中条きよし文教科学委員会で自身のレコード発売とディナーショーの宣伝をしたのだとか。
中条きよし議員が謝罪、維新は厳重注意…国会で新曲宣伝「芸能や文化の話はいいかと」
国会で「わたしの新曲が出てます」 中条きよし議員“宣伝になると知らず”釈明会見
三味線屋の勇次を演じたりヒット曲「うそ」を歌う中条きよしさんの人間性がどうであれ、ブラウン管(古い!)の勇次がかっこよく、「うそ」が心に響きさえすればそれでいいのかも知れません。
しかし、国民の信任を得て一部権力を握る立場になる人としては、あまりにも意識が低いとしか云いようがありません。
最近、このような自己PRや死刑執行の判子を押す地味な役職など言ったという陳腐なスキャンダルが多く、本来信頼という関係で繋がるべき国会議員に対する信頼が持てなくなっています。
PRも地味な役職も、仲間内の呑み会での洒落なら判らなくもないが、私的時間と公的時間との使い分けが出来ない・・・つまりTPOを判断できない、その程度の人なのだと思います。
芸能界での中条氏も政界での葉梨氏も、有る部分ではとても有能な人なのでしょうが、権力を委任する側にとっては、人間性に不安を感じざるを得ません。
葉梨氏は政治を生業とする家に婿入りすることで、自ら政界への道を歩み続けてきました。
一方、中条氏は日本維新の会が公認し比例区で当選を果たしています。つまり、日本維新の会を応援した人たちの票で、日本維新の会の後押しで議席を得ました。(本人は4万7千票を得ています)
両者を比較することに意味があるかは判りませんが、中条氏の議席を得て4ヶ月でのこの発言は、議員を続けることで錯覚した慢心とは違い、中条氏その人が元々持つものであり、そこに公認を与えた日本維新の会の責任は大きいものと感じてしまいます。
日本維新の会だけではありませんが、個人のネームバリューに寄りかかる政党の戦略は、レベルの低いものであり、また、選挙民を「その程度」と考えていることの証に他なりません。
文教科学委員会の映像を見るにつけ残念でなりません。 大丈夫か日本!