3月1日夜、文京シビックホールで3・1朝鮮独立運動89周年 今こそ日朝正常化を日韓民衆連帯集会が開催された(参加130人)
「日韓併合への道」(東映教育映画部制作 1994)をみたあと、ノレの会の歌唱指導で参加者人員で「京義線に乗って」を歌った。京義線(キョンイソン)はソウルと新義州(シニジュ)を結ぶ鉄道で、2000年9月連結工事が着工し2007年5月17日軍事境界線を越える南北直通列車の試運転が行われた。この歌は南北共同宣言から2年後の2002年につくられた。
●東アジアの平和と日朝正常化 渡辺健樹(3・1集会実行委員会)
2007年1月ベルリンで米朝協議が開催されアメリカは戦略転換した。そして2月と10月に6カ国協議も開かれた。これでやっとクリントン政権末期1999年のペリー報告の線に戻った。2000年にオルブライトと趙の平壌・ワシントン相互訪問があったがブッシュが「ならずもの国家」に指定し冬の時代に入った。それが一巡して99年の時点に戻ったということだ。
一方、日朝国交正常化作業部会は3月にハノイ、9月にウランバートルで開催された。北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)担当大使は「過去清算と拉致問題を並行協議で進めることは建設的だ。今後のロードマップを作ろう」と前向きな態度を示したが、日本はいまだ制裁措置発令中なので、かたくなだった。
来年は3・1朝鮮独立運動90周年、再来年は1910年の日韓併合から100周年の年に当たる。日本は北と国交すらない。「京義線に乗って」が実現するよう、朝鮮半島の平和・和解・統一に寄与できるよう声を上げていきたい。
●日本軍「慰安婦」問題――強まる日本政府への国際的包囲
東海林 路得子(VAWW-NETジャパン)
今年1月宮古島の慰安所跡を訪問した。この島には満州から3万人の兵隊が送られた。当時、薬も欠乏していて衛生兵は遺体を穴に埋めていた。薬をもらいに近くの台湾にいったところ、薬の代わりに渡されたのが「女」だった。慰安所は13か所あり、民家の近くにもあったので、住民と親しくなりひそかに食べ物を分け合ったり、アリランを韓国語で歌える人も生存していた。
これまで「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める勧告は国外で10以上出ている。しかし日本政府はアジア女性基金で解決ずみという態度を取っている。昨年は大きく報道された7月の米下院、12月の欧州議会決議以外にも11月のカナダ下院、オランダ下院でも決議が採択された。日本は最初に慰安所を設置した国で規模も大きく、日本が公式謝罪すれば影響が大きい。
決議のなかでとりわけ欧州議会のものは、アジア女性基金は被害者たちが求めている賠償を満たすものではないこと、皇軍の行為を日本政府は公式に認知し謝罪を行うこと、賠償を行うための効果的な行政機構を日本政府が設置すべきこと、個人が政府から賠償を求める権利を国内法において至急実現すべきこと、日本政府が未来の世代に教育すること、など具体的な勧告を盛り込んでおり注目すべきである。
1月26日「女たちの戦争と平和資料館」に「慰安婦」謝罪決議反対で23人が押し掛けた。1月20日につくばみらい市主催で予定されていた平川和子さんのDV講演会を中止に追い込んだのと同じグループである。あの人たちは「公平に自分たちにも発言させろ」と要求する。「公平」という言葉はNHKの「公平中立」という主張を思い出させる。わたしは、加害と被害というこの問題に関しては、公平ではなく義務が優先すると考える。この国は人権についてまだまだ未熟といわざるをえない。
●沖縄に基地はいらない! 沖縄反基地運動の報告とアピール
吉田正司(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
一坪反戦地主会は「軍用地を生活と生産の場に!」という運動を繰り広げている。いま問題になっているのは東村高江のヘリパッド移設と辺野古の新基地建設だ。
高江は環境アセスメントも終了しておりすぐにでも建設工事に着工できる状態だ。高江には騒音が大きく、墜落の危険性の高いオスプレイの配備がうわさされる。
一方辺野古のほうは、昨年8月環境アセスメント方法書が提出されたが1月に「書き直し」との知事意見が出て2月に再提出されたところだ。政府は何としても2009年に工事を開始し、2010年1月の名護市長選、11月の県知事選に勝ち2014年完成に持ち込みたいようだ。
いろんな権限があるので抵抗できるが、新しい基地ができることになる。伊波洋一宜野湾市長でさえ辺野古に代替基地ができれば普天間の負担が軽減されると思っているようだ。われわれはただでも沖縄に米軍基地が多すぎると考えている。再編・再配置ではなく「普天間を返せ」と訴えたい。
● 「アメとムチ」につぶされた選挙 それでも岩国は負けない!
上原公子(前国立市長)
2月10日岩国市長選の投票があった。選挙カーは2台使えたので、1台に井原勝介候補(前市長)、もう1台にわたしが乗り9日間現地で選挙戦を戦った。争点は、在日米軍厚木基地の艦載機59機の岩国移転だった。井原市長は常設型の住民投票条例を制定し、06年3月に周辺7町村との合併前の住民投票で「移転反対」が87%、合併後の市長選でも勝利した。ところが昨年5月米軍再編推進法が成立し、迷惑料として補助金を周辺町村にも出すことになった。これで外堀が埋まり地方自治は破壊された。安倍が十数本強行採決で成立させたなかの1本だった。補助金は麻薬だ。他の市町村もそうだが自立型にならない。日本中、道路の補助金ヅケになっているのをみればよくわかる。日本は合意形成がヘタなので、アメとムチを使うしかないといわれる。
市長選の投票率は75%と高かったが、じつに16%が期日前投票だった。宗教団体だけでなく企業まで、普通の乗用車だけでなくバスで送迎する異様な光景だった。「井原が市長に再選されると公衆トイレまでなくなる」「井原は横浜に豪邸を建て逃げ出す準備をしている」と悪質なデマが意図的に流された、すさまじい選挙戦だった。
●イ・ミョンバク新政権の誕生と韓国民衆運動
ハン・チュンモク(韓国進歩連帯・運営委員長)
2月25日、選挙で圧勝したイ・ミョンバク(李明博)大統領の就任式が行われた。イ・ミョンバクはノ・ムヒョン前政権の下で「失われた10年」を回復する新自由主義的経済政策と韓米同盟強化を掲げている。
われわれは北への強硬政策には限界があると考えている。
理由は3つある。まずブッシュが、イラク戦の泥沼化で支持率が下がり困難な立場に陥っていること、第2に60年間北への制裁を続けたものの06年10月の核実験で意味がなくなったこと、第3に韓国の企業や国民がイ・ミョンバクに強硬政策を望んでいないことである。
紆余曲折はあっても、米朝は対話による解決をせざるをえない。就任式翌日の26日ピョンヤンでニューヨークフィルのコンサートがあった。かつて米中国交回復の際のキッシンジャーのピンポン外交にならって、われわれはクリストファー・ヒルのsing-song外交と呼んでいる。舞台には星条旗と北朝鮮国旗が掲げられ両国の国歌が演奏され、アメリカ、韓国など世界各国で生中継された。かつて「悪の枢軸」と呼んだ国の国旗国歌をテレビで生中継するのだから、国として認めた証拠である。
アメリカ国務省は年次報告書を3月末に発表する。ポイントは北朝鮮のテロ支援国家指定を解除するかどうかである。6カ国協議再開や米朝会談の実施は朝鮮半島情勢の転換を意味するので、おそらく解除されるだろう。
4月9日韓国国会議員選挙が実施される。半月前の世論調査によれば、与党ハンナラ党が圧倒的多数の210-250議席(約3分の2)を獲得しそうだ。
ただし現在、長官(日本の大臣)任命を進めているが脱税疑惑などで4人が脱落し、不正腐敗の政権であることが明らかになりつつある。1年以内に民主派と対立することになろう。
また経済再建重視をいうが、たとえ成長率が高くなっても利益は企業に行き分配の問題が発生する。大運河構想はすでに土地高騰を引き起こし、また環境破壊の問題も招く。
また国家保安法強化が見え隠れし、わたしたちへの弾圧も考えられる。しかし弾圧すればさまざまな抵抗に出会うことになる。
今年は大韓民国成立60周年であり、済州島四・三抗争60周年に当たる。四・三抗争は特別法が成立し名誉回復されたが、建国60周年の国家アイデンティティと矛盾が生じる。イ・ミョンバク政権は特別法を破棄するともウワサされる。10年かかって進展した民主主義をもう一度塗り替えようとする試みだ。最も大事なのは団結だ。韓国には「沼に落ちても底を探れば道がある」ということわざがある。今後も民衆の利益のために闘い続ける。
京義線に乗って
行こうよ みんなで キョンイソンで
ピョンヤンそしてシニジュの広野まで
おいでよ みんなで キョンイソンで
会いたい みんな 世界の人よ
行き交うキョンイソン 愛あふれ
行き交うキョンイソン 夢のせて
半世紀分断の壁を越え
統一の明日 ひらこう
ソウルで会おう キョンイソンに乗って
ピョンヤンで会おうよ キョンイソン乗り
ああキョンイソン 統一のレール
つないで行こう
「日韓併合への道」(東映教育映画部制作 1994)をみたあと、ノレの会の歌唱指導で参加者人員で「京義線に乗って」を歌った。京義線(キョンイソン)はソウルと新義州(シニジュ)を結ぶ鉄道で、2000年9月連結工事が着工し2007年5月17日軍事境界線を越える南北直通列車の試運転が行われた。この歌は南北共同宣言から2年後の2002年につくられた。
●東アジアの平和と日朝正常化 渡辺健樹(3・1集会実行委員会)
2007年1月ベルリンで米朝協議が開催されアメリカは戦略転換した。そして2月と10月に6カ国協議も開かれた。これでやっとクリントン政権末期1999年のペリー報告の線に戻った。2000年にオルブライトと趙の平壌・ワシントン相互訪問があったがブッシュが「ならずもの国家」に指定し冬の時代に入った。それが一巡して99年の時点に戻ったということだ。
一方、日朝国交正常化作業部会は3月にハノイ、9月にウランバートルで開催された。北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)担当大使は「過去清算と拉致問題を並行協議で進めることは建設的だ。今後のロードマップを作ろう」と前向きな態度を示したが、日本はいまだ制裁措置発令中なので、かたくなだった。
来年は3・1朝鮮独立運動90周年、再来年は1910年の日韓併合から100周年の年に当たる。日本は北と国交すらない。「京義線に乗って」が実現するよう、朝鮮半島の平和・和解・統一に寄与できるよう声を上げていきたい。
●日本軍「慰安婦」問題――強まる日本政府への国際的包囲
東海林 路得子(VAWW-NETジャパン)
今年1月宮古島の慰安所跡を訪問した。この島には満州から3万人の兵隊が送られた。当時、薬も欠乏していて衛生兵は遺体を穴に埋めていた。薬をもらいに近くの台湾にいったところ、薬の代わりに渡されたのが「女」だった。慰安所は13か所あり、民家の近くにもあったので、住民と親しくなりひそかに食べ物を分け合ったり、アリランを韓国語で歌える人も生存していた。
これまで「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める勧告は国外で10以上出ている。しかし日本政府はアジア女性基金で解決ずみという態度を取っている。昨年は大きく報道された7月の米下院、12月の欧州議会決議以外にも11月のカナダ下院、オランダ下院でも決議が採択された。日本は最初に慰安所を設置した国で規模も大きく、日本が公式謝罪すれば影響が大きい。
決議のなかでとりわけ欧州議会のものは、アジア女性基金は被害者たちが求めている賠償を満たすものではないこと、皇軍の行為を日本政府は公式に認知し謝罪を行うこと、賠償を行うための効果的な行政機構を日本政府が設置すべきこと、個人が政府から賠償を求める権利を国内法において至急実現すべきこと、日本政府が未来の世代に教育すること、など具体的な勧告を盛り込んでおり注目すべきである。
1月26日「女たちの戦争と平和資料館」に「慰安婦」謝罪決議反対で23人が押し掛けた。1月20日につくばみらい市主催で予定されていた平川和子さんのDV講演会を中止に追い込んだのと同じグループである。あの人たちは「公平に自分たちにも発言させろ」と要求する。「公平」という言葉はNHKの「公平中立」という主張を思い出させる。わたしは、加害と被害というこの問題に関しては、公平ではなく義務が優先すると考える。この国は人権についてまだまだ未熟といわざるをえない。
●沖縄に基地はいらない! 沖縄反基地運動の報告とアピール
吉田正司(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
一坪反戦地主会は「軍用地を生活と生産の場に!」という運動を繰り広げている。いま問題になっているのは東村高江のヘリパッド移設と辺野古の新基地建設だ。
高江は環境アセスメントも終了しておりすぐにでも建設工事に着工できる状態だ。高江には騒音が大きく、墜落の危険性の高いオスプレイの配備がうわさされる。
一方辺野古のほうは、昨年8月環境アセスメント方法書が提出されたが1月に「書き直し」との知事意見が出て2月に再提出されたところだ。政府は何としても2009年に工事を開始し、2010年1月の名護市長選、11月の県知事選に勝ち2014年完成に持ち込みたいようだ。
いろんな権限があるので抵抗できるが、新しい基地ができることになる。伊波洋一宜野湾市長でさえ辺野古に代替基地ができれば普天間の負担が軽減されると思っているようだ。われわれはただでも沖縄に米軍基地が多すぎると考えている。再編・再配置ではなく「普天間を返せ」と訴えたい。
● 「アメとムチ」につぶされた選挙 それでも岩国は負けない!
上原公子(前国立市長)
2月10日岩国市長選の投票があった。選挙カーは2台使えたので、1台に井原勝介候補(前市長)、もう1台にわたしが乗り9日間現地で選挙戦を戦った。争点は、在日米軍厚木基地の艦載機59機の岩国移転だった。井原市長は常設型の住民投票条例を制定し、06年3月に周辺7町村との合併前の住民投票で「移転反対」が87%、合併後の市長選でも勝利した。ところが昨年5月米軍再編推進法が成立し、迷惑料として補助金を周辺町村にも出すことになった。これで外堀が埋まり地方自治は破壊された。安倍が十数本強行採決で成立させたなかの1本だった。補助金は麻薬だ。他の市町村もそうだが自立型にならない。日本中、道路の補助金ヅケになっているのをみればよくわかる。日本は合意形成がヘタなので、アメとムチを使うしかないといわれる。
市長選の投票率は75%と高かったが、じつに16%が期日前投票だった。宗教団体だけでなく企業まで、普通の乗用車だけでなくバスで送迎する異様な光景だった。「井原が市長に再選されると公衆トイレまでなくなる」「井原は横浜に豪邸を建て逃げ出す準備をしている」と悪質なデマが意図的に流された、すさまじい選挙戦だった。
●イ・ミョンバク新政権の誕生と韓国民衆運動
ハン・チュンモク(韓国進歩連帯・運営委員長)
2月25日、選挙で圧勝したイ・ミョンバク(李明博)大統領の就任式が行われた。イ・ミョンバクはノ・ムヒョン前政権の下で「失われた10年」を回復する新自由主義的経済政策と韓米同盟強化を掲げている。
われわれは北への強硬政策には限界があると考えている。
理由は3つある。まずブッシュが、イラク戦の泥沼化で支持率が下がり困難な立場に陥っていること、第2に60年間北への制裁を続けたものの06年10月の核実験で意味がなくなったこと、第3に韓国の企業や国民がイ・ミョンバクに強硬政策を望んでいないことである。
紆余曲折はあっても、米朝は対話による解決をせざるをえない。就任式翌日の26日ピョンヤンでニューヨークフィルのコンサートがあった。かつて米中国交回復の際のキッシンジャーのピンポン外交にならって、われわれはクリストファー・ヒルのsing-song外交と呼んでいる。舞台には星条旗と北朝鮮国旗が掲げられ両国の国歌が演奏され、アメリカ、韓国など世界各国で生中継された。かつて「悪の枢軸」と呼んだ国の国旗国歌をテレビで生中継するのだから、国として認めた証拠である。
アメリカ国務省は年次報告書を3月末に発表する。ポイントは北朝鮮のテロ支援国家指定を解除するかどうかである。6カ国協議再開や米朝会談の実施は朝鮮半島情勢の転換を意味するので、おそらく解除されるだろう。
4月9日韓国国会議員選挙が実施される。半月前の世論調査によれば、与党ハンナラ党が圧倒的多数の210-250議席(約3分の2)を獲得しそうだ。
ただし現在、長官(日本の大臣)任命を進めているが脱税疑惑などで4人が脱落し、不正腐敗の政権であることが明らかになりつつある。1年以内に民主派と対立することになろう。
また経済再建重視をいうが、たとえ成長率が高くなっても利益は企業に行き分配の問題が発生する。大運河構想はすでに土地高騰を引き起こし、また環境破壊の問題も招く。
また国家保安法強化が見え隠れし、わたしたちへの弾圧も考えられる。しかし弾圧すればさまざまな抵抗に出会うことになる。
今年は大韓民国成立60周年であり、済州島四・三抗争60周年に当たる。四・三抗争は特別法が成立し名誉回復されたが、建国60周年の国家アイデンティティと矛盾が生じる。イ・ミョンバク政権は特別法を破棄するともウワサされる。10年かかって進展した民主主義をもう一度塗り替えようとする試みだ。最も大事なのは団結だ。韓国には「沼に落ちても底を探れば道がある」ということわざがある。今後も民衆の利益のために闘い続ける。
京義線に乗って
行こうよ みんなで キョンイソンで
ピョンヤンそしてシニジュの広野まで
おいでよ みんなで キョンイソンで
会いたい みんな 世界の人よ
行き交うキョンイソン 愛あふれ
行き交うキョンイソン 夢のせて
半世紀分断の壁を越え
統一の明日 ひらこう
ソウルで会おう キョンイソンに乗って
ピョンヤンで会おうよ キョンイソン乗り
ああキョンイソン 統一のレール
つないで行こう