「白糠のアイヌ語地名:キラコタン」 自然災害伝承地名220127
釧路国で「キラコタン kira・kotan 逃げる・村」は白糠町と鶴居村にある。
白糠郡白糠町の「キラコタン」は茶路 ちゃろ 川の下流部に位置する地名。地図上では役場所在地の西部に「京都大学演習林」の記載があるから、その西部ということに。
この伝承は渡辺茂著『白糠町史』(白糠町 1954年)に掲載されている。白糠町役場の所在するマサルカの地から、津波が発生した時に「逃げる」の行き先として、「キラコタン」が選ばれたのだとする。
(A)『白糠町史』(1954年)を編纂したとき、在住したコタン住民に伝承していた事象で信頼度は高いとするも、どの地震の津波かは不明のままとされている。
(B)「kira-kotan 逃げる・村」でその意味は、津波襲来時に「マサルカ」の地から「逃げこんだ」とする伝承である。
(C)どの津波襲来があてはまるかでは「17世紀前半の千島海溝・日本海溝を震源とした地震」や「1843年天保根室沖地震」を想定する論28)があるも不明。
地質学者の高清水氏は「コタンをあげてキラコタンに逃げたという可能性はあると考えている」とする。
今、「キラコタン」の領域をyahoo地図で探し、国土地理院図に落としこんだ(掲載図)。同様にマサルカの地も図面に落とし込んである。
地名:キラコタンは茶路川の右岸で標高=6.6メートル地点に位置し、その多くは茶路川の堤防・河川敷にあたる。マサルカの地は3.5メートル内外につき、「安全といえば、安全」。そう語り伝えられてきたことになる。
釧路国で「キラコタン kira・kotan 逃げる・村」は白糠町と鶴居村にある。
白糠郡白糠町の「キラコタン」は茶路 ちゃろ 川の下流部に位置する地名。地図上では役場所在地の西部に「京都大学演習林」の記載があるから、その西部ということに。
この伝承は渡辺茂著『白糠町史』(白糠町 1954年)に掲載されている。白糠町役場の所在するマサルカの地から、津波が発生した時に「逃げる」の行き先として、「キラコタン」が選ばれたのだとする。
(A)『白糠町史』(1954年)を編纂したとき、在住したコタン住民に伝承していた事象で信頼度は高いとするも、どの地震の津波かは不明のままとされている。
(B)「kira-kotan 逃げる・村」でその意味は、津波襲来時に「マサルカ」の地から「逃げこんだ」とする伝承である。
(C)どの津波襲来があてはまるかでは「17世紀前半の千島海溝・日本海溝を震源とした地震」や「1843年天保根室沖地震」を想定する論28)があるも不明。
地質学者の高清水氏は「コタンをあげてキラコタンに逃げたという可能性はあると考えている」とする。
今、「キラコタン」の領域をyahoo地図で探し、国土地理院図に落としこんだ(掲載図)。同様にマサルカの地も図面に落とし込んである。
地名:キラコタンは茶路川の右岸で標高=6.6メートル地点に位置し、その多くは茶路川の堤防・河川敷にあたる。マサルカの地は3.5メートル内外につき、「安全といえば、安全」。そう語り伝えられてきたことになる。
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