日経ビジネスが、『世界が「桜は中国の花」と思う日は来るか』と言う記事を載せていた。中国でも、サクラが愛好されていて、中国の各地でサクラの名所が誕生していて、その規模も大きいのが多いと言う。
日経ビジネス誌が危惧しているのは、中国には、国の花が無く、このままいけば、国花をサクラとして、更には世界各国にサクラを移植させまくり、挙句の果て、サクラは中国の花と思いこませてしまうのではと。その原点となったのは、最近あちこちで日本企業の競争力そのものを「パクった」かのような企業が、巨大な「量」の力で本家を圧倒していく様子をご紹介したが、これと同じような構図の展開が、見られるようになっている事だそうだ。
ことは商売の話とは限らない。日本人の愛してやまない桜、あの春に咲く桜の花であるが、これも将来、ずっと日本のシンボルでいられるか、楽観していられないとい危惧化のの記事であった。
奈良時代の万葉集などから分かるように、昔から中国で愛でられた花は梅であった。「令和」という年号も、福岡県太宰府市にあった大伴旅人邸で開かれた「梅花の宴」で詠まれた32首の歌の序文から採用されている事から来ているように、中国で愛されていたのは梅であることを如実に示している。
奈良、平安を通して、日本は、中国の文化文明を輸入しまくったが、894年、菅原道真が唐の衰退と渡海の危険性を理由に検討し廃止を求め、以後廃止され、日本独自性を求めるようになって、日本人はサクラの開花で、田植えを始めるなどサクラを愛でるようなったと言う。
それ以降、サクラの品種改良がおこなわれ、染井吉野に代表されるサクラが出来あがった。サクラは日本固有種ではなく、モンスーン地帯に一様に存在するから、サクラは日本の物でもどこの物でもないが、染井吉野の様なきれいなサクラを作ったのは日本! 韓国でも一時期、染井吉野は韓国のサクラと言う議論が行われたがこれは、例証により消えている。
以下、日経美ずネスの引用:
近年、中国で桜の花の人気が急上昇している。中国のメディアに「中国人は一体いつから桜の花がこんなに好きになったのか」という記事が載るくらい、春になると桜の花を愛でる中国人が増えている。実は中国の「国花」はまだ正式決定しておらず、20年以上前から「牡丹派」と「梅派」の議論が拮抗してきた。このことからもわかるように春の花としては中国では古来、桜より梅のほうがポピュラーだった。
しかしこの10年ほど、桜の注目度がにわかに高まり、中国各地の「桜の名所」(そういうものが実はたくさんあり、どんどん増えている)がメディアで大きく特集され、多くの人が花見に行くようになっている。 おそらくそこには日本のアニメの影響や日本を訪れる中国人の数が増え、桜の美しさ、「散る美学」みたいなものが広く知られるようになったことが大きく作用している。
日本にゆかりの桜の名所も
毎年春先になると、中国の旅行関連サイトやブログなどに「中国10大桜の鑑賞地」といった内容の記事が出る。
選者によって多少の差異はあるが、
・武漢大学キャンパス(湖北省武漢市)
・玄武湖(江蘇省南京市)
・太湖畔(江蘇省無錫市)
・玉淵潭(北京市)
・太子湾(浙江省杭州市)
といったあたりが定番として上位に来る「桜の名所」である。このうち武漢大学の桜はかつて日本軍が武漢を占領した際に植えたものが起源とされ、無錫の太湖畔の桜も日本の日中友好運動の人たちが長年にわたって苗木の寄贈、植樹を続けてきた。海外ではワシントンDC、ポトマック川岸のソメイヨシノの並木が有名だが、中国の桜の名所にも日本にゆかりのあるところが少なくない。
「桜を中国の国花に」
中国の人々も桜の花を楽しむようになったのは結構なことで、それ自体、何の問題もない。
しかし桜の国民的人気が高まり、桜の花を見る人が増えるにしたがって、中国の各地で公園や公共施設、街路などに桜を植える例が続々と増えている。そうなると、ここでも「量」の話が頭をもたげてくる。
例えば、河南省鶴壁市という街は、これといって特色のない地方都市だが、もともと市内中心部の「華夏南路」という通りに桜の並木があったことから、「桜の街」として売り出すことを決めた。長さ4㎞の同道沿いに10品種、2万2000本の桜の木が植えられ、「中国で最も美しい桜の大道」という評価もある。2015年からは毎年4月上旬に「桜文化フェスティバル」というイベントを開催、開花時期には30万人以上の人出でにぎわうという。
こうした「桜ブーム」の流れに乗って、桜の花に関連する業界で組織した「中国櫻花産業協会」は今年7月、「桜の花を中国の国花にすべきだ」との決議をまとめ、発表した。それによると「桜が中国に起源があることは世界の共通認識であり、2500年前から栽培されていた記録が文献にある。桜の花の咲き誇るさまは中華民族の復興のイメージにふさわしい。国民にもますます愛される花になっている」といった内容の声明になっている。
もちろんこれは桜の「関連業界」の人たちが言っていることで、この主張が現時点で国民的支持を得ているわけではない。
しかし、繰り返してきたように、なにしろ中国は大きい。なので、この調子で全国各地の公園や学校、街路などに桜の木が植えられていくと、20~30年後には中国の人たちが何の悪意もなく「桜は中国のシンボル」という共通認識を持つようになる可能性がある。
そして、14億人の国民から中国の桜の美しさが世界中に発信されていく。政府も当然、そのサポートをするであろう。世界の政治、経済、文化において中国の存在感が日々高まりつつある現在、やや先走りした話をすれば、桜の花は中国が本場――といった認識を世界の人が持ってしまう可能性は決して低くないと私は思う。これは詰まるところ「量」=影響力の問題だからである。
実はこの構図は、ラーメンでもお鮨でもアニメでも新幹線(高速鉄道)でも、いわゆる「日本発」の文化、習俗、すべての領域で起こる可能性があり、現に起こっていることである。
量は質を規定するか
「質か量か」という話(で言えば、もとよりどちらも大事ではあるが、先に例に挙げた「名創優品」などの生活雑貨のような、生産自体がさほど難易度の高くない商品は、最初から圧倒的な「量」をこなさないと勝負にならない。逆に高度に精密な機械部品のようなものなら、マーケット自体の大きさは限られているが、その中で「質」を武器に圧倒的なシェアを取ることは可能だろう。
そのような観点から言えば、「服」という領域で早くから中国に進出し、品質の高さ、リーズナブルな価格を武器に圧倒的な地位を獲得、その基盤を生かしつつ世界に打って出て、SPA(アパレル製造小売り)の領域で現時点の世界3位、さらに上をうかがうところまで来ているユニクロ(ファーストリテイリング)の戦い方はまさに王道といえる。
存在自体が「量」であるような巨大な国がすぐ隣にある日本の企業や個人として、これからの世界にどう対応するか。最終的には「質」が勝負だとは思うものの、「量が質を規定する」面があることは多くの人の同意できるところだろう。どのような商品を、どこで、誰と組んで、どのように造って、どのように売るか。本当に必死に知恵を絞らないといけない時代になったと思う。