多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

三鷹陸橋で太宰治が遠望した風景

2009年07月24日 | 日記
今年は太宰治生誕100周年の年である。三鷹の太宰治文学サロンを訪ねた。
太宰は1939年1月、2人目の妻、美知子と見合い結婚し、9月に甲府から三鷹に転居した。30歳だった。以降、疎開していた1年半を除き、39歳で玉川上水に身投げするまで約10年三鷹で家族と暮らした。住居跡(非公開)は駅から700mくらいのところだが、3間しかない普通の借家で狭かったので、出版社の人間との応接間も兼ねて駅近くの仕事部屋を借りた。それがいま判明しているだけで山崎富栄の部屋も含めて5軒ある。
太宰がウィスキーの配給を受け取りに来ていた伊勢元酒店が閉店し、跡地の6階建て新築マンションの1階に、地主の協力のもと2008年3月太宰治文学サロンが開設した。入り口は歯医院かカフェのようだった。さほど広くない展示室には、年譜と写真、著書が展示され、銀座のバー「ルパン」のカウンターが再現されていた。

戦後の太宰は仕事部屋で、朝10時から午後3時まで毎日マジメに執筆活動を行っていたそうだ。太宰の文章は職人的技巧を感じさせるが、働き方も、少なくともこの時代は職人的だったようだ。
48年4月死の2カ月前に次女里子(1歳 筆名 佑子)を抱き長女園子(6歳)と自宅で撮った写真が展示されていた。手前に、飼っていた鶏が写っている。昭和20年代の平凡な家族写真だった。
林忠彦が撮影した、ルパンで止まり木に座っている有名な写真も展示されていた。これはじつは織田作之助の写真を狭い店内で撮っていて、最後にひとつ余ったフラッシュを使って撮影したものだそうである。
「晩年」(1936 砂子屋書房)、「東京八景」(41.1 文学界)、「津軽」(44 小山書店)、「斜陽」(47 新潮)、「人間失格」(48 筑摩書房)などの復刻本が並んでいた。
そのなかで「風の便り」(42.4 利根書房)と「女性」(42.6 博文館)が、青森中学で同級の阿部合成の装丁であることに気づいた。阿部は「見送る人々(1938年兵庫県立美術館所蔵)で有名な画家だ。しっかりした絵だった。太宰は37年に荻窪に転居したが直線で1.6キロのところに阿部が住んでおり、行き来していたという。 
わたしは太宰のファンというわけではない。ただ1970年11月に三島由紀夫が自殺したとき、反射的に三島と対照的な太宰の作品を集中的に読んだ記憶がある。もっとも「斜陽」「ヴィヨンの妻」「櫻桃」「人間失格」など戦後の人気小説中心だったはずだ。
太宰は「かたり」の名人だった。こまつ座の「座」15号「人間合格」特集(1989年)で、相馬正一岐阜女子大学教授が「津軽は1年の三分の一は雪に閉ざされて何もできない。そういうところでは何が楽しみかというと、酒を飲むことと「かたり」です。津軽御託(ごたく)といって、罪のないワイ談を語ってみんなで騒ぐ。太宰の生まれ育ったところでは、そうしたことが日常的に行われていたのです。太宰は語りと騙り、両方の天才でした」と述べている。
太宰にゆかりのある場所が、三鷹の地図で表示してあるだけでなく、ビデオでも紹介されていた。説明していただいた方はボランティアの市民のようだがとても親切だった。毎月第4日曜の朝「作家太宰治の足跡案内」というガイドツアーを実施しているそうだ。

そこで帰りに、千草跡地や野川家(山崎富栄の下宿先)跡地に行ってみた。どちらもペンシルビルのような、ただのマンションになっていた。投身したと推測される場所には、故郷金木町(現・五所川原市)から持ってきた玉鹿石が置いてあった。
1948年3月、死の3か月前うなぎの若松屋で八雲書店の編集者、カメラマンと撮影の打ち合わせをしていた太宰は「陸橋に行きましょう」と誘い、そのとき撮った写真が「陸橋の太宰治」として有名である。
この陸橋は駅から400mほど西に歩いたところにある。三鷹駅は操車場があり広大なので、全長90m近くある長大な跨線橋だ。幅は3mなので、現代の歩道橋より狭い感じがする。自宅は駅の東南方向だったので歩けば15分くらいかかりそうだが、よくこの橋に上って風景をながめたそうだ。解説では、西は武蔵野に沈む夕日を、東は新宿のまち、さらに故郷・津軽を見透かしていたのではないかと、情緒的なことが書かれていた。

三鷹駅から700m南に、菩提寺である黄檗宗禅林寺がある。津島家の墓と並び、太宰治の墓がある。斜め前は森鴎外の墓で、それは太宰が生前『花吹雪』という小説で次のようなことを書いていたので遺族がこの場所に墓をつくったからだそうだ。
「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。‥‥私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、‥‥」(『花吹雪』1944年)
毎年「桜桃忌」が、遺体が発見された6月19日に開催され、多くのファンが集まる。

☆禅林寺を訪ねたあと、駅前の立ち飲みの店、大島酒場に入った。まぐろ(550円)、あじのたたき、かんぱち、しまあじなど(すべて500円)刺身が中心で、その他、厚揚げ、おしんこ、冷奴などがメニューにある。常連客中心のようで「太宰が投身自殺した玉川上水は、地元の人は昔は人喰い川と呼んだ。流れが早かったからだ」という話を聞いた。
マスターは非常に客あしらいのいい、感じのいい方だった。2代目で、3代目といっしょに店をやっている。60歳以上のメンバーの野球チームで活躍し「打って、投げて、走れる」という。今年69歳だとお聞きし、驚いた。
 参考 日本酒(出羽の友)320円、ビール 大530円、小320円、焼酎350円

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