自分にとっては今年のメインイベントと位置付けていた参議院選と都知事選が終わった。都知事選では4野党共闘の鳥越候補が惨敗した。
小池百合子 2,912,628票
増田寛也 1,793,453票
鳥越俊太郎 1,346,103票
突然の都知事選は、参議院選公示直前の6月21日舛添の金銭スキャンダルによる辞任で始まった。7月14日告示、31日投票という日程は決まったのに候補者がなかなか出てこない。そのうち自民が小池と増田の分裂選挙ということになり、千歳一遇のチャンスであったにもかかわらず、宇都宮氏以外にいわゆる「統一候補」の名前ががなかなか上がらない。もちろん蓮舫、長妻昭、片山善博(元鳥取県知事)、青山やすし(元副知事)、古賀茂明、山口二郎、大沢真理、岸井成格(しげただ)、鳥越俊太郎などいろいろ名前は上がったが、たとえば古賀は民進党の枝野氏が官房長官時代の確執で絶対ダメ、片山は「自公が圧倒的多数の都議会と妥協しながら運営するのはとても大変」と固辞、鳥越は健康問題で家族が猛反対などでつぎつぎに消えていった。わたしたち市民はとうとうしびれをきらした。民進党では都連の手を離れ党本部の案件になっているとの情報を聞き「とにかく時間が切迫しているので、民進党で統一候補の案を出してほしい」と要請にまで出かけた。
すると初めは都連幹事長の長島の名前が新聞報道されたりして青ざめたが、8日金曜には石田純一、週明けの11日月曜には古賀茂明、翌火曜には鳥越と日替わり定食のように候補者が交代した。やっと鳥越氏が野党統一候補と決定したのは告示の2日前のことだった。
後出しジャンケンも度が過ぎていた。これが大敗北の一つの要因だった。わたくしはこれまで主として市民選挙の末端のボランティアしかやってこなかった。それで民進党の選挙戦術とはどんなものなのか興味があった。以下、市民選挙と政党選挙の違いについて今回気づいたことを中心に感想を述べる。
ふつう告示日は、証紙貼りやポスター貼りでボランティアの人数をそろえるのが大変になる。そこで告示日前日夕方、民進党都連に電話したが「場所は表参道周辺の予定だが、まだ発表できない」、当日電話すると蓮舫議員の選対事務所の跡と、場所は教えてもらえたものの、午後行ってみると、なんと床のクロスの張り替えをやっていて選挙の作業などやれる状態ではなかった。翌日午後になれば何かやれるだろうと行ってみると、ポスターを4枚貼り合わせて、室内ディスプレイにするセットを作成、30分くらいで終了し「今日はもうやることがない」と帰された。この事務所は選挙に勝つ意欲に乏しい事務所なのではないかと思わせるほどだった。こんなわけでいつもより長い17日の選挙選だったのに、おそらく実質的には13-14日しか使わなかったのではないだろうか。
また政策の検討もほとんどやっていないに等しかった。都民向けの独自の公約は「都民のがん検診100%」くらいしか目にしなかった。これはご自分の体験を踏まえたものなのでよかったが、それしかない。18日(日)夕方、渋谷駅前の街宣を聞いた。保坂のぶと世田谷区長との対談で、保坂氏は世田谷でやっている産後ケアセンターを全都に広げ3年で10か所程度、0―3歳児の保育所が大変不足しているので各区に保育室を、などとその場で約束させていた。やや強引だったが、これくらいやらねば都民向け公約が出てこない。17年ぶりの都営住宅新設については、さすがに予算との兼ね合いを考えないといけないので即答はしなかったが・・・。
わたくしは22日(金)ごろから電話入れのボランティアをした。しかしキャッチフレーズがない。「あなたに都政を取り戻す」は抽象的なうえに「取り戻す」はどうしても安倍晋三のかつてのキャッチフレーズ「日本を取り戻す」を連想させる。「住んでよし、働いてよし、環境によし」は電話ではあまりにも長すぎる。後半にはさらに「学んでよし」まで増えた。仕方なくわたくしは「平和と憲法を大事にする候補は主要三候補のなかで、鳥越俊太郎ただ一人しかいません」と言っていた。
時間遅れだけでなく、この選挙は野党4党共闘」といいながらまったくの分裂選挙だった。多摩と都内に事務所があるのはわかるが、青山(民進党)と本郷(共産党)に分裂していた。そのほか四谷に「鳥越俊太郎を応援する市民センター」というものもあった。てっきり市民連合の選対かと思ったが、そうではなく勝手連の連絡センターということだった。
わたくしはこれまで主として市民選挙の手伝いしかしてこなかった。その場合、チラシのポスティングは重複や空白地帯を防ぐため、いつどこに撒いたか、地図に記録するなどして選対が把握していた。ところが青山ではそんなことはまったくやっておらず、それは地元に聞いてほしいといい、民進党の第二支部の電話を教えてくれた。電話して聞いてみると「ポスティングは依頼されたからやっているだけで、全体の把握は青山の選対に聞いてほしい」とのことだった。選挙の後半はポスティング30万枚作戦(プラス10万枚追加)を重点にやっていたのにもかかわらずだ。わたくしは地元で累計1300枚ポスティングを行った。その途中で、共産党の方が3人くらいのグループで「革新都政をつくる会」の号外を全戸配布しているのに出会った。内容は法定チラシとほぼ同様だったので、いっしょに配ってくれればよいと思った。しかし受け取った2号チラシの枚数が少なかったとのことだった。
15万本の電話かけのほうも同様で、他の事務所との重複はまったくチェックしていないとのことだった。道理で「ついさっきかかってきたばかりなのに、お前のところはいったい何回かけてくるのか」とたびたび怒鳴られた。一般市民にとっては選挙の電話は迷惑電話にほかならないのだから、なんとかしてほしかった。今回は事務所からの電話以外に「電話勝手連」の活動もあるのだから余計に重複チェックは重要だ。また事務所の内部でも政党関係者による電話入れと一般ボランティアの電話入れのふたつの窓口があった。しかしその2つですらまったく連絡を取っておらず「電話シナリオ」も相互チェックしていないとのことで驚いた。なお一般ボランティアの電話入れは大学生が取り仕切っていた。選挙は生き物なので、日に日にシナリオを改定しないといけないのに、経験が少ないのでなっていなかった。何度か帰りがけにその日気づいたことを伝えるのだが、「お父さん、より改善したシナリオをつくってください」などと依頼され、スタッフの役割をなんと考えているのかとあきれてしまった。と同時に、周りには選挙に手慣れたおとながたくさんいるはずなのでかわいそうになった。まわりのおとな(たぶん民進党の関係者)は学生のことを「シールズ」と呼んでいたが、本人たちに聞くと「元シールズの人はいるが、ここにはシールズの人はいない」という。民進党の学生部の人だったのかもしれない。
また、わたくしには電話もポスティングもタイミングが1週間遅すぎる感じがした。
せっかくの野党共闘だったのに、選挙にかんしては、まったくバラバラの分裂選挙だった。最後に、選挙を下りた宇都宮陣営だが、選挙末期、投票4日前の27日(水)夜10時すぎ「これまで鳥越候補への支援について多くのご意見を頂戴しておりましたが、私たちは、どこまでも政策本位であること、また、支援について多くの都民の納得を得られる状況が必要であること、また今日まで正式な要請もなされておりませんでしたので、みなさまへのご報告が遅れました。こころよりお詫び申し上げます」というメールが届いた。
また週刊文春・新潮が報じた「女性問題」に関し、宇都宮氏が「都民に対してあなたを都知事にふさわしい方として推挙することができず、応援に立つことはできません」と28日に文書で伝えたということなので、まったく支援しなかったようだ。
知人の話では共闘は美濃部都知事選挙以来のことだそうだ。せっかくの自公分裂のチャンスをほとんど自滅で終わらせた。
最終日、わたくしは事務所で111本電話入れをしたあと新宿駅新南口に19時すぎに出かけた。鳥越候補の最後の言葉は「とにかく選挙に行ってほしい」だった。8時以降、マイクは使えないので車の上でおじぎをしていたが、泣いているようにみえた。まるで支援者たちに「ふがいないわたしをお許しください」と詫びているかのように見えた。
翌31日の投票日、夜8時からの特別番組・開票速報の冒頭、小池候補の当選が報じられた。いまから9年前、2007年4月の浅野選挙よりもっとひどい負け方(石原281万票、浅野136万票)だった。
なお、わたくしは事務所に10回、街宣に3回行ったが一度もカンパ要請を受けなかった。こういう選挙資金の点でも市民選挙とは大いに違っていた。
この写真は2014年1月のもの
☆30日20時の新宿駅街宣終了後、場所が新宿駅南西だったので代々木駅方向で人家を探した。小田急線の踏切を越えたがやはり事務所ビルが並ぶ。右折して坂を下りるとやっとマンションが出てきた。よくみるとなんのことはない。以前「奥の湯」(2015年廃業)に行くときに通った道だった。意外なことに一軒家もそれなりにあった。50枚2号チラシを投函し、帰宅するのは丸ノ内線なので再び新宿駅に向かう。
そして西口飲み屋街の「つるかめ食堂」をのぞくと、運のよいことにカウンターが1席だけ空いていた。一人打ち上げだ。
ハムカツ400円、お新香300円、日本酒(奥の松)400円、黒霧島のお湯割り450円、生ビール500円
付き出しは、キャベツの千切りとサラダ菜、それに卵焼き2切れでちゃんとしていたし、お新香もぬかがちゃんと効いていた。酒を3杯飲んで2400円なのでこれは安い。
なお名物料理として「バカでアホでフラメンキン」(牛肉のガーリック味天ぷら 700円)、トルティジャ(トマトと卵の炒め 550円)、バカコンポジャ(牛スジをササミで挟んだフライ 550円)などがある。
席はカウンター10席、テーブルが2人1台、4人3台で合計24席と狭い。わたくしがいったときは若い人ばかりだった。グループが4組で、女性3人グループが1つ、男女2人ずつが1組いた。思い出横丁のメインの場所なので、たいてい混んでいて、わたくしはこれまで4回来て2回入れた。
営業時間は16時から23時で、もう50年以上やっている店だそうだ。やはりウワサ通りいい店だった。
お新香とハムカツ
電話:03-3343-4078
住所:東京都新宿区西新宿1-2-7
営業:16:00-23:00、不定休
生ビール500、瓶ビール650、酎ハイ400、焼酎450
小池百合子 2,912,628票
増田寛也 1,793,453票
鳥越俊太郎 1,346,103票
突然の都知事選は、参議院選公示直前の6月21日舛添の金銭スキャンダルによる辞任で始まった。7月14日告示、31日投票という日程は決まったのに候補者がなかなか出てこない。そのうち自民が小池と増田の分裂選挙ということになり、千歳一遇のチャンスであったにもかかわらず、宇都宮氏以外にいわゆる「統一候補」の名前ががなかなか上がらない。もちろん蓮舫、長妻昭、片山善博(元鳥取県知事)、青山やすし(元副知事)、古賀茂明、山口二郎、大沢真理、岸井成格(しげただ)、鳥越俊太郎などいろいろ名前は上がったが、たとえば古賀は民進党の枝野氏が官房長官時代の確執で絶対ダメ、片山は「自公が圧倒的多数の都議会と妥協しながら運営するのはとても大変」と固辞、鳥越は健康問題で家族が猛反対などでつぎつぎに消えていった。わたしたち市民はとうとうしびれをきらした。民進党では都連の手を離れ党本部の案件になっているとの情報を聞き「とにかく時間が切迫しているので、民進党で統一候補の案を出してほしい」と要請にまで出かけた。
すると初めは都連幹事長の長島の名前が新聞報道されたりして青ざめたが、8日金曜には石田純一、週明けの11日月曜には古賀茂明、翌火曜には鳥越と日替わり定食のように候補者が交代した。やっと鳥越氏が野党統一候補と決定したのは告示の2日前のことだった。
後出しジャンケンも度が過ぎていた。これが大敗北の一つの要因だった。わたくしはこれまで主として市民選挙の末端のボランティアしかやってこなかった。それで民進党の選挙戦術とはどんなものなのか興味があった。以下、市民選挙と政党選挙の違いについて今回気づいたことを中心に感想を述べる。
ふつう告示日は、証紙貼りやポスター貼りでボランティアの人数をそろえるのが大変になる。そこで告示日前日夕方、民進党都連に電話したが「場所は表参道周辺の予定だが、まだ発表できない」、当日電話すると蓮舫議員の選対事務所の跡と、場所は教えてもらえたものの、午後行ってみると、なんと床のクロスの張り替えをやっていて選挙の作業などやれる状態ではなかった。翌日午後になれば何かやれるだろうと行ってみると、ポスターを4枚貼り合わせて、室内ディスプレイにするセットを作成、30分くらいで終了し「今日はもうやることがない」と帰された。この事務所は選挙に勝つ意欲に乏しい事務所なのではないかと思わせるほどだった。こんなわけでいつもより長い17日の選挙選だったのに、おそらく実質的には13-14日しか使わなかったのではないだろうか。
また政策の検討もほとんどやっていないに等しかった。都民向けの独自の公約は「都民のがん検診100%」くらいしか目にしなかった。これはご自分の体験を踏まえたものなのでよかったが、それしかない。18日(日)夕方、渋谷駅前の街宣を聞いた。保坂のぶと世田谷区長との対談で、保坂氏は世田谷でやっている産後ケアセンターを全都に広げ3年で10か所程度、0―3歳児の保育所が大変不足しているので各区に保育室を、などとその場で約束させていた。やや強引だったが、これくらいやらねば都民向け公約が出てこない。17年ぶりの都営住宅新設については、さすがに予算との兼ね合いを考えないといけないので即答はしなかったが・・・。
わたくしは22日(金)ごろから電話入れのボランティアをした。しかしキャッチフレーズがない。「あなたに都政を取り戻す」は抽象的なうえに「取り戻す」はどうしても安倍晋三のかつてのキャッチフレーズ「日本を取り戻す」を連想させる。「住んでよし、働いてよし、環境によし」は電話ではあまりにも長すぎる。後半にはさらに「学んでよし」まで増えた。仕方なくわたくしは「平和と憲法を大事にする候補は主要三候補のなかで、鳥越俊太郎ただ一人しかいません」と言っていた。
時間遅れだけでなく、この選挙は野党4党共闘」といいながらまったくの分裂選挙だった。多摩と都内に事務所があるのはわかるが、青山(民進党)と本郷(共産党)に分裂していた。そのほか四谷に「鳥越俊太郎を応援する市民センター」というものもあった。てっきり市民連合の選対かと思ったが、そうではなく勝手連の連絡センターということだった。
わたくしはこれまで主として市民選挙の手伝いしかしてこなかった。その場合、チラシのポスティングは重複や空白地帯を防ぐため、いつどこに撒いたか、地図に記録するなどして選対が把握していた。ところが青山ではそんなことはまったくやっておらず、それは地元に聞いてほしいといい、民進党の第二支部の電話を教えてくれた。電話して聞いてみると「ポスティングは依頼されたからやっているだけで、全体の把握は青山の選対に聞いてほしい」とのことだった。選挙の後半はポスティング30万枚作戦(プラス10万枚追加)を重点にやっていたのにもかかわらずだ。わたくしは地元で累計1300枚ポスティングを行った。その途中で、共産党の方が3人くらいのグループで「革新都政をつくる会」の号外を全戸配布しているのに出会った。内容は法定チラシとほぼ同様だったので、いっしょに配ってくれればよいと思った。しかし受け取った2号チラシの枚数が少なかったとのことだった。
15万本の電話かけのほうも同様で、他の事務所との重複はまったくチェックしていないとのことだった。道理で「ついさっきかかってきたばかりなのに、お前のところはいったい何回かけてくるのか」とたびたび怒鳴られた。一般市民にとっては選挙の電話は迷惑電話にほかならないのだから、なんとかしてほしかった。今回は事務所からの電話以外に「電話勝手連」の活動もあるのだから余計に重複チェックは重要だ。また事務所の内部でも政党関係者による電話入れと一般ボランティアの電話入れのふたつの窓口があった。しかしその2つですらまったく連絡を取っておらず「電話シナリオ」も相互チェックしていないとのことで驚いた。なお一般ボランティアの電話入れは大学生が取り仕切っていた。選挙は生き物なので、日に日にシナリオを改定しないといけないのに、経験が少ないのでなっていなかった。何度か帰りがけにその日気づいたことを伝えるのだが、「お父さん、より改善したシナリオをつくってください」などと依頼され、スタッフの役割をなんと考えているのかとあきれてしまった。と同時に、周りには選挙に手慣れたおとながたくさんいるはずなのでかわいそうになった。まわりのおとな(たぶん民進党の関係者)は学生のことを「シールズ」と呼んでいたが、本人たちに聞くと「元シールズの人はいるが、ここにはシールズの人はいない」という。民進党の学生部の人だったのかもしれない。
また、わたくしには電話もポスティングもタイミングが1週間遅すぎる感じがした。
せっかくの野党共闘だったのに、選挙にかんしては、まったくバラバラの分裂選挙だった。最後に、選挙を下りた宇都宮陣営だが、選挙末期、投票4日前の27日(水)夜10時すぎ「これまで鳥越候補への支援について多くのご意見を頂戴しておりましたが、私たちは、どこまでも政策本位であること、また、支援について多くの都民の納得を得られる状況が必要であること、また今日まで正式な要請もなされておりませんでしたので、みなさまへのご報告が遅れました。こころよりお詫び申し上げます」というメールが届いた。
また週刊文春・新潮が報じた「女性問題」に関し、宇都宮氏が「都民に対してあなたを都知事にふさわしい方として推挙することができず、応援に立つことはできません」と28日に文書で伝えたということなので、まったく支援しなかったようだ。
知人の話では共闘は美濃部都知事選挙以来のことだそうだ。せっかくの自公分裂のチャンスをほとんど自滅で終わらせた。
最終日、わたくしは事務所で111本電話入れをしたあと新宿駅新南口に19時すぎに出かけた。鳥越候補の最後の言葉は「とにかく選挙に行ってほしい」だった。8時以降、マイクは使えないので車の上でおじぎをしていたが、泣いているようにみえた。まるで支援者たちに「ふがいないわたしをお許しください」と詫びているかのように見えた。
翌31日の投票日、夜8時からの特別番組・開票速報の冒頭、小池候補の当選が報じられた。いまから9年前、2007年4月の浅野選挙よりもっとひどい負け方(石原281万票、浅野136万票)だった。
なお、わたくしは事務所に10回、街宣に3回行ったが一度もカンパ要請を受けなかった。こういう選挙資金の点でも市民選挙とは大いに違っていた。
この写真は2014年1月のもの
☆30日20時の新宿駅街宣終了後、場所が新宿駅南西だったので代々木駅方向で人家を探した。小田急線の踏切を越えたがやはり事務所ビルが並ぶ。右折して坂を下りるとやっとマンションが出てきた。よくみるとなんのことはない。以前「奥の湯」(2015年廃業)に行くときに通った道だった。意外なことに一軒家もそれなりにあった。50枚2号チラシを投函し、帰宅するのは丸ノ内線なので再び新宿駅に向かう。
そして西口飲み屋街の「つるかめ食堂」をのぞくと、運のよいことにカウンターが1席だけ空いていた。一人打ち上げだ。
ハムカツ400円、お新香300円、日本酒(奥の松)400円、黒霧島のお湯割り450円、生ビール500円
付き出しは、キャベツの千切りとサラダ菜、それに卵焼き2切れでちゃんとしていたし、お新香もぬかがちゃんと効いていた。酒を3杯飲んで2400円なのでこれは安い。
なお名物料理として「バカでアホでフラメンキン」(牛肉のガーリック味天ぷら 700円)、トルティジャ(トマトと卵の炒め 550円)、バカコンポジャ(牛スジをササミで挟んだフライ 550円)などがある。
席はカウンター10席、テーブルが2人1台、4人3台で合計24席と狭い。わたくしがいったときは若い人ばかりだった。グループが4組で、女性3人グループが1つ、男女2人ずつが1組いた。思い出横丁のメインの場所なので、たいてい混んでいて、わたくしはこれまで4回来て2回入れた。
営業時間は16時から23時で、もう50年以上やっている店だそうだ。やはりウワサ通りいい店だった。
お新香とハムカツ
電話:03-3343-4078
住所:東京都新宿区西新宿1-2-7
営業:16:00-23:00、不定休
生ビール500、瓶ビール650、酎ハイ400、焼酎450