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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

「戦国の威風をただよわせて松江の町を守っています」 松江城天守閣保存211129

2022年03月31日 05時54分52秒 | 旅紀行
「戦国の威風をただよわせて松江の町を守っています」 松江城天守閣保存211129

松江城は平成27年7月、国宝に指定された。「松江城天守 一棟」。
「水の都」と市民が誇る出雲国政庁のある地に、また一つ新しい付加価値が名実ともに創成された。

国宝指定の官報告示をうけて、市長は談話を発表している。
ーhttp://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/bunkazai/matsuejyou/kokuhou.html 市長コメントー松江城天守の国宝指定についてー
「松江城の価値を更に高めて発信」
「松江城だけにとどまらず、城下町としての歴史的な資産と景観を最大限に活かし、特色と活力に溢れたまちづくりを進め」
「こうした取り組みを市民の皆様との共創として、ともに手を携えて推し進めることとし、国宝松江城に相応しいまちづくりを進めたい」

「取り組みを市民の皆様との共創として」の背景には、松江城が保存されるまでに至る経過があるのであろう。
松江城大手門前掲示板の記載を以下に示す。

松江城保存につくした人々
 明治4年(1871)松江城の廃城が決まり、明治8年(1875)に利用できる釘や鎹(かすがい)など金物が目的の入札が決まりました。木材は燃やし、石材は壊されるしかありませんでした。松江城の姿は失われる寸前でした。
 この危機を救ったのが、元松江藩士高城権八(たかぎ・ごんぱち)と出雲郡出頭村(しゅっとうぐんしゅっとうむら 現斐川町坂田)の豪農服部本右衛門(はっとり・もとえもん)家の人たちでした。
 高城は銅山方役人、勝部家は当時、銅山経営をおこなっていましたので、本右衛門栄忠と息子の景浜は高城と公私にわたる親しい間柄でした。その時、松江城を管理していたのは陸軍広島鎮台でした。入札で松江に来ていた責任者の斎藤大尉と会い、入札と同金額を納めるから、せめて、天守閣だけでも残してほしいと懇願しました。天守閣の入札額は180円だったと伝えています。
 こうして。高城権八と勝部本右衛門の努力で松江城天守閣は残り、全国に現存する十二天守の一つとして、今も、戦国の威風をただよわせて松江の町を守っています。(「松江城保存につくした人たち」松江城大手門前掲示板211129)

以上の文は、以下のブログでも公開されている。
https://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu/e/5d1acbe17bb9b7930cde182d406c4b26 「日々史跡めぐり~日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています」
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