pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

戦後スポーツ政策のシンボル 富士見球場

2015年05月09日 08時35分35秒 | 時代
 戦後スポーツ政策のシンボル 富士見球場.武道の禁止、アメリカの進駐軍政策.
 戦後開設された体育施設には、そうした<新時代>の思惑も、かさなっている、か.



 2015年5月3日の訪問.
 釧路市営球場は、昭和24年9月に開設されたということです.現在は、富士見球場という名前で、使用されています.
 位置は、釧路市住吉一丁目11番ということになります.富士見緑ケ丘通の北、釧路市夜間急病センターの西に位置していますね.



 24年9月にオープンした釧路市営球場(現 富士見球場)は、それまでになかった、硬式野球のメッカとして親しまれます.ですから翌年=昭和25年のことですが、プロ野球の公式戦(大映-毎日)が行われています.
 ほかにも、イースタンリーグといいまして、プロ野球のファーム=二軍の試合が開催され、当時も人気球団の大洋-巨人戦がこの球場で開催されたと、おもいますね.駅に掲示のポスターで眺めたことがあります.

 昭和58年7月に釧路市民球場が釧路市広里7にでき、硬式野球の試合は釧路市民球場で開催されることになりました.
 釧路市民球場の開場後も「釧路市営球場」の名は残っていましたが、昭和から平成に移る時期でしょうかねー、富士見球場と名称変更されました.
「まぎらわしい」という声があったのでしょうか.

 140414 18:15 FMくしろで放送.第356話です.
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 千福 呉・銘酒 | トップ | 世代間伝承・病気にならない... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時代」カテゴリの最新記事