6月27日、梅雨の合間なのに31度の猛暑のなか、築地から八重洲まで「壊すな築地6.27東京大行進2」というデモが行われた(主催 市場を考える会)。
築地市場移転問題は、新銀行東京の失敗、外環道建設と並び10年に及ぶ石原都知事の「3大ムダ事業」と名指されている。
東京都は、東京ガスが2002年に行った土壌汚染状況調査結果にのみ依拠した土壌対策に基づき、2003年豊洲新市場基本構想を策定し移転を進めようとした。しかし「食の安全」を懸念する市民から反対の声が上がった。2007年5月には予定地の地下水から環境基準の1万倍のヒ素が検出されたと報道された。
そこで都は、土壌汚染に関する専門家会議を2007年5月(会議は公開)に開催し07年8月~10月に追加調査をした。はたして、東京ガスの調査では汚染濃度が低いとされた地点の地下水から環境基準の1000倍というケタはずれのベンゼンが検出された。2008年2月~5月に10mメッシュの詳細調査を行うと、土壌のベンゼンが最高地点で環境基準の4万3000倍、シアン化合物は最高地点で基準の860倍を検出した。08年7月13日から専門家会議報告書(案)に対し、たった1週間で264通もの意見が一般市民から寄せられた。また日本環境学会の学者から懸念する意見書が提出された。
7月末に専門家会議は、地下水位の管理、地震時の液状化対策など課題を残したまま解散した。そして8月15日から今年2月3日にかけて民間企業から公募した技術・工法を検討する技術者会議(非公開)を設置した。
なお石原都知事が目論む2016年東京オリンピックの放送センターにしようという計画は、時間切れで断念せざるをえなかった。
しかし、都はいまも2010年秋、豊洲新市場を都市計画決定し、12年春着工、14年12月開場のスケジュールで強行しようとしている。
まず主催者や日本消費者連盟の方のあいさつのあと、街宣車の上に、国会議員たちが上り移転問題についてアピールした。
●田中康夫参議院議員(新党日本)
築地は日本の食文化の殿堂であり、フィッシャーマンズワーフのように整備すればよい。それを32年間都市ガス工場があった跡地に移転すればどうなるかは、ハジメちゃんでなくバカボンのパパでもわかる話だ。麻生総理も石原都知事も消費者だ。築地の魚は、与党の政治家が行く高いすし屋に卸しているだけではなく、駅前の商店街の魚屋やスーパーにも卸している。築地の移転は市場で働く人だけの問題でなく、都民や日本全国の問題だ。おかしいことはいっしょに変えていきたい。
●中山義活・前衆議院議員(民主)
民主党は汚染された地域に生鮮食品の市場はできないようにする法律をつくることを、党としての公約にした。
●保坂のぶと衆議院議員(社民)
今国会で、かんぽの宿が一握りのインサイダー企業にそっと一括売却されたことを追及した。豊洲移転はPFI方式で実施される。すでに落札予定者が内定したと、大手ゼネコンが関係先にあいさつして回っているとウワサされる。わたしたちはこのことも今後問題にしたい。石原知事登場前は、再開発費2400億円で進んでいた。ところがいま移転の予算額は4316億円に上っている。この場所で再開発したほうがおカネはかからない。
●川田龍平参議院議員(無所属)
築地市場を残し、命を大事にし生きていくうえで大事な食を守っていく。そして次の世代に自分達の価値を残していきたい。何よりも大切なのは命だ。命を次の世代につないでいく食の安心や安全を守るため、みなさんといっしょにやっていきたい。
●笠井亮衆議院議員(共産)
いま、こちら側は押し込んでいる。みなさんのガンバリで移転計画を2年ずれ込ませた。土壌汚染調査でも東京都に再調査をさせた。都は発がん性の物質があることを隠していた。
今国会で土壌汚染対策法改正案が通過した。しかし不十分な点があり、豊洲にもこの法律が適用されるよう修正案をつくってがんばった。大型再開発は破綻しかかっており、移転反対、再検討の声が広がっている。正念場に来ているので、いっしょにがんばろう。
デモの参加者は1300人(主催者発表)、江東健康友の会、杉並区労連、都庁職港湾支部、臨海部開発問題を考える都民連絡会、東京地評、南葛扇橋診療所など、色とりどりの旗がはためいていた。
シュプレヒコールは「築地の食文化を壊すな」「食の安全を守ろう」「子どもたちの環境を守ろう」「市場を毒の上につくるな」「築地で再整備をしよう」「豊洲への移転に断固反対」などだった。
デモやシュプレヒコールをすることにあまり慣れておらず「ハンターイ!」「マモロー!」だけの唱和になっている人が多かった。バギーに乗せた孫娘と娘と両親の3世代で参加した人もいた。気温が高く暑いが、旗がはためく風が吹いている。昼下がりのロング散歩のようなものだった。通行人に、小学校5年生の岡部奈菜さんの「築地のお魚大好き」という絵の付いたチラシが配布されていた。毒が染み込んだ土に育つ木に実る果実は、やはり毒という絵である。
デモのコースは築地市場から朝日新聞の前を通り、新橋駅手前を右折し外堀通りを北上、数寄屋橋を抜けて、東京駅八重洲口の先にある常盤橋公園までだった。
普段は歩道からしかみない都心の風景は、車道からみると建物がはっきりみえる。波打つような電通ビル、パナソニック電工、汐留シティセンターなど汐留の高層ビル群は人工的で、街と異質な感じだった。隣の「すき焼 今朝」をみてほっとする。数寄屋橋の東芝ビルにあった旭屋書店が昨年4月になくなり、ハンドバッグやスーツの店に変わっていた。学生のころ築地に住んでいたことがあり、よく通った書店だったのでさびしかった。銀座で42年の歴史があったという。
☆数寄屋橋でデモの隊列から抜けると、コンコンチキチンの祇園囃子の音が聞こえてきた。マリオン脇のイベントスペースで「おこしやす京都」というキャンペーンが行われ、舞台にそろいの浴衣を着た、鉦(かね)、笛、太鼓の大船鉾の人がずらりと並んでいる。祇園祭は7月下旬の祭りだが、暑かったので季節どおりに感じる情景だった。思わず缶ビールを買ってしまった。
築地市場移転問題は、新銀行東京の失敗、外環道建設と並び10年に及ぶ石原都知事の「3大ムダ事業」と名指されている。
東京都は、東京ガスが2002年に行った土壌汚染状況調査結果にのみ依拠した土壌対策に基づき、2003年豊洲新市場基本構想を策定し移転を進めようとした。しかし「食の安全」を懸念する市民から反対の声が上がった。2007年5月には予定地の地下水から環境基準の1万倍のヒ素が検出されたと報道された。
そこで都は、土壌汚染に関する専門家会議を2007年5月(会議は公開)に開催し07年8月~10月に追加調査をした。はたして、東京ガスの調査では汚染濃度が低いとされた地点の地下水から環境基準の1000倍というケタはずれのベンゼンが検出された。2008年2月~5月に10mメッシュの詳細調査を行うと、土壌のベンゼンが最高地点で環境基準の4万3000倍、シアン化合物は最高地点で基準の860倍を検出した。08年7月13日から専門家会議報告書(案)に対し、たった1週間で264通もの意見が一般市民から寄せられた。また日本環境学会の学者から懸念する意見書が提出された。
7月末に専門家会議は、地下水位の管理、地震時の液状化対策など課題を残したまま解散した。そして8月15日から今年2月3日にかけて民間企業から公募した技術・工法を検討する技術者会議(非公開)を設置した。
なお石原都知事が目論む2016年東京オリンピックの放送センターにしようという計画は、時間切れで断念せざるをえなかった。
しかし、都はいまも2010年秋、豊洲新市場を都市計画決定し、12年春着工、14年12月開場のスケジュールで強行しようとしている。
まず主催者や日本消費者連盟の方のあいさつのあと、街宣車の上に、国会議員たちが上り移転問題についてアピールした。
●田中康夫参議院議員(新党日本)
築地は日本の食文化の殿堂であり、フィッシャーマンズワーフのように整備すればよい。それを32年間都市ガス工場があった跡地に移転すればどうなるかは、ハジメちゃんでなくバカボンのパパでもわかる話だ。麻生総理も石原都知事も消費者だ。築地の魚は、与党の政治家が行く高いすし屋に卸しているだけではなく、駅前の商店街の魚屋やスーパーにも卸している。築地の移転は市場で働く人だけの問題でなく、都民や日本全国の問題だ。おかしいことはいっしょに変えていきたい。
●中山義活・前衆議院議員(民主)
民主党は汚染された地域に生鮮食品の市場はできないようにする法律をつくることを、党としての公約にした。
●保坂のぶと衆議院議員(社民)
今国会で、かんぽの宿が一握りのインサイダー企業にそっと一括売却されたことを追及した。豊洲移転はPFI方式で実施される。すでに落札予定者が内定したと、大手ゼネコンが関係先にあいさつして回っているとウワサされる。わたしたちはこのことも今後問題にしたい。石原知事登場前は、再開発費2400億円で進んでいた。ところがいま移転の予算額は4316億円に上っている。この場所で再開発したほうがおカネはかからない。
●川田龍平参議院議員(無所属)
築地市場を残し、命を大事にし生きていくうえで大事な食を守っていく。そして次の世代に自分達の価値を残していきたい。何よりも大切なのは命だ。命を次の世代につないでいく食の安心や安全を守るため、みなさんといっしょにやっていきたい。
●笠井亮衆議院議員(共産)
いま、こちら側は押し込んでいる。みなさんのガンバリで移転計画を2年ずれ込ませた。土壌汚染調査でも東京都に再調査をさせた。都は発がん性の物質があることを隠していた。
今国会で土壌汚染対策法改正案が通過した。しかし不十分な点があり、豊洲にもこの法律が適用されるよう修正案をつくってがんばった。大型再開発は破綻しかかっており、移転反対、再検討の声が広がっている。正念場に来ているので、いっしょにがんばろう。
デモの参加者は1300人(主催者発表)、江東健康友の会、杉並区労連、都庁職港湾支部、臨海部開発問題を考える都民連絡会、東京地評、南葛扇橋診療所など、色とりどりの旗がはためいていた。
シュプレヒコールは「築地の食文化を壊すな」「食の安全を守ろう」「子どもたちの環境を守ろう」「市場を毒の上につくるな」「築地で再整備をしよう」「豊洲への移転に断固反対」などだった。
デモやシュプレヒコールをすることにあまり慣れておらず「ハンターイ!」「マモロー!」だけの唱和になっている人が多かった。バギーに乗せた孫娘と娘と両親の3世代で参加した人もいた。気温が高く暑いが、旗がはためく風が吹いている。昼下がりのロング散歩のようなものだった。通行人に、小学校5年生の岡部奈菜さんの「築地のお魚大好き」という絵の付いたチラシが配布されていた。毒が染み込んだ土に育つ木に実る果実は、やはり毒という絵である。
デモのコースは築地市場から朝日新聞の前を通り、新橋駅手前を右折し外堀通りを北上、数寄屋橋を抜けて、東京駅八重洲口の先にある常盤橋公園までだった。
普段は歩道からしかみない都心の風景は、車道からみると建物がはっきりみえる。波打つような電通ビル、パナソニック電工、汐留シティセンターなど汐留の高層ビル群は人工的で、街と異質な感じだった。隣の「すき焼 今朝」をみてほっとする。数寄屋橋の東芝ビルにあった旭屋書店が昨年4月になくなり、ハンドバッグやスーツの店に変わっていた。学生のころ築地に住んでいたことがあり、よく通った書店だったのでさびしかった。銀座で42年の歴史があったという。
☆数寄屋橋でデモの隊列から抜けると、コンコンチキチンの祇園囃子の音が聞こえてきた。マリオン脇のイベントスペースで「おこしやす京都」というキャンペーンが行われ、舞台にそろいの浴衣を着た、鉦(かね)、笛、太鼓の大船鉾の人がずらりと並んでいる。祇園祭は7月下旬の祭りだが、暑かったので季節どおりに感じる情景だった。思わず缶ビールを買ってしまった。