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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

手厚い支持基盤 『月刊おたる』

2016年11月08日 19時09分12秒 | 書評


手厚い支持基盤 『月刊おたる』
 仕事先のカウンターに積んであったので、一冊唱題してきました、ですよ.
 『月刊おたる』はB6判60ページ建て.エッセイ15本を15人の投稿.その原稿量は、400字詰めで60枚相当、か.
 人物紹介で登場は5名で、その字数は1350字.

 手厚さは層の厚い協賛商社=52社、賛助商社=4ページ分、賛助会員一覧=1ページ100名.広告ページ数16ページ余に納めている.

 人材の収攬.協賛商社&賛助商社の豊富さ、賛助会員の支持力.北の商都にして北のウォール街と呼ばれた=小樽の潜在能力発揮、か.

 各地でタウン誌衰退の今、着実な実績.頒価100円、毎月発行.
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風と土から作品理解 井上謙著『東京文学探訪 下』

2016年06月03日 06時44分28秒 | 書評


風と土から作品理解 井上謙著『東京文学探訪 下』
 2001年の出版で、「明治を見る、歩く」の副題がありますねー.買い置きしてそのまま.世に<ツンドク>の状態から<ツウドク>の段階に、さきごろ.

紹介の切り口、そして作品の舞台の<ブロック化>.

 そうした視点で拝読は、いけないのかも知れないが.
 <下巻>の最初は、徳富蘆花に国木田独歩.

 そういえば叔父宅を訪ねるのに乗車した<京王線 芦花公園駅>は、徳富蘆花記念館とかの下車駅であったか.

蘆花公園駅
 そして<文学の舞台>としての<武蔵野>の<入り口>にあたるの、かと.
 <蘆花公園駅>から徳富蘆花を思いだしてはいた.発行直後に読んでいたら、手にして歩いてみたはずながら.
 
 その後転居、2003年に没した叔父にも申し訳ないことで.
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日中共存を追い続けた5000人のエリートたち 西所正道著『上海東亜同文書院』

2016年06月02日 06時04分14秒 | 書評
日中共存を追い続けた5000人のエリートたち 西所正道著『上海東亜同文書院』
 1901年かに、「『日中共存共栄』を教育理念」に、かつ「中国ビジネスのエキスパートを養成する学校」として、上海東亜同文書院は開設されたのだと、ある.
 戦前、一高・海軍兵学校、陸軍士官学校、東京商科大学とならぶ「(旧制)中学生憧れの五大校」とされる.



「プロローグ」「第一章」

 ここで設置趣旨、教育理念、輩出の人材を述べる.第二章以下、12章に卒業生像を個別に紹介.その紹介を通じて同文書院の教育内容、時代の要請、卒業後の日中間をむすぶ貢献と実績が概観される.

 「学校でやるべきだと教えられた『理想』と、戦場で自分がやらなければならない『現実』とのギャップ」で、「大いなる屈折を味わったはず」(10p).
 「中国という相手の懐に入る」(15p)
 「(日本人が中国人を蔑視するは)日清戦争に勝ったのがきっかけ」(16p)
 「中国自体を知ることが先決」「(日清戦争勝利の)媚薬は正常な方向感覚を失わせてしまう」(20p).

1972年、
 この年は日中国交回復の画期となる.
 ここに至る土を耕し、タネを播き、水をそそぎ、草・虫=あつれきを排したは、戦前に中国を肌で学んだ<層>の<平衡感覚>ではなかった、か.
 今日、日中に<溝>が指摘されるとすると、<エリート>のなかに芽生えている<垂直感覚>.
 
 本書は近くにお住まいの先輩から、「読んでみて」と頂戴.
 上手に表現いたしかねるも、<関係>を<つながり>ではな<比較>で捉えることが、<溝>を<壁>にしてるのかと、読みすすみつつ思い巡らしたのであるが.(角川書店 2001年).
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「切れ味鋭い金言」と 釋徹宗著『歎異抄』

2016年04月05日 05時52分49秒 | 書評


類書は多い.だが著者の観点は明確
 「(『歎異抄』の)魅力は二つ」(5p).
 1)人の内実へとズバリと切り込む、「切れ味鋭い金言や箴言(しんげん)にあふれている」
 2)人々が漠然と抱いていた宗教や仏教の「イメージをひっくり返す力を持っている」
「(私たちの)常識を揺さぶるような逆説的な内容がいくつも書かれている」とする.

 「切れ味と深みのある書物」
(64p).
 『歎異抄』の書物としての評価.他方で親鸞門弟に「ものを書いた人があまりいない」うえに、「親鸞も自身のことはほとんど書いていない」と、中世思想形成上の位置も示す.

「語録(師訓)篇」、「歎異(異議)篇」、各2回

 4回にわけ放送される.全18条で構成と記憶している.1回目に3条をのぞく前半10条の解説、2回目で3条「善人なほもって」を独立させて述べている.

 後半は第10条を二つにわけ、10条は前半「念仏には無議をもって議」と、後半の「中序」に区分.
 そのうえで11条から18条までを3回目で、後序を4回目にあて、講座を締めくくる.

 メリハリの手際.うなづかせてくれるの、思い.(日本放送出版協会 100分 de 名著テキスト 2016年).
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どなたの本音を代弁? 増田寛也編著『地方消滅』

2015年12月21日 08時16分36秒 | 書評


 どなたの本音を代弁? 増田寛也編著『地方消滅』.
 元岩手県知事、のち総務大臣の編著で、2014年8月に出版以来、20万部売れたとされている.
 日本創成会議・人口問題検討分科会による、「人口急減社会への警鐘」を書く.

 産業構造の激変.
 95p~123をあて、「未来日本の縮図・北海道の地域戦略」という記載が示されてる.
 なかでも「釧路圏」については、人口減少の要因を「産業構造の激変」に求め、「主力産業の衰退が人口減少に直結」と記載.
 北海道内の関係者が書いているようであるが、これまで日本経済が、<北海道に求めていた機能>について、理解しようとしていないかのように読める.

 率直におもう3点.
 本書を読み率直におもった点を3点.
 (1)「これまでの国政に対する総括や修正がみあたらない」.
 (2)「地域の衰退は市民の努力不足か、外部投資の縮小・移転の結果なのか」、
 (3)「人口減少の要因は、子どもを生める年齢階層の女性数の問題にのみ、収斂=まとめること、集約してよいのか」.

 「警鐘」は誰のために.
 第一章のタイトルは、「人口急減社会への警鐘」.その警鐘は、誰のためのメッセージ、いかなる階層にむけての<努力目標>なのか.

 本書の提言を歓迎するのは、エリート官僚に二次・三次産業の財界・経済界か.
 消滅の危機を名指しされた市町村は、対応に苦慮するのでは.
 もっともいちばんの歓迎は、雑誌に連載、新書出版で「新書大賞」を贈られ、「地域たたみ」とも「農村たたみ」とも指摘される混乱を生みだしている、出版社かもしれないが.(中央公論社 2014年)
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Text『美味しゅうございます』構造 200708

2015年11月26日 08時31分52秒 | 書評


 Text『美味しゅうございます』構造 200708.
 4回にわけてひと月放送された、教養番組テキストの構造.
 4回にわけての放送と言うこともあるが、その構造を図化してみると.

 Text『美味しゅうございます』は.食生活ジャーナリスト、岸朝子氏を取材・出版.

 そういえば、作家の五木寛之にも『林住期』の著作があって、4期にわけられている.

 (引用).
  古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。
 「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆぎょうき)」。

 50歳をはっきりひとつの区切りとして受けとめる必要がある、と私は思う。
 そして、そこから始まる25年、すなわち「林住期」をこそ、真の人生のクライマックスと考えたいのだ。
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四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』

2015年09月18日 06時53分29秒 | 書評


四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』.

 ある意味、鎌倉のイメージ革新、そこを迫る.
 鎌倉は今に連なる、首都圏の一翼.源氏の棟梁が開府したことは余りに著明.しかし源氏三代、北條一族の継承後は歴史の視野から消える.しかし源氏・北條・足利・上杉の四氏に受け継がれ、「十五世紀の半ばまでは繁栄を続けた」(「はじめに」 ).

 イメージ革新.最初は、鎌倉開府の要因
 1)海に面し、中央と房総半島をむすぶ交通の要衝 2)源氏ゆかりの地 3)東・西・北の三方を山で、南を海に面する要害の地(5~6p).
 2)、3)は注目されたが、1)は相模国以外の地では意外なのかも.
 
 都市イメージの革新.その二は、北條氏滅後の鎌倉.
 そこを考古学の成果から、「(鎌倉の遺構・遺物は)十四世紀を通じ質・量ともにそれ以前と変らない」(102p)と示す.結論を言えば「(室町幕府の)鎌倉府の都(評者注=東国経営の拠点ということか)として繁栄をとげていた」(同)とする.

武将イメージの革新.
武将イメージとは大げさかも知れないが、上杉氏が「鎌倉公方」(144p)として鎌倉に存在感をもち、関東管領の補佐役から近世大名に転じて東北・山形で存在感を示した.信州での上杉を知る人は多いが、その出自が鎌倉にあった点を示してある意味、<下克上>の豊富化を読ませる.

著者は鎌倉新仏教の思想構造も手がけ、山形に奉職しながら本書で「鎌倉」を、書いている.
「寺としての鶴岡八幡宮」(15p)や、「遁世僧たちを核として成立した教団の仏教が鎌倉新仏教と考えている」(30p)は、前者の業績によるものか.他方で、上杉謙信の登場に一章をもうけて刮目させるは、後者のなかで培った問題意識かも.(中公新書  1997年).
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時を刻んだ詞 秋元ほか談「阿久悠」

2015年05月28日 05時41分37秒 | 書評


作詞家 阿久悠
その人物像を秋元 康・篠田正浩・小西良太郎・船村徹が語る構成.『NHK知るを楽しむ 秋のこだわり人物伝』の一冊.

秋元が語るは、「3分間の夢」.
その記載によると、「3分の歌に2時間のドラマ」だ、そうで.たとえば八代亜紀唄の「雨の慕情」.その一節にある「心が忘れても、膝が重さを覚えている」などは、余人のおもいつかない絶妙な表現なのだそうだ(98p).

 八代の妖艶に参るわけだが、そのベースに、多くの者をシビレさせる詩がある、わけ.
 秋元はまた、「(阿久の作品)売れる歌は絵になりやすい」(96p).「テレビというものを意識した、はじめてtの作詞家なのだと実感」(97p)とも、語る.
 時を刻んだ詞 秋元ほか談「阿久悠」(日本放送出版協会 2006年10月).
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エンジェルロード 大先輩に一首頂戴

2015年05月25日 07時05分10秒 | 書評
「夕凪の エンジェルロードに 見つけたる 浜昼顔に 喜気たる媼」.

 先日、丁重に一首拝受.「なるほどねー」、感動いたしました.

 夕凪には浜昼顔.
 大パノラマの<エンジェルロード>に、方形3寸にもみたない<浜昼顔>.
 大先輩の<媼>も時季盛花の<浜昼顔>、
 自然も媼も詠み人も<喜気たる><思い>、と、



 時代と宇宙、<浜昼顔>のわずかな空間に、みごとに揃えられまして.

 エンジェルロード 大先輩に一首頂戴.ありがとうございました.
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書き方・まとめ方・味わい方の妙技を示す 藤田敬治著『「自分史」を書く喜び』

2015年05月04日 02時15分22秒 | 書評
書き方・まとめ方・味わい方の妙技を示す 藤田敬治著『「自分史」を書く喜び―書き方・まとめ方・味わい方-』 .
 暫く前に購入していたが、いわゆる<積ん読>状態にあった.連休後半.やおら取り出して.



 女性雑誌の編集長をながく務めたお方が、机上に積み重なってくる<体験手記>を読みながら、<自分史概念>がまとまってきた経過を、示す.

 「脳の活性化」、「記憶の記録」、「あいまいさの確認」.
 <自分史>効果の<有意意味性>を丁寧に説明し、豊富な<自分史講座>を主宰した経験を糧に、その描き方を提示する.

 自分史のポイント.それは身近に遭遇した事件と時代に対する<気持ち><受容>の提示の側面があるのだと、おもう.
 他方で図書館関係者なら<採話>、民俗学領域では<聞き取り?の営為があるも、そこで提示されている「記憶を記録することは歴史遺産>の側面は、ここでは触れられる点がなかった.

 本書はサブタイトルに示す「書き方・まとめ方・味わい方」の妙技を示す、か.
<自分史>は、書く人の<自己記録>つくり.<採話><聞き取り>は、<当事者に対する他者の記録つくり>.その差異が、<寸毫の差異>としてあるかも.(出窓社 2006年).
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商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道」

2015年02月03日 20時05分29秒 | 書評
  商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道」.

 商人道の紹介につづいては、大阪、京都、近江商人の個性に触れる.

 たとえて言及・
 大阪=液体.ある意味チャッカリしていて、逞しい点があるとする.
 京都=固体.カッチリしていて、互いにカンカンあたる.
 近江商人=気体.人間同士の信頼感、信義が、いちばん厚いように思える(74ー75p).

 近江商人の子弟採用.「間に合っている」は「気がきく」ということらしい.近江商人は、近江で商売をするのではなく、他所に出て商い.大阪、京都の対比が重要視点.(日本放送出版協会 2006年6月).
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「言論の自由、表現の自由がうばわれる」 杉浦有一・井上紀子談「無所属の生き方~素顔の父」

2015年01月21日 03時18分25秒 | 書評
 「言論の自由、表現の自由がうばわれる」.作家・城山三郎は「個人情報保護法」制定によせて、その行方を見守った. 息女にあたる両氏が、「無所属の生き方~素顔の父」で語っている.

 経済小説の領域を提示した城山三郎.愛読者は広い.
 「二十世紀後半の日本を代表する作家の一人」と評価され、「(城山にとって)『昭和』とはどのような意味をもっていたのか、そして作品を通して訴えかけようとしたのは何だったのか」(6p)と、編集者は問うている.

 城山を評して、「形式を嫌って常に真摯に人の心の本質を見つめてきた」(8p)との見解も、達観.
 ひとりの作家を解釈するに、息女両名に「素顔の父」、真山仁『小説 日本銀行』、佐高真<戦争文学>、、平松守彦に『官僚たちの夏』を、読み解かせる構成も異色.

 家庭にあっての城山.
 家族は城山ファンに対して、「人間をおもしろがるところがあり」「とことん人間好き」(20p)と、語る.
 「日本の原点は物づくりにあるとし、『株とか投機とか、そんなのは虚業』だ」(17p)とも語ったという.

 日本も好きで、時代が逆転することを、真に「案じた」、か.
 そういうことでも、あったのか.(NHKETV『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』 日本放送出版協会 2007年8月).
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辻惟雄著「絵にしか描けない美しさ 伊藤若冲」

2014年12月23日 11時02分26秒 | 書評
 辻惟雄著「絵にしか描けない美しさ 伊藤若冲」 伊藤若冲.

 東京国立博物館の展示会で突然、出会った.
 本書によれば辻氏は、1969年に評価し、京都の画家の存在を世に広めたのであると、言う.

 2001年、京都国立博物館で「若冲展」が開かれたとき、はじめ観客も少なく、しかし口コミで徐々に広がり、「若冲ブーム」の火付け役になったと、ある(91p).

 若冲の絵の魅力、その「美しさ」は「装飾性」にあると、される(94p).
 「装飾性」を形成する二つの要素が、示される.一つに「東寺の中国から輸入される花鳥画が装飾的」.
 さらなる二つ目は、「西陣織の絢爛たる装飾性」.
 「不思議な幻想性を持つデザインを生みだした」とする.

 若冲は、屏風に約1センチ間隔で、8万6000世のマス目をつくり、西陣織りの下絵の描き方にヒントを得て、立体感を出す.
(マス目に色を塗り、さらにその中にもうひとつ色を重ねるようにして立体感をだす).

 そこから、「新興町民層の美意識によって絵画の伝統に革命をもたらした」と指摘.「好奇心とユーモアに裏打ちされた個性によって、奇想の美、ギョッとする絵画の世界に高い芸術性を与えた」と、する.(辻惟雄著『ギョッとする江戸の絵画』 日本放送出版協会 2006年10月)
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幻だった黄熱病発見 長山靖生著「明治サイエンス事件帳」

2014年12月12日 20時07分40秒 | 書評
> 幻だった黄熱病発見 長山靖生著「明治サイエンス事件帳」.

 「明治サイエンス事件帳」は、科学の名において示された誤謬の流布、広汎された研究を拾う.

 「妖怪」「透視超能力」「ニポニウム」「ハレーすい星」.

 1919年、野口英世によって発見されたとする「黄熱病の病原菌」.現在では、「幻の研究」と
される(149p).
中学生のころ社会化の教科書に出ており、アンダーラインを引いて、記憶に努めた.背景に、「(大衆的な関心は)

 しばしば愛国的な顕示欲にに結びついていた」(145p)とする.実は欧米でも起きていた.

 「ニポニウム」「ハレーすい星」は、背景がそれとばくなく、判明.

 「妖怪」「透視超能力」の記載はいささか、わざとすぎるの観.要因が、

 「解答はできないがものの不思議がある」に、「存在そのものが謎」でそこに、

 「人が生涯をかけて問うべき課題がある」からと.する(112p).
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記事斎藤隆著『新聞で学力を伸ばす』

2014年11月03日 06時13分21秒 | 書評
斎藤隆著『新聞で学力を伸ばす』.朝日新書 2010年.

 新聞読者の感想を紹介.「思わぬところに自分の学びたいことが」.

 「特定の分野についての情報しか得ることが出来なかったが、(新聞で)今まで思いつかなかった新しい疑問がわいてきた」

 「ほぼ事実のみが書いてあり、ニュース番組でみたニュースの生を知ることができたような気がした」

 「『情報を得るための道具』から『切り抜き記事についてコメントをつけて話す』ことで考えるための道具になった」.

 「自分がいかに狭い視野でしか見ていなかったなということに気がついた」「また、切り抜いた記事を自分なりにまとめると、いうことにも達成感を感じられ、理解につながった」.

 大学生の新聞についての感想(4-5p).「切り取り、メモを書き、人に要旨・コメントを話す」(1p)の「日本全体のパワーは確実にアップする」(1P)と、書いているが.
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