2003年の10.23通達から丸5年、それに対する予防訴訟で大勝利した9.21東京地裁判決から2年たった10月25日夜「「日の丸・君が代」強制に反対する裁判に勝利しよう!学校に自由を! 10.25集会」が星陵会館で開催された(参加350人)。
冒頭、近藤徹さん(被処分者の会・事務局長)からこれまでの経過と今後の展望について基調報告があった。内容は次のとおり。
ちょうど5年前、衝撃の10.23通達が発出され、それ以降処分された教職員は410人、再雇用などを取り消された人は50人を超える。2006年の9.21東京地裁判決は「10.23通達は違憲違法」と断罪した。しかしその後06年12月の教育基本法「改正」、07年2月のピアノ訴訟最高裁判決以降逆流の流れが続いている。そうしたなか今年12月に5つの裁判が結審し、来年3月の卒業式シーズンのさなか次々に判決が出る。この共同集会は2005年12月(7団体120人参加)、2007年10月(14団体、270人参加)に続く3回目のものだ。今回は10.23通達関連裁判訴訟団の下記16団体による共催である。
「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会
「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会
「日の丸・君が代」強制反対・嘱託員不採用撤回を求める会
東京・教育の自由裁判をすすめる会
「君が代」不当処分撤回を求める会(東京教組)
「日の丸・君が代」強制反対!不当処分撤回をめざす3人の先生を支える会(都教組八王子支部内)
東京都障害児学校教職員組合(都障教組)
東京都障害児学校労働組合(都障労組)
アイム'89・東京教育労働者組合
都高教有志被処分者連絡会
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
河原井・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会
府中「君が代」処分を考える会
藤田先生を応援する会
「もの言える自由」裁判交流会
●人権としての教育と教育の自由
堀尾輝久さん(東京大学名誉教授・元日本教育学会会長)
堀尾さんは2006年2月、予防訴訟で意見書提出と裁判所での証言を行い、それが9.21判決に結びついた。憲法と教育、教育基本法改定反対運動で得た成果を語った後、現在の問題へと話が進んだ。講演の後半の一部を紹介する。
教育は自由な雰囲気の中でのみ花開く。「学校に自由を」はわたしたちの常識だ。しかし「教師が勝手な教育をしている」「学校には強制があってもよい」「義務教育なので国家が介入するのは当然」「教育は統治行為の一部」「教育も商品・サービス」という意見もある。どう反論すればよいのだろう。
じつは教育の自由の「自由」には2つの意味がある。freedomは国会権力・政治が介入してはならない領域のことで、libertyは自由な領域のなかでのその構成員(子ども、親、教師、住民、行政)の子育て、教育活動の自由(liberties)を意味する。libertyを保障するにはその前提としてfreedomが必要だ。いきなり教師の教育の自由をいうのでなく、まず精神の自由の重要性を主張し、それに伴う教育実践の自由をいうべきだ。
さまざまなlibertyがあるので、たとえば教師の教育の「自由」と親の教育の「自由」が衝突する(libertiesの衝突)ことがある。どう調整すればよいのか。参加と討議により、より高度な社会的合意を得るため、教育の公共性を創造することをめざすべきだ。
そのとき教師の専門性の中身は何かということが問い直される。あくまでも子どもの発達と学習の権利が前提になる。子どもの学習権を保障するのは親の責務、親の教育権である。したがってPTA、とりわけ「P」の合意を得る会合が重要になる。
教師が学習保障の責務を果たすには、研修と教育実践の自由が必要だ。しかしそれはあくまでも子どもの発達を保障する教師の専門性を前提にしている。同様に、教育行政は、教科書無償化や教育水準維持など条件整備の責務があり、一般行政は教育尊重の責任がある。
教育の自由が、そのまま教師の自由ということではない。憲法19条「思想及び良心の自由」だけで主張していると「公務員には一定の制約がある」と足をすくわれかねない。
●朗読劇「日の丸あげて」(原作 赤川次郎) 「憲法寄席」創作集団
1999年8月強行採決で成立した国旗国歌法と通信傍受法(盗聴法)を題材にしたブラックコメディが上演された。あらすじは下記のとおり。
ある団地にどう説得しても国旗を掲揚しない江口一家が住んでいた。それを憎んだ元刑事の住人が、現役刑事を使い江口に「幼児への性的虐待者」という根も葉もないうわさを流す。そのため江口の娘は幼稚園を自主退園されられ江口も不当な配転に会い、結局自殺に追い込まれる。こうして団地には国旗不掲揚の家庭は1軒もなくなる。しかし元刑事は口論から女性友達を絞殺する。その様子を現役刑事に電話の盗聴で察知され逮捕されるが、現場検証の際に投身自殺する。団地の住人が死体に白いテーブルクロスをかけると、血染めの日の丸にみえた。
朗読劇なので演技はないが、刑事、主婦、近所から浮いている主婦など登場人物一人ひとりのキャラクターが「憲法寄席」創作集団の方の朗読から浮かび上がり、真に迫っていた。とくに主婦2人の役とナレーションの方のレベルが際立っていた。
●弁護団からのお話
集会に参加した7人の弁護士を代表して、東京「君が代」裁判の白井劍弁護士からスピーチがあった。
提出された172通の陳述書から「自分が自分でなくなるようなことが多くなった」「10.23は踏絵です」、毎年巡って来る卒入学式に「いつまでこの圧力に耐えられるか」「教師を続けられるのか」、ピアノ伴奏せざるをえない教員の「弾けば解放されるのではと考えた。しかし何ともいやな気分、頭を後ろから思い切りなぐられたようは感じがし、何日も後悔した」と、何人かの方の抜粋が読み上げられた。白井弁護士は「陳述書からそれぞれの人の心のよりどころが見えてくる。10.23通達はそれを踏みつけにした」と訴えた。
そして「昨年2月27日のピアノ裁判最高裁判決が下級審である地裁・高裁判決に影響するので、甘い見通しは立てていない。しかしあの判決の論理はあまりにもずさんだし、立派な少数意見も付いていた。小さな成果を積み上げれば必ず展望が開ける」と述べた。
最後に集会アピールと都教委に10.23通達撤回、処分取消し、採用拒否取消しなどを求める要請を採択して集会を終えた。この要請は10月28日(火曜)に都教委に提出される。
☆この日の集会の動画を、このサイトで見られる。
冒頭、近藤徹さん(被処分者の会・事務局長)からこれまでの経過と今後の展望について基調報告があった。内容は次のとおり。
ちょうど5年前、衝撃の10.23通達が発出され、それ以降処分された教職員は410人、再雇用などを取り消された人は50人を超える。2006年の9.21東京地裁判決は「10.23通達は違憲違法」と断罪した。しかしその後06年12月の教育基本法「改正」、07年2月のピアノ訴訟最高裁判決以降逆流の流れが続いている。そうしたなか今年12月に5つの裁判が結審し、来年3月の卒業式シーズンのさなか次々に判決が出る。この共同集会は2005年12月(7団体120人参加)、2007年10月(14団体、270人参加)に続く3回目のものだ。今回は10.23通達関連裁判訴訟団の下記16団体による共催である。
「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会
「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会
「日の丸・君が代」強制反対・嘱託員不採用撤回を求める会
東京・教育の自由裁判をすすめる会
「君が代」不当処分撤回を求める会(東京教組)
「日の丸・君が代」強制反対!不当処分撤回をめざす3人の先生を支える会(都教組八王子支部内)
東京都障害児学校教職員組合(都障教組)
東京都障害児学校労働組合(都障労組)
アイム'89・東京教育労働者組合
都高教有志被処分者連絡会
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
河原井・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会
府中「君が代」処分を考える会
藤田先生を応援する会
「もの言える自由」裁判交流会
●人権としての教育と教育の自由
堀尾輝久さん(東京大学名誉教授・元日本教育学会会長)
堀尾さんは2006年2月、予防訴訟で意見書提出と裁判所での証言を行い、それが9.21判決に結びついた。憲法と教育、教育基本法改定反対運動で得た成果を語った後、現在の問題へと話が進んだ。講演の後半の一部を紹介する。
教育は自由な雰囲気の中でのみ花開く。「学校に自由を」はわたしたちの常識だ。しかし「教師が勝手な教育をしている」「学校には強制があってもよい」「義務教育なので国家が介入するのは当然」「教育は統治行為の一部」「教育も商品・サービス」という意見もある。どう反論すればよいのだろう。
じつは教育の自由の「自由」には2つの意味がある。freedomは国会権力・政治が介入してはならない領域のことで、libertyは自由な領域のなかでのその構成員(子ども、親、教師、住民、行政)の子育て、教育活動の自由(liberties)を意味する。libertyを保障するにはその前提としてfreedomが必要だ。いきなり教師の教育の自由をいうのでなく、まず精神の自由の重要性を主張し、それに伴う教育実践の自由をいうべきだ。
さまざまなlibertyがあるので、たとえば教師の教育の「自由」と親の教育の「自由」が衝突する(libertiesの衝突)ことがある。どう調整すればよいのか。参加と討議により、より高度な社会的合意を得るため、教育の公共性を創造することをめざすべきだ。
そのとき教師の専門性の中身は何かということが問い直される。あくまでも子どもの発達と学習の権利が前提になる。子どもの学習権を保障するのは親の責務、親の教育権である。したがってPTA、とりわけ「P」の合意を得る会合が重要になる。
教師が学習保障の責務を果たすには、研修と教育実践の自由が必要だ。しかしそれはあくまでも子どもの発達を保障する教師の専門性を前提にしている。同様に、教育行政は、教科書無償化や教育水準維持など条件整備の責務があり、一般行政は教育尊重の責任がある。
教育の自由が、そのまま教師の自由ということではない。憲法19条「思想及び良心の自由」だけで主張していると「公務員には一定の制約がある」と足をすくわれかねない。
●朗読劇「日の丸あげて」(原作 赤川次郎) 「憲法寄席」創作集団
1999年8月強行採決で成立した国旗国歌法と通信傍受法(盗聴法)を題材にしたブラックコメディが上演された。あらすじは下記のとおり。
ある団地にどう説得しても国旗を掲揚しない江口一家が住んでいた。それを憎んだ元刑事の住人が、現役刑事を使い江口に「幼児への性的虐待者」という根も葉もないうわさを流す。そのため江口の娘は幼稚園を自主退園されられ江口も不当な配転に会い、結局自殺に追い込まれる。こうして団地には国旗不掲揚の家庭は1軒もなくなる。しかし元刑事は口論から女性友達を絞殺する。その様子を現役刑事に電話の盗聴で察知され逮捕されるが、現場検証の際に投身自殺する。団地の住人が死体に白いテーブルクロスをかけると、血染めの日の丸にみえた。
朗読劇なので演技はないが、刑事、主婦、近所から浮いている主婦など登場人物一人ひとりのキャラクターが「憲法寄席」創作集団の方の朗読から浮かび上がり、真に迫っていた。とくに主婦2人の役とナレーションの方のレベルが際立っていた。
●弁護団からのお話
集会に参加した7人の弁護士を代表して、東京「君が代」裁判の白井劍弁護士からスピーチがあった。
提出された172通の陳述書から「自分が自分でなくなるようなことが多くなった」「10.23は踏絵です」、毎年巡って来る卒入学式に「いつまでこの圧力に耐えられるか」「教師を続けられるのか」、ピアノ伴奏せざるをえない教員の「弾けば解放されるのではと考えた。しかし何ともいやな気分、頭を後ろから思い切りなぐられたようは感じがし、何日も後悔した」と、何人かの方の抜粋が読み上げられた。白井弁護士は「陳述書からそれぞれの人の心のよりどころが見えてくる。10.23通達はそれを踏みつけにした」と訴えた。
そして「昨年2月27日のピアノ裁判最高裁判決が下級審である地裁・高裁判決に影響するので、甘い見通しは立てていない。しかしあの判決の論理はあまりにもずさんだし、立派な少数意見も付いていた。小さな成果を積み上げれば必ず展望が開ける」と述べた。
最後に集会アピールと都教委に10.23通達撤回、処分取消し、採用拒否取消しなどを求める要請を採択して集会を終えた。この要請は10月28日(火曜)に都教委に提出される。
☆この日の集会の動画を、このサイトで見られる。