東京都教育委員会定例会が瀬古利彦、内館牧子の2人の委員の欠席により採択を8月上旬に延期した7月23日(木)夜、文京区民センターで緊急集会が開催された(主催「つくる会」教科書採択を阻止する東京ネットワーク、子どもと教科書全国ネット)
今年の採択で「つくる会」教科書不採択を勝ち取り、普通の教科書採択へ奪回したい杉並区の方の決意表明と全国の情勢に関する報告を中心に紹介する。
●杉並より決意表明 鳥生(とりう)千恵さん(杉並の教育を考えるみんなの会)
杉並区教委が扶桑社教科書を採択してもう4年になる。使い始めて1年半たったころ、区内の社会科の先生方にアンケートを送付した。23校中12校から回答が寄せられが、コメントがたくさん書かれていた。
「国家主義の思想に染まってしまい、人権や自由、人間らしさや真に大切にしなければならないことを見失う心配が大いにある」「自分の考えを否定されているようで、使えない」など、自分が使う教科書を自分で選べない苦しさや悔しさを訴えるコメントが多く寄せられた。こんな教科書を教えないといけないのかという思いがあふれていた。
「強制はあるか」と聞くと、「校長」から「検定で通っている教科書だから使うように」「生徒の前で教科書を批判しないように」と注意されたとの答えが返ってきた。
今春3年間使った先生から感想をいただいた。「試験問題を作成するとき、以前は教科書の文章を使って穴埋め問題をつくったが、いまはそのままでは使えなくなった。資料集が絶対に必要である」。先生方の苦労が推し量られる。
あるお母さんは「教科書を使わないといっても、授業で目の前に置いているし、試験範囲は○ページから○ページと指定されるから、子どもはやっぱり一生懸命読んでいる。でも、子どもの前で教科書の批判をすると、結局先生を否定することになるのでいえない」と悩みを語っておられた。保護者と先生が本音で語れない関係になってしまったことがわかる。
生徒からは「無駄にわかりやすく、幼稚」「日本をいい国すごい国と、誇張して書いてある。例えば、忠臣蔵のエピソードなど熱烈に感情移入して書いてあって気持ち悪い」「受験のための自主学習をしていて、求められる答えと教科書の食い違いに気づいた。高等教育を受けたい学生にとって、思想云々は別にして、マイナスであることは確かだ」など冷静なコメントがあった。
杉並区は原水禁運動発祥の地で、当時の区民38万人のうち28万人の署名が集まった。区立学校も自由な雰囲気があった。国語で「アンネの日記」を学習し、アンネ・フランクのお父さんと文通した高井戸中学には「アンネのバラ」がある。もらったバラはいま100本以上に育った。このバラは高井戸中学の平和教育のシンボルであると同時に、区の平和のシンボルでもなっている。
こんな杉並の伝統と誇りが、ひとりの首長の卑劣な手段で壊された。わたしたちはこの4年さまざまな運動と学習を行ってきた。
杉並の教科書採択は8月12日(水)に行われる。1週間前の8月5日(水)と採択日の12日に区役所前で集会を行いアピールする予定だ。
●全国の情勢 俵義文さん(子どもと教科書全国ネット)
今年の採択をみていると、2001年や2005年と比べて仲間たちの動きが鈍い。その原因は2つある。マスコミがほとんど取り上げないので知られていないこと、もうひとつは「つくる会」など右派の動きが表面に出てこないことである。「つくる会」は2001年に会員数1万人だったが、分裂もあり現在3000人弱とみられる。一方日本教育再生機構の「教科書改善の会」は会員制でなくサポーター制なので勢力は不明だ。
今年の全国の状況は、残念なことに大田原市が7月8,9日に扶桑社を再び採択した。一方、7月17日昭島市、22日あきる野市と鎌倉市、23日国分寺市で阻止できた。
2005年に扶桑社を採択した滋賀県(中高一貫3校のうち1校)、愛媛県(中高一貫3校と特別支援学校)で地元の団体が採択させない運動を行っているが、全国的に支援して採択を阻止すべきである。
また新たな採択を許さないことが重要だが、横浜市が問題だ。3月から5月にかけて、日本会議系と推測される団体から神奈川県の市と町にいっせいに「教育委員会の責任で採択しろ」「新教育基本法を反映した教科書を採択しろ」という請願や陳情が提出された。国語・社会・家庭科の3教科の教科書は教員など専門家の報告書を使わず、教育委員みずから自分の意見で採択せよと言っている。そして横浜市教委はこの請願項目を採択してしまった。
横浜市教委は、2005年の採択のときあらかじめ歴史教科書8種のうち6種を採択対象教科書に絞り込んだ。それまで横浜の18採択地区のうち、歴史は10区、公民は8区で日本書籍新社を採択していた。最大の採択教科書であったにもかかわらず、驚くべきことに2005年には日本書籍新社を採択対象からはずした。結局、帝国と東京書籍が採択されたが、市の元幹部の今田忠彦教育委員は「わたしは扶桑社の教科書がよいと思う」と10分間の大演説を行った。その今田氏がいまは教育委員長を務めている。
今年6月23日、今田委員長は来年から18の採択区を1つに統合することを決め、県教委に地区変更要望を伝えた。
96年11月行政改革委員会は「公立学校も、高校や国私立学校と同じく将来的には学校単位の採択実現に向け検討すべきであり、当面採択地区の小規模化を図るべきである」との意見書を政府に提出した。そこで97年3月「当面の措置として、現行採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善について都道府県の取り組みを促す」と閣議決定した。これを受け横浜市でもそれまで12採択地区だったものを、2001年に18採択地区に小規模化した。こうした流れに逆行するものである。
今田委員長は今年はなんとしても「つくる会」教科書を採択しようとしている。これに対し7月21日に横浜では緊急集会が開催され、160人もの人が集まった。
いま必要なのは、各地域から「あぶない教科書No!」の世論を広めること、学習会を開催したり教育委員会の傍聴をし、教育委員会に陳情や請願で働きかけることだ。
その他、杉並、愛媛、大田原など現在、「つくる会」教科書を採択している教育委員会に出向き直接、要望書を手渡した在日韓国青年会の方からアピールがあった。また教科書東京ネット事務局から、この日の傍聴報告を含めた採択阻止運動の経過説明と行動提起があった。
都教委定例会は、8月上旬に臨時会を開催する見通しである。
☆議事録でみると、内館牧子委員は昨年12月11日に参加して以降、4月23日までずっと欠席が続いている。2008年末、心臓弁膜症で倒れ緊急手術を受けた(2009年6月22日付け朝日新聞のインタビュー)とあるがまだ長引いているのだろうか。横綱審議委員のほうは、5月末のけいこ総見から現場復帰しているようだ。
(2009年7月29日一部修正)
今年の採択で「つくる会」教科書不採択を勝ち取り、普通の教科書採択へ奪回したい杉並区の方の決意表明と全国の情勢に関する報告を中心に紹介する。
●杉並より決意表明 鳥生(とりう)千恵さん(杉並の教育を考えるみんなの会)
杉並区教委が扶桑社教科書を採択してもう4年になる。使い始めて1年半たったころ、区内の社会科の先生方にアンケートを送付した。23校中12校から回答が寄せられが、コメントがたくさん書かれていた。
「国家主義の思想に染まってしまい、人権や自由、人間らしさや真に大切にしなければならないことを見失う心配が大いにある」「自分の考えを否定されているようで、使えない」など、自分が使う教科書を自分で選べない苦しさや悔しさを訴えるコメントが多く寄せられた。こんな教科書を教えないといけないのかという思いがあふれていた。
「強制はあるか」と聞くと、「校長」から「検定で通っている教科書だから使うように」「生徒の前で教科書を批判しないように」と注意されたとの答えが返ってきた。
今春3年間使った先生から感想をいただいた。「試験問題を作成するとき、以前は教科書の文章を使って穴埋め問題をつくったが、いまはそのままでは使えなくなった。資料集が絶対に必要である」。先生方の苦労が推し量られる。
あるお母さんは「教科書を使わないといっても、授業で目の前に置いているし、試験範囲は○ページから○ページと指定されるから、子どもはやっぱり一生懸命読んでいる。でも、子どもの前で教科書の批判をすると、結局先生を否定することになるのでいえない」と悩みを語っておられた。保護者と先生が本音で語れない関係になってしまったことがわかる。
生徒からは「無駄にわかりやすく、幼稚」「日本をいい国すごい国と、誇張して書いてある。例えば、忠臣蔵のエピソードなど熱烈に感情移入して書いてあって気持ち悪い」「受験のための自主学習をしていて、求められる答えと教科書の食い違いに気づいた。高等教育を受けたい学生にとって、思想云々は別にして、マイナスであることは確かだ」など冷静なコメントがあった。
杉並区は原水禁運動発祥の地で、当時の区民38万人のうち28万人の署名が集まった。区立学校も自由な雰囲気があった。国語で「アンネの日記」を学習し、アンネ・フランクのお父さんと文通した高井戸中学には「アンネのバラ」がある。もらったバラはいま100本以上に育った。このバラは高井戸中学の平和教育のシンボルであると同時に、区の平和のシンボルでもなっている。
こんな杉並の伝統と誇りが、ひとりの首長の卑劣な手段で壊された。わたしたちはこの4年さまざまな運動と学習を行ってきた。
杉並の教科書採択は8月12日(水)に行われる。1週間前の8月5日(水)と採択日の12日に区役所前で集会を行いアピールする予定だ。
●全国の情勢 俵義文さん(子どもと教科書全国ネット)
今年の採択をみていると、2001年や2005年と比べて仲間たちの動きが鈍い。その原因は2つある。マスコミがほとんど取り上げないので知られていないこと、もうひとつは「つくる会」など右派の動きが表面に出てこないことである。「つくる会」は2001年に会員数1万人だったが、分裂もあり現在3000人弱とみられる。一方日本教育再生機構の「教科書改善の会」は会員制でなくサポーター制なので勢力は不明だ。
今年の全国の状況は、残念なことに大田原市が7月8,9日に扶桑社を再び採択した。一方、7月17日昭島市、22日あきる野市と鎌倉市、23日国分寺市で阻止できた。
2005年に扶桑社を採択した滋賀県(中高一貫3校のうち1校)、愛媛県(中高一貫3校と特別支援学校)で地元の団体が採択させない運動を行っているが、全国的に支援して採択を阻止すべきである。
また新たな採択を許さないことが重要だが、横浜市が問題だ。3月から5月にかけて、日本会議系と推測される団体から神奈川県の市と町にいっせいに「教育委員会の責任で採択しろ」「新教育基本法を反映した教科書を採択しろ」という請願や陳情が提出された。国語・社会・家庭科の3教科の教科書は教員など専門家の報告書を使わず、教育委員みずから自分の意見で採択せよと言っている。そして横浜市教委はこの請願項目を採択してしまった。
横浜市教委は、2005年の採択のときあらかじめ歴史教科書8種のうち6種を採択対象教科書に絞り込んだ。それまで横浜の18採択地区のうち、歴史は10区、公民は8区で日本書籍新社を採択していた。最大の採択教科書であったにもかかわらず、驚くべきことに2005年には日本書籍新社を採択対象からはずした。結局、帝国と東京書籍が採択されたが、市の元幹部の今田忠彦教育委員は「わたしは扶桑社の教科書がよいと思う」と10分間の大演説を行った。その今田氏がいまは教育委員長を務めている。
今年6月23日、今田委員長は来年から18の採択区を1つに統合することを決め、県教委に地区変更要望を伝えた。
96年11月行政改革委員会は「公立学校も、高校や国私立学校と同じく将来的には学校単位の採択実現に向け検討すべきであり、当面採択地区の小規模化を図るべきである」との意見書を政府に提出した。そこで97年3月「当面の措置として、現行採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善について都道府県の取り組みを促す」と閣議決定した。これを受け横浜市でもそれまで12採択地区だったものを、2001年に18採択地区に小規模化した。こうした流れに逆行するものである。
今田委員長は今年はなんとしても「つくる会」教科書を採択しようとしている。これに対し7月21日に横浜では緊急集会が開催され、160人もの人が集まった。
いま必要なのは、各地域から「あぶない教科書No!」の世論を広めること、学習会を開催したり教育委員会の傍聴をし、教育委員会に陳情や請願で働きかけることだ。
その他、杉並、愛媛、大田原など現在、「つくる会」教科書を採択している教育委員会に出向き直接、要望書を手渡した在日韓国青年会の方からアピールがあった。また教科書東京ネット事務局から、この日の傍聴報告を含めた採択阻止運動の経過説明と行動提起があった。
都教委定例会は、8月上旬に臨時会を開催する見通しである。
☆議事録でみると、内館牧子委員は昨年12月11日に参加して以降、4月23日までずっと欠席が続いている。2008年末、心臓弁膜症で倒れ緊急手術を受けた(2009年6月22日付け朝日新聞のインタビュー)とあるがまだ長引いているのだろうか。横綱審議委員のほうは、5月末のけいこ総見から現場復帰しているようだ。
(2009年7月29日一部修正)