”ニラの花”
今日で私のブログが6周年となりました。
64歳で退職して、その夜から始めたブログ。
何かしないと流されてしまう、そんな思いで始めたのですが、
今はこのブログに流されているのではないか、という反省もあります。
だからと言って、プッツンする勇気もないし。
引き続きお付き合い下さい。
”ニラの花”
今日で私のブログが6周年となりました。
64歳で退職して、その夜から始めたブログ。
何かしないと流されてしまう、そんな思いで始めたのですが、
今はこのブログに流されているのではないか、という反省もあります。
だからと言って、プッツンする勇気もないし。
引き続きお付き合い下さい。
”ホテル5階からの諏訪湖”(9月3日)
今回の信州行きは、小学校の同級会に出席すること。
小3から6年まで一緒だったクラスです。
集合五分前頃ホテルに。 目の前に車が止まって紳士が下りた。
もしかして同級生では。
しばらく相手の顔を見ていると「〇〇君?」。
先に呼ばれてしまった、残念。
「まさゆき君?」。・・正解。 負けたのがくやしい。
ロビーで集まるまで談笑して、集まったところで5階の部屋に通された。
ありゃ、諏訪湖の花火を見るには特等席だ。
9月7日の新作花火大会だったら。値段が高いし、第一に予約が取れない。
湖にある、鳥居のある島が花火打ち上げの場所。 点々と杭が湖面から出ているのは、水上スターマインの打ち上げ用か。
仕掛け花火はこの画面には入りきらないくらい長くなります。
”お祝いの花束を受ける林君”
私は、次回は東京でやれ、と幹事を任されていた。 私と女性3人。
しかし同級会として東京に呼ぶのは大変なことだ。
そんなこんなで、5年以上間が開いて、私が再度信州組に幹事をお願い。
来た招待状には私が名ばかり幹事になっていて、乾杯の音頭を取らされた。
そのあと、司会者から同級生、林正敏君が、全国的にも栄誉ある賞を受賞したので、
クラス会としてお祝いの花束を贈呈することになりました。
ブログではこれまでH君と呼んでいましたが、新聞にも出た事でありここは実名で。
花束のあと、彼に数分間話をしてもらった。
「野鳥」という言葉は、中西悟堂氏が作った造語なのだそうです。
小さい頃畑仕事の帰りに、地面から羽蟻が次から次へと出てくるのを、
家族が先に帰っても見続けていた時、飛び立った羽蟻をトンボが捕まえてしまったこと。
そのトンボをじっと目で追っていたら、背後からツグミの様な鳥が飛んで来てそのトンボを捕まえてしまったという。
自然界の食物連鎖を実感したといいます。 「それいくつの時?」。小学校の5年の頃だと言う。
そういえば、5年生の時、クラスの畑へ行った時、蛇が出てきてみんなパニックになった。
彼はこともなげに蛇を捕まえて、ズボンのポケットに入れてしまった。
興奮した周囲は「早く捨ててしまえ」と彼に迫るが、小柄な彼は周囲の罵声にも似た声に耳もかさず、口をつぐんだままだった。
騒ぎがおさまった時そっと放すつもりだったという。
もう一つ、これは中学二年の時、木造校舎の戸棚からネズミの巣が見つかって、まだ毛も生えていない子供が見つかった。
女子は大騒ぎ。裸にランニングシャツ一枚の彼はシャツの下にネズミを入れて、自分の肌で子供を温め、給食の脱脂粉乳をスポイトで飲ませていた。
彼にとっては、すべてが自然な事だったのです。
私が釣り好きの原点は、彼と天竜川で魚獲りをしたこと。 そして彼には私の結婚式の司会もお願いした。
この賞は、林君の生き方に与えられた賞だと拍手を送っています。
”部屋からの花火”
8月1日~9月6日(新作花火大会の前日)まで、
毎夜、午後8時半から15分間の花火の打ち上げがある。
その時間には宴会をお開きにして部屋に集まった。
若い頃は、いじめられた記憶、仲たがいの記憶、コンプレックス。
様々な思いがあって同級会に来ることを躊躇する声も聞いた。
歳と共にそういうものが消えていく。
宙に浮かんだような楽しい時間を過ごし、再開を約しました。