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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

舞いあがれ! ラグビーのまち東大阪

2023年03月22日 | 

NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」がフィナーレに近づいている。舞台の東大阪は、名前は聞いたことはあるという程度、生駒山に行くとき通過したはずだが、どんなところなのか関西に行ったついでに見にいった。

スタジアムの右手に練習グラウンド、奥に第2グラウンドがある

東大阪で、まずイメージするのは正月の高校ラグビーの会場花園ラグビー場(正式名称東大阪市花園ラグビー場)である。
近鉄奈良線東花園駅から北へ1km、徒歩12分ほどのはずが、中央公園に回り道したので20分ほどかかった。体育館と大きなグラウンドの隣に立派なラグビー場がある。週2回一般公開しているが、該当日ではないので外壁を見上げただけだった。しかし手前に練習グラウンド、奥に第2グラウンドと3つもラグビー場があるのは、わたしは初めて見た。まさにラグビーの聖地なのかもしれない。
さてネットで知ったのだが、選手入退場口を背に50mほど西へまっすぐ歩くと「春美」という、外からみると駄菓子屋兼たばこ屋のようなお好み焼き屋がある。入るとびっくり、壁面すべて、天井まで色紙が貼り詰められている
地元啓光学園ほか、全国のラグビー名門高校のものがあるのはもちろんだが、NEC、サントリー、神戸製鋼などトップリーグ(2022年から編成替えでリーグワン)の色紙もかなりあった。高校ラグビーだけでなく花園近鉄ライナーズのホームグラウンドなので、社会人リーグの試合も多いはずだ。それどころかかつてのウェールズ戦、韓国戦の全日本チームの色紙まであった。

テーブル2つだけでおかみさん一人で営業しているが、店の開業を聞くと1984年2月、今年40年目に入ったとのこと。親子2代の選手や今度結婚すると新婦を連れて来る人もいるそうだ。
亡くなられたお連れ合いが近鉄勤務だったとのことで、店舗外の壁面に「近鉄漢」など花園近鉄ライナーズのポスターが何枚か貼られていた。近鉄ラグビーというと、ハーフ今里良三、ロック小笠原博、ウィング坂田好弘の名が記憶にある。50年近く前の話だ。2016年の坂田の色紙もあった。あの「世界のサカタ」だ。
ラグビーチームの色紙に混ざり、なぜか大相撲武蔵川部屋(武蔵丸親方)のポスターがあった。聞いてみると、2016年に花園、2017年は東大阪市相撲場が大相撲春場所の武蔵川部屋宿舎として利用され、その縁だそうだ。武蔵川部屋がどうかはわからないが、ラグビー出身の相撲取りもいるそうだ。
39年の歴史のなかで、トイレを大きくしてほしいとの要望があり改築したそうだ。使わせていただいたが、標準サイズに感じた。狭かったころは、大男の選手たちにとってはたしかにキツかっただろう。トイレに行ってわかったが、店の隣室にサロンというか小さい宴会場があった。チームの選手たちはきっとここで打ち上げをやるのだろう。
食べたのは、定番の豚玉のお好み焼きとビールだった。本場大阪なので、なかなかおいしく腹持ちもよかった。
ラグビー場から西に400mほど歩いた恩地川沿いの散歩道は舞いあがれのロケ地として使われた。きっと桜がきれいなところだと思う。近鉄電車の操車場の東側で、新旧さまざまな電車(といってもすべて現役)が往来し、鉄道ファンにとっては人気スポットだろう。
舞の両親が経営する工場ロケ地と自宅がある設定の場所をネット検索して行ってみた。工場は吉田駅から北に1㎞ほどのところにある。周囲は一面工場ばかりの工場地帯だった。道路の左がドラマの岩倉螺子の旧工場、右が新工場だった。左は本当にネジ工場だが、右はグラビア印刷用シリンダー版をつくる会社だ。
 

自宅は、近鉄大阪線弥刀(ねと)駅の南西1㎞ほどのゆうゆうタウンという商店街の路地を入ったところという設定になっている。隣は「お好み焼き・うめづ」だが、150mほどのの商店街にお好み焼き屋は1軒しかなかった。ただ昼休み中で、どんな店なのかはわからなかった。ネット情報ではテイクアウトのみのようなので、ドラマとは異なる。もちろんフィクションなので、露地を入ると古書店ということはない。焼き鳥屋、居酒屋、中華料理など飲食店もチラホラあるが、ふつうの八百屋、花屋、カラオケ店、JAの出張所、かなり大きなスーパーもある商店街だった。当然周囲は住宅街で、こんなところに工場があるとは思えなかった。

「舞いあがれ!」は中小企業の経営を描いた異色の朝ドラで、3K、下請け問題、人手不足、事業承継、ネット時代の商品開発、販路拡大、スタートアップ企業に共通の苦労など、現実に起こった問題を多く取り上げていた。朝ドラは、あるジャンルを切り拓いた女性の一代記、商店の歴史を追うものは多いが、工場で思い浮かぶのは、本仮屋ユイカが主演のファイトに父が経営し破綻したバネ製作所が出てきたくらいだ。
東大阪市は人口48万人、大阪府内で3番目に大きい市だから、当然かもしれないが、工業地域、準工業地域だけでなく、寺、商店街、圧倒的に多い住宅街、その他大阪商業大学、近畿大学など大学もある。
観光地からほど遠いイメージの市だが、じつはいろんな観光スポットはある。上に書いていないところでは、物部氏にゆかりのある石切劔箭(つるぎや)神社がある。遅くとも平安時代には存在し、腫れ物の神様だそうだ。結構長い参道商店街には、みやげ物店、食堂のほか、漢方薬の店、占いの店があった。
寅さん映画27作「浪花の恋の寅次郎(1981)で瀬戸内の島の墓地で出会った芸者のふみ(松坂慶子)と参道で再会するロケ地となった。撮影時27、28歳の松坂はきれいだった
境内に百度石という石柱があり、その石柱から本殿まで時計回りに回るのだが、回っている人を実際に何人もみかけた。「男はつらいよ」でおばちゃんが題経寺で「お百度」を踏んでいたが、そういう伝統が生きているのを目の当たりにした。
なお、東大阪の東側は奈良県生駒市になる。生駒の駅からケーブルカーで10分ほどのところに宝山寺という真言宗のかなり大きい寺がある。寺の参道の飲食店で、寅さんがふみから幼いころ別れた弟がいることを聞き、勤務先の港区・安治川近くの運送会社に同行する。その飲食店も探したがわからなかった。40年以上の年月になるので、ロケ地もそのままではない。石段やケーブルカーの宝山寺駅はそのままだったが、店はたいてい変わっている。
さらに脱線するが、この作品は芦谷雁之助、大村崑、初音礼子ら助演陣がいい味を出していた。レギュラー48作中、半ばを少し過ぎた27作、「星影のワルツ」がピッタリの佳作だった。

写真は記念館ではなく、同じ敷地内の旧自宅。ちょうど菜の花がきれいだった。
また司馬遼太郎の自宅に安藤忠雄設計で建てられた記念館が八戸ノ里駅から徒歩8分のところにあった。残念ながら館内はいっさい撮影禁止だったが、高さ11mの壁に20段以上の書棚があったのは壮観だった。東所沢・角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場を思い出した。
国史大辞典、地名事典、東洋文庫、ブリタニカ、藤岡屋日記、江間務著作集などは仕事用資料だろうが、プラトン全集、ツヴァイク全集、神田喜一郎全集、幸徳秋水全集、内藤湖南全集、中江兆民全集などもあり、コレクターかあるいはかなりの読書家だったと思われる。わたしは、高校生のころ「竜馬がゆく」くらいしか読んでいない。むしろ、13年前のことだが司馬の「坂の上の雲」史観批判の記事を掲載した側だ。しかしこのコレクションをみて、「街道をゆく」で面白そうなものを選び、読んでみようかという気になった。
その他、愛用の万年筆、眼鏡などもあり、ファンにとってはたまらない場所だと思う。事務用品で色とりどりのダーマトグラフ(ダーマト)があるのには驚いた。
驚いたことに東大阪に温泉まであった。上石切のセイリュウはそう大きくはないが、露天風呂まであった。地元の人が回数券を買って来場していたので、定着しているようだった。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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