ジブリ映画『もののけ姫』のような壮大な世界観にも思えるが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを経験した私たちだからこそ、いま目を向けるべきテーマでもある。
「新興の感染症の流行は、生態系による人間社会への『逆襲』だ」と語る研究者がいる。生物多様性の専門家であり、国立環境研究所の生物学者・五箇公一だ。
新型コロナウイルス感染症と環境問題には、どのように密接な関わりがあるのだろう。また、アフターコロナの社会が向かうべき方向性とは。五箇が生態学の観点から解説する。
コロナ危機の原因は「自然界の撹乱」
1970年代以降、HIVやエボラ出血熱、SARSといった新しい未知なるウイルスが突如人間社会に現れ、新興感染症をもたらしています。これらのウイルスは全て、野生動物が起源とされます。
ウイルスは野生動物の体内に存在し、宿主の中で常に変異を起こしています。その中には人間にマッチングするものが偶然生まれてしまうことがあるんです。
そして運よく人間に接触できればしめたもの。新たな宿主の人間には免疫がありませんから、ドカンと増えることができる。これが新興感染症のメカニズムです。
流行の背景にあるのは、人間による野生動物の世界の撹乱です。アフリカ、中南米、中国の奥地など未開の地において、土地開発や農耕地の拡大による自然破壊、動物の乱獲、密猟、売買などが繰り返されることによって、自然界に埋もれていたウイルスと人間が接触するチャンスが必然的に増えてしまいました。
しかもこのグローバル社会では、人間が東西南北をあっという間に移動できる。都市部では人が密集していて、ウイルスが一旦侵入すれば爆発的に広がりやすい環境が整っています。新型コロナウイルスはまさに、そうした時代の流れに乗って瞬く間に世界中に広がりました。
人間社会にとってみれば、ウイルスは恐ろしい病原体であり、疎ましい存在です。それゆえに今までは「排除するべきもの」としてしか捉えられてきませんでした。
しかし冷静に考えてみれば、彼らは人間が地球上に登場する何億年も前から生態系のなかで生き続けており、野生動物とともに進化を繰り返してきました。それは彼らにも自然界における存在意義がちゃんとあるからなんですね。
生態系では、すべての種が資源の取り分に合わせて決まった数の範囲内で生きています。ある種の集団がそのセオリーから外れて増えすぎると、ウイルスはその集団に取り付いて感染症をもたらし、数を減らす「天敵」としての役割を果たしてきたと考えられます。生態系ピラミッドの安定性を保つ「監視役」とも呼べるでしょう。
かたや人間はというと、今や77億にも達しようという膨大な数で繁殖を遂げています。しかも地球上のエネルギーを無駄に消費し、大量のゴミの排出を繰り返している。生態系は人間にエネルギーを一方的に奪われている状況が続き、それを制御する自然界のシステムとして、新興感染症ウイルスがいま、人間社会でパンデミックを引き起こしているわけです。
新型コロナウイルスを含む新興感染症は、まさに人間に対する「自然界の逆襲」と捉えるべき事態です。
グローバリズムが産んだ、経済の「脆さ」
日本は現在、資源の大半を海外から輸入している資源依存大国です。しかしかつてはそうではなく、この狭い島国で約1万年もの間、自立して生活してきた国だったのです。
歴史上特に注目すべき循環型社会を維持していたのが江戸時代です。地方ごとに独自の経済構造を持ち、江戸を中心に緩やかにつながる地方分散型社会では、隔離された環境の中で資源を回す知恵があった。それでいて完全に外部を遮断するわけではなく、大陸とも適度に交流していたため、文化も隆盛を極めました。
生物の世界には、それぞれの環境に適応した集団が分散して生息することで、どこか1つの集団が潰れたとしても他の集団からの供給が働き、種全体としては生き残れるという個体群構造があります。
江戸時代もまた、地域ごとに最も適応度の高い社会を作り、経済を分散させることによって全体の適応度を上げていました。ところが、いま世界中で進行しているのは、地方分散型社会とは真逆の、画一化としてのグローバル化社会です。
これは生き物の世界に置き換えて考えると非常にまずい状況です。全ての遺伝子がミックスされると変異(個体ごとの形質の違い)がなくなり、突発的な環境の変化とともに種が絶滅する恐れがあります。リーマンショックで世界中が一気に混乱に陥ったのと同じ構図です。
グローバリゼーションの弊害は、何か問題が起きると全体が潰れかねない経済の脆さです。社会全体の持続性を高めるためには、グローバル化とは異なる方角に舵を切らなくてはなりません。
取材は五箇の研究室とつなぎ、オンラインで行った
「地産地消」が、人間社会の持続性を高める
生き物の生存は本来、持続して遺伝子を残し続けることが最大の目的です。一気に増えて一気に滅びるような生き方をしている生き物は、成功者とはいえない。人間もそうした生態系のセオリーに則って、社会全体の持続性を考えるときが来ています。
人間社会が次に向かうべき方向性はローカリゼーションです。かつての日本社会が持っていた持続性を、現代社会にどう適応させるかが課題となります。
近代社会では都市に人が集中しましたが、これだけITやインフラが整ったいまでは、地方で暮らすディスアドバンテージはどんどん小さくなってきています。地方に分散した人が地域ごとに経済を自立させ、お互いに緩やかにつながるネットワークを構築する。このシステムは国単位でも応用可能です。
しかし、いまの社会を一気に変えるのは難しいでしょう。グローバリゼーションから脱却するためには、まずは個人の行動から変えていく必要があります。
私は「地産地消」の実践から始めることを推奨しています。地方で採れたものを地方で消費し、そこで経済が流れる社会を作る。田舎なら地元のものを優先し、日本なら日本のものを優先する。これが持続性の高い社会を実現するために、個人レベルでできる第一歩です。
ウイルス発生源はまだ不明。求められる国際協調
新型コロナウイルスの起源は武漢だと言われていますが、実はまだ不明です。最初に武漢でクラスターが認知され、そこから人の流れとともにウイルスが世界に拡散したのは事実ですが、ウイルスを系統解析しても、現時点では武漢が発生地とは確定できないからです。
最近の論文によると、新型コロナウイルスの流行は、武漢でクラスターが発生する前の2019年11月末ぐらいから始まったと考えられています。では本当の発生源はどこなのか、今まさに研究者が研究している最中です。
こうした状況下で国際社会の分断が起きてしまうと、各国が情報の囲い込みに走る恐れがあります。政治の都合によってワクチンの開発や病気の制圧が遅れることは、我々研究者が最も懸念する事態です。各国のリーダーには、「分断」ではなく「協調」が人の命を救うために必要であることを十分に理解して協働体制に前進して欲しいです。
今回の教訓を得て、アフターコロナの世界では海外への依存から脱却する方向に国際社会が進むかもしれません。しかし、それが「協調」ではなく、「分断」の結果ならば、緩やかなローカリゼーションとは程遠い、医療や技術も含めた国内資源の独占に各国が走る可能性があります。
もしそうなると最悪ですね。人間社会の持続性は低下し、世界はさらに脆くなってしまうかもしれません。
調査を行う五箇公一。自然共生社会の本質について、私たちに問いを投げ掛ける
人間って生物学上では本来すごく弱い生き物です。弱いからこそ集まってコミュニティをつくって野生生物たちとの闘いに勝って、生き残ることができた。その過程で他の生物種が持たないヒューマニティという人間特有の性質を進化させた。血の繋がりのない他者も助けるという利他性こそが人間の武器であるのに、社会が肥大化し、物質的な豊かさが増すにつれ、自我や個人的欲求を優先させてしまうという利己性が利他性に勝るようになってしまった。
これからは「自然共生社会」の本質を見つめ直し、人はこれ以上野生生物の世界に立ち入ってはいけないことを改めて認識すべきです。かつての共生関係を保ってきた人間社会と自然界の間のゾーニングを取り戻すことが必要なのです。世界全体が独占主義的な考え方を捨て、自然共生を図り、持続的な社会構造へとパラダイムシフトをすることが求められます。
五箇公一(ごか・こういち)◎1965年生まれ。国立研究開発法人国立環境研究所 生物生態系環境研究センター 生態リスク評価・対策研究室長。農学博士。専門の研究分野は生態リスク学、ダニ学。著書に『クワガタムシが語る生物多様性』『ダニの生物学』『終わりなき侵略者との闘い〜増え続ける外来生物』『感染症の生態学』『これからの人生に必要な大人の生物学入門』など。
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