詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

墜ちる

2010年09月21日 | 
墜ちる
その経験なしには
人生の意味など到底わからない

小学校に入って早々
教室でおしっこをもらしてしまった僕の人生

ますます差別やいじめが横行してるこの時代では
たぶんとっくに殺されてるだろう

それから徹底的に言いたいことを言うだけを妥協したのは ただ共感を覚えた時だけ

何のために政府や外務省があるのか・・まったく疑問だらけだ

2010年09月20日 | 政治
尖閣列島問題について、何故政府や外務省は中国に対して抗議しないのかと思う。
そんな情けない政府や外務省なら無いほうがいい。

アメリカに対しても抗議すべきだと思う。
日本の主張を認めないような国は同盟国とは認められないので・・安保条約を再考するぐらいは言うべきではないのか!

こままでは日本は、ロシアとドイツという大国に挟まれたポーランドみたいになってしまうのではと思う。

声の大きい中国の主張通りに、尖閣諸島が中国領となり、アメリカは郵政資産数百兆円を強奪した後・・
「はいもう用なしの日本人達よ、さようなら」になる可能性がますます大になってきたのではと思う。

それを防ぐためには、アメリカの顔色ばかりうかがってる外務省・財務省の官僚や、日銀や、政治屋(その筆頭の前原・野田・管派)や、外資に支配されてしまった財界トップやマスコミの利権の追放しかないのではと思う。

覚醒しつつある自民党でも引き受け拒否かもしれないけど・・

最近のアメンバーブログの「なう」(手帳的でリンク簡単で便利)記事(2)はー

2010年09月19日 | 日記
「負け続けることを止めた時それが本当の敗北だ」(金時鐘)ーいつ読んでも負けてなるもんかという勇気が湧いてくる言葉だな。今晩の酒のつまみは、毎度の酢豆(枝豆を酢に漬けた新潟の郷土料理)と、味噌漬ゆで卵と、カリカリ梅干と、鮪の切れ端の醤油付け焼き・・しめて300円くらいではと思う。

文庫本なら2日で読んでしまう。今回の「東電OL殺人事件」のように・・超特急で読む必要がある時は、ジャニス・ジョブリンの死後数十年後に観た映画『ウッドストック』での歌や、大好きな”Move Over”を何十回も最大音量で・・詩やファンタジーは、沖縄民謡や世界各地の民俗音楽がいい。

ジャニス・ジョブリンの『JANIS JYOPKIN'S GREATEST HITS』はとても録音状態がいい。出会い系サイトで知り合ったバツ一のメル友に教えられたCDだった。ハーブについてとか・・色々教えてもらった彼女。元気で暮らしてるんだろうか。たぶん再婚して・・

ぼくも「サマータイム」は、ジャニスの歌が一番お気に入りです。どうして最大音量で、何十回も聞いてても飽きないのか不思議です。頭がとっくに狂ってるのかも・・狂気なしでは、詩も小説も書けるはずがないとも思うけど。

世界に冠たるスケベ民族日本人の・・政治屋・官僚どもはハニートラップ(色仕掛けの脅迫)に脅迫されてるのかも。特に管内閣のK氏やM氏や・・沖縄返還前後でも、沖縄で女を買わなかったのは佐藤総理ぐらいだったとか故米原万里が書いてたスカルノ大統領の対応が面白かった。ロシア美女との・・

↓↓のなうの続きです。ロシア金髪美女とのセックスの写真をKGBから見せられたスカルノ大統領は、「ありがとう。とても刺激になっていい」と答えたと故米原万里さんがさすがと書いていた。日本ペンクラブ電子文芸館のエッセーではと。でもその後に、それ以降は同性愛写真に切り替えたかもと・・

現在は道を間違って行き止まりにたどりついた状態かなと。登山でも、間違った道を選んだ地点までも戻るのが鉄則です。その際の地図・磁石になるのは憲法なのではと・・

①面白い古代史サイト発見!はー「ここ」ー縄文人29体中17体のがDNA配列シベリア平原のブリヤード人と一致で、日本人と全く同じ村もとか。

面白い古代史サイト②ー↓周辺には数万年前からの数十の旧石器時代の遺跡があり、縄文人の文化ととても類似しているとか。約二万五千年~一万年前まで黒曜石産地として栄えた北海道の白滝遺跡の黒曜石が列島北部ばかりでなく沿海州から出土している。黒曜石で連想するのはやっぱり「銀河鉄道の夜」・・

より進化した弁証法が必要では?弁証法は「正・反・合」「量から質への転換」だが・・問題なのは、それを社会・経済に限定している点だ。物質と生命・人間の極大・極小世界もフラクタル構造で四要素で成立・・宇宙も恒存の素粒子も遺伝子文字も進化論も。そんな質的転換の複合が新しい物へと進化か?

こんな出口の見えない時代だからこそ、偉大な革命家ゲバラの言葉や手紙を読み返したくなり、かっての記事をアップしたところです。真実について僕を導くものは、真実への情熱だけだ。…あらゆる問題について、僕はこの点から考える。(チェ・ゲバラ)

私利私欲に目がくらんだ以外の・・すべての人間が素晴らしいと思う憲法だと思う。特に日本は、四方が海に囲まれてて国境警備隊だけですむ上に・・唯一の全生命抹殺の無差別大量虐殺兵器原爆を投下された国民なのだから・・

「ポルトガルの港町に日本の憲法九条の石碑」というmomoさんのなうに愉快な昨日だった。四方が海の日本には軍隊は必要ない。海上保安庁を質量ともアップした国境警備隊で十分。でも、最新の戦闘機どころか、旧式のも売ろうとしない米国のでは仕方ない。EUや中国・ロシア等と共同開発すべきだ。

梅崎春生を全集を読み始めたとこ。まるでぼくのような作家でーアル中、ノイローゼ、最後は飲みすぎて肝硬変で50歳で死去。とてもユーモアがある作家で、坂口安吾の師匠の牧野氏に似た印象が。ユーモア、特にブラックユーモアがないと文学も人生も退屈でつまらん。

ぼくの詩作の原点、ジャニス・ジョブリンの「move over 」はー「ここ」・・CDの方がはるかにいいけど・・

自国の歴史・文化もまともに知らない人間を誰が信用するのか?ゲバラみたいに、「真実への情熱だけ」・・それだけ。歴史好きに薦めたいこの記事はー「ここ」

ジャニ・ジョブリンの「Ball and Chain」もしっとりとしたいい歌だな。↓の現象は、僕のパソコンがもう十年以上の天然記念物的存在のせいかもしれない。持ち主同様に、かなりくたびれて・・相当狂ってきたのかもしれない。詩句を繰り返すのは愛嬌のうちかもしれないと諦めよう。

沖縄以外の日本人は高齢者を大切にしない伝統があるが、子供の方を大事にするという伝統も怪しくなりつつある。政治家や官僚は恥ずかしくないのか?「後期高齢者」制度で、保険証を取り上げられて、病院にも行けない高齢者が爆発的に増えつつあるという。80歳以上の高齢者の白骨死体がゴロゴロかもー

今日は体調最悪で、高田渡の歌しか受けつけない。しみじみとした歌「ブラザー軒」(菅原克巳)はー「ここ」

今夜高田渡の歌を楽しもう。生まれついての沖縄の詩人山之口獏作詞の「生活の柄」はー「ここ」

少し元気に。井上陽水で二番目に好きな「氷の世界」はー「ここ」ー一番はもちろん「青空ひとりきり」。これから初音ミクの「般若心経」を聞いてみよう。

◆映像が素敵な井上陽水「青空ひとりきり」はー「ここ」◆初音ミクの「般若心経」は(相互リンクしてるブログ)でお薦めだったバージョンをー「ここ」

悲鳴

2010年09月19日 | 
聞こえてくるのは
悲鳴ばかり

怒りの意味や
怒りの対象を
認めたくないほど
ますます高まりつつある悲鳴

怒りは
猿でさえも持っているというのに・・

山へ行くたびに
猿たちの威嚇の声がいよいよ高まる
時には石を投げつけられることもある
「私利私欲で自然を台無しにする者ども」と・・

卑怯で臆病すぎる人間に比べると
なんて正直な猿たちなのか
彼らの怒りは悲鳴などではなくて
これほど自然を破壊した人間たちを
決して許さないという宣言なのだ

この世界では
戦うことなしに得らるものは何ひとつない

ただただぼくらは
そんな意味もわからないまま
憲法に守られていただ胎児だっただけなのだ

「地球に優しくしよう」という甘ったるい
官僚どもとマスコミが撒き散らした
マトリクスの中で惰眠を貪り続けるぼくらがいる聞こえてくるのは
悲鳴ばかり

怒りの意味や
怒りの対象を
認めたくないほど
ますます高まりつつある悲鳴

怒りは
猿でさえも持っているというのに・・

山へ行くたびに
猿たちの威嚇の声がいよいよ高まる
時には石を投げつけられることもある
「私利私欲で自然を台無しにする者ども」と・・

卑怯で臆病すぎる人間に比べると
なんて正直な猿たちなのか
彼らの怒りは悲鳴などではなくて
これほど自然を破壊した人間たちを
決して許さないという宣言なのだ

この世界では
戦うことなしに得らるものは何ひとつない

ただただぼくらは
そんな意味もわからないまま
憲法に守られていただ胎児だっただけなのだ

「地球に優しくしよう」という甘ったるい
官僚どもとマスコミが撒き散らした
マトリクスの中で惰眠を貪り続けるぼくらがいる
いくらその悲鳴や怒りに
耳を塞いで生きようとしても

ロー・アンド・ロー

2010年09月19日 | 
供時代
自分だけの舟が欲しかった

それはたぶん
いつも幻想世界の入り口だった
アーサム・ランサムの
「アマゾン号とツバメ号」のせい

海や湖の岸で
過去の思い出にまどろんでる舟じゃなくて

遠い湾の彼方へと
船出したかった
まだ見ぬ灰色の瞳のきみを求めて

ロー・アンド・ロー
未知の土地に向かって漕げ
人生はいつも
未知の場所への航海途上だから

敬老の日ー嘘八百の冗談もいいかげんにして欲しい

2010年09月19日 | 日記
「後期高齢者」という悪法のせいで、数万人の高齢者が、保険料を払えなくなって保険証を取り上げられて・・病院にも行けずに死んでゆくというこの腐り切った国が・・

80歳以上が高齢者の死体が数万体以上が、日本中にゴロゴロ・・白骨化してる狂った国にしたのは売国奴小泉・竹中以降ではないのか?

それにしても、「葬式が面倒くさかった」には笑うしかなかった。
火葬だけなら、一万円以下だというのに・・それでもきちんと、最後のお別れ等やってくれるというのに。

日本人は発狂してしまったとしか言うしかない。

革命家ゲバラの言葉と手紙からー

2010年09月18日 | 歴史
んな出口の見えない時代だからこそ、偉大な革命家ゲバラの言葉や手紙を読み返したくなるのかもしれない。

真実について
僕を導くものは、
真実への情熱だけだ。
…あらゆる問題について、
僕はこの点から考える。(チェ・ゲバラ)

◆ゲバラ別れの手紙の数々から
「フィデル・カストロ宛」   フィデル。
いま私は、さまざまのことを思い出している――マリア・アントニアの家ではじめて君に会った時のこと、君が遠征に参加するように私にすすめた時のこと、そして準備の時のあの緊張のすべてを。

 ある日われわれは、死んだら誰に知らせたらいいのかと尋ねられたことがある。その時われわれ全員は死の現実的な可能性に衝撃をうけた。あとになってわれわれは、革命のなかでは(それが真の革命である限り)人は勝利するか死ぬかなのだ、ということを知った。勝利にいたる途上で多くの同志が倒れた。

 いまではすべてにあまり劇的な調子を感じることはないが、それはわれわれが成熟したためだ。だが、いまも生と死は繰返されているのだ。キューバ革命が私に課した任務を私はキューバ国内においては果してしまったように思う。だから私は君や同志や君の人民――それはすでに私のものでもある――に別れを告げる。

 私は党指導部における私の地位、閣僚の職、少佐の階級、キューバ市民としての条件を公式に放棄する。法的には私をキューバに結びつけるものは何もない。ただ、任命書を破り棄てるようにはあっさりとは棄てることができない違う性格の絆があるだけなのだ。

 過去をふり返ってみて、私は自分が革命の勝利を不動のものとするために十分に誠実に献身的に働いてきたと信じている。私に何らかの誤りがあるとすれば、それはただ、シエラ・マエストラの初期の段階において十分に君を信頼していなかったことと、君の指導者ならびに革命家としての能力を十分に理解していなかったことだけである。

 私は偉大な日々を生きてきた。君の傍で力リブ海の危機の輝かしく悲劇的な日々をわが人民の一員として生きたことを私は誇りとしていた。

 あの日々の君ほど輝かしい政治家はほとんどいない。私は躊躇することなく君に従い、君の思考方法に自分を同一化したこと、君と同じ方法で危機と原則を理解し評価したことを誇りに思っている。

 世界の他の土地に私のささやかな努力を求める大衆がいる。キューバの指導者としての責任から君には許されないことが私にはできる。別れの時が来たのだ。

 私が喜びと悲しみの混じり合った気持でキューバを離れるのだということを知って欲しい。私はここに建設者としての私の最も純粋な希望と、私が愛するもののうちの最愛のものを残して……そして、私を息子のように受け入れてくれた人民と別れていくのだ。このことは私の心を深く切り裂く。私は新しい戦場に、君が私に教えてくれた信念、わが人民の革命精神、最も神聖な義務を果そうとする感情を携えていく。そして、どこであろうと帝国主義と戦うのだ。戦いが私の心のすべての傷を十分に慰め癒すのだ。

 もう一度言うが、キューバに関して私はいっさいの責任から解放された。だが、キューバは私にとってひとつの模範だ。私がどこか異国の空の下で最後の時を迎えたら、私の最後の思いはキューバの人民、そして特に君に向かうだろう。君の教えと模範に感謝する。私は私の行動において最後までそれに忠実でありたいと思う。私はこれまでわれわれの革命の外交政策に常に従ってきた。これからもそうしたいと思っている。どこにいようとも私はキューバの革命家としての責任を自覚しているだろう。そして、そのように行動するだろう。私は私の子供や妻に何も残しておかないが、それは別に心残りのことではない。そのほうが私には望ましいのだ。国家が生活と教育に十分なことをしてくれる以上、私はそのほかに何も望まない。

 君とわれわれの人民に語りたいことはたくさんあるが、それはもう必要のないことなのだろう。言葉は私が望むことを表現しえない。これ以上紙をよごすまでのこともないだろう。勝利に向かって常に前進せよ。祖国か死か。革命的情熱をもって君を抱擁する。    
         チェ

懐かしいゲバラの感動的な決別の手紙。「とりわけ、世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それが一人の革命家のもっとも美しい資質なのだ。」の部分は宮澤賢治にも通じるものがある。

革命前は女性のほとんどが身を売るしかすべなかった米国植民地キューバの惨状はまた、娘の身売りが日常茶飯事だった数十年前の戦前日本を連想させられる。

革命後の経済封鎖の中、サトウキビと葉巻以外に何ひとつ産業がないなかで・・中南米一素晴らしい最先端の教育や医療や福祉やエコロジー農業を実現してきた自立自尊の精神や倫理観・正義感こそが、現在の日本人に最も欠けているもの、日本人とは対極にあるものに違いない。

キューバ革命は天の利、地の利、人の利、それらが絶妙にかみ合って、大成功を収めた稀有の例外で、極めて稀な奇跡的革命であるのを知っていながら、飽くなき革命の闘志を燃やしつづけ、アフリカ、南米を転戦し、遂にボリビア山中で政府軍に逮捕されます。「右手でパイプをふりながら、チェ・ゲバラ射殺された」1967年の10月9日、地元の新聞が報道。

◆ゲバラについてのもう一つの僕の日記『チェ・ゲバラの手紙2ーゲバラとカストロ訣別の前夜』はー「ここ」
◆『ゲバラ日記』についてはー「ここ」

◆◆地震国には原発よりも地熱発電が相応しいと主張したので、父は東電重役になれず、その意志を引き継いだ娘は「東電OL殺人事件」で身も心もずたずたにされて殺されたのだと思う。
証言者のほとんどは、顔も名も不明の暴力団や警察の支配下の者たちだ。最後に出てくるほとんど唯一僕が信用できたサンドイッチマンの証人は、「彼女を見たのは最初で最後」「連れの男はヒモだろうと顔をみたら端正な顔でそうではないなと思った」と言っているのが根拠の一つ。
もう一つの根拠は、冤罪で死刑判決を受けたネパール人のアリバイを証明する証人に、その嘘の証言の代償に紹介された高給の職場が警察官僚天下りのサラ金(佐野氏が訪問後即解散)のビルに東電の子会社があったという事実だった。あまりにもタイミングやつながりが疑問だ。
◆◆世界一の地震国で、食料とともにエネルギー自給(原発燃料のウランも輸入)を目指す日本に、危険すぎる原発は不要と思ったブログはー「ここ」

絶望

2010年09月18日 | Weblog
絶望絶望

絶望よと
いったいなんど
お前に呼びかけただろう

いったい
どっちへと向かうべきかわからない別れ道で
途方にくれながら

蝙蝠が舞い飛ぶ
母の病院へと向かう道に立ち止まっては
三日月を見上げながら

絶望よ
この世の誰よりも
いちばん親しかったぼくの友よ

未来など
信じたことは一度も無かった

絶望だけが
ぼくが憎んで愛した
ただひとりのわが友だち


一輪の花

2010年09月18日 | 
目覚めるたびに
またあちこちに傷が増えている

愛や喜びなど
増えたことなど一度もないのに

人間はこれからもまた
殺しあう運命だろう
人間の欲望には際限がないので

そんな人間たちが
殺し合った後には たぶん
一輪の真紅の花が
うなだれて咲くことだろう

僕が「東電OL殺人事件」にこだわる理由はー

2010年09月18日 | 政治
僕が何故「東電OL事件」にこだわるのかという最大の理由はー
僕もまた某大手自動車企業でそのような部署にいて、そのような経験を何度かしたからだ。

その部署は、政治献金等の裏金や官僚・政治家の接待や、警察コンピューターシステムをタダで寄贈したり。新警察幹部の着任には出迎えと接待を。

その頃は、ブラックリストに載ってる社員首切りには新興宗教や暴力団を使っただった。
その手かざしの宗教へ上司に連れて行かれた時、逃げ出した女子社員の悲鳴が今でも時々夢の中で聞こえて目覚めることもある。

「休日になると男とのセックスを強要させらるのはもうごめんだ!」とわんわんと泣くその女性社員を大勢の、目つきに悪い新興宗教や暴力団員みたい男たちが、無理やり引きずってくるという場面が・・

その頃は、痴呆症で寝たきりの母の介護で頭が一杯だった自分は、早く帰って・・またポータブルトイレからずり落ちて泣いて待ってるかもしれない母のことで頭が一杯だった。
それもまた、今では言い訳に過ぎなかったんだと思う。

事務所入り口や、トイレへの入り口にぽつんりと机を置かれて、仕事を一切与えられない・・企業内ぐるーぷからの社員も多かった。僕の上司の話しでは、「あいつらはアカだ。お前もあいつらに話し掛けたら、アカにみなされるぞ!」だった。

その後すぐに、法務官僚が天下りしてから、首切りはますます過酷さを増していったのだが・・

心臓が悪い人は読まないで欲しい!

2010年09月17日 | 
ぼくのパソコンはもう十年以上使っているので、月に一回は壊れてしまって、その度にリカバリー。数万分の一の情報しか残ってしないので・・このアメンバーブログやOCNカフェやgooブログにはほんとに感謝してる。

今生きてる作家で好きなのはヤンソギル(「H」はほんとに怖かったホラーで、朴大統領暗殺犯の物語も・・)。そして詩人では、半分以上の島民が米軍や右翼暴力団に虐殺されたサイシュウ島から日本へと密航してきた彼の師匠だった金時鐘。


  夏 ー金時鐘ー

声を立てず
立てるべき声を
底ぴからせている季節。

思うほどに眼がくらみ
しずかに瞑るしかない
奥底の季節。

誰であるかは口にもせず
ひそと胸にかい抱く
追慕の季節。

願うよりは願いを秘め
待って乾いた
旱の季節。

うすれて記憶が透かされているとき
汗みどろにむれてくる
戦火の季節。

夏は季節の皮切りだ。
いかな色合いも晒してしまう
はじけて白いハレーションの季節だ。

  注:愛する女性一家が銃殺される時、それをただ見ているしかなかったのだという・・

秋のトランク

2010年09月17日 | Weblog
秋のトランクから
色んなものが振りまかれはじめる

ぼくには
それを入れる入れ物がないというより
青春時代の過ちのまんま
ネズミたちの齧るまんま
ぼくのトランクの底には これ見よがしに
大きな穴が開いたまんま

宮沢賢治の「トランク」を読んでから
無性にトランクを買ったのはいいけど
使ったのは一回こっきり

あまりにも大きすぎて
あまりにも重過ぎたのだった

佐藤栄佐久前福島県知事の裁判と二つの事件、日本のエネルギー政策を左右する影

2010年09月17日 | 政治
 佐藤栄佐久前福島県知事の裁判が話題になっている。警察による冤罪事件ではないかというものだ。福島県は二つの原子力発電所に合計10基の原発がある。更に、2基が建設中および計画中だ。そして、佐藤前福島県知事は、プルサーマルなどの原子力政策に反対していた。他にも、佐藤前福島県知事はかなり目立っていたらしいから、いろいろと狙われる理由はあったのかも知れない。しかし、一応、原子力政策に対する反対が理由だと仮定して、他の事件を見てみると、あるひとつのリングが見えてくる。

 まず、佐藤栄佐久前福島県知事が異を唱えていたプルサーマルについて述べる。プルサーマルとは、熱中性子(thermal neutron)によりプルトニウムを核分裂反応させて発電を行う原子炉のことを指す。なおプルサーマルとはプルトニウムのプルとサーマルリアクター(軽水炉)のサーマルを繋げた和製英語(plutonium thermal use)である。(この部分は、ウィキペディアのプルサーマルの項から。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AB)つまり、簡単に言ってしまえば、原子力発電で大きなネックになっている二つの問題、つまり、原子力資源であるウランが輸入に頼っていることと使用済み核廃棄物であるプルトニウムの処分方法の両方を一挙にほぼ解決するものなのだ。つまり、輸入に頼るウランを一度燃やしてできたプルトニウムを再度燃料に使えるので、日本においては二重の意味で有利な発電方法なのだ。しかし、普通の原子炉に、プルサーマル燃料と通常の燃料の二種類が混ざって装填されるため、制御が難しく、特に地震などの際に安全性が確保されるかどうかが問題になる。

 そして、日本においてプルサーマル計画が大きく動き出したのが1997年だ。この年の2月4日、核燃料サイクルについて了承するという閣議決定がされ、同2月21日には電力11社によるプルサーマル全体計画が発表されるのだ。以降、プルサーマル計画の説明が新潟、福島、福井県に対してされていく。(この部分は、http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/17/17010608/01.gifを参照のこと)

 同じ1997年の3月8日、東電OL殺人事件が起こっている。こちらは、東京電力の上級女子社員が売春客に殺されたという事件だ。東電という一流企業のそれも上級社員が何年間にも渡って売春をしてい、時には売春客を拾う路上で放尿までしていたとして、マスコミで大騒ぎになった事件だ。しかし、この事件には、大きな矛盾がいくつもある。もっとも大きな矛盾は、なぜ被害女性が売春をしていたのかというものだ。39歳で年収が1000万円以上あり、金銭的に困っていたとは思えない。また、自分が書いた経済リポートが賞を受けるなど、仕事上でも十分にその才能が認められていたはずなのだ。また、もし売春が事実だとしても、事件は殺人事件でありその被害者なのだから、たとえ刑事裁判の公判ではそのことを言わざるを得なくても、報道についてはそのことを伏せるという配慮がされてもよかったし、東京電力が大企業であることから、自社のスキャンダルを報道させないという圧力をマスコミにかけることもできたはずだ。更に、被害者は自分が東京電力の上級社員で経済レポートなどを書いている再三再四売春客に語っていたとされる。それならば、なぜ、そういったうわさが東電本社に伝わらなかったのか、または、週刊誌にネタとして売られなかったのか?更に、事件が起こってからマスコミが大騒ぎすることに対し、被害者の母親が、「娘がそういうことをしていたことを自分は知らなかった。殺人事件の被害者なのだから静かにしてほしい」という趣旨の手紙をマスコミに送っているのだ。しかし、刑事裁判の場で警察は、被害者が自宅に帰らなかったため、母親が捜索願を出しに来て、「娘は売春をしているのでその関係で事件に巻き込まれたのかもしれない」と言ったと証言しているのだ。しかし、自らも東京の一流私大を出て、東大出の東京電力の管理職にまでなった夫を持っていた母親が、娘に東京電力社員ありながら売春をさせるだろうか、少なくとも何年間もそういった状態を続けることを許すだろうか?更に、刑事裁判の場で証言した売春客はすべて本名や顔を隠しての証言だった。つまり、本当にそれらの証言が正しいものかどうかの検証は一般人にはできないのだ。また、彼女が売春によって稼いだはずのかなりの金額の金についてもうわさを除いてきちんとした検証はまったくされていないのだ。
 更に、東電OL殺人事件の犯人であるとされるネパール人は、犯行を否認してい、実際、第一審では無罪判決を受けているのだ。殺人事件自体の経過でさえ、さまざまな矛盾点があり、事件後12年を経た現在でも冤罪事件であると言う主張がされている。
 つまり、東電OL殺人事件も、売春と言う実態があったとは到底思えず、一種の作られた事件であるはずだ。(以上の記述は佐野真一著「東電OL殺人事件」、「東電OL症候群」と言う新潮文庫の本から。以降も、東電OL殺人事件について記述は、この2冊の本から。)

 では、なぜ、東電OL殺人事件が起こったのか?被害女性の父親は、やはり東京電力に勤めていて、1977年にがんで亡くなっている。その2年前、工務部全体を統括する副部長と言う管理職になりなぜか一年で降格され、その一年後のガンでの死だ。
 そして、この時期は、原子力の危険性が世界中で言われていた時期なのだ。1974年、アメリカでもタンプリン(A.R.Tamplin)及びコクラン(T.B.Cochran)がプルトニウムの細かい粒子が肺に及ぼす影響を警告している。(http://www.jaea.go.jp/04/nsed/ers/radiation/refa/dresa/term/bp002290.htmを参照)また、同年、カレン・シルクウッド事件という、プルトニウム燃料工場での放射線被爆に関する内部告発者が事故死すると言う事件が起こる。(http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/Video/Silkwood.htmを参照)更に日本においては、原子力船むつで放射能漏れ事故が起こったり、浜岡原発や福島の原発で配管に亀裂が生じていた疑いが出るなどのことがあった。(http://www.rist.or.jp/atomica/database.php?Frame=./data/bun_index.htmlを参照)
 つまり、被害女性の父親は、原子力発電の危険性を指摘して管理職から降格された可能性が強いのだ。彼は、高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めていたというから、地震の地盤への影響についても詳しかったはずだ。そして、父親がガンでなくなった1977年、彼女は大学二年生だった。だから、この時期、彼女が原発に関する父親の見解を聞いている可能性は強い。父親の死後3年の1980年、彼女も東電に入社する。
 ちなみに、スリーマイル島原発事故が1979年、チェルノブイリ原発事故が1986年である。青森県六ヶ所村での核燃料廃棄物再処理工場の建設が始まるのが1993年、そして、1995年、阪神大震災が起こる。
 多分、阪神大震災を見て、彼女は日本における原発の危険性を東電内部で発言し始めたのではないだろうか。阪神大震災の一年ほど前、「東京イニシアチブ」と言う論文が発表され、そこには、「高温岩体の地熱発電への研究開発資金を大幅に増やせば、日本国内に大きなエネルギー資源が見つかるかもしれません。北海道と本州の4300平方キロメートルの地域が高温岩体の井戸に適した条件を持っているそうです(1992年電中研ニュース)。2000メートルから4000メートルの深さまで掘ることによって、約40万メガワットの発電が可能。この発電力は日本全体の発電能力の2.5倍。この電力の予測価格は、キロワット時あたり13円でした」(http://eco.nikkei.co.jp/column/maekita_miyako/article.aspx?id=MMECcc005002082007を参照)と書かれていたと言うから、彼女も日本における地熱発電の可能性について理解していたはずであり、原発の代わりに地熱発電をと言う主張はそれなりに説得力がある。

 しかし、これらのことは、東電OL殺人事件発生当時、まったくマスコミに取り上げられることはなかった。マスコミの関心は、その後、神戸連続児童殺傷事件によってまさに乗っ取られていくからだ。
 神戸連続児童殺傷事件は1997年5月24日、14歳の中学男子生徒が11歳の知的障害のある男子児童を殺害し、翌25日その児童の首を切り落とし、26日未明に男子生徒の通学していた中学の正門前にその頭部を犯行声明文とともに置いたという事件である。そして、これら一連の事件は、東電OL殺人事件の容疑者とされるネパール人が逮捕された5月20日の直後と言うタイミングなのだ。つまり、東電OL殺人事件の犯人逮捕がされ一応事件のけりがついたとされた直後に神戸連続児童殺傷事件が起こるのだ。
 しかし、神戸連続児童殺傷事件にしても、とても14歳の男子中学生の犯行とは思えない事件だ。11歳の児童を連れて自宅そばの丘に登りそこで殺害して首を切り、その首を中学の門に置くと言う一連の犯行は、一切目撃されていないし、指紋などの直接的な証拠も一切ない。唯一あるのは少年の自白なのだが、その自白さえも多少でもきちんと見れば矛盾点だらけという代物だ。これらのことについては、神戸小学生惨殺事件の真相(http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/kyumei.htm)にかなり詳しく述べられているし、「神戸事件を読む 酒鬼薔薇聖斗は本当に少年Aなのか?」という熊谷英彦と言う方が書いた本にもかなり説得力を持つ論理が展開されている。

 そして、これらの事件が起こった1997年は、新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法が作られた年でもある。4月に成立しているが、そこでは、それまで国庫補助の対象であった地熱発電がはずされたのだ。その後、この法律は、2002年に改正されているがその際も地熱発電は補助対象にならずバイオマス発電などが補助対象として新たに指定されたのみである。更に、2008年にも改正が行われているが、その際には、地熱発電の内小規模発電に適しているバイナリー発電のみが補助対象として指定されている。そのため、1990年代後半から地熱発電の新規開発は止まってしまうのだ。ある程度の規模のある最も新しい地熱発電所は1993年から企画され1997年に自然公園法の認可を得た500kwの九重地熱発電所で大分県の九重町にある九重観光ホテルでやっているものだ。

 以上のような経緯を見たとき、佐藤栄佐久前福島県知事の裁判がいかにも非論理的であり、反原発を主張する人々を黙らせるためのものであるということが、ある程度納得いくのではないだろうか?

かっては差別された女性だけだった地獄が、すべての若者にはなのでは・・と思う

2010年09月16日 | Weblog
■「東電OL殺人事件」を少し前に読了したところです

僕が、この事件に興味をもったきっかけのブログに書かれてた原発ではなくて持続可能な地熱発電へ・・という内容は皆無でした。

「東電OL殺人事件」読了。さらに謎が深まってしまったが、冤罪とはについては・・最も衝撃的な本だった。

数日前のTVでも、企業に引く手あまただった慶応学生が面接さえ一件も受けられないと言っていた。若者を、以前の女性以下の存在にしたこの国の大企業!
同時代の最も尊敬するノンフィクション作家辺見庸や、戦後最高峰のノンフィクション作家故松下竜一ならどう書いたのだろか?

詳しくは、リンク集が充実してるのでー「ここ」

冤罪事件についてのとてもわかりやすい本だったけど、まだまだ膨大な闇のある事件という予感がする。

決定的な無罪の証言をするだろうネパール人を、警察幹部天下りサラ金(そのビルには東電の子会社が)へと高給で雇って、裁判で言わせないために強制送還させたり。佐野氏が調べ始めると即店じまい。

想像なのですが、彼女がその部署(政治資金等の裏金や裏情報を扱う部署)で何かとてつもない裏情報を得て、ふと誰かにもらしたために、危機的状況へと追い込まれて、殺し屋に殺されたのかもと思う。そしてその前に、精神的な自殺へと追い込まれたのでは・・というのが目下の結論です。

「冒険者たち」という映画もあったような記憶がー

2010年09月15日 | Weblog
故開高健氏の友人だったという・・ニコル氏の「冒険家の食卓」(角川文庫)読了。
色んな冒険家の本の中でも、この本は特に面白かった。「マークツウェイン自伝」にちょっぴりに似てるけど・・ずっと面白かった。

僕の友人は黒姫山まで、ニコル氏に会いに行ったという。
日本の森の再生を実行したのは、外国人のニコル氏と、田中前長野県知事くらいではないのかと思う。