広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ160913 高野山~熊野古道の旅 福智院 先祖供養と写経

2016-12-12 20:52:18 | 食べ物
17:25
高野山も観光地化しているようで、こんなゆるキャラがいるようだ。


高野山の本来の目的は、先祖代々の供養をすること。
食事前にお坊さんが廻ってきて、「供養はどうされますか?」と。
もちろん、供養代を納めてしていただくのだが、観光地化して宿泊代を取るのにさらにお金をとるのか?!という感じの人が多いらしい。
本来はこの先祖供養をするために高野山に来て、泊まるのだがから、先祖供養は必須と心得た方がいい。


写経の返礼で頂戴した数珠。


星月菩提珠という名前の数珠らしい。


一応、筆ペンを持参したが、筆ペンが2本ずつ用意されていた。

本来なら写経堂でするのだが、その時間に奥の院ナイトツアーに出かけるため、お部屋で写経。
有り難い配慮だ。


ナイトツアーから戻り、お風呂に入ってから、頑張って書いた写経。
自室での写経で、時間を気にせず書けたので、いつもより丁寧に書けた。

でも、寝たのは26時近かった。((T_T))

写真は6時の朝のお勤めの際に奉納した御写経。

ほとんど寝てないが、これが修行だ。

有り難や。


追伸
福智院では筆ペンを2本ご用意くださっていたが、インクの出は良くなかったので、持参した筆ペンで書いた。
心を込めて書くことに集中したいなら、持参されることをお勧めします。




■福智院 先祖供養と写経
http://fukuchiin.com/experience/




おまけ、ショット

福智院のゆるキャラが載っていたのは、このおまんじゅうの紙。

お茶請けが用意されているなんて、旅館並みのサービスでびっくり。

御饅頭も美味しかったです。

お煎餅は金剛峯寺で戴いたもの。




24:45
無事に書き終わりました。



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ブログ160913 高野山~熊野古道の旅 壇上伽藍

2016-12-11 00:39:07 | 食べ物
16:22
金剛峯寺を後にして、壇上伽藍へ。
奥の院のナイトツアーと食事の時間を考えると、中を観る時間はちょっと無いかも。
明日にして、本日は軽く。
右手に見えるのは「大塔」。


多分、金堂


東塔かな。
詳しい境内説明はこちらをご参照くださいませ。

http://www.koyasan.or.jp/sp/meguru/sights.html#danjogaran


まだ、9月だが高野山は標高が高いので、もう紅葉し始めていた。


紅、黄、黄緑、緑。
日本の四季の移ろいが凝縮された“小さい秋”だ。

http://www.sightsinfo.com/koyasan/danjyougaran.html


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ブログ160913 高野山~熊野古道の旅 金剛峯寺 パンフレット

2016-12-09 23:43:37 | 食べ物
金剛峯寺で戴いたパンフレット。
撮影禁止だった場所もあるので、こちらで本坊の様子はご覧くださいませ。


柳の間
関白 豊臣秀次 自刃の間でもある


蟠龍庭(ばんりゅうてい)
我が国、最大の石庭らしい。
あなたは、雄雌二頭の龍に見えるか?


上壇の間
天皇・上皇が登山された際の応接間として当てられた。
壁は総金箔。
天井は折上式格天井の書院造の様式で、上々壇格天井は全て花の彫刻が施されている。
欄間は透かし彫りという豪華さ。

当時、どんな風にお過ごしあそばれていたのだろうか。


弘法大師御廟

このパンフレットには
奥の院も含まれているのかな?


大塔
こちらも、壇上伽藍かと思われる


金堂
こちらも、壇上伽藍かな


マップがあった。
やはり、金剛峯寺だけでなく高野山のパンフレットのようだ。



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ブログ160913 高野山~熊野古道の旅 金剛峯寺

2016-12-08 22:28:20 | 食べ物
高野山駅からバスに乗り「高野警察前」で下車。
少し戻ると宿坊の福智院があった。
けっこうな山道だったので、本当に接続のバスに乗れてよかった。


さて、雨も降ってるし、何処へ行くか。
屋内見学が主なようなので、福智院からも近い金剛峯寺へまずは行くことに。

14:55
金剛峯寺に到着。
本当に歩いてすぐの所にあった。
正門ではなく、横の門のようだ。


写真を撮っていたら、あの“なすび”さんが出てきた。
やっぱりお顔が長い。


階段を登り門をくぐるとこんな感じ。
二つの櫓の間が、正門のようだ。


寺内の有名な襖柄などは撮影禁止だったので、写真がなくすみません。

こちらは拝借した写真。
1595年(文禄4年)に秀次が自害したことで知られる柳の間があり、“秀次自刃の間”と呼ばれている。
今年の大河ドラマ「真田丸」の豊臣秀次役の方と共に。

http://www.nhk.or.jp/wakayama/sanadamaru/hidetsugujijinnoma.html


屋根の銅板の寄進があったので、家族の名前で納めた。

皆んなが健康で幸せでありますように。


お庭は写真OKのようだ。


新別殿ではお茶とお菓子がふるまわれる。


新別殿では、定期的に御坊さんのお話しも聴けるようだ。
ちょうど来た時に終わってしまって残念。


蟠龍庭(ばんりゅうてい)
国内で最大級のお庭だそうだ。


この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されている。


龍の形に見える。


蟠龍庭の説明札
逆光で上手く映らない…


左に雄龍、右に雌龍を配し金胎不二を表す。


奥殿?
桐と三巴の家紋


ちょっとした風景も絵になる。


雨に濡れた石が綺麗。
京都でも思ったが、意外に雨の風景が苔や石が光ってより美しい。


不思議な処にハシゴが。
屋根の上には換気口が。


金剛峯寺の寺紋は二つあり、
五三の桐と、三頭右巴

五三の桐は豊臣秀吉 拝領の青厳寺の寺紋
三頭右巴は高野山の鎮守・丹生都比売神社(にうつひめ)の定紋




台所
江戸期以降、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所です。柱や梁も煤で真っ黒になっている。

水飲み場は湧き水を高野槇の水槽に溜めていて、この日も野菜が水にさらさらていた。


大きな「かまど」も現在も使われていた。


釜には菊の彫刻が。


炭をおこす場所には防火対策として大きな煙突が配置されています。


天井からつり下ろした台には食物が保存されていました。天井からつることで風通しをよくし、さらに紙を垂らすことによってネズミの侵入を防いでいました。


一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいます。三つで一度に二石(約2,000人分)のご飯を炊いたものです。昭和50年代まで、年末の餅つきの際に使われていました。二石釜の真上には行灯が釣られ、正面には台所の神様である三宝荒神をおまつりしています。


こちらが大玄関
天皇、皇族、高野山重職のみ利用が許されていた。


ハシゴの先の屋根の上には天水桶があった。
普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしました。


大玄関には龍の彫刻


四方八方彫刻が施された大玄関








龍の鬚が見えるが、よく折れないなぁ。


大玄関の向かいに建つ鐘楼

門をくぐって右手に見えます鐘楼は、金剛峯寺の前身であります青巌寺の鐘楼です。その構造形式から万延元年(1860年)に大火(たいか)で類焼後、大主殿などの建物と共に鐘楼も元治元年(1864年)に再建されたものと考えられます。
桁行・三間、梁行・二間、袴腰付入母屋造り(はかまごしつきいりもやづくり)の形式で、県指定文化財となっています。



こちらが正門を内側から見た写真


正門は金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っている。
寺紋の五三の桐と三頭右巴の提灯


金剛峯寺 正門脇を流れる小川


川底が石畳になっているので、人工の小川なんだろう。
下界との結界?


吊り鐘。

16:18 金剛峯寺を後にし、
壇上伽藍へ。

金剛峯寺を出るときには、雨も上がりちょうど良かった。
やはり、晴れ女(笑)
弘法大師さまの御利益だ。


こちらが境内図

http://www.koyasan.or.jp/sp/kongobuji/jinai.html


本坊内拝券 新別殿待遇券








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ブログ160913 高野山~熊野古道の旅 南海 橋本駅と天空3号 橋本駅から極楽橋駅へ 天空沿線ガイド ...

2016-12-07 23:33:03 | 食べ物
南海鉄道 橋本駅の天空の指定席交換場所にあった「天空 沿線ガイド」パンフレット。


文字にイラストに色合い、そして内容も良しときた素晴らしいパンフレットだ。


天空の座席レイアウト。
我々は2号車に乗車


ここに書いてありました。
「2208」の橋本側の車体番号の08は“橋本”の「ハ」。高野山側の車体番号の58は“高野山”の「コーヤ」を表しているそうです。

84で「ハシ」にはしないのかなぁ?


高野山のお土産には“ごま豆腐”と創業300年の上きしやの“やきもち”がいいらしい。
イラストもいい。


お土産>みろく石に、線香にお香


高野山のお薦め体験は、
写経、授戒、阿字観、精進料理

写経と精進料理は体験予定

■授戒とは
http://s.ameblo.jp/luileo/entry-10682927176.html


高野山 山内MAP


橋本駅から極楽橋駅までの沿線ガイド


橋本駅→紀伊清水
春には菜の花がキレイらしい。


紀伊清水→学文路


学文路→九度山
九度山は真田昌幸、幸村親子が閑居した場所。
古くは、弘法大師空海さまのお母上が祀られている慈尊院があり女人高野とよばれている。
空海さまが慈尊院に住む母を訪ねるために月に九回もこの地にやってきたために九度山と地名に名付けられた。

■九度山の由来
http://tyouishimichi.seesaa.net/s/article/80204959.html


九度山→高野下
富有柿はこの辺で採れるらしい。

高野下駅 上屋の柱
1896年~1907年製の古レールを再利用して造られた。カーネギー社(米)、チャーリーズ・キャンメル社(英)、ドイツ・カイザー社(独)などの刻印が読み取れるそうた。

今度、降りてみたいなぁ。


丹生川橋梁
全長72.52m、1925年(大正14年)架設。
丹生川橋梁下には旧トロッコ道の遊歩道が見える。
昔、高野山を走っていた森林鉄道の名残だそうだ。

遊歩道から橋梁を見てみたいなぁ。
やっぱり登山かな(笑)

高野下駅~極楽橋駅間
この区間は50‰(パーミル)の急勾配とトンネルが続く。
半径R=100の急カーブが連続し、山岳鉄道らしさを実感できる。
この区間のトンネルには1~23の番号がついている。


下古沢→上古沢
1、猪子山トンネル 50‰
2、下古沢トンネル 50‰
3、辨天山トンネル 30‰
4、大福山トンネル 40‰
5、馬場山トンネル 50‰
6、上古沢トンネル 50‰
7、瀬戸トンネル 50‰

高野線を歩いた人のブログがあった。
いつか、のんびり歩いてみたい。

■高野線を歩いてみた
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/74786/70462/69344911


中古沢橋梁
鉄骨がやぐらのように組み上げられたトレッスル式橋脚を採用。
全長67.6m、1927年(昭和2年)架設。

笠木橋梁
橋脚の高さが22m、そして軌道が曲線半径R=123と急曲線を描く珍しい橋梁。
全長66.5m、1928年(昭和3年)架設。


■特別列車 天空
http://www.nankaikoya.jp/tenku/


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