2006年12月20日発行という、まだ市中に出まわっていない本書を、著者の方から頂戴した。3年ほど前の夏、会合で青地さんにお会いする機会があり、構想を温めていますとご挨拶をいただいていた。その著書が公刊されたのである。お慶びを申し上げたい。
本書の底流には、『田島與一郎日記』と呼ばれる越後出身の宮大工が書き続けてきた日記と、その田島與一郎翁を師匠とあおいで職人としての生涯をまっとうされた父上にあたる田村由松翁の軌跡が、据えられてある。3年前であったかご挨拶をいただいたとき、どうして著者が『田島與一郎日記』にこだわることになったのか、理解できないでいた。本書に接して、その日記へのかぎりないこだわりの理由が判明する。このマチで名工の誉れをえた田島與一郎翁は、著者の父、その師匠にあたるのだ。
釧路のマチには越後の関係者が多い。漁業者として、商人として、宮大工として、船大工として、農業者として、来訪している。農業移民は信濃川や阿賀野川の洪水によるものであろうが、米どころでもあるはずの越後平野からの大量移民、その理由がわからない。新潟と称される「潟=外海と切り離されてできた湖」の多い米作地帯で、厳しい地主制から逃れる人々があるいっぽう、地域によっては江戸時代から1900年前後にかけて、「半農半漁」の農の部分が欠落した地から、多くの移住民を輩出することになったのかも知れない。
本書は與一郎翁と由松翁を結ぶ「太子信仰」から始まる。田島與一郎翁は越後大工の仲間たちの多くがそうであったように、故郷の岩室村間瀬を出て福島県へゆき大工修行、所衆(ところしゅう)たる上級生の田中藤蔵を訪ねて釧路へやってきたことが、紹介される。そこへ弟子入りして與一郎翁を師匠とあおぐ由松翁の出世・一代記にペンを走らせる。師弟の技術、その伝承と熟練、新しい技法の習得、職人の気風、それを支持する周囲の理解、作品たる古建築との邂逅、家族や師弟関係の彩り。筆致豊かに展開しているが、そこには技術・技能への敬意と技能にたけた肉親・家族への深い愛情が、限りなくこめられている。
道具がモノをつくる。道具でモノをつくる。「を」と「で」の違いは途方もなく大きい。残された建築は、随所に技術の工夫と計算を尽くした結果として、作者の寿命を超えて後世に受け継がれるようにも思える。しかし、無惨にも解体や火災の被災で瞬時に命脈の終焉を迎える。作者はそうした現象に、かぎりない無念と無為を書く。作者の主人公へ寄せる深い愛情と思いれを感じさせてくれるのだ。職人は素材としての「木」に寄せる、深い思い入れがあったと触れて、技術者の畏敬の念に作者は思いを寄せる。しかしそれ以上に本書では、職人・技術、職人の思い入れの深さを肌で感じて見つめてきた作家の「ぬくもり」の暖かさが、作品全体を通じて満ちあふれているようでもある。
越後と北海道。才能を、離郷して開花させた事例は多い。釧路では秋田大工がいるなかで、そのゆるぎない地位を誇った「越後大工」の系譜。そのつながりの深さと広がりを、十二分に読ませてくれてもいる。
最後に、「作者へのこれから」についてに言及し恐縮ではあるが、底本となった『田島與一郎日記』はその前半部(昭和4年まで)が活字にされているにすぎない。残る部分の活字化ということも予定に入れてほしいものではある。(発行:編集工房ノア 2006年12月 1800円+税)
本書の底流には、『田島與一郎日記』と呼ばれる越後出身の宮大工が書き続けてきた日記と、その田島與一郎翁を師匠とあおいで職人としての生涯をまっとうされた父上にあたる田村由松翁の軌跡が、据えられてある。3年前であったかご挨拶をいただいたとき、どうして著者が『田島與一郎日記』にこだわることになったのか、理解できないでいた。本書に接して、その日記へのかぎりないこだわりの理由が判明する。このマチで名工の誉れをえた田島與一郎翁は、著者の父、その師匠にあたるのだ。
釧路のマチには越後の関係者が多い。漁業者として、商人として、宮大工として、船大工として、農業者として、来訪している。農業移民は信濃川や阿賀野川の洪水によるものであろうが、米どころでもあるはずの越後平野からの大量移民、その理由がわからない。新潟と称される「潟=外海と切り離されてできた湖」の多い米作地帯で、厳しい地主制から逃れる人々があるいっぽう、地域によっては江戸時代から1900年前後にかけて、「半農半漁」の農の部分が欠落した地から、多くの移住民を輩出することになったのかも知れない。
本書は與一郎翁と由松翁を結ぶ「太子信仰」から始まる。田島與一郎翁は越後大工の仲間たちの多くがそうであったように、故郷の岩室村間瀬を出て福島県へゆき大工修行、所衆(ところしゅう)たる上級生の田中藤蔵を訪ねて釧路へやってきたことが、紹介される。そこへ弟子入りして與一郎翁を師匠とあおぐ由松翁の出世・一代記にペンを走らせる。師弟の技術、その伝承と熟練、新しい技法の習得、職人の気風、それを支持する周囲の理解、作品たる古建築との邂逅、家族や師弟関係の彩り。筆致豊かに展開しているが、そこには技術・技能への敬意と技能にたけた肉親・家族への深い愛情が、限りなくこめられている。
道具がモノをつくる。道具でモノをつくる。「を」と「で」の違いは途方もなく大きい。残された建築は、随所に技術の工夫と計算を尽くした結果として、作者の寿命を超えて後世に受け継がれるようにも思える。しかし、無惨にも解体や火災の被災で瞬時に命脈の終焉を迎える。作者はそうした現象に、かぎりない無念と無為を書く。作者の主人公へ寄せる深い愛情と思いれを感じさせてくれるのだ。職人は素材としての「木」に寄せる、深い思い入れがあったと触れて、技術者の畏敬の念に作者は思いを寄せる。しかしそれ以上に本書では、職人・技術、職人の思い入れの深さを肌で感じて見つめてきた作家の「ぬくもり」の暖かさが、作品全体を通じて満ちあふれているようでもある。
越後と北海道。才能を、離郷して開花させた事例は多い。釧路では秋田大工がいるなかで、そのゆるぎない地位を誇った「越後大工」の系譜。そのつながりの深さと広がりを、十二分に読ませてくれてもいる。
最後に、「作者へのこれから」についてに言及し恐縮ではあるが、底本となった『田島與一郎日記』はその前半部(昭和4年まで)が活字にされているにすぎない。残る部分の活字化ということも予定に入れてほしいものではある。(発行:編集工房ノア 2006年12月 1800円+税)