”架け変えられる阿岩橋の上から”
新聞紙とダンボールのゴミ出しの日だ。
今日は新聞が重かったので自転車に乗せて家を出た。
そのまま近くの川原まで出た。
橋の架け替え工事が始まる前に昔の景観をもっと撮りたかったのに、
突然の工事開始でちょっとがっかりしていた。
しかしこうしてかつての景観が失われ新しい景観が生まれていく。
今はその新旧風景のせめぎあいの時と思ったら、これはこれで記録しようという気になった。
新聞紙とダンボールのゴミ出しの日だ。
今日は新聞が重かったので自転車に乗せて家を出た。
そのまま近くの川原まで出た。
橋の架け替え工事が始まる前に昔の景観をもっと撮りたかったのに、
突然の工事開始でちょっとがっかりしていた。
しかしこうしてかつての景観が失われ新しい景観が生まれていく。
今はその新旧風景のせめぎあいの時と思ったら、これはこれで記録しようという気になった。
”橋の上から”
澄み切って暗い、いかにも冬の川の色である。土手の枯れ草がいっそう水の暗さを引き立てる。
この橋は、別途歩行者用の橋が横にあるが、車道となっている橋は、
普通乗用車が減速しながらすれ違えるくらいの幅しかない。
私がこの橋に徒歩で入る事は、車はスムーズにすれ違えず、私は乗用車にとって邪魔者になるのだ。
でも今日の私には使命感がある。邪魔で結構。なまじ小さく縮こまっていると返って危ない。
しばらくはお邪魔虫になりきろう。通る人もクレーンを眺めながら通るので、
私の趣旨を理解してくれるのではないかと願っている。
澄み切って暗い、いかにも冬の川の色である。土手の枯れ草がいっそう水の暗さを引き立てる。
この橋は、別途歩行者用の橋が横にあるが、車道となっている橋は、
普通乗用車が減速しながらすれ違えるくらいの幅しかない。
私がこの橋に徒歩で入る事は、車はスムーズにすれ違えず、私は乗用車にとって邪魔者になるのだ。
でも今日の私には使命感がある。邪魔で結構。なまじ小さく縮こまっていると返って危ない。
しばらくはお邪魔虫になりきろう。通る人もクレーンを眺めながら通るので、
私の趣旨を理解してくれるのではないかと願っている。
”橋を渡りきった側から”
新しい橋が開通して、古い橋がなくなるまではまだかなり先のことになりそうだ。
それより新しい橋の取り付け道路がどうなるのかイメージがわかない。
新しい橋の先には小高い丘になっている。
その段差を埋めるためには、かなりの土の移動をさせなければならない。
そちらの景観の変化もまた大きなものがある。
新しい橋が開通して、古い橋がなくなるまではまだかなり先のことになりそうだ。
それより新しい橋の取り付け道路がどうなるのかイメージがわかない。
新しい橋の先には小高い丘になっている。
その段差を埋めるためには、かなりの土の移動をさせなければならない。
そちらの景観の変化もまた大きなものがある。
明日あたりは満月ではないか。
1月24日撮影だから上弦の月を少し過ぎている。
近くにノスリが現れた。もう一度上空を旋回してくれないかと待っていたら、遠くへ行ってしまった。
気がついたら月とニアミスだ。
この後近くに来た写真も撮れたが、こちらにした。
1月24日撮影だから上弦の月を少し過ぎている。
近くにノスリが現れた。もう一度上空を旋回してくれないかと待っていたら、遠くへ行ってしまった。
気がついたら月とニアミスだ。
この後近くに来た写真も撮れたが、こちらにした。
今日は午後雨降るという予報だから、朝のこんなお日様も今のうちだけだろうと一枚撮る。
カミサンはコーラスの日だから、私一人で行きたいところへ行けば良いのだが、
お天気が崩れそうだからあまり遠くへもいけない。
カミサンはコーラスの日だから、私一人で行きたいところへ行けば良いのだが、
お天気が崩れそうだからあまり遠くへもいけない。
いつもの公園へ行ったが、さっぱりだ。
そこで昨日のミコアイサにもう一度会いに。
それには訳がある。昨日は天気が良すぎて白黒のコントラストが強すぎた。
しかも目が写ったカットが少なかった。
今日のような曇天の方が、トーンが出やすいのでは。
撮れれば撮れたで欲の出るものである。
昨日は午前中でカメラマンも多かったが、午後のこの時間帯は私ともう一人くらいである。
鳥も落ち着いて岸まで来てくれた。
そこで昨日のミコアイサにもう一度会いに。
それには訳がある。昨日は天気が良すぎて白黒のコントラストが強すぎた。
しかも目が写ったカットが少なかった。
今日のような曇天の方が、トーンが出やすいのでは。
撮れれば撮れたで欲の出るものである。
昨日は午前中でカメラマンも多かったが、午後のこの時間帯は私ともう一人くらいである。
鳥も落ち着いて岸まで来てくれた。