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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

鎌倉の裏鬼門=鎌倉大仏  国宝高徳院阿弥陀像220524

2022年06月08日 10時00分02秒 | 旅紀行
鎌倉の裏鬼門=鎌倉大仏  国宝高徳院阿弥陀像220524

 鎌倉の裏鬼門=鎌倉大仏  国宝高徳院阿弥陀像220524
 「鎌倉大仏」は「こんなに階段を昇る高台にあったか」。地図で測ると標高=12.5メートル。
 高徳院=鎌倉市(鎌倉市長谷4丁目2番28号)は、「清浄泉寺高徳院」と称する念仏専修の寺院。鎌倉大仏は「国宝銅造阿弥陀如来坐像」で、像高約11.3m、重量約121トン。
 別に「大異山高徳院清浄泉寺(だいいざん こうとくいん しょうじょうせんじ)と号する」との記載も見られる。

 造像までの過程は一筋ではない。
 どうも契機は、「京都や奈良に倣った都市づくり」と「首都にふさわしい象徴的な建造物」が必要で、「その象徴が、実は大仏」とする考え方があったらしい。
 1)大仏建設は1238(暦仁元)年に開始、当初は木造であったようだ。
 2)「1252(建長4) 年。制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられ(完成)」
 3)『東関紀行』には、「1242(仁治3)年に木造の大仏と大仏殿が、3分の2ほど完成」の記載もあるというが、この記載の信憑性を問う見解も示されている。

 本尊=国宝銅造阿弥陀如来坐像は、南南西に面して奉置されたと読める。
 その先に相模湾が広がり、中心の「由比ヶ浜」の西海岸に至るライン上に位置。
 「首都にふさわしい象徴」にして、外寇(がいこう)=国外から敵が攻めてくるを迎えるに対しているかの<たたずまい>。 

 かく拝して、高徳院を後にした。
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