朝夕の気温が下がって
小さなスペースですが紅色が見え始めました。
ブルーベリーもハナミズキも先端の葉から色づき始めました。
ワイルドベリーやハゼも緑色が変化を始めましたが
アイビーは若い緑が元気に殖えてます。
父は小動物や草花がとても好きだった事を思い出します。
同じように歌う事や映画を観る事も好きでした。
姪の結婚式では当時カラオケ無しのアカペラで2曲も歌い
おかげで時間が無くなったと僕がイトコから責められました。
エノケン全盛期の浅草で青春時代を過し益田喜頓(キートン)さん
や他の芸人にも弟子入りの打診をした経験があるようでした。
当然のように「ヤメテオキナサイ」とさとされて祖父にも
その道に進むなら勘当を宣告されたらしいのです。
父が孫を歌手にしようかなんて言った時は冗談だと
思って聞き流しましたがもしかして本気だったのかも知れません。
父が元気でもう少し時代がズレテいたら孫娘をケシカケテ
おにゃん子、モームス、AKB48等のオーディションを受けさせ
ステージ・ジジよろしくアチコチに行ってたかも知れません。
祖父は時代の流れやその先を読むのに長けていた人で
半世紀以上前に「これからは電気の時代になる」と断言して
その方面の大学に父を進学させたのですが・・・
本人にその気が無ければ・・・です。
僕は何度も切れたヒューズを交換する母の姿を見てました。
初めて乗り出した車のヒューズが切れて街路樹を
支えていた木の針金を数センチ拝借して使った時も
頭に浮かんだのは父ではなくて母でした。
父はTV番組ミュージック・フェア出演の中野ブラザーズや
映画「雨に唄えば」とかではジーン・ケリー、フレッド・アステアの
話を僕達兄弟に聞かせたもんです。
たぶん浅草のレヴューを観ていてタップは必須と思っていたのかも
知れません。自分の夢のワンピースを僕達に見せたのか?
母の話していた飛騨高山の「みたらしだんご」は食べました。
昨夜ふと足元をみて父が子供達に話していた(内容は忘れましたが)
タップを思い出しました。
父も履きたかっただろうと
想像しています。でも僕は祖父の眼力を尊敬してるんです。
もし芸の世界で生きるのであれば一度や二度断られた
くらいで諦めずに親に勘当されても突き進む覚悟は
必要ですよね。だからアノ世界では父は芽が出なかった
だろうと容易に想像出来ますが父の年齢に近づいた
僕は今まで理解出来なかった部分の父も認められるし
理解できるようになりました。
そして父には感謝と最近では親近感を持てるようになりました。