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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

温排水は選炭場、Co2は坑道に蓄積、残滓は坑道充填 釧路火発210207.

2021年02月09日 11時49分13秒 | 記録
 温排水は選炭場、Co2は坑道に蓄積、残滓は坑道充填 釧路火発210207.

旧臘師走に営業発電を開始した「釧路石炭火発」。「脱炭素社会」の要請のなか、非難ゴウゴウの船出でもある。

その稼働状況を道内配布紙が伝えた。2月7日のことである。

 環境への配慮
 1965年頃、このマチで立ち上げられた電力会社の火発構想は、予定地を変更して立地した。
そういうことであったと、記憶する。
 2017年9月、「音別火発が発電し、ブラックアウトに貢献」、その報は市民を安堵させた。
しかし、ほどなく伝えられたことは、「老朽化による休眠中だった施設は、機能せず」「発電中止」の報が伝わった。

 2015年、「環境問題をどう、クリアするのか」。
 「地元産石炭で、地元消費向け火力発電」の報が伝わったとき、往時の火発議論を思い出した。
当時、要因は温排水が漁業資源と漁村漁業に与える要因が、まず提起されたと記憶する。
 「北電野球場」。釧路町域に位置する広い土地は、確か、「火発予定地」とされた「釧路川べりの要地」。
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男性の仕事があるから拡充した都市 北海道東部210208.

2021年02月08日 11時43分53秒 | 記録
 男性の仕事があるから拡充した都市 北海道東部210208.

最近、表題のように申したところ、「なぜ、男性優位のマチになったか」と要因を聴かれ、端的に指摘することを求められている。

 要因として。4点を考える。

 1)漁業・石炭。港湾荷役などの重筋肉労働への依存。
 2)鉄道。警察・消防など危険作業の従事業種。
 3)半熟練・不熟練でも務まる職種で単身赴任を余儀なくした生産コストの低さ。
 4)採取・移転する資源の高次加工や高付加価値生産のため。女性労働力に依存。若しくは組織化がすすまない。

 いつも男性主体の労働組織で、女性が軸になる職種は<補完的>領域に閉じ込めてきたのではないか。

 もちろん、<気がついていない>わけではない。
 1974年といえば、77年4月に国際海洋法会議の論で、世に言う「200海里内の自国資源保護」の条約が発効した後の事。
 <魚の水揚げ量日本一>を標榜していた、漁港漁業は少なからぬ影響をうけた。

 識者は申した。
 「釧路市は比喩的に云えば。あくまで「オトコの街」である」。
 「資源に目をつけ仕事に目をつけ、モウケに目をつけた人々が中心の街であり(略)」
 「『粗放な利益』を求め。それに誘引されて集合し、形成された街である」。
 「(略)ここは荒々しい産業都市であり。それが釧路の特色であり。魅力であった」。


 それだけではなかった。向後を、次のように論じた」
 「幼児・年少者にとって。教育期の生年にとって、若中年の婦人にとって、老人にとって、『釧路は生活するだけの価値をもった都市といえるか』が問われようとしている」。
 そう、続けていたのであるが。

 2020年12月末日の「住民基本台帳登録人口」。
 その数で、帯広市を3名下回り、今後はその差が拡大すると報じられている。
 地方都市は軒並み、人口減が続いている。課題は、そこにあるのではない。
 帯広市と釧路市。その減少幅に、大きな差があるのだ。実は、そこに注目しなければ、なるまい。

 外からの投資で作り上げられた地域。
 往時の海外資源依存に加えて、生産拠点も海外に移転。市民が汗ながして<まとめあげた富>も<公共投資>も、どこか、一極に集約されている現実を。
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岩肌の渓谷=春に新緑、夏の青緑、秋の紅葉 寒霞渓・小豆島

2021年02月07日 11時34分55秒 | 放送
 岩肌の渓谷=春に新緑、夏の青緑、秋の紅葉 寒霞渓・小豆島。

 番組案内に。
「小豆島の寒霞渓では断崖の岩肌が季節によってさまざまな色で彩られる」、と。
そうですかー。ぜひ視てみなくては。早朝のテレビ番組を予約。朝、5時の放送時に視聴しましたよ。

 三大名渓の一つ寒霞渓。そういうことは知りませんでした。
 が、「断崖の岩肌」に「さまざまな色で彩られる」とあっては、当然、秋の紅葉の名所。
紅葉と言えば、カエデやモミジ。カエデは、岩肌って、人の寄りつかぬ地点に自生するでは、ないですかー。

 春の新緑、夏の青緑。
 果たして番組の前半。青々とした紅葉の葉。ヒトの手の指、手のひらをおもわせる青緑の葉が、アップで紹介されました、です。

 番組の結びは、
 もちろん切り立った岩肌の裾野にみえる、紅葉の景。カメラを用意して番組を接写すること、できず。

 ネットでは、どうか。注目の三項目。
 「紅葉名所2020」 https://koyo.walkerplus.com/detail/ar0937e13182/image2.html#photo
 「kamakura」さん https://yamap.com/activities/1676542 には、
         「寒霞渓では沢山のちっちゃなカエデの若葉が開き始めていました。 次は紅葉のシーズンに訪れたいです。(^^)」
 「香川旅行 > 香川観光ガイド > 小豆島観光ガイド」 https://www.travel.co.jp/guide/article/2151/ 
         「季節ごとに渓谷に彩りを添え、春は新緑、夏は深い青緑」、
          「そして、一番美しく彩られる季節は、なんといっても秋の紅葉!]
「赤と黄色に色づいたカエデで、渓谷全体が燃えているような風景が見られます」
          「 小豆島デート]とある点が、意味深長。
 
 岩肌、岩石地形に林相は育たない。そうかも知れないが・・・・・・。
 気がついたとき、手を入れねば、林相の衰退、消滅は取り返しのつかない、ことに。
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日の出の景も移りゆく 160101初日

2021年02月06日 10時59分58秒 | 記録
 日の出の景も移りゆく 160101初日。

 元初日の日の出。
 その時刻も、日出の位置もかわらぬはずながら。人為で変更、マチなかの表情。

 間に出没、3階建て住宅の出現。稜線が消えて、四角い線の上に出現。

 2016年、18年、19年、21年。
 撮りつづける光景にもいくつかの変化。連続して記録。微妙な差違が
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芽を吹く中心街再生策 小樽市堺町210201.

2021年02月05日 11時55分34秒 | 記録
​​  芽を吹く中心街再生策 小樽市堺町210201.

地方都市経済の縮小。
中心街の空洞化、そして郊外大型店への集客特化。

これまで
「消費者が、既存商店街を見放した」と整理されてきたように思うが、そういうことであろうか。
グローバル化。
「身のまわりの、地域で競争に勝てば、利益を独占できる」。そうした時代ではなくなった。競争に勝っても、ネット通販で客は離れる。
加えてそこへ、新型コロナ感染症。

 その現状を「苦境」と受け止め、
 「逆転にとらえ」「話題づくり」に動き出すという。ポイントは「その担い手」。
 『北海道新聞』朝刊の「地域から」(3面)は、34歳から50歳までの経営者。
 職種も昆布専門店、装飾店、ザンギ店といずれも専門店の「若手」経営者たち。

 1)に「暦」つくり 自分たちが暦の画像に飛び出て、まず話題をつくり、
 2)自分たちのグループを「一方通行」と銘打って、「アイドル」と位置づけた。
 3)地元のメディアが取り上げてくれて、SMSでも拡散されて。

 「冷ややかな反応もあった」が「応援したい」の声も、と。
 上・中・下の3回報道予定。小樽市堺町通り商店街の、挑戦。
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歴史の目的 渓内謙著『現代史を学ぶ』19950621

2021年02月04日 08時46分06秒 | 書評
 歴史の目的 渓内謙著『現代史を学ぶ』19950621。

 1)「人はなぜ過去を知りたいと考えるのか。
 2)歴史は「記憶」の一部か、それともそれ以上の精神の働きなのか。
 3)歴史は時代とともに「書き換えられる」と言われるが、その意味はどこにあるのか。(p15)

 2)について、
  時代が提起する『問題の解明』と「現在の問題の解明」。
 「過去の事実の記憶」にあるのではなく、「現在の問題の解決」(22p)。

 3)について
  実証主義の方法は、「事実の確認」とそれに基づく「法則の組み立て」の二つの要因で校正される。
  収集にあるのではなく、「未知」へと転化した主題を証拠と推論によって解明する。(36p)

1991年、旧ソ連が崩壊。
 1920~30年代のソ連農村の研究を続けていた著者たちは、少なからぬ混乱に遭遇する。
 そのなかから、歴史学研究の意味と、研究を分担する意義を考え直す。

 若き日に、『歴史とはなにか』の著者E・H・カー宅に泊めてもらったこともあるという著者。
 それが、歴史哲学の深淵にふれる妙味を展開、

  はじめに 第一章 過去、現在、そして未来。第二章 テーマ、第三章 史料 第四章 文章化 おわりに。
  すこぶるシンプルなテーマ設定。机上に紙・筆。メモをとりつつ読む一書。

 (出版案内の紹介)

  既成の価値体系が大きくゆらぎ,未来への不透明感がつのる現代.
  いまこそ,時論の安易な追随におちいることなく,変動の深層にある歴史的文脈を見すえる知的営みが必要なのではないか.
  ロシア現代史研究の第一人者が現代史を学ぶことの意義と方法を,長年の経験をふりかえりながら説き明かす.情熱みなぎる歴史学入門.
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和算&算額奉納 庶民が心得ている江戸の文化210117.

2021年02月03日 06時33分22秒 | 放送
 和算&算額奉納 庶民が心得ている江戸の文化210117.

「歌舞伎」「浮世絵」「食文化」「手妻」「長屋」「和算」で括られた「江戸文化」。

 和算と算額の奉納について、話題が彷彿。
 スペイン:「江戸時代、農民に数学があったとは驚き」「スペインでは考えてもいなかった」。
 フランス:「天才がうまれれば、それで良い」「大衆に教養があると、権力は庶民を支配しにくい」。
 中国:「日本では数学を考えていたようだが、中国では数字パズルをあやつりながら<株>で儲けること考えている」

 神社に算額を奉納。
 「解けたことを感謝し、次を育てるために額を納める」
 「数学は学問なのに、算額の奉納は神がかり行為で不可思議ながら、そこには<日本人の謙虚さ>が表れている」。

「庶民は文学を読み、芝居を観るのと同じように、数学を考えていた」。「支配者のみなならず、日本社会は農民を含めて数学を学ぶ理由を知っていた」。

 210117 BS1 「Cool Japan 選」として、過去に放送の再放送。写真は「松山 伊佐爾波神社」から。

 (以下、番組案内)

 「いま世界から注目される日本文化の多くは、江戸時代に生まれ育まれたもの」。
 「世界文化遺産に登録された和食も、その基礎は江戸時代に完」。
 「類いまれな表現力と技術で世界中で評価を得ている」
 「浮世絵や歌舞伎などの文化芸能も江戸時代に花開き、現在にも大きな影響を残している」。
 「江戸文化は、何が独特で画期的だったのか」。
 「外国人の視点で江戸文化を解剖。独特な文化誕生のルーツと背景を探り、クールな日本のヒントを見つけ出す」。
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ブルーカラー都市 工業化への成長戦略=1960年

2021年02月02日 08時45分55秒 | 記録
 ブルーカラー都市 工業化への成長戦略=1960年。

 北海道東部の地方都市。見事な<男性優位の性差構造>。そう、申すべきでな、ないだろうか。

 1945年は女性が男性をうわまわった。1970年以降、初めて女性人口が男性人口をうわまわった。

 「仕事があるから、男性が集まってきたマチ」。1978年に、かく評論された。
 そこで「これから」は、「仕事を求めて集まって出来たマチが、自分たちで仕事をつくる時代」。

 マチの制作理念に、「ブルーカラー都市論」というのが、あった。それって、なにか。概念規定が必要であろう。


 「製造業、建設業、鉱業などの生産現場で直接に生産工程や現場作業に従事する現業系の労働者」
「直接に物の生産に携わる肉体労働であることが特徴」
 「職人的熟練労働者にかわって、大量の半熟練および不熟練労働者が新しい主役」
 「コストの低い大量生産が可能となり、物質的には豊かな大量消費社会を生み出す」(杉 政孝 『大日本百科辞書』)

 1)漁業・石炭、港湾荷役などの重筋肉労働への依存、
 2)鉄道、警察・消防など危険作業の従事業種、
 3)半熟練・不熟練でも務まる職種で単身赴任を余儀なくした生産コストの低さ
 4)採取・移転する資源の高次加工や高付加価値生産のため、女性労働力に依存、若しくは組織化がすすまなかった。
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元旦 旦那

2021年02月01日 11時43分01秒 | 記録
 「旦 丘陵に日がのぼる」「旦 米の飯に日があたる」 元旦の旦、旦那の旦210131

 元旦は元日の朝の意で、「元日の元旦では、もとモトと重なる」。そう言われたことがあった。

 初日は海岸で拝むと水平線から昇るし、陸では丘陵、山陵から姿を見せる。
 然らば、横棒の「-」は水平線、丘陵の尾根、家では飯の種の表層ではないのか。

 では、旦那。その時の「日の下、横棒はいかなるや」。1960年を境に、サラリーマン家庭で男女性別分業が進行した。そうではあるまいか。

 残業で会社に残って所得を増やす。女性は子育てに責任をもつ。
 かくていつの間にやら、「飯の種を稼ぐ、日の当たる場所」が男の存在位置になったか。

 そこで、応用問題。箆=へらの字の下に横棒を書くと、どうなるか。その心は、「年上の妻」。お後がよろしくないか。
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