「これから夜会に出かけるんですよ」と彼は答えた。「帰りはとても遅くなると思います、だからお母さん、僕を待たないで寝てください。いつもどおりの時間に寝ると約束してください」
「あなた、親鍵は持っているわね?」
「ええ、大丈夫です」
「なら、いいわ。あなたを待たずに寝ることにするから……。帰ってきたら控えの間のテーブルの上に蝋燭とマッチが見つかるようにしておくわ。ちゃんと暖かい恰好をするのよ。今日はとても寒いから」
彼女は息子が接吻できるように額を差し出し、陽気に付け加えた。
「楽しんでいらっしゃい」
フェライユール夫人はちゃんと約束を守り、いつもの晩と同じ時刻にベッドに入った。が、いくら眠ろうとしても、いつかな寝付かれなかった。彼女には何も心配するような材料はなかったのだが、息子が外に出ていると思うだけで、今まで一度も感じたことのないぼんやりした不安が頭をもたげた。ひとつには、パスカルの行先を彼女が知らない、ということがあったかもしれない。更に彼女が心穏やかでいられなかったのは、ド・コラルト氏の存在だったであろう。フェライユール夫人は、この男を毛嫌いしていた。女の勘がこの若い子爵のどこか異様な美貌になにか不健全なものを感じ取り、彼の示す友情を信用することは危険だと思っていたのかもしれない。近所の時計の鐘が時を告げるのを彼女はじっと聞き続けていた……二時……三時……四時……。
「パスカルったら、何て遅いの」と彼女は思っていた。
少しずつ不吉な予感が彼女の心の中で大きくなっていった。彼女はベッドから飛び降り、窓の方まで走っていった。人けのない通りから悲痛な叫び声が聞こえたような気がした……。
まさにちょうどこの時、『いかさま師』という言葉が息子の顔に浴びせられていたのであった。
通りは森閑としていた。彼女は自分の空耳だったと思い、再びベッドに横になり、自分の妄想を自分で笑い、ついに眠りについた……。
しかし、次の日の朝、通いの家政婦の立てる物音を聞いて自分の部屋を出た彼女は、恐怖のあまり立ちすくんだ。テーブルの上にパスカルの蝋燭立てがまだそこにあった。
息子はまだ帰宅していなかったのだ!彼の部屋まで彼女は走っていった……もぬけの殻だった。もうすぐ八時だというのに!
パスカルが母親に何も知らせずに一晩を外で過ごしたのはこれが初めてだった。息子の性格からして、このことは何か尋常ならざることが起きたのだと彼女は思った。一瞬のうちに、夜のパリで起きる危険な出来事が無数に彼女の頭を駆け巡った。新聞で読んだ出来事の数々、人けのない通りの角で罠に引きずり込まれ、橋からセーヌ河に投げ込まれた男たち。彼女の記憶に、そういったことが浮かんだ。12.12