたしはビクリと動揺する。
中学を卒業して、おんぷちゃんは魔女界でオペラの修業をしていた。
移住してから働き口を探してたおんぷちゃんにマジョプリマが声をかけたんだ。
同じ芸能とは言え自分が今までやってきたことと違うから最初は戸惑ったらしいけど、付き人や舞台裏での仕事を通してオペラの魅力にのめり込んでいった。
今では役を貰えるまでに実力をつけて、若手のディーヴァと評判の人気。
おんぷちゃんは鍛えているだけあって常人とは声の張りが違った。
まるで琴のように旋律を奏でて吐息すら甘い音色に変わる。
アイドルの時も凄かったけど今のおんぷちゃんは声だけでなく、存在自体がさらにパワーアップしたというか、スター性が段違いに濃くなった。
そこにいるだけで人を惹き付けるオーラ。
生まれ持った才能や資質、それに驕ることなく続けた努力や鍛錬。
あたしじゃ比べるまでもなく、おんぷちゃんの器量は他と厚みや深みが違っていた。
だから、おんぷちゃんの挑戦的な眼差しに、あたしはこんなにも簡単に狼狽えてしまう。
「……お言葉ですけど、その約束をいの一番に破ったどれみちゃんが言えることかしら? あなたのせいで5人は割れたわ。なまじっかその言葉が本気だとして、なぜ魔女界に行ってマジョハナ女王様をお手伝いして差し上げないの?」
おんぷちゃんの言葉がザクリと空気を裂いた。
鳴り止まない蝉の声。
今年は少ないとかなんとかニュースでやってたんだけど大嘘じゃん。
飽きもせずにジージーミンミンと。聞いてるだけで堪らなくなる。
反響する鳴き声が夏のボルテージをさらに高めてるようだった。
心の中まで炙られてる気分。
夏という名の電子レンジでチンされてる感じ。
30℃越えの室内に身を置いてるこちらの気持ちにもなれと、あたしは夏の神様に主張する。
念じるだけで、体は1㎜も動いてないけど。
ポンと開けっ放しの窓の外へ素足を放った。
暑さから逃げられず苦肉の策だ。
エアコンも扇風機もない室内は地獄の釜茹で。
あたしは少しでも空気を肌に晒そうとタンクトップにパン1の極力薄着。
大の字に体を伸ばして放熱の努力。
でも、そんな足掻きも虚しく赤熱した窓のサッシがあたしの足首を襲う。
「ぐえぇっ!?」と足を振り上げ、でんぐり返し。
勢い余って、机に足をぶつけ「ぎぃえー!」とゴロゴロ転がってたら今度は頭打った。バカ。
夏の暑さにノックアウト。
蒸気に項垂れて奇声を発して逃げ惑う。
花の小学3年生……じゃなかった、女子大生がやることじゃないよ。
あたしって世界一の、バカ。バカ。バカ。
大学生の夏休みって言ったらもっとやることあるはずなのに。
旅行とか、バイトとか、恋とか。
小学生の夏休みとは雲泥の差だった。
麦茶とか、MAHO堂の手伝いとか……恋とか。
あの時あったものが今はない。
もっとワクワクしたり、ドキドキしたり。
言葉にできない気持ちが夏の太陽の中に隠されていたのに。
一体、どこに行ってしまったんだろうか。
膝を抱えて体を丸める。
ぶつけた痛みはぼんやりと奥へ吸い込まれた。
舞い上がる埃がチリチリと光った。
あたしはそれを黙って眺めて。
手を伸ばしてそれを掴み取ろうとする。
当然、掴めるはずもなく握った手に陽射しがかかって影が伸びるだけだった。
――あたし、なにしてんだろ。
ホント、なにしてんだ。
あたしは確かにここにいるのに、どこにもあたしがいない感じ。
気持ちの置き所をなくして心がトゲトゲしている。自分の内側から抵抗を受けていた。
不満はないけど満足も、全てが宙ぶらりん。
何かがあたしの中で重い石みたいに固化して気持ちを塞いでる。
せっかくの夏休みなのに、なんでこんなに不安なんだろう。
退屈だし、パーっと開放的になってもおかしくないのに。
逃げるほどでもない焦りがあって、暴れるほどでもない葛藤があった。
それがあたしを野放しにしない。
不安定な現実にあたしを結び付けようとする。
年を経るにつれてより強く。
多分、小学校を卒業してから、ずっと。
あたしが独りになってからだ。
一人ぼっちってわけじゃないんだけど、回りには家族も友達もいて……まぁ、普通。
なのに、なんだか壁を感じちゃって。
最初はハードルくらいの高さだったそれは徐々に競り上がってきて、あたしは年月ともに聳え立つ壁を見ては顔が青ざめた。
後ろから飛べ、飛べ、と誰かに急かされてるようにプレッシャーを感じていた。
昔は、こういうことを逸早く相談できる大親友達がいたんだけど――
今は、もういない。
いつも5人で一緒にいた。
ずっと仲良しでいたいと、願っていた。
ももちゃんとはたまにメールをするけど、あいちゃんやはづきちゃんについては今はどこで何をしているのかも知らない。
小学生の時が最後で、大人になった彼女達の姿が想像もつかなかった。
町ですれ違ってもお互いに気付きもしない。
気付いたとしてもそのまま通り過ぎるだけ。
赤の他人なんだと思う。
また、あの時みたいに。
互いをぶつけ合ったり、支えあったりすることは、もうあり得ないんじゃないかな。
大人になってからそ~いうのがサムくなったってのもあるけど、一番の原因はあたし。
あたしが壊したんだ。皆の絆を。
切り裂いて、あたしから輪を離れた。
幼馴染みだったはづきちゃんですら、地元に戻っても顔を合わせることはない。
顔を合わせるのが嫌だから、あたしは美空町を離れて日本の端っこの、国立の端くれにしか過ぎない大学にテキトーに入学した。今思えばちょっとやりすぎだった。
あいちゃんも大阪に行ってから……。
はづきちゃんとは仲良くやっていると話で聞いている程度。
ももちゃんはアメリカにずっと住んでて時折、あたしの体調のこととか心配してくれる。
あたしはメールを受け取る度に「オカンか!?」と一人でツッコんではその気遣いを嬉しく思うんだけど、未だにアメリカからこっちに来てくれることはなかった。
ももちゃんもあたしも、会いたいなんて一言も言わないから当然で。でも、たま~にその距離感がエラく寂しかったりする。
さっきは独りって言ったけど、よくよく考えてみれば別にこれでいいのかも。
皆それぞれ自分の人生を歩き出しただけで、別れ方が少し悪かった……。
責任を棚に上げてるわけじゃないよ。
だって、しょうがないじゃん。
あたし達は二度と戻れない道を歩いている。
あたしもちっとは冷静に、図々しく物事を見れるようになったんだ。
一々落ち込んでたらドジばっかしてるあたしみたいな人間はやってられない。
人生は一度きり。どんな人も後悔だらけ。
でも、そんな後悔も心持ち次第で納得できる。
ましてや、あたしは魔女見習いだった。
普通の人間とは、違う。
物事を複雑にした原因。
あたしの今までに過ちがあるとすれば、それは魔女に関わってしまったことかもしれない。
もし、魔女に出会わなければ。
あたしは自分の在り方を丸ごと変えてしまうような大きな選択を、あんなにもあっさりと決めることはなかったはずだ。
もう何もかも遅いんだけど。
あたしは数奇な運命へと、足を踏み出した。
ずいぶん遠くまで歩いた気がする。
振り返るほどの記憶はないけど、過去なんてもうあたしには関係ない。
あるのは途方もなく長い年月。
数えるのも億劫な、明日だけ。
あたしは前を向く度に溜め息をついてしまう。
それほどに遠い未来。
道、というほど親切なものじゃない。
目の前に広がるのは砂漠のように荒涼な世界。
目的はなかった。
どこへ向かおうと、それもいいかなと思える。
だけど、その曖昧さが仇となり、あたしの行く日々に蜃気楼を立ち昇らせる。
あたしはいつも迷いや幻想にふらふらと惑わされ前へ後ろへ進んでは行方を見失う。
捻曲がったあたしの人生。
そんな旅路にも何故か奇妙な道連れがいた。
だだっ広い砂漠でも、二人でいると狭く感じてしまう。
彼女はよくあたしの隣で微笑む。あたしはいつも心がキュウと縮んだ。
堪らなく窮屈だった。
だけど、もし彼女がいなくなったら、あたしは心に空いた隙間に堪えきれなくて彼女を探すためどこまでも歩いていくと思う。
あたしにとって唯一の道標。
鼓動が気に入らないからと心臓をもいで捨てるなど、どうして出来よう?
決して切り離せないあたしの半身。あたしの中で矛盾を生じさせながら、彼女を追い出すことは永遠に叶わない。
行方を失ったあたしと、あたし自身を目的にしている彼女。
二人はいつも一緒だ。
「ま~ただらしない格好! 死体じゃないんだから少しはシャンとしなさいよ!」
外からは肌に絡み付くような湿った風。
その風を遮るように、窓辺には一人の女性が空に浮いていた。
普通はあり得ないその姿も幼い頃から見飽きた光景だった。
箒に跨がって空を飛ぶ。不可能を可能にする力を持っている。
そして、それはあたしも同じ。
「また遊びに来たわよ! どれみちゃん!」
アメジストのような艶やかな髪が風に舞う。
夏の陽射しをバックライトにして、おんぷちゃんがあたしの部屋へ降り立つ。
☆
「汚いわねぇ~。人の住むとこじゃないわ、この部屋」
おんぷちゃんは頭だけで部屋の中を覗いては悪態をつく。
「よっと!」と窓の敷居に足をかけて堂々と中に入ってきた。
あたしは寝そべりながら体を起こそうともせず威厳も威圧感もない体勢で客人を出迎える。
「うっさいな~。ほっといてよ。てか、なにしに来たのさ? 一昨日も来たのに」
「何度でも来ますとも。時間がある限りね。ふむふむ、誰か訪ねてきた形跡はなし……関心関心♪ 相変わらずうらぶれた大学生活を送ってるようね!」
おんぷちゃんはウンウンと楽しそうに頷いて、あたしのベットに足を組んで座った。
サマーワンピースの長いスカートを翻して。優雅に、大胆に。
あたしは一つ一つの仕草に目を奪われていた。
――綺麗。
心臓の鼓動が大きくなる。
ちょっとした動作でも様になっていた。
所作の中に滲み出る高貴さは他の誰とも違う雰囲気を醸し出す。
美しい女性だ。女のあたしからしても、嫉妬すら浮かばないほど。
小学生の時ですらアイドルとして人気を誇っていた美貌は大人になって磨きがかっていた。
シンプルな出で立ちは彼女の美しさをさらに引き立たせ、旺盛な夏の陽射しすら霞んだ。
薄い生地から女性的なラインが浮かび上がり、扇情的な光景。見てるだけでノボせそう。
肩まで伸びた髪は柔らかに波打ち白く滑らかな肌。口紅を塗った唇はふっくらとして。
彼女ほど美しいモノは他にないだろうと、どれだけ追求したところでこれ以上の美しさは作れないだろうと、強い確信を持てるほどだ。
あたしはおんぷちゃんと一緒にいる時だけ、夏が好きだった。
美人は3日で飽きるなんて大嘘で、現にあたしはいつもまでも馴れない。
見とれてすぐに顔が赤くなってしまう。
夏なら赤くても暑さで誤魔化せる。緊張で顔を伏せても熱のせいにできる。
代わりに冬はどうしようもなくて。
あたしの思いはいつも筒抜けだった。
おんぷちゃんは芳香が漂うような吐息を溢し、黒く濡れた大きな瞳で見つめてくる。
あたしはそれだけでドキリと目が泳いだ。
まるで思春期みたいな慌てようで自分が恥ずかしくなる。
とりあえず視線を床の畳に逃がした。
「それにしても暑いわ、日本。魔女界は季節関係ないから楽なのに。どれみちゃんもやることないなら休みの間だけでも魔女界に来なさいよ。わたしは忙しいんだから手間が省けるわ」
おんぷちゃんは手で風を扇ぎ、ベットへ仰向けで倒れた。
まるで自分ん家みたいな寛ぎよう。おんぷちゃんはあたしの家に来るといつもそう。
魔女界への催促も、口酸っぱく。
同じ台詞で日増しに多く、高圧的に。
おんぷちゃんの勝手な言い分にあたしは少しムッとする。
別にあたしが会おうって言ってるわけじゃないし、何で魔女界に行かなくちゃいけないの?
別に来るのは勝手だけど、何であたしがおんぷちゃんの言うことに従わないといけないの?
別に何で別に何で何で別に別に何で……。
あ~、ムカムカしてきた!
よ~し、これは一言言っちゃろ。
あたしは暑さに眩みかけてる勢いに任せて、おんぷちゃんに逆襲を試みる。
ガバッと起き上がって、
「こっちだって忙しいもん! そっちに行く暇なんてないよ!!」
「へぇ~、その割りには部屋でゴロゴロウダウダしてたみたいだけど?」
「あ? それはそのぉ……そ、そうそう! 宿題! アパートで使われてる畳の縫い目についてレポートを大学に提出するため! あたしは観察の途中なんだから邪魔しないでよ!!」
「ははぁ、それはまた高尚な研究ですこと……具体的にはどんな?」
おんぷちゃんはあどけない顔で質問してくる。
小首を傾げて、人形みたいに愛くるしい。
いや、どんなって……。
そんなことあたしに聞かれても……。
自分がついた大嘘に湯立つ頭が悲鳴を上げる。
「ど、どんなとな!? それはね~、あ~、いぐさ、とか? ほら、畳って日本の心じゃん? 緊密に縫い合わされた藁床を見れば日本人のあいでんてていが呼び覚まされるというか?」
「『アイデンティティ』ね。全然言えてないじゃない、ふふ。それでそれで?」
「それで~、それでいてシャープというか? 目の付け所がね? 縦とか横とか、黄色にも緑にも、組み合わせで味わいが違って……樹齢にも似た趣があるわけさ。それはまるで日本で大事にされてる絆を象徴したレガシィで……」
「あっはは!! なにそれ? うんうん、もっとわたしに教えてくださる? プロフェッサー殿♪」
自分一人でしりとりをしているみたいだった。
単語から単語へ、言葉が跳ね回る。
畳なんて全く知らないから御託並べてるだけなんですけど。
それでもおんぷちゃんはケラケラと笑って話の続きを促す。
あたしはおだてられるまま、無い髭でもそびやかすようにエッヘンと胸を張る。
「うむ! 畳というのはだね、おんぷ君! 筵、蓙と進化し続けて連綿と受け継がれてきた芸術なのさ。一個一個、縫い目を数えて込められた意志を読み取る。これは民俗学なんだよ!! 」
「どれみちゃんって文学部じゃなかった?」
「それはそれ! 枠に囚われちゃダメ! 畳ってのは床に敷いてあるもの。心の中でも。その根底にあるものなんだから全てに通ずるんだよ。枠を作っていいのは畳一畳だけなんだ!!」
「まぁ! なんて力強いお言葉!! ふふっ、無学なわたくしめをお許しください……!」
「うむ、分かればよろしい!」
あたしは腕を組んで顎をクイッと持ち上げる。
鼻息を鳴らして、どうだと言わんばかり。
そんなあたしをおんぷちゃんはしばらく見つめていた。
息を止めてるみたいに口を結んでいる。
やがて体がプルプルと震え出して、
「――ブハッ!! あっははは~! もうだめ! 息苦し~! なによ、枠を作っていいのは一畳だけって!良いこと言ってるつもりなのそれで~!」
「え~? カッコよくない? 決まった!って思ったんだけど……てか、笑いすぎだよ」
おんぷちゃんは布団に足をバタバタさせて笑い転げていた。
お腹を抱えてる姿すらも綺麗。彼女が笑うと周りが華やぐような生気に満たされていく。
対してわたしの心中は複雑だった。
おんぷちゃんが笑ってくれるのが嬉しいような悲しいような。
話している内に暑さにやられた頭が次第に冷めていった。
よくよく現状を考えると……。
ベットで横になりながら頬杖をついて微笑む絶世の美女の前で、パンツいっちょの半裸の女が畳をバンバンと叩いて訳の分からない戯言を喚き散らす。
寛ぐ女王様の前で芸をする奴隷、とか……?
さすがに他国かどっかから献上された珍獣には当て嵌めない。最低限のプライドだった。
あたしもそこまで自分を貶めたくはなかった。もう遅いような気するけど。
「あ~! 喉渇いた!! どれみちゃん! お茶!」
「……はいはい、ただいまお持ちします」
おんぷちゃんはグワーッと手足を伸ばす。
女王様というより、ワガママお姫様って感じ?
さながらあたしはかしづくメイド。
やった! ちょっとだけランクアップ! と少しだけ気持ちが上向いてしまう自分を情けなく思いながら、トホホとお茶の準備をしようと立ち上がる。
戸棚からグラスを、冷蔵庫から麦茶を取り出してテーブルに置く。
「ちょっと~? 氷は~? わたしが来る時ぐらい作っときなさいよ~」
「ごめん、忘れてて……じゃなかった!! 文句言わないの!」
「こっちは笑いすぎで暑いってのに~!エアコンもない部屋にわざわざ来てあげたわたしをもっと敬え~! 崇め奉れ~! 氷を用意しろおじゃ~!」
おんぷちゃんがウガ~と駄々をこねる。
女王様、姫様、次は暴君。何かと忙しい
見た目と態度が全然合ってないけど、あたしの前ではいつもこんな感じ。
猫を被るというよりは使い分けてるんだろう。
おんぷちゃんはプロだから、舞台の上と外は違うんだって割り切ってるんじゃないかな?
ただ、割り切りすぎて性格の乖離が大きくなってる気がする。
それだけ仕事が大変なんだろうけど、躁鬱みたいな変わり様で見てると心配になってくる。
小学生の時のように多少の誤差があるにせよクールな性格を維持できていなかった。
例えるなら舞台の上では研ぎ澄まされた日本刀なのに、プライベートという鞘に納まると蒟蒻みたいに緊張が緩む。そんな感じ。
まぁ、師匠があのマジョプリマだからさ。
悪いとこも似ちゃったんだろうね……。
今のあたしはその蒟蒻になってる素のおんぷちゃんを間近で見れる名誉な立場なわけさ。
小さい時からずっと一緒にいるから今さらなんだけど、すこ~しだけ誇らしくも思う。
いつも振り回されっぱなしで苦労もしてる。
「もういい加減に……って、あぁぁ――っ!! おんぷちゃん!! 土足! 土足!」
「ん~? あらら、ついうっかり♪ ごめんね」
あたしは大声を出して指差す。
そういや窓から入ってきたんじゃん!!
気付かないあたしもあたしだった。
おんぷちゃんは涼しげな表情で履きっぱのサンダルを眺める。
フラフラと足先を揺らしながら手を上げて、指を弾いた。
部屋の空気が一斉に制止する。
柔らかい清涼感が辺りを漂い『魔力』がおんぷちゃんを中心に集束するのが視えた。
おんぷちゃんの意志が万物に浸透していく。
彼女が白と言ったら何もかもが白に変わるような絶対の号令。
『魔法』が発現した。
足先が淡い光に包まれておんぷちゃんの足からするりとサンダルが抜け出す。
ふわふわと漂いながら、玄関の方へ。サンダルは綺麗に揃えられた。
おんぷちゃんはくすりと笑って、
「これでいいかしら? お嬢さん♪」
ついでとばかりにまた指を弾く。グラスの上に氷の粒がザッと降ってくる。
冷えた麦茶を一口飲んだ。
魔力が霧散する。
見習いの時は曖昧だった感覚が今は手に取るように分かった。
おんぷちゃんの力量も。
いつ見てもおんぷちゃんの魔法は凄い。
物の移動という小さな魔法ですら。
結果が同じでもそこに至るまでの過程、そのレベルの高さに目を見張る。
頭でイメージ、指パッチン。
単純な行使だからこそ魔法は奥が深く、違いがよく理解できるんだ。
まずは静かだ。まるで息でもするかのように魔力を意のままに操る。
あたしは見慣れてるからまだしも他の魔女ならいつ魔法を使ったのかも分からないと思う。
それでいて自身の強い魔力に振り回されることなく乱れもしないその繊細さ。
小さい時のハナちゃんにあたしが苦労したように魔力が大きいと桁違いの魔法が発現できても、その分扱いが難しく暴発しやすい。
ダイナマイトで蟻の巣を破壊するようなもので、魔女としての素質や成長の度合いで魔力の加減が大変になる……らしい。
マジョリカからの受け売りだ。あたしは制御が必要なほど魔力を持ってないので……。
おんぷちゃんは魔法の鍛練にも余念がなくて今やその技術は魔女界でも屈指だった。
水晶玉も手にズシッとくるぐらい重くて純粋な魔女すら越える魔力量を誇る。
あたしの水晶玉も大きくなったけどまだ指先サイズ。技量は言うまでもなく……。
出発点は同じだったのに、こうも差がつくもんかなと柄にもなく殊勝な気持ちになる。
だけど、それだけに。
感心してばかりもいられなかった。
強い力だ。なのに、どうして――?
それをこうも簡単に使ってしまうおんぷちゃんに苛立ちを覚えてしまう。
何も今に始まったことじゃないけど、あたしはどうしても窘めずにはいられなかった。
「……おんぷちゃん、靴くらい自分で脱いだら? 無闇に魔法を使わないでよ。さっきだって窓から……あたしいっつも言ってるよね? 玄関から入ってって」
「え~、そんなこと言ってもどれみちゃん、ノックしても出ないじゃない。それにわたしは魔女なんだから魔法を使うのは当然でしょ。あなたもそうじゃない?」
おんぷちゃんの素っ気ない台詞にあたしは歯噛みした。
へらへらとした態度も、気に食わなかった。
おんぷちゃんは魔女になってから箍が外れてしまったように、ちょっとしたことにも魔法を使って楽をしようとする。
「効率的でしょ」とか「魔法は使わないと伸びないわ」とか、おんぷちゃんは言うけど……。
あたしからしたら何だか自棄を起こしてるようにしか見えない。
怒りを通り越して切なさすら感じてしまう。
おんぷちゃんの魔法がいかに凄くても、あたしはその使い方が大嫌いだった。
それに、今のおんぷちゃんの手首にはくすんだ色をしたブレスレットが鈍く光っていた。
小学3年生の時と同じ、禁呪のお守り――。
おんぷちゃんは、また人の心を操ったんだ。
小学校を卒業してアイドルを引退。
中学を卒業して魔女界に移り住む。
おんぷちゃんはその都度どこからか手に入れたお守りを使って家族を洗脳した。
さすがに子供の時のように暴走はしてないけど明らかに許されない行為だった。
家族を操ったのだって「パパやママを悲しませたくなかったし説明するのも面倒じゃない?」とあっけらかんで反省の色すらない。
魔女になってからおんぷちゃんは物事にドライな対応が多くて――
無駄を省くために情を挟まなくなっていた。
あたしが何度言っても聞く耳を持たないし、マジョリカにも訴えたけど「今のおんぷなら大丈夫じゃろ」と取りつく島がない。
堪らなく悲しかった。
皆バラバラになってしまったけど、一つだけ確かな思いがあって。
時々は目的から外れて空回りしたり寄り道したり。でも、それが楽しくて。
どこで、間違えてしまったんだろう。
魔法グッズを作ってた時も、ハナちゃんを育ててた時も、パティシエ試験の時も、先々代女王様の思い出を蘇らせた時も。
あたし達は同じ答えに辿り着いたはずなのに。
どうしてそんなことが言えるのか、信じられなかった。
おんぷちゃんはおんぷちゃんなりに考えがあるにしても、年月と共に人が変わるとしても。
一緒に過ごして同じものを得た友達同士。
共に成長して培ってきた、あの日々を。
ぜんぶ、忘れちゃったの――?
あたしは内心頭を抱えていた。
無駄だとは分かってるけど、それでも言葉を選びながらおんぷちゃんを諭し続ける。
「……自分が魔女だから知ってるんだよ。人間界で魔法を使うことがどういうことか。魔女ガエルの呪いが解かれてやっとこれから魔女と人間の友好が始まるって時に――」
「はいはい、お説教どうも。さすがおジャ魔女のリーダー様、大した志です。でも、ご心配なく。空飛ぶ時には視覚阻害の魔法使ってるからバレやしないわ。あなたと違ってわたしは魔女試験飛び級の天才なんですから」
あたしの言葉を遮って、おんぷちゃんは降参でもするみたいにお手上げのポーズをする。
ふざけた雰囲気にあたしは尚も食ってかかる。
「バレなきゃいいって、そういう問題じゃないよ! おんぷちゃんは忘れたの? 5人で話しあったことを。約束したよね? あたし達で魔女界と人間界を変えようって」
「あっはっはっは!! どれみちゃんがそれを言っちゃうんだ~!」
おんぷちゃんの笑い声が部屋に響いた。
単純な声量と、体の奥底で鳴るような力強いメロディにあたしはビクリと動揺する。
中学を卒業して、おんぷちゃんは魔女界でオペラの修業をしていた。
移住してから働き口を探してたおんぷちゃんにマジョプリマが声をかけたんだ。
同じ芸能とは言え自分が今までやってきたことと違うから最初は戸惑ったらしいけど、付き人や舞台裏での仕事を通してオペラの魅力にのめり込んでいった。
今では役を貰えるまでに実力をつけて、若手のディーヴァと評判の人気。
おんぷちゃんは鍛えているだけあって常人とは声の張りが違った。
まるで琴のように旋律を奏でて吐息すら甘い音色に変わる。
アイドルの時も凄かったけど今のおんぷちゃんは声だけでなく、存在自体がさらにパワーアップしたというか、スター性が段違いに濃くなった。
そこにいるだけで人を惹き付けるオーラ。
生まれ持った才能や資質、それに驕ることなく続けた努力や鍛錬。
あたしじゃ比べるまでもなく、おんぷちゃんの器量は他と厚みや深みが違っていた。
だから、おんぷちゃんの挑戦的な眼差しに、あたしはこんなにも簡単に狼狽えてしまう。
「……お言葉ですけど、その約束をいの一番に破ったどれみちゃんが言えることかしら? あなたのせいで5人は割れたわ。なまじっかその言葉が本気だとして、なぜ魔女界に行ってマジョハナ女王様をお手伝いして差し上げないの?」
おんぷちゃんの言葉がザクリと空気を裂いた。
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