今日は先週も木曜日に行われた、
ふるさと講座の日だ。
出かけるのはやめて家に居ることにした。
そんな時は、家の中からこんなことをして。
今日はバージョンアップして一眼レフにした。
でも窓を開けるとなかなか来ない。
仕方なしガラス越しとなった。
ふるさと講座の日だ。
出かけるのはやめて家に居ることにした。
そんな時は、家の中からこんなことをして。
今日はバージョンアップして一眼レフにした。
でも窓を開けるとなかなか来ない。
仕方なしガラス越しとなった。
”新阿岩橋の前にある馬頭観音”
私が興味を示したのは、講義が終る頃、
いつもの川原、この橋付近のことだ。
この場所は新しい橋からも2m以上高い。
昔、見晴らし亭という旅館があったが、
すでに立ち退いて更地になっている。
その跡にこの馬頭観音が立っている。
これが撤去されないのは、個人のものではなく、
〇〇講という講で立てたものだからだと言う。
さっそく講義の成果が
私が興味を示したのは、講義が終る頃、
いつもの川原、この橋付近のことだ。
この場所は新しい橋からも2m以上高い。
昔、見晴らし亭という旅館があったが、
すでに立ち退いて更地になっている。
その跡にこの馬頭観音が立っている。
これが撤去されないのは、個人のものではなく、
〇〇講という講で立てたものだからだと言う。
さっそく講義の成果が
馬頭観音を表に回って、石垣の下から撮る。
さらに驚くべきことを聞いた。
川原のこのあたりは、八高線の鉄橋の下から、
岩沢堤防と呼ばれる長さ300間(mではない)の堤防があった。
ところが昭和22年9月のカスリーン台風の大洪水で、
一夜にして堤防は流されてしまったと言うのです。
小学校の南側にわずかにその残骸が残っているというのです。
さらに驚くべきことを聞いた。
川原のこのあたりは、八高線の鉄橋の下から、
岩沢堤防と呼ばれる長さ300間(mではない)の堤防があった。
ところが昭和22年9月のカスリーン台風の大洪水で、
一夜にして堤防は流されてしまったと言うのです。
小学校の南側にわずかにその残骸が残っているというのです。
いつも散歩している私はいくら想像しても、
昔の堤防の残骸なるものが頭に浮かばない。
講義後、講師の先生に連れて行ってもらって「あれです」と教えてもらった。
えっ!、あの道路の右が少し土が高くなって50mくらい続いている場所。
昔はあの高さで左右対称の草の生えた土手になっていて
子供の恰好の遊び場であったと言う。イメージ膨らむな。
でも左は地域の避難所の小学校だ。
千年に一度じゃない65年前に洪水が出ているなんて大丈夫かな。
昔の堤防の残骸なるものが頭に浮かばない。
講義後、講師の先生に連れて行ってもらって「あれです」と教えてもらった。
えっ!、あの道路の右が少し土が高くなって50mくらい続いている場所。
昔はあの高さで左右対称の草の生えた土手になっていて
子供の恰好の遊び場であったと言う。イメージ膨らむな。
でも左は地域の避難所の小学校だ。
千年に一度じゃない65年前に洪水が出ているなんて大丈夫かな。