pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

第二の大河、そのエネルギーを取り込む珠玉の知恵 「よみがえる新日本紀行 筑紫次郎・筑後川-流域の知恵-」241130

2024年12月08日 09時18分35秒 | 季節
 第二の大河、そのエネルギーを取り込む珠玉の知恵 「よみがえる新日本紀行 筑紫次郎・筑後川-流域の知恵-」241130

 <筑紫二郎>の別名がある筑後川。上流部から日田市域は三隈川、下流部は筑後川と変化する。
 三隈川、その語源は「日隈 ひのくま 山」「月隈 つきくま 山」「星隈 ほしくま 山」という丘に由来する、と(豊西記・太宰管内志)。
 日田市域の皿山地区では、河川の水力を利用して唐臼で「小鹿田焼」の.原土を砕く水車。

 「小鹿田焼」は、300年前から一子相伝で継承されてきたもの、と。
 朝倉市内にうつり「三連水車」は、堀川用水に水を供給し筑紫平野の水田を支える機能。
 「日本最古の実働する水車」で知られ、堀川用水と共に国の史跡に指定。

 「アユの手づかみ漁」。
 原鶴温泉。筑後川に屋形船を浮かべ鵜飼 うかい の鵜匠(うしょう)が、鵜を操って魚をとる伝統漁法。
 「(2017年 九州北部豪雨災害等の)影響で川底に土砂が積もり、苔を食するアユが生息しづらい河川環境」になっていると。
 
 「鵜飼文化継承のためにも、水面からはみえない河川環境への意識喚起、保護活動が必要」だけでは、ないらしい。
 「鵜匠3軒のうち1軒が2020年に廃業」「漁師や船頭の高齢化と後継者不足が原因」ともされる。
 「私たちがあたりまえに享受し永続すると考えている文化的風物詩」「(それは)鵜匠たちの血の滲むような努力と気概に支えられている」
 
 人類と自然の間の臨界値。その<セメギあい>に位置する次世代を<支える力&育てる力量>。
 深く考えさせられた「よみがえる新日本紀行 筑紫次郎・筑後川-流域の知恵-」なのだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする