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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

民族音楽の巨人 小泉文夫

2009年06月30日 | 読書
世界を聴いた男――小泉文夫と民族音楽」(岡田真紀著 平凡社 1995.7 2900円)を図書館から借り出し読んだ。民族音楽学者小泉文夫の評伝である。

小泉文夫は1927年3月生まれ、府立四中(現 戸山高校)、一高理乙、東大文学部および大学院を経て平凡社で「音楽事典」の編集にあたる。その間、52年にN響の「フィルハーモニー」の編集委員となり「日本伝統音楽研究に関する方法論と基礎的諸問題」を連載する。これが認められ60年4月東京芸大楽理科常勤教官に就いた。
それより前の57年に「日本と西洋の中間にあるインド音楽を第三の視点としてより客観的な認識を」と考え、インド政府給費留学生として1年半インドに留学した。これが初の海外体験だった。
これを皮切りに、中国、モンゴル、中央アジア、イラン、トルコ、東ヨーロッパなどのシルクロードに沿う国、さらにエジプト、スペイン、ブルガリアなどヨーロッパに至る道、沖縄からフィリピン、インドネシアなどアジアの国々、エスキモーやスリランカの狩猟の民など、世界各国の音楽を調査するため現地を訪問する。そして58歳で亡くなった。最後のころは沖縄音楽の研究やシルクロード舞踊篇公演の仕事をしていた。
本書の魅力はひとつは、引用されている小泉自身の紀行文の美しさである。1957年インドのマドラスで留学生仲間と見た夕日を、「どんな季節でも、世界のどんな場所でも、日が沈んだ後の15分の間にすべてが変化する。海のうえでも、山でも、町でも、路上でも、建物のかどでも、どんなところでも、すべてのものの色彩が、ちょうど明と暗の間、灰色に色彩が変わる。木々が、建物が、水が、人々が、すべてのものが。信じがたいほどの美しい光景をどこにいようとも私たちは目にすることができる」(原文は英語の日記)と描いている。
また旅の情景紹介として、61年国際会議でイランを訪れた小泉は「町を歩くと、豆とかお菓子とか木の実などを売って歩く行商人がいるが、その呼び声がおもしろい。このサクランボウはどこそこの山の麓にある花園のバラの花よりも色がきれいだとか、何々の川のほとりになっている木の実よりももっと甘いとか、いろんな詩的な比喩を持ってきて、自分の売っている商品がどんなにすばらしいかということを歌う。(略)全体の雰囲気がほんとうに詩的な感じなのである。(略)イランという国は夢のようで、全体の生活のリズム、テンポ、そういうものがすばらしいと思った」(『民族音楽の世界』)と叙情的な文を書いている。
音楽は人が歌ったり演奏して生まれるので、当然、人をめぐるエピソードも紹介されている。
64年エジプトのルクソール近郊でコプトの哭女(なきおんな)の唄を録音したとき、謝礼をめぐり険悪な雰囲気となり、ついに人びとが「ドロボー!ドロボー!」といっせいにわめき、手に手に棒をもち、子どもたちは石を投げつけてきた。そこで「左手でカバンと録音機を持ち、右手で頭を押さえながら夜の道にとび出し、一目散に」走って逃げるはめとなった。
また同じ年、スペインのカディスの町で「生活のなかのフラメンコ」を録音しようとしたが、どこにいってもプロでないジプシーには出会えなかった。「生活の歌は、夜のものだ」と聞きそれをヒントに、夜中の1時過ぎにテープレコーダーを持って町に出ると、なんと何十人ものジプシーが道路を占拠して歌い踊っていた。小泉が自らギターを弾くと、フラメンコの香りを聴き取り踊りだした。
しかし小泉が行っていたのは、現地の音楽の採取や比較だけではない。小泉が追求していたものをタテ糸として紡ぎだしていることが、本書の第二の魅力となっている。
「アジアを横に見ていくと(略)日本から蒙古、そして中央アジアのトルコからハンガリーまで、ずっとつながっているのだ。これは偶然とはいえない(略)音楽や歌にも日本とシルクロードとのつながりがあることがわかるのである」(『呼吸する民族音楽』)と仮説を立て、シルクロードに沿う音楽文化の伝播を立証しようとした。
ひとつはアジアに特徴的な二つのリズム、すなわち追分のように自由リズムでメリスマを付けて歌う民謡と、八木節のように規則的な拍子で歌う民謡である。2つの様式はペルシア、トルコ、モンゴルでも聴くことができた。
もうひとつは楽器の形状、構え方などの類似性である。ペルシアのバルバットはシルクロードを経て中国のピーパー、さらに日本の琵琶となった。逆に西ではアラビアのウード、ヨーロッパのリュートとなりギターの祖型の一つになった。
たとえば正倉院所蔵の腰鼓の祖型を求めて、77年パキスタンのヒンズークシ山脈の麓の谷あいの村を訪ね、ギリシアの屯田兵の子孫といわれるカフィール・カラーシュ族の生活のなかで幻の鼓ワッチが生きていることをみごとに発見した。
また、人間はなぜ人と声を合わせて歌うのかという問題にも挑んだ。
67年夏と68年1月カナダやアラスカのエスキモーの調査に入ったとき、鹿の狩猟を1人で行うカナダのカリブー・エスキモーはたった2人で歌っていてもリズムが合わないため、ソロが2人で勝手に歌っているように聞こえた。同じエスキモーでも、共同で鯨を捕獲するシベリアのエスキモーは声をそろえてユニゾンで歌ったり、七拍子、五拍子など不等分リズムを太鼓で打ちながら十数名で歌うこともできた。そこから同じエスキモーであっても、生産手段の相違によって、社会構造も変化し音楽構造も変化するという仮説を立てた。71年夏セイロン(スリランカ)で、弓ももたず斧を投げて狩猟するヴェッダを調査したときも「それぞれが全く別のメロディーで音の高さも違えばリズムも違う歌を歌っている」ことを確認した。逆に71年のバリ島の集団芸能ケチャは一人一人が4つのリズム・パターンのひとつを受け持ち一糸乱れぬ演奏をくり広げるが、彼らの社会構造が平等なかたちの共同体であることを反映していた。
さらに進んで、「人にとって音楽とは何か」という哲学的な問いも立てた。71年に訪れたフィリピンのイゴロット族の鼻笛は2-3mも離れたらもう聞こえないぐらいのかすかな音だった。「こんなかすかな音で何の意味があるのだろうと私は不思議に思い、イゴロット族の人にたずねてみた。すると彼らはこう答えた。恋人のために演奏したり、死者のために演奏したりするので、よく聞こえる必要などない。恋人には会おうと思っても会えないときに自分の気持ちを表現するために吹くし、死者にはもう会えないので口で何を言っても何にもならないので、笛を吹いて気持ちを伝える。みんなに聞かせるためではなく、自分の気持ちを、特定の人に向かって伝えるための音楽なのだ」(『民族音楽の世界』)
人間の心から心へ伝わるためには、必ずしも大きな音もいらないし、あるいは音などまったく必要ないかもしれない。「音楽は人と人をつなぐコミュニケーションである」ということが小泉の結論だった。
          
わたくしにとって小泉文夫は、子どものころ毎週日曜朝、出光興産提供で放送していた「題名のない音楽会」にときどき出演して、いろんな民族楽器を解説する人だった。ガムランなどを自分で演奏したこともあった。本書を読んで、小泉は出演するだけでなく、大学の同級生、皆川達夫とともに初期から番組の企画に加わっていたことを知った。「音楽のエクスタシー 法悦と禁欲」「ザ・タイガースにおける男権の復活」「あほんだら東京」「女性を束縛せよ 小泉文夫氏の体験的音楽論」「歌は世につれ年齢につれ」には自ら出演した。タイトルだけみても見てみたくなる。
「小泉文夫の大予言」では、歌謡曲の流行の波を示し、自分でさまざまな音階で作曲し、番組の構成を担当する藤田敏雄の作詞で雪村いづみに歌ってもらい、今後流行する歌謡曲をつくって聞かせたそうだ。
この番組は、宗教や社会との関わりのなかで音楽をとらえ、音楽には遊び心の精神が必要という趣旨で制作された。小泉の信条である「遊びながら仕事をする、仕事しながら遊ぶ」にも合っていた。

本書のエピローグで著者は「西洋音楽を普遍として他の民族に押しつけるのではなく、また日本の音楽を他にない特殊な音楽として価値あるものとするのではなく、どの音楽にも普遍性と個別性があると認めることで、他とつながりあう(略)これは音楽についてのみいえることではなく、人と人、民族と民族の関係全体にいえることであったのではないだろうか。小泉は空間的にも時間的にも『ヒューマン・ソリダリティー 人と人とのつながり』を生涯かけて確認したように、この本を書き終えた今、私は思う」と書いている。
3年前に教育基本法が改正され「教育の目標」に「我が国と郷土を愛する」という文言が入ってしまった。しかし2条5のそのあとに「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」という文言も入っている。いま日本政府が実際に実行していることから考えると、この文言はPKOや海賊船対策など武力による国際貢献だけに見えるが、小泉が世界をめぐる旅で実践したように、人為的につくられた国境や人種を超える「人と人とのつながり」を基本に置いて考えたいものである。
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1 コメント

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私も読みました。 (西浦昭英)
2009-07-06 23:46:13
こういう人がいたということを知って、音楽が身近になりました。この本を書いた著者にも感謝てす。
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