多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

田中美津のトークイベント

2019年03月22日 | 日記
第二次安倍政権の8年、2006年の第一次も入れれば9年超に及ぶ。この間、この国の教育、軍事、法制の枠組みが根本から変えられてきた。一言でいえば右傾化、ヘイト化、戦後憲法否定・大日本帝国憲法返りである。そしてモリカケ問題による安倍疑獄をはじめ、防衛省、財務省、文科省、厚労省、内閣府の隠ぺい、改竄、ねつ造、そして偽証などいわゆる中央省庁の不祥事は数知れず、大臣のクビが何人飛んでも、また首相辞任が何度起こってもおかしくない、いや起こるべき状況が長い間続いている。
右傾化、不祥事の数々・・・それでも安倍政権の支持率が落ちないのはナゼ?」というトークイベントが開催された。対談したのはジャーナリスト・田原総一朗氏と田中美津さん、会場は朝日新聞本社読者ホール。田中さんのドキュメンタリー映画「この星は、私の星じゃない」(吉峯美和監督、今秋上映予定)が現在製作中で、クラウドファンディング応援イベントとして開催された。
登場した田原総一朗氏は84歳、足取りは年相応の老人スタイルだったが、お話や追及の仕方は気迫が漲(みなぎ)っていた。一方の田中美津さんは75歳、1970年代のウーマン・リブ運動の旗手だった。わたくしは田中さんの著書を読んでいないし、主張も知らないのだが、「時代の子」であったことは間違いない。その後、鍼灸師をなさっていることは知っていた。この日舞台でみた印象は当時と比べ、肩の力が抜けずいぶん軽やかで穏やかな様子だった。

お話は、1972年3月の連合赤軍のリンチ殺人事件発覚後から、全共闘をはじめ社会に異議を唱える人がシーンとなってしまった、という話から始まった。そしてお二人が共通して接触があった永田洋子の話へと続く。田中さんは1971年の秋に京浜安保共闘から会いたいというリクエストがあり、行ってみると永田洋子が目の前におり、1日だけ山岳ベースの見学に行き、その後獄中の永田と文通をした体験があった。田原さんは小菅に接見に行ったことがあり、その縁で「連合赤軍」のTVドキュメントを撮り、田中さんに出演依頼をしたのが2人の出会いだった。
しかし「右傾化、不祥事の数々・・・それでも安倍政権の支持率が落ちないのはナゼ?」というこの日のテーマに関しては、なかなか話がかみ合わなかった。
田中さんの「1970-80年代の原発に対する田原さんの立ち位置はどうだったか」という質問に、田原氏は「反対」と明快に答え、原子力船むつの放射能漏れ事故を取材した「原子力戦争」(筑摩書房 1976)を書いたことや、当時、原発推進市民運動のバックにいる大手広告代理店電通の問題を語ったが、それ以上議論は進まなかった。田中さんは「憲法9条すら変えられようとしている。いろんなことがどう位置付けてよいのかわからない」という話から「昔は悪人は悪人の顔をしていた。しかしいまは悪人が普通の顔をしている。いろんなことがあまりにも変わっていくので、何に反対してよいかわからなくなっている。私を殺そうとして迫ってくる人が優しげな顔をしていて、何なのかわからない」と展開してしまった。わたくしは普通の人の顔をした悪人とは、てっきりアベシンゾーのことだと思ったのだが・・・。そのあと「田原さん、この先、どう変化していくかと思われますか」と続いたので「だから田中さんが頑張らないと」という受け答えになった。

もちろん、断片的にはテーマに沿った発言もあった。
一番の問題は、1980年代には衆議院選挙の投票率が70%台だったのに、いまでは50%台に低下したことだ。多くの国民が政治に関心を失っていること、野党が弱すぎること、マスコミがだらしないことがある(田原)
なぜ、わたしたちがこんなに怒らなくなったのか。(内閣府の「国民生活に関する世論調査」で)「現在の生活に対する満足度」が70%を超えている。(田中)
 あきらめが早すぎる(田原)
「ダメ、ダメ、ダメ」と押しつぶされているとまたワーッと湧き上がってくる力が出るのかと思うが、沈み込んでいる期間が長すぎる。もう立ち上がることを忘れてしまっているんじゃないか(田中)
野党も「反対」というだけ。「政権をとったら何をするのか」と聞いても誰一人答えられない。これでは政権は回ってこない。(田原)

しかし、残念ながらそれ以上の議論には深まらなかった。もっと田原さんの答えを掘り下げて聞いていただきたかったのだが。
安倍デタラメ政権反対、戦争反対、自由を守れ、といった基本的スタンスは一致しているのだが、アプローチが異なるのか、なぜか議論はすれ違ってしまいかみ合わない。田中さんは「聞き手」の位置づけだったはずだが、それより自分の主張を語ることが得意だからか、あるいは田原さんの聞き手としてのスタンスが優れているからか。田中さんはノートに多くのメモを書込み展開もいろいろ準備されていたようだったので、残念だった。

トークのなかで、田中美津「語録」の片鱗がかいま見られたので、少し紹介する。
わたしたちの運動は独特だった。いやなやつにはお尻を触られたくない。しかし好きな男が触りたいと思うお尻がほしい。その両方を大事にする。触られたくないという女性運動の大義と好きな男に触られたいという個人の欲望の両方が大事、というところにウーマン・リブは立った。だれかがつくった遠くにある「大義」ではなく、自分のところから発し語れる大義だった。自分からどう変えたいかを語れる大義、その回路が重要だった。その回路をわたしたちは見失った感じがする。
「好きな男がいるから結婚」という制度には結びつかない。結婚は面白くなさそうな制度だった。すごい努力が必要だが、それだけの努力をするなら別のことに努力を向けたいと思った。この狭い日本の家屋のなかで、別の人間と「わたしはわたし」という思いを大事にしながら暮すことはほとんど難しいと思った。
  (なお田中さんは、1975年から4年半メキシコで生活し、そのときに子どもを1人つくったが結婚はしていない、子どもはいま40代前半とのこと。田原さんもそのファクトを知らなかったが、わたくしも知らなかった)
小さいとき「この星は私の星ではない」と思った。そう思うことで、この星に生まれたことをあきらめて、精一杯とにかく生きていこうと思い生きてきた。しかしいまは、この国がイヤで、イヤで、イヤで仕方がない。「この国は私の国ではない」と本当に思いたい。
なぜ日本では女性が遠慮がちに生きているのか。
サヨクでも会社の社長でも、モノ書きでも、結局のところ、わたしにとって好きな人と嫌いな人の2種類に分かれる。好きな人というのは、わたしのいうことを聞いてくれる人というのではなく、面白いと感じられる人のことだ。大統領であろうと好きな人と嫌いな人がいるというところが、わたしがたどり着いた、軽やかな自由のひとつだと思う。

何も読まないのでは申し訳ないので、近くの図書館で検索すると残念ながら「いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論」(田畑書店 1972)は見つからなかったが、代わりに「便所からの解放」(1970 栗原康編「狂い咲け、フリーダム」ちくま文庫所収)という20ページほどの短い論文を斜め読みし、今回のトークに類似したところを拾い出した。1970年というと田中さんが27歳のころの文章だが、人間の考え方、感じ方はあまり変わらないことがわかる。
・〈お嫁に行けなくなる〉という古ぼけたすり切れたシッポを引きずりつつ、〈バージンらしさ〉に叛旗をひるがえすという、矛盾に満ちた存在が〈ここにいる女〉であり(略)こんな私にした敵に迫っていく闘いは、まさしくとりみだしつつ、とりみだしつつ迫る以外のものではないだろう。(p296)
・自分が何かしたところでどうせどうしようもないのだ、と最初からあきらめている、そんな自民党好みの人間が、あの四畳半の貧しい男と女の関わり合いの中で作られていく。(p302)
今回のトークには出てこなかったが、田原さんは下記のような田中さんの考えに魅かれ、もっと話し合い、エールを送りたかったのではないかと思った。
女の闘いは、情念の集団として、とり乱しつつ、とり乱しつつ、男と権力に迫り、叩きつけていく(p315)
・女から女へ、〈便所〉から〈便所〉へ! 団結が女を強くする! やるズラ、ン?(p316)

☆連合赤軍事件の発覚は、ちょうどわたくしの大学受験の時期に当たる。72年2月3日から2月13日まで札幌冬季オリンピックが開催され、スキージャンプ70m級の笠谷幸生、金野昭次、青地清二が金銀銅を独占、「銀盤の妖精」ジャネット・リンが人気となった。
その直後の2月19日から2月28日あさま山荘事件が起こり、銃撃戦や巨大鉄球による山荘の破壊がテレビで実況中継された。3月に入り妙義山、榛名山麓などで次々にリンチ殺人の遺体が発掘された。たしかに悲惨だった。4月に大学に入学すると授業料値上げのストライキ中でもちろん入学式などなかった。ようやく授業が始まり1年たつと内ゲバ殺人事件が相次いだ。重苦しい時代だった。
当時のイメージだが、田中美津さんというと、わたくしには新宿駅西口地下広場の歌姫・大木晴子さん、「極私的エロス 恋歌1974
(原一男監督)の武田美由紀さん、年齢は少し上だが吉武輝子さんらと近いジャンルの方という印象がある。ただ田原(旧姓・村上)節子さん(元・日本テレビ)という方のことは知らなかった。
田原総一朗さんについては、何冊か著書を読んでいるはずだ。それ以上に70年代当時のわたくしには「あらかじめ失われた恋人たちよ
(清水邦夫・田原総一郎の共同監督、日本ATG、1971)の記憶が強かった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 即位大嘗祭違憲訴訟 提訴報告... | トップ | 西洋音楽と青春のまち、築地... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事