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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

ワセダ三畳青春記

2007年11月27日 | 読書
ワセダ三畳青春記」(高野秀行、集英社文庫 2003年)を読んだ。

早稲田近辺(この本では正門前5分となっているがたぶんフィクション)三畳5室 四畳半3室 合計8室、木造2階建ての古いアパートを舞台に、著者が89年から2000年、22歳から33歳まで住んだときの物語である。世の中はバブル末期だったが、まったく縁のない世界の話である。
住人は40代の司法浪人、守銭奴の印刷工、サラリーマンや院生、そして作者をはじめ早大探検部の部員数人である。著者も、数か月(長ければ1年)タイやビルマに旅行しては日本に戻るという生活を送っている。
大家は、不二家のペコちゃんが年取ったらこうなるのではないかと思わせる50代から60代とおぼしき女性である。

いまも、木造2階建ての家屋が残っている早稲田近辺
まずこの下宿に引っ越した経緯を書いたあと、奇人ぞろいのメンバー紹介、そして自分の食、風呂の話に移る。
食ではカレーを煮込んで食べ続け、最後は半液体のどろどろした茶色い物質になったが、最高25食、連続食べたエピソード。風呂の話では、銭湯は高いので代用としてプールに行く。それが高じて、毎日のように区立新宿スポーツセンターに通い10mしか泳げなかったのが河童団という探検部の水泳チームを結成し、区民大会のバタフライ50mに出場するまでになる。しかし競泳は初体験だったので、飛び込んだとたんゴーグルがずれてしまう。水中深く沈んだまま一生懸命ゴーグルを直そうとしたが「水面に浮上したときには、ライバルたちはゴール寸前だった。あとで仲間に聞くと、私が水に没したまま浮かんでこないので『あの選手はどうしたんだ?!』と辺りが騒然となったという」
このように抱腹絶倒のエピソードが続く。
海外でのドラッグ体験を聞き、どうしても自分もためしてみたくなり、チョウセンアサガオの種を百粒食べて一昼夜、意識不明になる。意識不明の間「両手で頭から顔、首、胸、腹となでさするような仕草を繰り返す。ノイローゼになったチンパンジーみたい。『何をしているのか』と聞くと、ひとこと『気持ちいい』と答える。その後もムンクの「叫び」みたいな仕草をする」といった具合である。
その他、趣味のプロレスのテレビ観戦、大家のおばちゃんと高校卓球部出身の探検部員とのピンポン対決、外国での流しを目論んだ三味線修行、山下公園での占いバイト、下宿の中年同盟軍対学生2人の連合軍との「騒音」と「臭い」をめぐる戦い、後輩の結婚式で苦手のスピーチをした話、島田屋のうどんを路地裏で無料配布する怪事件などと続く。
最後はガールフレンドの出現と別れ、33歳での初恋、その人と暮らすため早稲田を出る話でしめくくられる。「もう頬づえはつかない」(東陽一監督)のラストシーン、桃井かおりがカーテンを開け陽光が差し込んできたときのようなさわやかさなエンディングである。
エピソードの面白さだけでなく、構成も巧みである。
大学の話や海外での冒険の話、テレビ局や出版社でのアルバイトの話はいっさい出てこない。早稲田の町についても近所の八百屋が少し出てくるだけである。あくまでも三畳一間(末期には四畳半)で起こったこととアパートをめぐる人々の話に絞り込んでいる。これも構成上うまくまとまっている要因である。

早稲田大学は創立125周年。かつてに比べると歩道はみちがえるばかりに整備されている。高田牧舎三朝庵もビルになっていた。
ここまで波乱万丈の生活は珍しいにしても、だれにとっても学生から社会人初期の20代の日常生活や友人とのつきあいや仕事は刺激に富むものだ。
椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」や「新橋烏森口青春篇」を少し叙情的にしたような物語だった。

☆高円寺の三畳一間の下宿に住んでいたことがある。
全部で20部屋くらいあった。そのうち四畳半がたしか4つだけあったが、非常にうらやましかった。
バルザックのヴォーケル館、高橋留美子のめぞん一刻をはじめ下宿やアパートはどこも面白く、少し怪しい。
わたくしはある夏帰省先から戻ると、見知らぬ受験生が自分の部屋にいて、わたくしのフトンや机を使っていたのを発見し、唖然とした体験がある。(下宿のおばさんが金儲けのため、無断で二重貸ししていたのだった)
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